今回のザッシュは、ちょっと気弱なザッシュです。このシリーズの白河は大人げない振る舞いが多いので、まともに張り合ってると疲れちゃうんでしょうね。きっと。恋は我儘になった方が勝ちなんですよ、きっと。笑
そんなこんなでシュウとまた顔を合わせてしまったザッシュの巻。
そんなこんなでシュウとまた顔を合わせてしまったザッシュの巻。
<ボタンの行方~PRIVATE LIPS>
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夏の再来かと錯覚するほどの陽気が続いたかと思えば、突然に冷え込む。ここ十日ほどのラングランは、まだ秋が始まりを見せたばかりだというのに、乱高下の激しい陽気が常となっていた。
今日の予報は、午前中は冷え込みの激しい雨。午後から天気の回復とともに、気温が上昇するといったものだった。予想される最低気温と最高気温の差は15℃以上。防寒仕様の軍服にするか、それとも薄手の軍服をするか悩ましいところだ。何事もなければ、今日も終日城下の警備詰所に身を置く予定のザッシュは悩んで、どのみち巡回に出るにしてもレインコートを羽織るのだからと、通常仕様の軍服を着ることにした。
まだ雨が本降りな中、詰所にザッシュは向かった。軍のレインコートは、市販のものより厚手だ。野戦で身体が冷えないようにといった配慮からくるだけあって、冬の始まりと錯覚するほどの寒さを充分に凌いでくれた。
急な要請が生じたのは、降りしきる雨がようやく弱まりを見せ始めた昼前。城下の巡回を終えて、詰所へと戻ってきた直後だった。口が堅く、腕も立つ。ふたつの意味で信用がおける兵士たちを選出《ピック・アップ》して、情報局内部の警備に当たって欲しい。非常用回線《ホット・ライン》を通じての要請とあっては重要度が知れる。ザッシュは急ぎメンバーを選出して、情報局に赴いた。
各局の普段の警備状況は出て入口の監視ぐらいだ。それを内部もとなると、思い付くのは賓客の視察。身辺警護と情報漏洩の防止を兼ねたそれは、何週間も前から各局と軍部の間で調整が行われる為、今回のように緊急の出動要請とはならない。そういった手続きを飛ばしての視察だとしたら、相手は余程の大物だ。ザッシュの気も自然と引き締まる。
情報局の警備責任者は、見たもの聞いたものを一切口外しないようと念を押すと、ザッシュに警備の配置予定図を渡した。それを元に兵士たちを内部に配置する。ザッシュの担当は、当然ながらセニアが詰める執務室だ。
「失礼します、セニア様。本日の警備を担当させて頂きます。気苦しくあるかとは思いますが、どうかご容赦を願います」
「そんなに畏まらなくてもいいわよ、ザッシュ。いつもの事よ、いつもの」
セニアはかんからと笑って、ザッシュに今日の厳戒態勢の理由を説明して聞かせた。その向かいには、後ろ姿でも彼だと知れる人物が悠然とした佇まいで座っている。シュウ=シラカワ。国際指名手配犯であるところの彼は、日常、人目に付かない方法を使ってセニアの元を訪れていた。それはザッシュも知っている情報だ。
ところが、それを今日はどういった気まぐれか、正面切って術も使わずに乗り込んで来たのだという。セニアと彼自身の付き合いは、ラングラン上層部に黙認されている形となっているとはいえ、公《おおやけ》になっていい情報ではない。特に反セニア派の人間たちにとっては格好の餌だ。「だからこその処置なのよ」それはこれだけの大事にもなろうというものだ。
「あたしは大事にするなと言ったのだけど、用心に越したことはないって五月蠅いったら」
「そういう事情だったのですね。わかりました。とはいえ、こちらの警備担当の考えもあります。申し訳ありませんが、警備解除の報せがあるまで僕はこちらに詰めさせて頂きます」
「構わないわよ。それがあなたの仕事だものね」
こちらに背中を向けて座っている彼は何を考えてそういった暴挙に出たのだろう? ザッシュは彼が気になって仕方がない。先日のワインの礼を直接伝えるべきだろうか? それとも、それはセニアの手前、控えておいた方がいいのだろうか? 様々な思考が脳裏を過ぎる。
「ところで、ザッシュ。お見合いしたと聞いたのだけれど、それはどうだったの?」
さりとて、不躾な視線を向けるのも、任務の最中とあってはし難い。そんなザッシュの散りがちな気を現実に引き戻すかのようにセニアが言った。
マサキと会ってから半月。ザッシュは多忙な日々の合間を縫って、縁談に臨んでいた。珍しくも電話を使って受諾の返事をしたザッシュに、親戚は相当に舞い上がったようだ。あっという間に先ずは一件と、相手との顔合わせの席を設けた。
「まだ一度顔を合わせたぐらいですので、何とも。他にも何件か話はあるようですし、慌てずにゆっくり相手を選べと言われています。とはいえ、僕がいいと思っても、相手の気持ちもありますしね。決まるのはかなり後のことになるかと」
「将軍職に魔装機操者を輩出したヴァルハレビア家と縁を結びたい家は多いでしょうね。現に、今回の相手、ゼノサキス家の遠縁だって話じゃない。しかもあちらからの申し出なんでしょ? 纏まれば相当のビッグニュースだって、軍部じゃ専らの噂よ」
そこは反逆者の烙印を押されようとも、名門の端くれたるヴァルハレビア家。しかも年頃の男子のいる家系とあっては周囲が放っておく筈がない。ザッシュが聞かされた親戚の談が真実なのだとしたら、既に数十件に及ぶ縁談の申し込みが来ているらしい。
あまりの数の多さに、縁談を受けることを決めたことをザッシュは少しばかり後悔をしたりもしたのだが、今更なかったことに出来る話でもない。ヴァルハレビア一門には軍属の者も多い。彼らはまるでザッシュの退路を断つかのように、ザッシュが縁談で結婚相手を決める気になったと吹聴して歩いたようだ。軍部を中心にあっという間に千里を駆け巡った噂は、ついにはセニアの耳にまで届いてしまった。
「二百年ほど前に本家から別れた家系だと聞いています。本当の遠縁ですよ、セニア様」
ゼノサキス家の遠縁という触れ込みで縁談に臨んできた女性は、見た目の華奢さとは裏腹に、相当の剣技の使い手であるらしい。「もし宜しければ、その内、お手合せをお願いいたします」控えめにそう言ってのけた言葉に自信のほどが窺える。リューネに熱を上げていたことを知っている親族は、それだったら強い女性の方がいいだろうと一番手に彼女を選んだのだそうだ。
いきなりの本命筋の登場にザッシュは焦りはしたものの、「急いては事を仕損ずるとも言うでしょう。他にも相手はいるのだから、ゆっくり選びなさい」ザッシュの性格を熟知している叔母たちは、そう言ってザッシュを諭してくれた。
「ゼノサキス家と縁続きになるということは、プレシア=ゼノサキスとも縁続きになるということですね。彼女はこのことをご存知で?」
それまで一言も発さず、背中を向け続けていた彼が、ザッシュを振り仰ぎながら口を開いたのはその瞬間。
いつもと変わらぬ皮相的《シニカル》な笑みに怜悧さが際立つ眼差し。けれどもその眼差しに、ひと差しの愁いを感じ取ったのは、ザッシュの気の所為だったのだろうか。彼は暫く、ザッシュの表情を窺うようにその顔を見詰めていたが、続くセニアの言葉に視線を戻した。
「流石にそこまでの遠縁は把握していないんじゃないの?」
「彼女からは特に連絡も頂いてませんし、そういった事情ですので、僕から改めて連絡をするのも話をややこしくするだけと思って控えたのですが……」
「彼女と縁続きになるということは、ランドールの名を持つ誰かさんとも縁続きになるということですよ、ザシュフォード=ザン=ヴァルハレビア。もし話が纏まったら、きちんと話をすべきでしょうね。血縁関係がないにせよ、彼がゼノサキス家の筆頭当主であることに違いはない」
「ああ、そうね。マサキがいたわ。あの家も長く続く名門だから、色々とややこしいのよねえ。剣技の才能を重視するから、本流がころころ変わるしね。家系図の複雑さだったら、王家《うち》にも負けないぐらいじゃないかしら」
魔力のあるなしで本流が変わる王家と、剣技の才能のあるなしで本流の変わるゼノサキス家は、セニアが口にした通り、確かに在り方が似ている。とはいえ、養子が認められない王家と異なり、ゼノサキス家は外部の血を入れることに積極的だ。それは、ゼノサキス家が純粋に力を求める一族であるからなのだろう。
「有益な助言《アドバイス》を有難うございます。話が決まりましたら、その時にはきちんと報告をさせて頂こうと思います。しかし、いいのでしょうか。僕の話ばかりにお付き合いさせてしまって」
ザッシュが執務室に入室してからというもの、まともにセニアと彼は口を利いていない。セニアにとって彼は客人である筈だ。その客人にまで自分の話に付き合わせてしまった。気まずさを感じたザッシュは、そろそろ話を切り上げようと試みる。
「いいのよ、ザッシュ。この男が何をしに来たか知ってる? 世間話をしに来たって言うのよ。正面から乗り込んできて、情報局を混乱に陥れておいてそれ。馬鹿々々しいったらありゃしない。それだったら、あなたの近況を聞く方がよっぽど為になるわ」
「新しい機体の開発の進捗状況を聞きに来たのですよ。相談だけしておいて、報告がないのも失礼でしょうに。言葉は正しく使って欲しいものですね、セニア」
「それを世間話って言うのよ。いい? あたしはあなたと違って、時間が有り余ってる訳じゃないの。日長一日、来る日も来る日も開発室《ラボ》に詰めてはいられないのよ。亀の歩みよ、亀の。時間が流れる限り、亀がアキレウスを追い越せる筈がないじゃないの」
「アキレウスに例えて頂いて光栄ですがね、セニア。私とてそう暇な時間ばかりを過ごしている訳ではありませんよ」
「何を言っているのかしら。諜報活動だの裏取引だの、そんな暗躍ばかりしてるクセにねえ」
セニアはふふ……と笑い、同意を求めるようにザッシュを見た。
そう言われても困るのだ。ザッシュが彼と顔を合わせる場所は決まっている。情報局《ここ》で顔を合わせなければ、個人的に口を利くことなどなかったに違いない。そういった状況でばかり顔を合わせてしまう。世の中にはタイミングが合わない相手というものが、確かに存在しているのだ……ザッシュは彼を目にする度に思う。
そんな男の私的な活動の内容でザッシュが知っているのは、マサキと個人的な付き合いがあるということだけだ。だからこそ、返事に困ったザッシュは、変わらずこちらに背中を向けて座っている彼の姿に目をやった。
「あまり彼に私のことを訊ねても、返答に困るだけでしょうに。あなたとは付き合いの深さが違うのですから。そうは思いませんか、ザシュフォード」
椅子の脚を回転させて、身体ごとこちらに向き直った彼を見たザッシュは、即座にその上着のボタンに目がいった。上質な布地に不釣合いな、古びたボタン。見間違える筈がない。それはザッシュが付け替えたマサキの上着のボタンに違いなかった。
その瞬間、ザッシュは聡ってしまった。彼が何故、今日正面切って情報局に姿を現したのかを。
彼はザッシュを情報局に招きたかったのだ。招いて、ボタンの付け替えられた上着をザッシュに見せたかった。
失われてしまったボタンの行方がどうなったのか、ザッシュにはわからなかったけれども、ザッシュが渡したボタンの意味を、彼はザッシュの思惑通りに受け止めたに違いない。でなければマサキのものだった古びた何の変哲もない普通のボタンを、どうしてわざわざ自分の上質な上着に付け替えたものか。
「そうですね。個人的な付き合いがある訳でもありませんし――……」
その彼の意地とも付かない感情に対抗しようとは、ザッシュはもう思わない。進むべき道を決めてしまったザッシュは、マサキや彼に対する自分の気持ちにこうやって折り合いを付けながら、これからの人生を生きてゆくのだ。
そう、決心したのに。
冷静に言葉を紡いでいるつもりが、言った端からその内容を忘却してゆく。ザッシュはどうにも表現し難い畏れを彼に感じている自分に気付いた。背中を伝う冷えた汗。それでも、それを表に露わにしないように努めながら、ザッシュはセニアと彼の遣り取りを見守る執務室の番の任に就き続ける。
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