今回もあっさり目に話が進みます。男だらけの恋バナ?回です。
<被虐の白日>
疲労が極限に達していたからだ。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。目を開いたマサキは床から身体を起こした。隣では毛布に包まれたベッキーが高鼾をかいている。ウォッカをラッパ飲みしていた彼女がいつダウンしたのかマサキは覚えていないが、自分がエールを二杯飲んだことは覚えていた。そこで意識が落ちたようだ。しみじみと酒を酌み交わし続けているヤンロンたちに聞けば、それから三時間が経過したのだという。自分のことながらの醜態に、あの野郎。マサキは身勝手な男たるシュウに胸の内で悪態をついた。
窓の外はもう暗い。
ヤンロンたちに聞けば、まだ飲むとのこと。仕方なしにベッキーを二階の客室に運び込み、またリビングに戻れば、酒臭い室内が耐え難かったとみえて、鎧戸を下しているプレシアが、ついでにひとつだけ窓を開いているところだった。
「悪いな、プレシア」
「いつものことだから大丈夫だよ、お兄ちゃん」
マサキはヤンロンたちの輪の中に加わった。窓から静かに滑り込んでくる夜気が気持ち良い。
「まさか、もう飲まないなどとは云わんな?」
「酔ってるな、ヤンロン」
グラスを手に取ると、早速とヤンロンがエール酒の瓶を取り上げてくる。たった二杯で潰れた相手にいい度胸だと、マサキはヤンロンに向けてグラスを傾けた。
座に介している仲間に囃し立てられるがまま、注がれたエール酒を一気に飲み干す。気だるさの抜けない身体に染み込むアルコール。喉に溜まった炭酸を吐き出して、鎧戸を閉じ終えたプレシアに目を遣れば、そろそろ自分の部屋に戻るつもりであるらしい。後はお兄ちゃんに任せていい? 小首を傾げながら尋ねてくる。
「いいぜ。今まで有難うな」
「おつまみはダイニングに置いてあるから適当に取ってね」
「わかった」
「お酒は冷蔵庫の中に冷やしてあるから」
「ああ」
「あと、飲み過ぎないで!」茶目っ気たっぷりに云い放ったプレシアに、その場の全員が笑い声を上げる。「もう、あたし真面目に云ってるんだからね!」
酒に強い面々が顔を揃えているとはいえ、少なくとも三時間以上は飲みっぱなしだ。顔に出難いからこそ理解《わか》り難いが、流石に酔いが回っているのだろう。ヤンロンにせよ、ファングにせよ、アハマドにせよ、何を云われても楽しくて堪らないといった様子だ。
「いいですか、皆さん。ちゃんと客室で寝てくださいね!」
そう云い捨てたプレシアが、肩をいからせながらリビングを出てゆく。どたどたと階段を上がる靴音。それを見送ることもせず、まあ、飲め。と、アハマドが手にしているウォッカの小瓶をマサキに差し出してくる。
「お前、プレシアの話を全く聞いてないな」
「これもアッラーの神の御導きだ」
「お前の解釈って、いつも自分に都合がいいよな。ハラームはどこ行ったよ、ハラームは」
豚肉を平気で食べれば、酒も平気でかっ食らう。そのくせ、何かに付けては|アラーフ・アクバル《アッラーは偉大なり》などと唱え出す。ムスリムの戒律を平然と破ってみせる男が、一体何を信仰しているのか。マサキは未だに良く理解《わか》らないままだ。
「酒席は大事なコミュニケーションの場だからな」
ブランデー入りのグラスを傾けつつ、横から口を挟んでくるファングにマサキは顔を顰めた。
何かにつけて顔を揃えては、酒だ酒だと騒がしい正魔装機の操者たち。蟒蛇も驚く酒量にマサキが驚いたのも昔のこととなった。
とはいえ、放っておけば丸一日どころか二日に渡って飲み明かすのも当たり前な面々である。どれだけゼオルートの館の部屋数が多いとはいえ、泊まりを前提に何度も飲みに来られるのは精神衛生によろしくない。下手をすれば迎え酒などと口にしながら三日、四日と居座る始末。適当なところで客室に追いやらなければ。マサキは密かに決意を固めた。
「大事なコミュニケーションの場なのは結構だけどな、お前ら何を話してたんだよ。ベッキーのあれは全力で止めろって云っただろ」
照明の灯りを浴びて澄んだ琥珀色と化すブランデー。それをちびりちびりとやりながら、彼らの会話に混ざるべく問う。
「どうやって僕たちが、今後、地底世界に馴染んでいくかという話だな」
「へえ。随分まともな話をしてるじゃねえか」ヤンロンの説明にマサキは身を乗り出した。
もしかすると、他の強い酒を飲み切ってしまったのかも知れない。自作の老酒を持ち込むことも多いヤンロンだが、今晩の分は既に全て飲んでしまった後のようで、今彼が口にしているのはマサキと同じくブランデーだ。とはいえ、酒に滅法強い彼である。グラスに注ぐのは手間とばかりに、アハマドと同じく小瓶を手にしている。
「お前が期待をするほど高尚な話でもないぞ」にやりと笑ったヤンロンが言葉を続ける。「誰と結婚して家庭を築くかという話だ」
「それが地底世界に馴染むのとどう関係が」
「子孫を残す選択も悪くはないと思うがな。なあ、ファング」
ヤンロンに続けとばかりに口元に笑みを浮かべたアハマドがファングを見遣る。
「まあ、現実的な解決策としては、家庭を築くのが一番ではあるな。但し、ラ・ギアス人との婚姻という前提はあるが……」
「成程ねえ」マサキはブランデーを煽った。
元々地上人蔑視の風潮があった地底世界ラ・ギアスでは、正魔装機の操者の席の多数を地上人が占めている現状に憂いを抱いている者も多い。ラングランの議会では定期的に魔装機運用の議題が上がり、その内容がマサキたち地上人たちの操者の適格に及ぶことも珍しくなかった。ましてやマサキは剣聖の称号にも与っている。権威化を恐れる議員が一定数出るのは止むを得ないだろう。
加えてリューネの存在もあった。
魔装機に関係なく地底世界に居座り続ける彼女の扱いは、セニアですら頭を悩ませるほどである。しかも彼女はマサキに対する好意を公言して憚らない。これにラングラン議会は難色を示していた。正魔装機の操者に地上人を迎えるのは、ラングランとしては苦渋の決断でもあったからこそ、召喚した地上人には地底人と婚姻関係を結び子孫を残して欲しい。そうして、緩やかに地上人の血を地底世界に馴染ませてゆきたい。ラングラン議会としては、濃い地上人の血が地底世界に残るのは遠慮したいところであるようだ。
「まあ、僕はそうするのも吝かではないが、お前にとっては困った情勢だろう、マサキ。ラ・ギアス人と結婚しないのであれば、独身でいてもらった方がマシ、などと発言した議員もいるようだしな」
「カーテス公だな。あの方にも困ったものだ」
「とは云ってもなあ……」マサキは空を仰いだ。「だからってリューネとウェンディ、両方娶るっつうのは違うしな」
「何だ? 俺はてっきり、お前は二人を妻にするつもりでいると思っていたが」
「いずれはそうしなきゃって気持ちはあるぜ。ただ、云われたからやるってのは違うだろって話だ」
アハマドの言葉にマサキは笑った。そしてグラスを差し出した。
注がれる琥珀色の液体をまた煽る。
以前より、彼女らに対して、責任を取らなければならないという気持ちがマサキにはあった。片や、サイバスターを通じて交流を深めてきたウェンディ。片や、戦いを通じて交流を深めてきたリューネ。マサキにとってはどちらがいいという話ではなく、どちらもかけがえのない仲間である。だからこそ、そうした彼女らと家庭を築くことに不満はない。
不満はないが、蟠りはある。
シュウをどうするかだ。
あの性格だ。マサキが結婚するとなれば、あっさりと身を引きそうではある。いや、そもそもシュウとマサキの関係は、肉体関係を伴う知人同士の域を出ていないのだ。しかも、セックス・フレンドと云えば聞こえがいいが、実際のところ、マサキからシュウに性行為《セックス》を強請ったことは一度もない。
いつでもアプローチはシュウの側から。マサキがそれを当たり前と思ってしまっていると云えばその通りではあるが、マサキ自身、シュウとの性行為《セックス》に依存をしてはいないと思っている。いや、欲しいと思うより先に、彼がマサキに手を出してきてしまうと云うべきか……。
いずれにせよ、そういった関係である以上、マサキがリューネやウェンディと結婚するにあたっての障害にシュウは為り得ない。マサキはシュウとの関係を、これ以上どうにかしようとは思っていないのだ。どうにかするのであれば、それはこの関係を清算する時だ。そう考えている。
「その割には浮かない顔をしているように僕には思えるがな。何か気掛かりでもあるのか」
ヤンロンの言葉にマサキは眉を潜めた。
シュウにサフィーネとモニカがいれば、マサキにはリューネとウェンディがいる。そうである以上、他にどういった選択肢があったものか。異性愛者である自覚があるマサキは、彼女らの好意を裏切ってまで、シュウと二人で互いを縁として一生独身を貫いて生きていく気はない。仮に、シュウとの関係が前向きな変化を迎えるのであれば、それはシュウがそれなりのアクションを起こした時に限られるだろう。合意のない性行為《セックス》が始まりにある以上、どれだけ肌が彼に馴染んだところで、マサキ自身は自らシュウの腕に飛び込もうなどとは考えられないのだから。
「別に何もねえよ」マサキはまたブランデーを煽った。
酔わなければ――いや、酔っても打ち明けられない秘密がマサキにはある。シュウとの関係を知ったら、この場にいる彼らはどう思うのだろう。堅物な彼らは恐らく、露骨に表情を変えてみせるに違いない。その光景を想像したマサキは背筋に怖気が走るのを止められなかった。
仲間に自分の性的な指向を否定されたくない。
その程度には、マサキはシュウとの性行為《セックス》を、気持ちの好いものとして捉えている。
「そうかな、マサキ。気掛かりしかないという顔に、俺には見えるがな」
「本当に何もねえって」
「成人になってもう何年経った」アハマドの言葉をヤンロンが引き継ぐ。「責任を取るなら早い方がいいだろうに、お前はいつまでも何だと理由を付けてはリューネたちから逃げ回っているだろう」
「確かに潔くはないな」
どうやら責められる流れになってしまったようだ。ファングにまで物を云われると思っていなかったマサキは唸った。
酒がさっぱり旨くない。
リューネとウェンディ、二人と結婚するのに反意はない。ないけれども、それは決して今ではないと思ってしまっている。ならば、いつであればいいのだろう。マサキは宙を仰いだ。仰いで、長く大きな溜息を吐いた。
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