今日は終戦記念日。
少しばかりわたくしの思い出話に付き合っていただけますと幸いです。
少しばかりわたくしの思い出話に付き合っていただけますと幸いです。
それはまだ、昭和天皇がご存命の折、今から41年前のことでした。
わたくしは7歳。小学校に上がったばかりの頃。
皆様にとっては、きっと馴染みの薄い方であることでしょう。一般的には赤い宮さまと揶揄されることも多かった三笠宮の大殿下が「約束を果たす時がきましたよ」と、いつものお電話の折にそう仰いました。
わたくしが幼稚園の折、蓄音機に興味があると知った宮さまは「いつか機会がきたらお聞かせしましょう」と仰ってくださっていました。その約束を果たせる時がきたとのお話でした。
「許可が下りたのです」
ご自分たちのことをご自分たちだけでは決定できないやんごとない方々。お身内にも序列があれば宮内庁の管理もあります。きっと方々におかけあい下さったのでしょう。そう云って、蓄音機の音をお聞かせ下さる約束をして下さった宮さまは、一週間後。準備をしてわたくしに電話越しにその音をお聞かせ下さいました。
一週間の間、わたくしは様々に思いを巡らせました。
何をお聞かせ下さるのだろう。
格調高い宮家のこと。それに相応しいものをお聞かせ下さるのだろう。
私もまだ子供だし、クラッシック辺りかな。
そう見当を付けて受話器に耳を押し当てたわたくしに届いてきたのは人の話し声。
え?
わたくしは途惑いました。男の人がぼそぼそと話をしている。ノイズの多い蓄音機から聴こえてきたその音に、そしてわたくしは落胆しました。もっと荘厳なものをお聞かせ下さると思っていたのに。けれども宮さまのなさること。きっと深い意味がおありになるに違いない。そう考え直して、わたくしは息を潜めてその話し声を聞き続けました。
やがてわたくしの耳に知っている言葉が飛び込んできます。
「朕は」
もしや、これは。そう思っていると、続いてこの言葉が飛び込んできました。
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び……」
鼓動が高鳴りました。そう、それは紛れもない。昭和天皇の玉音放送。あの有名な演説だったのです。
歴史の本で読んだあの言葉を、当時の肉声が刻まれたレコードで私は聴いている。何と表現したらいいかわからない気持ちになりました。ただ厳粛な心持ちだったのは確かです。襟を正すという言葉はこういった気持ちの時にこそ使われるものであったでしょう。
電話の前で姿勢を正し、一語一句聞き漏らすまいと耳を傾けたそのレコードが終わるのにかかった時間は、きっとわたくしの体感以上に短いものだった筈です。
「何だかわかりましたか?」
「玉音放送ですよね?」
「そうです! これをあなたにお聞かせしたかったのです! それでこんなに時間がかかってしまいました。これはここで録音されたものなのですよ」
こと学問のこととなるとお厳しい面をお見せになる宮さまでしたけれど、日頃は本当にお優しいお方でした。きっと、わたくしという特異な子に何を聴かせるべきなのか、相当にお考え下さったに違いありません。その上で、昭和天皇の玉音放送をお選びになられた。
当時のわたくしは、宮さまのそのお気持ちが嬉しく感じられたものでしたし、だからこそ、宮さまのお考えに背くことなどあってはならないと自らの気持ちを新たにしたものでした。
赤い宮さま。
日本が様々な諸外国の脅威に晒されている今となっては、反戦主義を口にするのは難しい世の中となってしまいました。けれども、わたくしは「それでも戦争を行うなどあってはならないことだ」と訴えたいのです。
宮さまに限ったことではありません。その後の人生で出会った様々な戦争経験者の皆様は口を揃えてこう仰いました。「二度とあんなことがあってはならない」この言葉の重みに、わたくしたちは深く心を傾けるべきではないでしょうか。
それまでの人間の生活を一変させた産業革命からどれだけの年月が経ったでしょう。新たな生活様式で生きているわたくしたちは、きっと新しい戦い方を生み出せる筈です。誰も血を流さずに済む戦い方が出来る筈です。
わたくしはその方法を考えて続けています。
ひとりの知恵では無理なことでも、数が集まれば可能になることは世の中に沢山あります。
ならば、世界中の人間全ての知恵を結集すれば、その答えは必ず出る筈です。
わたくしの言葉に物思うことはきっとありますでしょう。そんな話は聞きたくないと思われる方もおられることでしょう。それでも、わたくしは声を上げるのです。
二度と、人々の血が無益に流されることなど、あってはならない。
昭和天皇――いいえ、陛下とは、わたくしの身位ではお話することなど適いませんでしたけれども、宮さまなどを通じて耳に挟んだ話の端々より、本当に聡明でお考えの深い方だというのが伝わって参りました。
お若い頃から摂政をお務めになられただけおありになって、わたくしどもが推し量るよりも深いところまでお考えになっていた陛下。どうかそのお方が――、国を背負って決断を続けなければならなかったお方が、終戦の日に人々に向けて放った言葉の意味を、お考えくだされば幸いです。
P.S.しかしこういった文章を書きますと、敬語の難しさが身に染みますね。そりゃモニカだってあんなキャラ付けされますよ。笑
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わたくしは7歳。小学校に上がったばかりの頃。
皆様にとっては、きっと馴染みの薄い方であることでしょう。一般的には赤い宮さまと揶揄されることも多かった三笠宮の大殿下が「約束を果たす時がきましたよ」と、いつものお電話の折にそう仰いました。
わたくしが幼稚園の折、蓄音機に興味があると知った宮さまは「いつか機会がきたらお聞かせしましょう」と仰ってくださっていました。その約束を果たせる時がきたとのお話でした。
「許可が下りたのです」
ご自分たちのことをご自分たちだけでは決定できないやんごとない方々。お身内にも序列があれば宮内庁の管理もあります。きっと方々におかけあい下さったのでしょう。そう云って、蓄音機の音をお聞かせ下さる約束をして下さった宮さまは、一週間後。準備をしてわたくしに電話越しにその音をお聞かせ下さいました。
一週間の間、わたくしは様々に思いを巡らせました。
何をお聞かせ下さるのだろう。
格調高い宮家のこと。それに相応しいものをお聞かせ下さるのだろう。
私もまだ子供だし、クラッシック辺りかな。
そう見当を付けて受話器に耳を押し当てたわたくしに届いてきたのは人の話し声。
え?
わたくしは途惑いました。男の人がぼそぼそと話をしている。ノイズの多い蓄音機から聴こえてきたその音に、そしてわたくしは落胆しました。もっと荘厳なものをお聞かせ下さると思っていたのに。けれども宮さまのなさること。きっと深い意味がおありになるに違いない。そう考え直して、わたくしは息を潜めてその話し声を聞き続けました。
やがてわたくしの耳に知っている言葉が飛び込んできます。
「朕は」
もしや、これは。そう思っていると、続いてこの言葉が飛び込んできました。
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び……」
鼓動が高鳴りました。そう、それは紛れもない。昭和天皇の玉音放送。あの有名な演説だったのです。
歴史の本で読んだあの言葉を、当時の肉声が刻まれたレコードで私は聴いている。何と表現したらいいかわからない気持ちになりました。ただ厳粛な心持ちだったのは確かです。襟を正すという言葉はこういった気持ちの時にこそ使われるものであったでしょう。
電話の前で姿勢を正し、一語一句聞き漏らすまいと耳を傾けたそのレコードが終わるのにかかった時間は、きっとわたくしの体感以上に短いものだった筈です。
「何だかわかりましたか?」
「玉音放送ですよね?」
「そうです! これをあなたにお聞かせしたかったのです! それでこんなに時間がかかってしまいました。これはここで録音されたものなのですよ」
こと学問のこととなるとお厳しい面をお見せになる宮さまでしたけれど、日頃は本当にお優しいお方でした。きっと、わたくしという特異な子に何を聴かせるべきなのか、相当にお考え下さったに違いありません。その上で、昭和天皇の玉音放送をお選びになられた。
当時のわたくしは、宮さまのそのお気持ちが嬉しく感じられたものでしたし、だからこそ、宮さまのお考えに背くことなどあってはならないと自らの気持ちを新たにしたものでした。
赤い宮さま。
日本が様々な諸外国の脅威に晒されている今となっては、反戦主義を口にするのは難しい世の中となってしまいました。けれども、わたくしは「それでも戦争を行うなどあってはならないことだ」と訴えたいのです。
宮さまに限ったことではありません。その後の人生で出会った様々な戦争経験者の皆様は口を揃えてこう仰いました。「二度とあんなことがあってはならない」この言葉の重みに、わたくしたちは深く心を傾けるべきではないでしょうか。
それまでの人間の生活を一変させた産業革命からどれだけの年月が経ったでしょう。新たな生活様式で生きているわたくしたちは、きっと新しい戦い方を生み出せる筈です。誰も血を流さずに済む戦い方が出来る筈です。
わたくしはその方法を考えて続けています。
ひとりの知恵では無理なことでも、数が集まれば可能になることは世の中に沢山あります。
ならば、世界中の人間全ての知恵を結集すれば、その答えは必ず出る筈です。
わたくしの言葉に物思うことはきっとありますでしょう。そんな話は聞きたくないと思われる方もおられることでしょう。それでも、わたくしは声を上げるのです。
二度と、人々の血が無益に流されることなど、あってはならない。
昭和天皇――いいえ、陛下とは、わたくしの身位ではお話することなど適いませんでしたけれども、宮さまなどを通じて耳に挟んだ話の端々より、本当に聡明でお考えの深い方だというのが伝わって参りました。
お若い頃から摂政をお務めになられただけおありになって、わたくしどもが推し量るよりも深いところまでお考えになっていた陛下。どうかそのお方が――、国を背負って決断を続けなければならなかったお方が、終戦の日に人々に向けて放った言葉の意味を、お考えくだされば幸いです。
P.S.しかしこういった文章を書きますと、敬語の難しさが身に染みますね。そりゃモニカだってあんなキャラ付けされますよ。笑
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