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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

黒と白 2020
これで私の延長戦も終わりにございます。長らくのお付き合い有難うございました。今後は、暫くの間、ゲームレビューをさせていただきながら、のんびり次回作のプロットを練ろうと思っております。
とはいえ、ザッシュを書きたい病を発症しているので、イベントシリーズ(でもこちらのゲストもザッシュです笑)よりも先に、「八月の或る長い一日」の続編をやってしまうかも知れません。私、彼のこと大好きなのに、なんでこんなに当て馬にするのが好きなんでしょうね。愛ってこういうものではないと思うんですが笑
<黒と白 2020>
 
 マサキが連れて来たらしい医師から風邪との診断を受けて、投薬に点滴といった処置をされたシュウは、だからといって一足飛びに楽になるでもない身体を持て余して、ベッドの中、ひたすらぼんやりと思索に耽っていた。
 熱が出ているときの思索など限界が知れている。少し何事か考えたかと思うと、全く異なることを思い出しては、そちらに思いを馳せる。そしてふと先程までの自分の考えが思い浮かんできては、そうだったと、その続きをまた考える。
 いつの間にか落ちていた眠り。浅い眠り。微睡《まどろ》みの中、夢を見ながら、まとまりのない思考に身を委ねて、はっと何かとても重大な発見をしたような気になって目が覚める。どうしようもない倦怠感を覚えていながら、やけにさえざえとしたシュウの脳は、休むことを知らずに働き続けていた。
 いい加減に頭を休ませて、深い眠りに就きたい。シュウはそう思った。枕に頭を沈めたまま、天井を見上げる。その節目がぐにゃりと歪んで、何かの形を取っているように見える。それは空想上の生き物のひとつであったり、世の中に溢れる物質のひとつであったり、文字や数字のひとつであったりと様々だ。
 その中に、知ったような顔を見つけたシュウは、それが誰であるのか考え始めた。
 乳幼児期に養育係として自分の世話を担当していた幾人かの使用人たち。彼らは立派な経歴と深い教養を持ち、幼かったシュウにその立場に相応しい振る舞いを教えてくれたものだった。
 その中のひとり。乳母でもあった彼女の名前はなんと言っただろう。エミリーだったか、ノーラだったか、それとも……簡単に思い浮かんでこない彼女の名前に、自分の記憶の覚束なさが不安に感じられたシュウは、それを一旦脇に置いて、代わりにその特徴を思い出し始めた。
 大柄な女性だった。武芸の心得が多少あったらしく、女性にしてはがっしりとした身体つきをしていた。本格的な剣の稽古を受けるより以前。シュウは丸めた新聞紙を使って、彼女から素振りの仕方を教わったものだ。
 他の養育係の女性たちが、自分を普通に抱き上げるのに対して、彼女は肩に自分を乗せることが多かった。恐らく、一度そうしてもらった自分が、見える景色の広さを面白がって何度もせがんだからだろう。「クリストフ様、私はあなた様がこの世界の施政者のひとりとなる日を楽しみにしておりますよ」シュウの成長に伴って、養育係は教育係と人を変えることとなった。職を解かれることとなった彼女は、最後の勤めの日に、いつものようにシュウを肩に乗せてそう言った。
 マーサ=バイオレットだ。唐突に浮かんできた名前に、シュウはようやく安心感を覚えて、また微睡みの中。程なくして訪れてくる夢に思考を委ねた。
 白い部屋の中にシュウはいた。
 熱を出しては放り込まれたベッド以外に何もない部屋。過保護な両親がその身にそれ以上の奇禍が訪れないようにと、徹底してクリーンな環境を求めた結果の部屋だった。シュウはその部屋の開かない窓から外を眺めては、職務の合間に談笑に励む使用人たちの姿を眺めては、彼らの思い通りに動く身体を羨ましく感じたものだった。
「かあさまととうさまは、何故、会いに来てくれないの」
「おふたりともお仕事がお忙しいからですよ。大丈夫です、クリストフ様。わたくしどもが、その代わりにお側におります」
 シュウのよき遊び相手でもあった彼ら使用人たち。何故、あれだけの心優しい人々に囲まれながら、それでも自分は両親の愛情を求めずにいられなかったのだろう。過ごした時間の長さで言えば、圧倒的に彼らと一緒にいた時間の方が長かったのに。
 その部屋をシュウは出た。扉を開けて隣の部屋へ。燭台に青白い炎が揺らめいている。暗く黒い部屋。正面に祭壇があり、床に魔法陣が描かれている。その部屋に足を踏み入れたシュウは、逃げなければ、咄嗟にそう思った。
 正面にフードを目深に被った誰かが立っている。「さあ、始めましょう。クリストフ」逃げなければ。その声を聞いたシュウは再びそう思った。そしてかつて自分を育ててくれた彼女らの名前を、助けを求めるように呼んだ。マーサ、エミリー、ノーラ……何故、あなたたちは私の前から姿を消してしまったの? 幸福だった時代を支えてくれた彼女たちはもう自分の側にはいないのだ。返事のない暗闇にシュウは悟った。
「さあ、来なさい。クリストフ。あなたはこれから栄誉ある役目を果たすのです」
 フードにかかった細い指先が、ゆっくりとその被り物を外してゆく。そのフードの下の顔を見てはならない。見てはならないのだ。シュウはわかっているのだ、その人物が誰かを。知っていて尚、その現実を正視することに耐えられないのだ。
 身動きがままならない。嗚呼、誰か。誰でもいい。ここから自分を連れ去ってくれ。鉛のように重い腕を伸ばして、シュウは虚空に助けを求めた。ほら、早くしないと見えてしまう。あの顔が。
「私の愛情が欲しいのでしょう、クリストフ。いえ、シュウ」
「か……あ、さま……」
 狂った女の残忍な顔が見えたと同時に、その手を誰かが掴んだ。シュウはその手を強く握った。私をここから引き摺りだしてくれ。この繰り返し形を変えては訪れる終わりのない悪夢から、私が今いる現実世界へと。
 シュウの握った手は、その思いに応えるように、シュウの手を握り返してきた。力強い手。そのリアルな温もりがシュウの見ている世界を揺らがせ始める。そうして、より深く、より暗い世界へと。シュウを誘うように世界は揺らぎ続け、そして闇に霞んでいった。
 
 短くも深い眠り。目を覚ますとベッドの脇に食事と薬が置かれていた。マサキがやったのだろう。シュウは熱に浮かされた瞳でぼんやりとそのトレーを眺めていた。あれほどきつく寝室に入るなと言いつけたのに、お節介で世話焼きな風の魔装機神の操者は我慢しきれなかったのだ。シュウが寝ているのをいいことに、マサキは寝室の奥にまで足を踏み入れてしまったようだった。ということは、先ほど自分の手を握り返してきたのはマサキか。そう思った瞬間、シュウは己の口元に笑みが広がるのをのを感じた。
 嗚呼、彼に会いたい。その顔を見て、その温もりを感じて、自分が今在る現実の幸福を噛み締めたい。窓の外に広がる青空を見上げながら、シュウは切実にそう思った。
「妻の初めての出産に狼狽える夫というのはああいう状態なんじゃないですかねえ、ご主人様。何かをしていないと落ち着かないご様子で」
 窓から偶に様子を窺いにくるシュウの口の悪い使い魔は、そうマサキの状態を評して笑った。心配させているのだ。ならば早く健康を取り戻さなければ。そうシュウは思ったものだったが、日頃の不摂生が祟っての風邪。高い熱と激しい咳が収まりを見せるには、三日三晩の時間を要した。
 熱が下がったらマサキと何をしよう。ベッドの中でシュウは何度も考えたものの、結局、いつも通りの生活を送ることしか思い付かなかった。書を紐解き、隣にマサキを置いて、その大量の知識に溺れる。シュウにとっての最大の幸福は、そのささやかな生活にしか存在しないのだ。
「あれだけ熱と咳に苦しまされておきながら、何でお前はその生活態度を改めようと思わないかな」
「私の人生の最大にして最高の幸福がここにあるからですよ、マサキ」
 ようやくベッドを下りられるまでの健康を取り戻したシュウは、シャワーを浴び、服を着替え、読みかけだった本を片手にリビングのソファに陣取った。体力が落ちたからだろう。少しふらつきはするものの、読書をするのに影響はなさそうだ。
 ――私の名にかけてお約束いたします、クリストフ様。あなた様は、将来、たったひとつだけ大切なものを手に入れられるでしょう。
 いつだったか、両親に与えられる愛情に物足りなさを感じたシュウがそれを訴えたときに、マーサはシュウの前に跪《ひざまず》いて恭《うやうや》しくもそう言ってのけたものだった。
「長生きできなさそうだよなあ、お前」
「それはお互い様でしょう、マサキ」
 澄みやかに晴れ渡る空。開かれた窓から、心地よい風が家の中を通り抜ける。シュウはソファの上、マサキを隣に置いて読書に耽りながら、あなたの言う通りになりましたよ、と思い出された記憶の中の言葉に、そっと心の中で呟いた。
 
 
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