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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

夜離れ(24)
これはこの話の次はオールスターですよね……
どうするんでしょう、私。どこに向かっているんでしょう。
夜離れ(24)
 
 マサキが目を開くと、まだ僅かに輪郭はぼやけていたものの、これまでの視界とは明らかに異なる世界が目に飛び込んで来た。
 最初に飛び込んできたのははっきりとそれとわかる白い天井だった。
 そして背中に当たるマットの硬さが異なることに気付いて、慌てて身体をベッドから起こす。白い壁に白いカーテン……そして自分が寝ているのがパイプベッドとくれば、思い当たる節はひとつしかない。
 それを確かめようと白い扉の向こうに出ようとしたところで、見知った顔と鉢合わせた。
「申し訳ございません、マサキ様。これから医師による回診がございますので、ベッドに戻って頂けませんでしょうか」
「ここはどこだ」
「病院にございます。ですからどうぞベッドにお戻りを」
 扉の前から引く気配のないエリザに、マサキは仕方なくベッドに戻った。戻って、まじまじとエリザの顔を見る。先の大公と大公妃の婚姻時に幼かったと言っていた彼女が、もう少し年齢の行った女性だと思い込んでいたマサキは、思ったより若く見えるその容貌に新鮮な驚きを禁じ得ない。
「あまりまじまじとわたくしの顔をご覧になられても、何も代わり映えのしない顔でございましょう」
「あ、いや。もっと歳がいっているのかと」
「まあ!」エリザはそう声を上げると、どこか喜びを感じさせる調子で、「そのご様子でしたら直ぐにご自宅に戻れることでしょう。少々お待ちくださいませ。ただいまご主人様を呼んで参ります」
 そして病室を出てゆく。
 マサキの鼓動が一気に跳ね上がる。収まる気配を見せないそれに、マサキはひとつ深呼吸をして、どういうことだ、と考え込む。
 今更にあの男が自分の前に姿を見せるなど考えられない。それだったら最初の時点で正体を明かしている。それに、エリザ。エリザは昨晩、マサキとあの男の間で何が起こったのか知っている筈だ。それどころかそうなることを事前に知っていた節がある。なら、エリザにそれを知らせておきながら、あの男がマサキをひとり残してあの部屋を出て行った意味は? 本当にただ、今日に外せない用事があったからなのか。いや、それだったら何故エリザは、主人を呼びに行った? 彼女はこの病院に主人に同伴して来ているのに。
 その様々な疑問は彼女が主人を連れて戻って来ると同時に氷解した。
「見える目でお目にかかるのはこれが初めてですね。マサキ=アンドー」
 そこにはマサキの知《・》ら《・》な《・》い《・》男《・》が立っている。マサキは動揺した。絶対に間違える筈のない夜を経て、確信を抱いていた筈のマサキだのに、目が見えなかった事実がその心を揺らがせる。あまりの現実に、暫くの間は惚けていたに違いない。そうやって、目の前に立つ男の姿を見遣って、絶対に違う――マサキは首を振った。
「お前は誰だ」
「残念ながら、名乗るほどの名前は持っていないのですよ」
 違う、違う、違う。マサキは胸の内で繰り返す。繰り返して息を吐いて、そして冷静に目の前に立つ男と、あの男との違いを探し始めた。
 先ず背丈。頭半分は男の方が低い。次いで髪の色。確かに髪を染めたあの男の髪の色に似ている。けれども染料による不自然感が漂うあの男の暗い髪の色と違って、こちらの男の髪の色は自然な明るさに満ちている。そして顔立ち。確かに切れ長の目といい、筋の通った鼻といい、薄い口唇といいよく似ている。似ているが、違う。雰囲気なのだ。よく切れるナイフのように怜悧なあの男の面差しと異なり、こちらの男は笑い慣れた面差しをしている。
 何よりも声が違う。こちらの男の方が半トーンは高い。
「そういう意味じゃない。俺が会った主人はどこだ」
「私ですよ」
 そして彼は背後に控えるエリザに席を外すように促すと、彼女の姿が消えると同時に、ベッドの脇に腰掛けて、マサキの顔を覗き込みながら、
「昨日の夜のことをお忘れではないでしょう?」
 かあっ、と顔が熱くなる。本人が目の前にいたら殴るどころでは済まされない。いったいどこまで何を話しやがったんだあの野郎! マサキは胸の内で毒づいて、咄嗟に男から視線を外す。
「……お前は誰なんだ」
「ただのしがない地方貴族ですよ」そう言って、彼はどこか悲しげな笑みを浮かべ、「冗談ですよ」と続けた。
「言っていい冗談と悪い冗談があるってことを、この国の貴族には教え込んだ方が良さそうだな」
「聞いていた通りの人だ」
 くっく……と彼は笑う。
「似ているでしょう?」
「お前、本当に誰なんだ?」
「聞かない方がいいこと、知らない方がいいこと、世の中にはそんなことがごまんとあるのですがね」
「言われりゃ似てる――その程度だ」
 人を喰った物言いが下手に似ているものだからたまらない。マサキは彼を睨み据えて、その言葉の続きを待つ。そんなマサキの態度をどういなしたものか困ったのだろう。彼は溜息をひとつ吐き出すと、
「私にしておけば、一夜の気の迷いで済むものを」そして、マサキから視線を逸らすと、白いカーテンの隙間を眺めながら、
「本当にただのしがない地方貴族なのですよ、私自身は。その昔は靴屋の息子ですらあった……この話の続きを聞きますか? 聞いてもどうにもなりませんよ。過去はなかったことにはできないのですから」
「だったら何故話をしようとした?」
「最後に幸福な記憶を、私があなたに残してあげたかったからですよ。その程度には私も怒っている」
「だったらてめぇの話を聞かせろ。勿体ぶった言い回しばかり似やがって」
「そうなのでしょうね」
 けれども私は昔は無邪気な子供でしたよ――そう言って、彼はぽつりぽつりと話し始めた。
 
 
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