忍者ブログ

あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

ボタンの行方(4)
この話の前の話でもある「八月の或る長い一日」を書いたのは、もう十年以上昔のことになるのですが、読み返してみたら(地の文が酷過ぎて書き直したくなりましたが)白河の口撃が凄まじいこと。それと比べると、今の白河はやたら丸くなりましたね。
 
物語内での話はひと月ぐらいしか経ってないのに……
 
それだけマサキに甘やかされたのが嬉しかったのでしょうね。
そんなこんなで、結局シュウに会いに行ったマサキの巻です。
<ボタンの行方~PRIVATE LIPS~>
 
 ――リーリリー……リーリリー……。
 
 賑やかですらあったその鳴き声が、夜の静寂《しじま》に溶け込んでゆく。街道から脇に逸れた細い道をマサキは辿っていた。点在する家々が数を少なくし、影も形も無くなった果てに、まるでそこがこの道の終わりだとでもいうように、広大な森を背後に従えてその家は建っていた。
 窓から漏れる明かりが、家人が未だ活動中であることを告げている。
 勝手知ったる他人の家と玄関扉に手を掛ければ、相変わらず鍵は掛けられていなかった。まるでわざわざ闖入者を招き入れるようとしているような玄関扉の在り方に、マサキは何度も疑問を呈してきたものだったが、この家の家主はどこ吹く風。壊れて用を足さなくなっていたそれを直しただけも上出来ではあったが、それでも就寝時と不在時以外に玄関扉に鍵を掛ける気はさらさらないらしい。
「あら、マサキさん。今日は随分と遅い時間の訪れで」
 入るぞ、と短く告げて、マサキは家の中に足を踏み入れる。耳聡くマサキの声を聞きつけた外見だけは立派な|青い鳥《ローシェン》が、口喧《くちやかま》しさを感じさせる声を響かせながら、玄関へと姿を現してきた。「ご主人様はいつも通りですよ」使い魔としては自我が些か強過ぎるきらいのあるチカは、主人に似てものぐさな所がある。自ら移動に労力を使うのが嫌なのだろう。宙に舞い上がるとひらりとマサキの肩に乗った。
 そもそも訪れる人間が限られる上に、盗られて困る物は書物ぐらい。家主たるシュウがそう言って憚らなくとも、万が一の事態が起こらないとは限らない。命あっての物種なのだ。念の為に玄関扉に内側から鍵を掛けると、マサキはチカを伴って、いつも通りに読書に耽溺しているらしいシュウがいるリビングに足を踏み入れた。
「夜更け近くになってからの訪れということは、何かあったのでしょうか。それとも、任務の帰りがけにふと思い立ったとでもいった所でしょうか」
 ソファに腰掛けて、膝の上に大判の書物を広げているシュウは、僅かに顔を上げてそれだけ言うと、後はお好きどうぞとばかりに、再び視線を書物の上に落とした。チカがマサキの肩から空に舞う。流しっ放しになっているラジオの前に陣取って、そこから流れ出る音に耳を傾け始める。マサキはシュウの隣に空いているスペースに身を落ち着け、「何で人間は歳を取ると、物分りが良くなっていっちまうんだろうな」酔いの覚めた身体をシュウの肩に預けた。
「他人が自分の思い通りに動かないことを思い知るようになる機会が増えるからですよ」
「やっぱり従兄妹なんだな。セニアと同じようなことを言いやがる」
 それきり、マサキの話の続きを待つかのように黙って読書を続けるシュウに、マサキはどう話を切り出したものかと悩みながら、先程までのセニアとの会話を先ずは思い返すことにした。
 マサキの話を聞いたセニアは、「あの子だってそれなりに歴史ある名家の出身なのよ。見合い話のひとつやふたつあっても可笑しくはないわね。むしろ遅いくらいだわ」と言い放った。それ自体は仕方がないことにせよ、家の都合に振り回されているように感じられて仕方がない。ましてや抵抗を続けてきたものを、今になって受け入れようとするなんて――、そうマサキが言えば、
「あの子だって踏ん切りを付ける決心をしたのでしょう。どれだけ純粋な想いを抱えていたとしても、その願いが叶う人間はほんのひと握り。必ずしも世界は自分に微笑み掛けてくれるものではないのよ、マサキ。それともあなた、あの子に何かされでもしたの?」
 まるで全てを見透かしているかのようなセニアの台詞に、マサキは動揺してしまった。酒に酔っているところへの不意打ちは、どうにも自分を取り繕えなくさせるものだ。いや、別に……セニアから視線を外しつつ、マサキがそう口篭ると、「あなた本当に嘘が吐けないわよね。まあ、あの子のことだから、どうせ大したことではないのでしょうけど」
「お前から見ていてもわかるようなことなのか、その、あいつの態度っていうのは……」
「気付かない方がおかしいくらいじゃないかしら。あの子、どれだけあなたと話す時に嬉しそうな顔をしていると思ってるのよ。最初の頃なんて酷かったじゃない。まともに口を利けないくらい緊張してて。リューネ、リューネって言い出した時は、だからなのねって、あたしは納得した口よ。あなたとリューネって似ているもの」
「そっか……そう感じてるのは俺だけかと思ってた。でも、だからって、何をしてやれる訳じゃない。そうやって見ない振りを続けてきたことが良くなかったのかって、思っちまう部分もあって」
「それでいいのよ。答えてやれないのに構うなんて残酷なことはしなくていいの。皆、そういう経験を経て、自分の気持ちに整理を付けてゆくのよ。そして前に進んで行く。人生ってそういうものじゃないかしらね。生きてゆく為には妥協も必要だし、諦めも肝心。人はいつまでも同じ所に留まってはいられないのだから。それともあなた、気持ちに応えてあげられないのに、ザッシュを思い通りに動かしたいとでも思うの? そういうのって独善的って言うのよ」
 小型端末機にレポートを打ち込む、セニアのキーを叩く音だけが響く。穏やかな笑みを浮かべながら、職務に打ち込めるセニアは、自分の進むべき道を決めてしまった者なのだろう。マサキが王宮でちらと小耳に挟んだ話では、魔力がないとわかった頃から、彼女には有力者たちとの縁談話が絶えなかったそうだ。それを全て蹴ってまで、彼女は王族であることに拘った。それはその立場でなければ成せないことがあるからに違いない。
 その帰路に立たされているのが、今のザッシュなのだろう。けれども。どこまでが友情によるもので、どこからが愛情によるものなのか。マサキにはそれによって生まれる態度の差というものがわからない。仲間だからこそ見過ごせないことだってある。例えばこれがザッシュの話でなくとも、マサキは同じように感じ、同じように踏み込んだ発言をするだろう。
 戦うことを諦めず、己が信じる心のままに生きよ。精霊たちが望む魔装機操者たちの生き方は、そういったものではないのか。ただ恙無《つつがな》く血統を守りぬくこと。それのどこに己の心があるというのだろう。だからこそ、マサキの目には、ザッシュが戦うことを諦めてしまったように映ってならないのだ。
「大丈夫よ、マサキ。ザッシュはね、あなたが思っているより、ずっと芯の強い子よ。ちゃんとひとりで前に進んでゆける子なの。でなきゃ、あなたを好きになったりしないでしょう」
「そういうものかね。人の気持ちっていうのは」
「普通はね、あなたの抱えているものに怯んでしまうのよ。自分ではそれを抱え込めないってね。リューネだってそう。ウェンディだってそう。自分が抱え込めると思ったから、あなたを好きでいるのよ」
 そこで何が可笑しいのか、セニアは声を忍ばせて笑った。タン、と一際高くキーを打ち込む音が響く。「さあ、あたしの今日の仕事はこれでお仕舞い。まだ何か思い悩むことがあるのかしら、マサキ」
「納得しきった訳じゃねえけど、お前が言いたいことはわかった」
 マサキは椅子を引いて立ち上がった。セニアにとっては夜も大分経ったこれからが、自分の自由になる時間なのだ。その短い時間までも、自分のつまらない自己欺瞞《エゴ》の為に、割かせてしまっては申し訳ない。如何に好き勝手に振舞っているように映ろうとも、マサキにとてそのぐらいの分別はある。
 けれども自分の気持ちにやり切れなさを抱えままのマサキは、自分にも関わってくる問題だからこそ、そのままゼオルートの館に戻る気にもなれず。
 喧嘩の元になるかも知れないのを承知で、ザッシュの件を相談しようと、マサキがシュウの元を訪れたのは、シュウだったら通り一遍の答えではなく、それを飛び越えた何かを与えてくれるのではないかといった期待があったからだ。
「ワインを届けて来たんだけどさ」
「ああ、どうでしたか。ここにあっても飲み切れる量でもなし。彼の仲間との語らいに役立てば、それに越したことはないのですが」
「管理の難しいものを混ぜるから、扱いに困ってたぜ。それだけは先に飲み切りたいって言うから、俺も付き合っちまったんだけど」
「構いませんよ。それとも、何か言い訳したいようなことでもありましたか」
 きっとマサキの明瞭《はっき》りとしない物言いが、シュウに引っ掛かりを覚えさせたのだろう。書物から視線を上げると、僅かに眉を顰めてみせる。酒場での一件を未だ気にしているのに違いない。
「いや、この間の件もあるし、言っておいた方がいいかなって……」
 シュウとの約束の時間よりもかなり早く着いた酒場で、親しい兵士たちと酒席を囲もうとしていたザッシュと顔を合わせたマサキは、その同席を断り切れずに彼の帰郷の報告を聞いた。そのことはいいのだ。マサキとて無責任にアドバイスを口にしたのではない。ザッシュとてそれに恩を感じたからこそ、機会に恵まれたついでと報告をしてくれたのだろう。
 そこにこちらも約束の時間より早く酒場に着いたらしいシュウが姿を見せたものだから、話がややこしくなった。ザッシュはああいった性格だからこそ、即座に席を譲ってみせたものの、シュウは自分との約束がありながら他人と同席していたマサキの態度が気に障ったようだ。マサキも自分の態度に物を思うところがあったからこそ喧嘩にはならかったものの、シュウにしては驚天動地の勢いでの絡み酒となってしまった。それをいなすのに苦労したマサキとしては、如何に侘びとワインを託されたにしても、ザッシュの絡む話はシュウにはし難いところがある。
「その割には浮かない顔をしている」
 シュウの手が書物を離れ、マサキの頬に触れた。いつもなら心地いい筈の冷えた温もりが、やけにマサキの居心地を悪くさせるのは、ザッシュに想いを告げられたことと無関係ではないのだろう。
 ――それともマサキさん、僕の気持ちを受け入れてくれるとでも?
 あんな風にさらりと気持ちを告げられるとは、マサキは思ってもいなかった。生真面目で折り目正しくも、無邪気な一面を併せ持っているザッシュは、もっと覚悟を決めてから改めて口にしてくるだろう。だったら隙を見せなければいいだけの話だ。そう考えたマサキは、だからこそ、夏の出来事をなかったことにしてしまおうとしたのに。
「そんな表情をされれば、いくら私でも勘繰りますよ、マサキ」
「そうじゃないんだ。ただ、人の人生ってなんだろうなって考えちまって」
「あなたにしては哲学的な問いですね。それは人によって様々ですよ。娯楽と考える人間もいれば、奉仕と考える人間もいる。消費と考える人間もいれば、生産と考える人間もいる。あなたにとっての人生とは何ですか、マサキ」
「だったら、お前にとっての人生って何だ」
「質問に質問で返すのは良くないのですがね。まあ、いいでしょう。私にとっての人生は知の探求ですよ、マサキ。知りたいことの答えを探す旅です。そこにあなたがいてくれれば、もっと豊かになる」
 そこで言葉を切ったシュウは、何かを諦めたような笑みを浮かべ、マサキの身体をその腕の中に収めた。どうやら自分は相当に不満を露わにした表情をしているようだ。髪を梳く手に身を委ねながら、マサキは続くシュウの言葉を聞いた。
「もしや彼は人生に迷いを感じていたりしたのですか」
「逆だよ。踏ん切りを付けたんだ。見合いをして、結婚して、家を継ぐって言い出して」
「それがあなたには気に入らない? 魔装機の操者は続けるのでしょう」
「自分の人生は自分のものだろ。家のものじゃない」
「そういったことにまで口を挟み出したら際限がなくなる」シュウは膝の上の書物を畳んだ。「あなたが彼にしてやれることが唯一あるのだとしたら、それは彼の気持ちをきっぱりと拒絶してあげることだけですよ、マサキ」
「お前、何で知って……」
 マサキは驚きに言葉を失い、シュウの顔を仰いだ。表情の変化に乏しい怜悧さが際立つ顔。けれども、シュウは気分を害しているのではないようだ。穏やかな眼差しでマサキを見下ろしている。
 戦場では何度か顔を合わせているものの、先日の酒場で顔を合わせたのが初めてではないかというぐらいに、プライベートでの接点を持たないふたり。身近でザッシュのマサキに対する態度の変化を目の当たりにしてきたセニアとは違う。なのに何故、シュウがザッシュの気持ちに気付いているのか。
「私がわからない筈がない」
 どこか物悲しく響くシュウの声。それがどういった意味を持つのか、マサキにはわからない。沈黙が流れる。「ところで、マサキ」シュウはマサキの詮索を避けるかのように話題を変えた。
「この上着のボタン。変わったように感じるのは気の所為ですか」
「袖のボタンがひとつ欠けてたんだ」
 ザッシュのマサキに対する気持ちに気付いているシュウに、その事実を伝えていいものか。マサキは悩みはしたものの、後から耳に入っていい話でもない。躊躇いがちに言葉を継ぐ。
「そしたら、ザッシュがワインの礼に、付け替えさせてくれって」
「ああ、それでですか。やけに新しいボタンだと思ったら」
 マサキの指先をシュウの手が弄ぶ。弄びながらも、凝《じ》っとマサキの上着の袖口を見詰めている。態度ばかりは優しいものの、何を考えているのかを掴みかねる視線。マサキとしては気まずさが拭えない。
「それで、付け替えたボタンはどこに?」
「何かに使うこともあるだろうからって、持たされたんだよな。ポケットの中に仕舞ってあるけれども、使う機会なんてないだろ。だから後で捨てようかと思ってたんだけど」
「だったら私が貰いますよ」シュウは静かに微笑んだ。「丁度、ボタンの付け替えが必要な服があります。新しいボタンを買いに行くのが面倒で、そのままにしてしまっている。それに使うとしましょう」
 
 
.
PR

コメント