デート篇。まったりのんびり。
<ふたりでゆこう>
既に太陽は陽射しを強めていた。
カーテンを開くと同時に室内に差し込んだ光に、ベッドの上のシュウが眉を顰めて窓に背を向ける。朝に弱い彼のここからが長いことを知っているマサキはベッドの脇に立った。そして、彼が身体に巻き付けているブランケットに手を掛ける。
「起きろよ」
自ら起きて来ないのであれば、実力行使に出るまで。マサキはブランケットを掴んでいる手に軽く力を込めた。微かな抵抗。ブランケットを掴んで蓑虫になっているシュウに、往生際の悪い――マサキはその身体の上に乗り上がった。
「起きろ。約束だろ」
枕に半分沈んでいる顔を覗き込みながら声を掛ける。昨晩、ベッドに入る前にした約束。明日は一日中、ふたりで外で過ごそう。マサキが目を閉じても読書に耽っていたシュウだったが、その約束を忘れてはいなかったようだ。わかっていますよ。呻くように言葉を吐いて、うっすらと目を開く。
「シャワーを浴びてきてもいいですか」
「手早く済ませろよ。待ちくたびれた」
わかりました。と、頷いたシュウがベッドから這い出たかと思うと、真っ直ぐにバスルームに向かってゆく。起き抜けの割にはしゃんとした足取り。世界が立て続けに滅亡したかの如き凶悪な面構えがなければ、朝に弱いとはとても思えない。
マサキはシュウを追って脱衣所に入った。
タイルを打つシャワーがさあさあと音を立てている。蒸気で濁った硝子戸に微かに映るシルエットが、髪を、そして身体を洗い流している。とうに掃除も洗濯も済ませた後。手持無沙汰なマサキはシュウに話し掛けた。
「夕べ、何時まで起きてたんだよ」
「外がうっすら明るくなるぐらいまでは」
「馬鹿じゃねえの。人との約束を何だと思ってるんだ」
「覚えているから寝たのですよ。それに、ちゃんとこうして起きたでしょう。そう腹を立てないで」
苦笑交じりに返ってきた言葉に、昼飯はお前の奢りだからな。マサキはタオルの準備をしながら応じた。
「安心なさい。あなたには一クレジットさえも支払わせませんよ」
日頃、それが当然とマサキの分の支払いを済ませてしまう男は、そう云ってクックと嗤った。
「そういうのが良くねえんだよ。お前、どうかすると直ぐ俺を甘やかす」
「嫌なの?」
「嫌じゃねえけど、対等じゃない気がするんだよな」
財布を出そうがどこ吹く風。さっとふたり分の会計を済ませてしまうシュウに後ろめたさを感じながらも、マサキは甘えてばかりだった。
彼曰く、付き合ってもらっているのは自分の方だから――らしい。
それがマサキには気に入らなかった。
マサキは決して彼と嫌々付き合っている訳ではなかったし、こうして進んで彼の家に泊まりにくるぐらいには彼を必要に感じているのだが、どうもシュウ=シラカワという人間は、自分に向けられている感情の度合いを正確に把握するのが上手くないようだ。長い付き合いとなったにも関わらず、未だにマサキが自分に情けをかけていると思っている節がある。
シュウがマサキに掛けた金額は、彼の自信のなさの表れでもあるのだ。
けれども、それも已む無しだという自覚がマサキにはあった。そもそも、マサキは気恥ずかしがり屋だ。好意を伝えようにも恥ずかしさが先に立って上手く言葉に出来ない。聞かれればどうにか答えられはしたものの、自ら率先して口にするのは極々稀。それも酒だの何だの勢いを借りてときたものだ。これではシュウの誤解が解ける筈がない。
「……好き、なんだけどな」
だからこそ、精一杯の勇気を振り絞って、自分の気持ちを言葉にしてみれば、どうやらシャワー音に掻き消されてしまったようだ。「何か云いましたか、マサキ」バスルームの奥から響いてくるシュウの声に、やっぱいい。マサキは赤く染まった顔をタオルで覆い隠した。
見られていないのはわかっている。それでも照れ臭くさに顔を隠さずにいられない。
マサキは硝子戸一枚挟んだ向こう側にいる男を思った。真顔でマサキに愛の言葉を囁いてくる彼の面は鰐皮で覆われているのではないかと思うまでに、照れや衒いを感じさせなかった。そう、いつも彼はそうだ。誰を目の前にしようとも、呆れるまでの鉄皮面で、素面では吐けないような台詞を紡いでみせる……。
「ところで、今日は何処に行くのですか」
マサキはバスルームから響いてきた声に、タオルから顔を上げた。
最高の景色を見に行くのだ、彼と。
マサキは昨晩、眠りに就くまでの間に考えた今日の|計画《プラン》を振り返った。気が済むまで景色を愛でたら街に出て食事を済ませ、そぞろ散策をする。特別なことなど何もない計画だったが、思索を愛するがあまり、滅多なことでは家を出ようとしないシュウが相手だ。たったこれだけであろうとも、彼が重い腰を上げた事実。これのどこに楽しみにしない要素があったものか。
「それはお前の支度が終わってからな」
秘密めかして言葉を吐くマサキが気になったのかはわからないが、程なくしてシャワーを終えたようだ。バスルームからの水音が止む。
「準備のいいことで」
硝子戸を開いたシュウがマサキの手にしているタオルを目にして|微笑《わら》う。出掛けるのが待ちきれないからだとは云わない。暇なんだよ。マサキはシュウにタオルを手渡した。
「掃除も洗濯も済ませちまった。食事は外でいいだろ?」
「あなたからのお誘いですからね。私に反対する理由などありませんよ」
本当に、憎々しいぐらいに気障ったらしい。
涼やかな切れ長の眦で自分を捉えてくるシュウの横顔が、けれども、何故だろう。今日のマサキにはまともに目にするのが憚られる。
「リビングで待ってるからな。早く来いよ」
昨日、飽きるほど間近にした顔だというのに照れ臭くて堪らない。藪睨みがちにシュウを眺めたマサキは、視界の端に映り込んでいる美丈夫な彼の面差しに、感嘆の溜息を吐きたくなった。
「わかりました。なるべく待たせないように努めますよ」
自分を見詰めるシュウの眼差しの、なんと穏やかなことか。
腰にバスタオルを巻いたシュウが洗面所に立って身支度を整え始めるのを横目に洗面所を出たマサキは、――けど、そういうの嫌じゃなくなったな。ぽつりと呟いた。
出会った頃は酷かった。
あの頃のマサキは確かに傲慢な少年ではあったが、だからといって人を見た目で判断するような真似だけはしなかった。けれどもシュウは違った。例えば、ただそこに立っているだけであろうとも神経をささくれ立たたせる。
彼のやることなすこと全てが、癇に障って仕方がない。不条理な苛立ち。思えばあれはマサキの本能が警鐘を鳴らしていたからだったのだ。あの穏やかな態度や表情には裏があると。
嵐のように襲い来るラ・ギアスの危機。ふと気付けば、隣に立っているのも当たり前となっていた。自らの生き様で贖罪の意思を表したシュウに、マサキは自分の頑なだった気持ちが、いつの間にか綺麗に溶かされてしまったことを知った。
自らの背中を預けられるまでに信頼を寄せられるようになった男。それは、生半可な気持ちで為せることではない。何故なら、魔装機神操者の紋を背負って挑む戦場は、マサキに一分の隙をも見せることを許さなかったのだから。
「他でもないマサキさんが誘ったっていうのに、こんな時間まで寝るなんて。うちのご主人様、強心臓にも限度がありません?」
リビングに入るなりふわりと肩に舞い降りてきたチカが、感心しているのか心配しているのかわからない言葉を吐く。
「あの唐変木、いざとなったらマサキさんより蔵書を取るんじゃないかって、もうあたくし心配でハラハラしっ放しですよ。どうせ夕べだって読書してたんでしょ。それでこの時刻。いい加減、マサキさんは本気で怒った方がいいですよ」
「あいつのアレは今に始まったことじゃねえしなあ……」
「何です、その余裕綽々な態度! いつかしっぺ返しを食らってもあたくし知りませんよ!」
どうも彼の使い魔は、主人を信用しきってはいないのか。事あるごとにマサキを出汁にして、不平不満を聞かせてきたものだ。
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