まだまだリハビリ中。
喫茶店の珍事
喫茶店に入るなり、さも当然のように紅茶と牛乳を頼んでみせたシュウに、マサキはどういうことかと訝しむことしか出来なかった。
城下で偶然顔を合わせたのだ。
どうやらセニアを訪ねた帰りであったらしい。お茶をしながら話でもと云い出したのはシュウだった。いつも時間に追われているようにして生活している男にしては珍しいこともあるものだと思いつつも、時間に余裕があったマサキは、少しだけならとその誘いにのることにした。
連れていかれたのは大通りに面した喫茶店だった。マホガニー材で作られたテーブルにスツール。サックスブルーの壁紙に、セピア色の板材。アンティークな額が飾られた店内は落ち着いた雰囲気に満ちていた。
通されたのは窓際の角席だった。
偶には腰を据えてシュウと話をするのも悪くない。メニューブックを眺めながらマサキがそう思い始めた矢先だった。マサキが希望を口にするより先に、シュウがマサキの分も纏めて注文を済ませてしまったのだ。
確かにマサキは牛乳が好きだ。どこに行っても、下手な飲み物よりは牛乳を頼む。
とはいえ、趣きある喫茶店に入ってまで――ましてや同席する相手が、子供じみた真似を嫌うシュウとあっては、いつも通りのメニューを頼むのも憚られるだろう。だからこそマサキは、自分が好む牛乳ではなく、この喫茶店のオリジナルブレンドコーヒーを頼むつもりでいたのだが。
「……何で、牛乳なんだよ」
テーブルに届けられた冷えた牛乳入りのグラスを目の前にしたマサキはシュウに尋ねた。
「あなたが好きな飲み物だからですよ。違いますか」
「いや、そうなんだがな……けど、俺、お前に俺の好みを云ったことってあったか?」
他人に揶揄されるぐらいに強い絆で結ばれている筈のマサキとシュウの仲は、他人が思うよりも素っ気ないものだ。
戦場では顔を合わせることも多かったが、プライベートをともにすることはない。戦いの合間の束の間の休息時間であろうとも別行動が当たり前。それは表現するのであれば、偶に顔を合わせる程度の知り合いと呼ぶのが相応しい。
そういった付き合いでしかない男が、どうして自分の好みを把握しているのか。途惑うマサキにシュウが更なる注文を提案してきたのは、その次の瞬間だった。
「何でしたら、ハンバーグ定食も付けますか?」
さも当たり前のようにマサキの好みを云い当ててみせる男に、マサキとしては脱力するより他ない。
シュウ=シラカワという男は、鈍感なマサキですら感じ取れるほどに、マサキに対して度を超した執着心を抱いている男なのだ。
「だから何でお前が俺の好みを知ってるんだよ……」
「見ていればわかることですよ、マサキ」
そんなに自分はわかり易い好みをしているのだろうか。それともそれが執着心の成せる業なのか。テーブルに突っ伏したマサキの頭上から、全てお見通しと云わんばかりのシュウの嗤い声が降り注いだ。
会うといつでも
任務で長くラングランを空けたマサキが、ようやくシュウと会えたのは、自宅に戻ってきてから二週間後のことだった。
どれだけ過酷な任務でも、終わったらそれで終了とはいかない。その間に溜まった雑事もある。特にマサキは、セニアの覚えめでたいアンティラス隊のリーダーだ。書類の整理だのなんだのと細かい仕事を押し付けられることも多く、今回もラングラン正規軍の視察だの、情報局の大掃除だのと様々な仕事を押し付けられてしまっていた。
その結果の空白。
マサキよりも年嵩なシュウは、マサキのように感情的になることは少なかったし、マサキの立場を理解している分だけ、マサキの不在にも寛容であったが、それでも長期間離れ離れになることには思うことがあるようだ。久しぶりに喫茶店で顔を合わせた彼は、挨拶も早々にテーブルの上にあるマサキの手を握り締めてくると、今回の任務について事細かに尋ねてきた。
スキンシップを取りながらも、会話の内容は真面目なのがシュウらしい。とはいえ、人目もある。マサキとしては、真面目な話の最中に指を弄ばれるのは落ち着かない。あまりの居心地の悪さに、どうせならシュウの自宅を再会の場所に指定してくれればよかったものを――と思うも、それを口にしてみれば、それは出来ないとの返事。
「サフィーネとモニカが書庫の整理をしてくれているのですよ。全てが片付くのには、あと三日はかかるでしょうね」
「だったら日を改めろよ」
「そこまで待てる自信もありませんよ」
ある意味、直接的な愛の言葉よりも甘い台詞。しらと云ってのけるシュウの顔はとてつもなく満足げだ。それを眩しく感じながらも、気恥ずかしさが先に立つ。シュウから微かに視線を逸らして、マサキは言葉を続けた。
「せめて手は放して欲しんだがなあ」
照れ屋のマサキにとって、シュウのストレートな態度はいたたまれなさを煽るものでもあるのだ。
けれどもシュウに、その内心を悟れというのは無理なのだろう。ご冗談を。と、言葉を重ねた彼は、今やマサキの手の甲に口唇を付けそうなほどにその距離を近くしてしまっている。
「いつぶりだと思っているのです」
「だからって。人目を考えろよ、人目をよ」
「あなたと離れた分だけ、あなたの成分が不足するのですよ。私は」
「成分」
「成分です」
会わない期間が長くなった分だけスキンシップの度合いが増す男は、そう口にしてマサキの手を強く握り締めてきたのちに、「もう少しゆっくり出来る場所に行きませんか」と、微笑みながら囁きかけてきた。
その言葉が意味するところを悟ったマサキは、頬が赤くなるのを感じながらも、素直にこくりと頷いた。恋しさが募っているのはマサキも同様だ。そのまま、ほぼほぼ無言でドリンクを飲み終えたマサキは、シュウに手を取られたまま喫茶店を後にした。
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