今回ルビだらけです。(ルビの振り方は青空文庫に準じています)
その割には、大した内容ではないような。
ヤンロン×サフィーネの巻。きっとこれもヤンロンの愛情表現なのです。
その割には、大した内容ではないような。
ヤンロン×サフィーネの巻。きっとこれもヤンロンの愛情表現なのです。
<愛を囁く日に聖者に甘い贈り物を>
「って、ことが三日前にあったんだけどよ。今日の俺は腹をくださずに生き残れるかね?」
「ミオがついてるんなら大丈夫でしょ。食べられるものは貰えると思うわよ」
「贅沢な悩みだな。リューネにウェンディにシュウか。お前は結局、誰を選ぶんだ?」
「余計なものを混ぜてるんじゃねぇよ!」
今日も繁栄を極めるラングラン王都。その城下町の一角、表通りから東に入った先の飲食店街にある話題のパン屋は、種類豊富な焼きたてのパンをオープンカフェスペースでドリンク類と一緒に食べられるとあって、昼下がりのこの時間になっても客足が途絶えない。
その賑わいをみせるカフェスペースで、マサキたちは丸テーブルを囲んで少し遅めの昼食を取っていた。
チーズトーストにウィンナー&エッグマフィン、クラブハウスサンド。デザートにシナモンロール。男ふたりの旺盛な食欲に比べると、甘いものには底なしの食欲を発揮する割に普段の食事は少食気味なテュッティは、ミニクロワッサン二個にバターロールが一個、レーズンブレッドが一切れと控えめな量だった。
「余計なものか。クリスマスのみならず、年末年始も一緒に過ごしたのだろう?」
「クリスマスはさておき、年末年始はミオも一緒だったっつーのによ」
「お前たちは簡単に地上に出過ぎだ。僕などずっと春節を我慢しているというのに」
「なんだよ、結局やっかみか? 爆竹が必要だったら山ほど買ってきてやったぜ」
「ただ爆竹を鳴らせばいいというものでもないんだがな」
「まあ、その甲斐はあったのだから、いいんじゃないかしら。これで成果がひとつもなかったら問題だけれど、マサキが入手してきた情報のお陰で白鱗病の南下は防げたのだし」
甘いものを食べる時と比べると、口の開き方からして違う。楚々とパンを小さく千切っては、ゆっくりと口に運ぶテュッティを眺めながら、三人前のクラブハウスサンドの最後の一切れを食べ終えたマサキは、グラスを取り上げると中身のミルクを飲み干した。
先月末から寝食問わず働き詰めだった所為か、食べても食べても腹がいっぱいになる気がしない。減った体重が戻っても尚、マサキの旺盛な食欲は衰えるところを知らないようだった。
「もう二、三個何か食うかな」
「奇遇だな。僕も同じことを考えていたところだ」
それはヤンロンも同様らしかった。厳戒態勢の王都の警備を十日近く務め上げたのだ。その精神的重圧は計り知れない。少し面窶《やつ》れした横顔にその苦労が偲ばれる。
最後まで諦めずに手作りチョコレートに挑戦したいと意地を張るリューネの世話がなければ、ここにミオも加わっていたところだったが、残念ながらそうは問屋が卸さない。彼女の苦労だけはまだまだ続く。
なるべく早い段階で市販のチョコレートを買わせる方向にシフトさせたいと言っていたものだが、さて、どうなることやら。マサキは少しだけ憂鬱な気分になった。ごついアクセと聞いてリューネが浮かべた表情といい、彼女が消し炭にしたチョコレートの量といい、今年のバレンタインも嫌な予感しかしない。
「もうあと数時間もすれば夕食の時間よ。思いっきり食べるのは、あんまり。腹八分目と言うでしょう」
自分が支度する夕食が余るのを気にしたテュッティに窘められたマサキは、パンのおかわりをどうするか考えあぐねて、ふと通りの向かいの建物に目をやった。馬車が行き交う広い通りの向かいにはダンスホール。出入口ばかりは豪華に――でもなかろうが、石造りの意匠も見事な柱が大きめのガラスの回転扉の両側に立っている。昼下がりのティータイムに近い時間にしては、人の出入りは多い。
中流階級層のサロンと化しているところも多いダンスホールだが、昨今は事情が異なるらしい。先日のファーガートン炎舞劇団の公園に触発された人々が、踊りを嗜むために殺到しているのだとか。テレビ中継の瞬間最高視聴率が50パーセントを超えたこともあり、城下町では猫も杓子もダンスブーム。上流階級層は夜のパーティで、中流階級層はこうしたダンスホールで、下流階級層はもう少し格の落ちるホールか道端で、思い思いに自分たちの踊りを楽しんでいる。
「やっぱり、止めとくか。今日は食わなきゃ首を締められるチョコレートもあるし」
「だから早く一人を選べと言っている」
「選ばないって選択肢はないのかね」
「そのうち刺されても知らんぞ。そのときはティアンに任せてやるがな。奴だったらさぞ立派な葬儀にしてくれることだろう」
「お断りだ。あの破戒僧に念仏を唱えられるぐらいだったら、地を這うフランスパン原理教にでも祈ってもらった方が何百倍も有り難みがある」
昼下がりからスポーツ替わりのダンスに興じたに違いない品のよい一団が、回転扉の向こう側から姿を現す。
その一団の中央に立つ、肉感的なボディラインの女性。見事に結い上げられたブロンドの髪に、胸がはちきれそうな白いブラウス。細い腰周りを太めの黒ベルトで強調した深い紅色のフレアースカートに丈の短めの薄桃色のカーディガンを羽織り、笑顔も華やかに。
落ち着いた出で立ちではあるが、遠目からでも目を引く。グループの華らしき彼女は紳士たちの別れ際の挨拶に会釈で答え、そして中央通りに向かう彼らとは逆側、雑多な住宅街が広がる通りの東側へと歩を進めた。
「――マサキ、ヤンロン」その様子を横目で伺っていたテュッティが小声でマサキとヤンロンを呼ぶ。「ああ」「わかっている」努めてさりげない仕草で、三人めいめいにテーブルから立ち上がった。
淑女に擬態しているつもりでも、扇情的な雰囲気は隠せないものなのだ。
サフィーネ=グレイス。紅蓮のサフィーネの二つ名を持つ彼女は、相変わらず城下町で諜報活動に勤しんでいた。
「ところで地を這うフランスパン原理教って何?」
「適当ぶっこいたに決まってるだろ。そのぐらいティアンの生臭坊主ぶりが堂に入ってるって例えだよ」
他愛ない話を続けながら、一定の距離を置いてサフィーネのあとを尾ける。足取りも優雅に道を往く麗しい後ろ姿。その後ろ姿に騙されると痛い目を見る。彼女は不穏な気配に敏感だ。少しでも距離を詰めれば、直ぐにこちらの気配に気付くだろう。
折角の休暇が三日と持たなかったのは、彼女が頻繁に厳戒態勢が解かれた後の城下町に姿を現しているという情報がセニアから寄せられたからだった。
「あの人たちのことだから、例の男を上手く泳がせることで漁夫の利を狙ってるんでしょうけど、あたしとしてはね。今回は武器庫をふたつ駄目にしただけで済んだけど、次はどうなるかはわからないのだし。できれば持っている情報をきちんと共有したいのよ」
マサキは先ず三箇日を過ごした仮住まいの館に向かった。しかし、既にマサキたちに居所を知られてからひと月半近くが経過しているとあっては、彼らがそこに留まり続ける理由もなく。もぬけの殻となっていた館に、周辺住民や管理者から話を聞いてみたものの、彼らの次の居所に繋がる情報は得られなかった。
後ろめたいことがなければ、早々にその居所を変えたりはしないものだ。
今回の件に関してはある種の共闘関係が成り立っている。まだ何か隠している情報があるのではないか。マサキはそう考えた。だからこそこうして、サフィーネの行先を辿ることにしたのだが。
まばらに商店が点在する住宅街に足を踏み入れる。雑多な街の風景に馴染みにくいサフィーネの後ろ姿が、人いきれに飲み込まれそうになる。瞬間、彼女の足が早まった。
「行くぞ!」ヤンロンの足は速い。人混みを縫って、どんどん遠く。
「あんまり騒ぎにはしたくねぇんだけどなあ」
「警備詰所には話を通してあるし、大丈夫でしょう」
「一般人の目が怖いんだよ」
マサキとテュッティもそのあとを追う。すれ違いざまの相手にぶつかりそうになる身体をなんとか避けながら、先へ。徐々に迫り来るふたつの背中により近づく為に、先へ。
ヒールの高い靴で器用にも飛び跳ねるように逃げ回っていたサフィーネだったが、それも少しのこと。「もう! あんたたちしつこいのよ!」ヤンロンに袖を掴まれたサフィーネは、整った目鼻立ちの顔を盛大に歪めて絶叫した。
「お前らがヤサを変えなきゃ、こんな真似をする必要はねえんだよ」
「冗談じゃないわね。あちらもこちらも居所を掴まれるなんて。あたしたちにだってプライベートは必要。偶には誰の目も気にせずのんびり羽根を休めたいのよ。それに何か問題でも?」
うふふ、と声を発したサフィーネの濡れた口唇が、三日月に歪む。流石は二つ名持ち。魔装機神の操者三人に囲まれてこの余裕の態度。常に危ない橋を渡り続けている彼女にとって、このぐらいの窮状《ピンチ》は数の内にすら入らないのだろう。
「セニアが例の男の居場所を知りたがっている。あと、できればシュウから直接話を聞きたいとも」
「王宮の火薬庫に火を点けられちゃったんでしょう? ご愁傷様。でも、あたしたちにもあたしたちの事情があるのよ。そう簡単に口は割れないわね」
「マサキ、テュッティ。サフィーネをちゃんと抑えておけ」
サフィーネの身体をマサキとテュッティに預けたヤンロンは、その前に仁王立ちになると、人民服の懐から一冊の薄い書を取り出した。その表紙を捲る。「また故事成語か」マサキは呆れつつも、サフィーネの腕を強く抑えた。「最近、新しい技を編み出したんですって」テュッティも、どこか物憂げな表情になりながら強くその腕を掴む。「覚悟してね」
「覚悟って言ってもねえ……」サフィーネは余裕綽々だ。「そんなに何度もあの手は食わな」
「では、聞かせてやろう。孔子とその門弟たちの有難い言葉の数々だ」
そう宣言し、一息吐くと、ヤンロンはよく通る凛とした声で手元の書を読み上げ始めた。
「――子曰く、言《こと》、物有りて行《おこない》、格《のり》有り、是《ここ》を以《もっ》て生きては則《すなわ》ち志を奪ふ可《べ》からず、死しては則《すなわち》ち名を奪ふ可《べ》からず。この意味だが」
「やめてよ! 延々経文を聞かされたあの日々が蘇るじゃないの!」
「経文ってなんだ」
「破壊神を崇め奉る経文でもあるのかしら」
言った割には早々にリタイヤしているサフィーネの台詞に、マサキとテュッティはぽつりとそれぞれの疑問を吐き出した。まさかヴォルクルスの本尊像でも目の前にして、神官が経文を読み上げている訳でもあるまい。謎深き破壊神信仰の全容が気になるところではある。
「ああ、悍《おぞ》ましい! このあたしに理《ことわり》を説こうなんて!」
しかし、激しい炎の化身でもある|火の魔装機神《グランヴェール》に愛されし操者だけあって、攻撃的なヤンロンには嗜虐嗜好の気があるのだ。そんな彼はサフィーネやマサキたちの胸の内にはお構いなしに、書の頁を前に捲ると当然至極とばかりに、
「ふむ。ならば、最初から聞かせることにしよう」
ただ書を一定のリズムで読み上げられているだけのことでしかないのに、彼女には耐え難い苦行であるようだ。ひぃ……っ、とサフィーネの口から細い悲鳴が上がった。つくづく、相性がいいのか悪いのかわからない組み合わせである。
「子曰く、学びて時に之《これ》を習う。亦《ま》た説《よろこ》ばしからずや。朋《とも》有り、遠方より来たる。亦《ま》た楽しからずや。人知らずして慍《いきど》おらず、亦《ま》た君子ならずや。次はお前の為にあるような話だな。有子曰く、其《そ》の人と為《な》りや孝弟にして、上《かみ》を犯すを好む者は鮮《すくな》し……」
「やめてやめてやめて! やめてって言ってるじゃないの!」
「乱を作《な》すを好む者は未《いま》だ之《こ》れ有らざるなり。君子は本《もと》を務む。本《もと》たちて道生ず。孝弟なる者は、其《そ》れ仁《じん》の本《もと》為《た》るか。詳しい話は後にするとして、先ずは纏めて一篇を読むとしよう。子曰く、巧言令色《こうげんれいしょく》、鮮《すくな》し仁《じん》。曾子《そうし》曰く、吾《われ》日に三たび吾《わ》が身を省みる。人の為に謀《はか》りて忠ならざるか……」
「あ、ああああんた! か弱い乙女がやめてって頼んでるのに、この××××××野郎が!」
往来の真ん中で、聞くも耳に憚る台詞を絶叫したサフィーネは、そのまま力果てて項垂《うなだ》れた。
「か弱い乙女ねえ」
「か弱い乙女が往来で叫んでいい言葉ではないわね」
それは常識人のテュッティには堪える台詞だったようだ。柳眉を顰《ひそ》めて言い放つ。
そんなふたりの間で、力尽きたように見えても懲りないサフィーネは、「……あんたそれ以上やったら、あんたの×××を二度と××××できないように切り落とすわよ」などと、最後の抵抗とばかりにまだまだ聞くに耐えない言葉を呻いていたが――哀れなりかな、そうした彼女の下品な言行の数々を物ともしないのが、難攻不落の堅物であるヤンロンなのだ。
「子曰く、千乗の国を道《おさ》むるには、事を敬《つつし》みて信あり、用を節して人を愛し、民を使うに時を以《もっ》てす。子曰く、弟子《ていし》、入りては則《すなわ》ち考、出でては則《すなわ》ち弟《てい》、謹みて信あり、汎《ひろ》く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力有らば、則《すなわ》ち以《もっ》て文を学べ。子夏《しか》曰く、賢を賢として色を易《か》え、父母に事《つか》えては能《よ》く其の竭《つく》し、君に事《つか》えて能《よ》く其の身を致し、朋友《ほうゆう》と交わり、言いて信有らば、未《いま》だ学ばずと曰《い》うと雖《いえど》も、吾《われ》は必ず之《これ》を学びたりと謂《い》わん。子曰く、君子重からざれば則《すなわ》ち威あらず。学べば則《すなわ》ち固ならず。忠信を主《しゅ》とし、己に如《し》かざる者を友とすること無かれ。過ちては則《すなわ》ち改むるに憚ること勿《な》かれ。曾子《そうし》曰く、終りを慎み、遠きを追えば、民の徳厚きに帰《き》せん。子禽《しきん》、子貢《しこう》に問いて曰く、夫子《ふうし》の是《こ》の邦《くに》に至るや、必ず其の政《まつりごと》を聞く……」
「わ、わかったから止めて頂戴……シュウ様と連絡が取れればいいんでしょう」遠巻きに出来た人垣もなんのその。顔色一つ変えずに論語を読み上げ続けるヤンロンの言葉を、左右をマサキとテュッティに支えられながら上半身を折り、声なく聞き続けていたサフィーネはここでついに降参《ギブアップ》。「例の男についてはそれからよ。あたしの一存であんたちに勝手に情報を吐くわけにはいかないのよ」
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