もう全然SSではないんですけど、まとめなので!
かなり長いですのでご注意をば。
かなり長いですのでご注意をば。
<千年COMET>
――彼は千年に一度、地球を掠める彗星のような存在なのよ。
※ ※ ※
旧い知り合いが屋敷を片付けていたところ、出てきた写真であったそうだ。
※ ※ ※
旧い知り合いが屋敷を片付けていたところ、出てきた写真であったそうだ。
リビングに戻ったシュウは彼の使いが運んできた包みを解いた。僅かな抵抗感。現在の立場や境遇、そして生活を、充実したものとして捉えているシュウからすれば、狭苦しい世界に押し込められていた時代の写真は進んで見たいものではない。
とはいえ、好意で届けてくれたものを目にせずにしておくのも具合が悪い。
彼は無遠慮にシュウの心を閉ざしている鎧戸を開くような人間ではなかったが、世間話のひとつと昔話を振ってくる程度にはシュウに関心を持っているようだ。そうである以上、写真の感想を求めてくるぐらいは普通にすることだろう。
思うところは多々あれど、この年齢になるまで付き合いを重ねてきた相手だ。何も云わずに済ませるのも角が立つ。包みの中から出てきた写真の束を手に取ったシュウは、一枚、また一枚と写真を捲っていった。
「へえ、こんな時代があったんですねえ。ご主人様にも」
肩にとまっているチカが首を伸ばして写真を覗き込んでくる。
まだ彼と知り合ったばかりの頃に行ったスキー。やんちゃで腕白だった彼は直ぐにスキー板で滑ることに馴染んでいたようだったが、その頃から気難しさが顔を覗かせ始めていたシュウはゲレンデに出るのでさえ時間がかかったものだった。
遊びとして身体を動かすことを好めない。
彼の人懐こい性格がなければ、シュウは一日をロッジで過ごしていたことだろう。
――ほら行くぞ、クリストフ!
彼の手でゲレンデに引き摺り出されたシュウは、シュウなら付いて来れるとばかりに斜面を滑り降りてゆく彼に負けてなるものかと、スキー板に齧りつくようにして後を追った。その後の写真であるようだ。満面の笑みを浮かべている彼の隣で澄ました顔をして映っている幼き日の自分。衣装の端々に雪が残っているのは、途中でスキー板の制御が利かなくなって斜面に転がったからだ。
「あたくし、ご主人様の過去や人間関係には詳しくありませんけど、今のご主人様を見ていると、昔からこうだったんじゃないかって思うんですよ」
スキー場に乗馬場。パーティでの一幕もあれば、ただ茶話に興じているだけの写真もある。それをしみじみと眺めきるより先に捲ってゆく主人に、照れや気恥ずかしさを読み取ったのだろうか。そう口にしたチカにシュウは訊ね返さずにいられなかった。
「その言葉の意味は?」
「ご主人様も人間だったってことです」
チカの言葉にシュウは無言で写真を捲った。
教団と縁が出来たことで遠ざかっていた彼との付き合いは、ラングランの戦禍が収まったことで再開をみせた。
とはいえ、汚名を着ることとなったシュウにとって、かつての人間関係は清算を求められるものであった。悪鬼羅刹のように民間で語り継がれる自身の名。その影響の程を思えば、彼らの許に顔を出せる筈もなし。さぞ心苦しい生き方を強いられていることだろう。だからこそ、自身が思うがままに生きることを決意したシュウは、彼らとは二度と関わることなく生きていくのだと思っていた。
――君が進んで悪事に加担するような人間だとは、君を知っている人間ほど思いはしないだろう。
だのにシュウの居所を調べ上げてみせた彼の執念深さ! その頃に撮った一枚。一足飛びに歳を重ねた彼と自分が並んでいる写真は、幼い頃と比べてどちらも落ち着いた表情をみせている。
「サフィーネさんやモニカさんが見たら喜ぶんじゃないですかね、この写真。あのふたりにとってもご主人様の過去って謎な部分が多いじゃないですか。こんな時代があったって知ったら、多分あの人たち天を舞いますよ」
「……金庫に厳重に保管しておくことにしましょう」
「我が主人ながら本当につれない!」
ソファアから立ち上がったシュウは、今しがた口にした通り、その写真の束を書斎の金庫に収めた。
そしてそのまま書斎に留まって、読んでいた書物の続きを読み耽った。
――私はあなたが思っているような人間ではありませんよ。カールトン=アンダーソン……
シュウの許に真っ先に駆け付けてくれた彼は、もしかすると世間一般的には友人と呼べる間柄であったのかも知れなかった。幼き日よりともに対話を重ね、遊行に興じた仲。けれどもシュウにはそれは認め難い事実だった。
私には心を許せる友はいない。それはシュウが世界に対して心を閉ざしているからではなかった。
シュウの目の前には無限に連なる事象の地平が広がっている。相対性理論、二項定理、斬新的進化論……終わりなく続く命題の彼方に目を向けてみれば、燦然と輝く|極北星《真理》がある。
シュウが己の人生を賭して求めているものは、富でもなければ名声でもない。たった一つしか存在し得ない世界の解法。解体の先にある答え。物心ついた時には存在し得ると信じていたそれが、今でも何よりも欲しくて堪らないもの。
シュウにとって、世界とはマトリクスであり、二進数の塊であり、そして巨大な樹形図であるのだ。
日常を快活に生きている彼とシュウが見ている世界は根本的に異なった。彼らは現実の世界を謳歌している。シュウが謳歌しているのは、飽くなき構造の世界だ。故に私は彼らと友人にはなれない。それはシュウの前に壁となって立ちはだかる厳然とした事実だった。
※ ※ ※
白河愁――転じて、クリストフ=グラン=マクソードが、自身の知能指数を知ったのは2歳半の時だった。
※ ※ ※
白河愁――転じて、クリストフ=グラン=マクソードが、自身の知能指数を知ったのは2歳半の時だった。
見抜いたのは王家お抱えの医師だった。
――殿下はどうやら私たちの話を、『正しく』理解しているようですね。
そう云った彼の勧めに従って、シュウは幾つかのテストを受けた。
それは簡単なテストだった。たった一枚の紙っぺら。車やぬいぐるみといったものの中から、共通点のあるものを選択するだけのテスト。このぐらいなら誰でもわかることだろう。シュウはそう思いながら出された問題を解いた。
中身の異なる同じ設問のテストを三回ほど受けたところで、医師に『もう少し難しいテスト』を受けることを勧められた。やってみませんか、殿下。断る理由はなかった。シュウ紙っぺらから小冊子となったテストを受けることにした。
箱の数は幾つ? 同じ図形はどれ? 小冊子を開いた先に広がっていた世界は、シュウの心を鷲掴みにした。
それは幼児らしく扱われてきたシュウが、生まれて初めて見た法則の世界だった。
隠された法則を、見える手がかりから推測し、そして答えを導き出す……興奮したシュウは夢中になって問題を解いた。解けるのが面白くて堪らない。幼子には理解出来まいと思い込んでいる大人たちの明け透けな会話もシュウにとっては刺激的だったが、それとは質の異なる刺激。シュウは主体的に目の前の問題に取り組む機会を与えられたことで、能動的に頭を働かせるということがどういうことなのかをこの瞬間に悟った。
今まで感じていた世界へのもどかしさが一気に取り去られてゆく。心を吹き抜けてゆく心地良い風。澄み渡る脳は冴え冴えと、まるで雲なき青空のようにシュウの視界をクリアにしていった。
――素晴らしい。
テストの結果を見た医師は、見越していた結果よりも遥かに優れた数値が出たからだろう。驚きに目を見開いて、手にした検査結果をシュウに告げてきた。けれどもシュウにはピンとこなかった。何が凄いのかという比較対象を持たない幼子のシュウには、その数字が持つ真の意味が理解出来なかった。
――あなたはこの王家の柱と成れるだけの能力を持って生まれてきたのですよ、殿下。
見えた世界に対してつまらない結果だとシュウは感じ、そして落胆した。
遮るもののない空。テストの間、シュウの脳内に広がっていた世界は未来への希望の表れでもあった。それだけの衝撃があの小冊子には詰まっていた。もっと、もっと、大きな何かを得られるのではないか。だからシュウは、その快感を追い求めるように、知識の世界へと没頭してゆくようになった。その先に、自身が探しているこの世界の真理。それが必ずや存在しているのだと信じて。
※ ※ ※
茶でも飲ませろ。と、マサキがやって来たのは、例の届け物があってから三日後のことだった。
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茶でも飲ませろ。と、マサキがやって来たのは、例の届け物があってから三日後のことだった。
偶々任務で近くの街まで出てきたのだと云う。ついでとシュウの家に足を運んでくれたらしい彼は、シュウが彼の為に珈琲を用意している間にそれを発見したらしかった。
一枚の写真。三人掛けのソファの中央を占拠しながら、手にした写真に目を落としているマサキは、リビングに戻って来たシュウに向かって顔を上げてみせると、「いつの写真だ」と尋ねてくる。
どうやら写真の束を片付ける際に零れ落ちたようだ。ソファの下に入り込んでしまったのが、今日の心地良い風で流れ出てきたのだろう。シュウはマサキに珈琲を手渡しながら、彼が手にしている写真を覗き込んだ。彼――カールが住まう館の前で撮った一枚。付き合いが再開してから初めてカールの家を訪れた際に、記念に撮ろうと云われて撮った写真だ。
そこに映っているシュウの容姿が少しばかり若いのが、マサキとしては気にかかったのか。映っている相手や場所ではなく、時間を尋ねてくる辺り彼らしい。そう思いながらシュウは、「ラングランの内乱が落ち着いて暫く経った頃ですよ」と答えた。
「そうか。ちょっと傷んでるもんな、この家。砲撃を受けた跡っぽい煤が壁にこびりついてる」
「近くに砲撃が落ちたのですよ。幸い、館自体にダメージはなかったようですがね」
「今は?」
彼の中では見るべきものを見きった感があるのだろう。珈琲を飲みながらシュウに向けて写真を差し出してくる。
「綺麗なものですよ。この直後に壁の補修と塗り替えをしていますから」
マサキから写真を受け取ったシュウは、テーブルを挟んだ向かいのソファに腰を落とした。そして、自身の為に用意したティーカップ。紅茶が注がれたカップが乗っているソーサーの下に、その写真を挟み込むようにして置く。
「それならいい。こういった痕をいつまでも残しておくのもな。立派な家だけに勿体ない」
一杯の珈琲。任務のついでに立ち寄ったマサキは、これを飲みきったら王都へと戻ってしまうのだろう。
いつものことだ。何かのついでに立ち寄った際には、僅かな時間しかこの家に身を置くということをしない。きっとスケジュールが詰まっているからであるのだろう。多忙な日常に追い立てられるようにして生きているマサキは、きちんと時間を取って訪れた際でなければ、この家に長居をしなかった。
「……他にもありますよ、見ますか」
それが癪に障った訳ではなかった。ただ、突然形を取って現れた過去を、このまま誰の目にも触れさせずにいるのも、カールの気遣いに反するような気がしただけだった。
「お前と知らない誰かが映っている写真を見てもな」
「それを先程、まじまじと見ていたのがあなたでしょうに」
「まあ、そうなんだけどよ……」
マサキは薄々勘付いてはいるようだったが、陰に篭って生活しているように映るシュウには、そうした見かけからは想像も付かないような広きに渡る人間関係があった。
ロイヤルだった時代の上流階級との付き合いにしてもそうだったし、学者として頭角を表し始めてからの学派との付き合いにしてもそうだった。魔術や剣術を通じての付き合いもあれば、市井に下りてから構築した一般市民たちとの付き合いもある。世界を向こうに回して少数精鋭で戦い抜いたシュウの姿しか知らぬマサキは、だからこそ、シュウのそういった『日常世界』での人脈には想像が及ばなかったのではないだろうか。サフィーネやモニカ、テリウスと行動をしている姿を見るに付け、「お前に友達っているのかね」と皮肉めいた口振りで云ってきたものだった。
シュウの家を訪れるようになった彼は、シュウの|私生活《プライベート》に触れる機会が増えたからか。その認識を改めるに至ったようだ。今ではシュウの人間関係の狭さに口を挟むということを全くしなくなった。
とはいえ、元来の性質が簡単に変わる訳でもない。ひとりで気ままに生活をしている方が、サフィーネたちとつるんでいるよりも不健全に映るだろうに――とは、シュウ自身は思うのだが、マサキとしては受け止め方が異なるのだろう。乞われれば方々に出向くだけの生活ではあったが、人付き合いの多い人間と感じているようだ。
「てか、お前も写真撮るんだな。俺、お前は写真嫌いなんじゃないかって、勝手に思ってたよ」
テーブルの上に置かれた写真に目を落としてマサキが云った。
彼が手にしているカップの中身はそろそろ半分を切ろうとしている。この調子では五分もせずに彼はこの家を去って行ってしまうだろう。シュウは写真を取り上げた。今日を限りにという仲でもない。また次の機会があるのはわかっていたが、人目に触れさせずにおこうと思っていたものを見られてしまったからか。それとも、彼の来訪が数週間ぶりであったからか。直ぐそこに迫っている別れが妙に物寂しく感じられて仕方がない。
「撮りたいと云われれば撮りますよ」
カールと自分。あの時、彼とシュウはどういった会話をしただろうか。膨大な知識の向こう側に押し流されてしまっている記憶をシュウは手繰り寄せようとして、残酷な現実に思い当たってしまった。マサキとした会話は即座に思い出せるのに、彼との会話は想起しようと努めなければ、そのさわりでさえも思い出せない……。
記憶というものは、時間の経過とともに、己に都合のいい形に歪められてしまうものだ。学問の徒であるシュウはその現実を理論として知っていた。だからこそ、シュウは安易に自らの記憶に頼らない為にと、起こった出来事を記録として残すことを好んだ。
日記に、写真。研究の記録を残したレポートにしてもそうであったし、戦闘の記録を残した映像にしてもそうだ。日頃、意識して思い出すことがなくとも、それらを目にした瞬間に呼び覚まされる記憶の数々。それらの記録媒体には、積み重なって層となった記憶が結び付いている。
けれども、マサキとの記憶ほどに鮮やかに脳裏に蘇りはしない。
マサキとの写真など、シュウは一枚も持っていない。日記に記すことは少なからずありはしたものの、それは彼と過ごした時間に比べれば微々たるものだ。最も多く残されているのは、戦闘記録であるだろう。彼と対峙し、或いはともに駆け抜けた戦場の記録。グランゾンのレコーダーが残した膨大な記録には、とはいえ、彼の人となりを伝えてくるような映像はひとつもありはしない。そこには職人技とも取れる動きで敵を仕留めてゆくサイバスターの姿が映っているだけだ。
なのにこの差は何だ。
気付いてしまった事実に、おかしさが込み上げてくる。シュウはクックと声を殺して嗤った。滑稽にもほどがある。自己の記憶の正しさを信用していないシュウの脳内に、最も多く残っているのが、記録の少ないマサキと過ごした時間の記憶である事実。これがおかしくなければ、何に笑いを求められたものか。シュウは暫く笑いを止めることが出来なかった。
「何だ? 何か面白い話でも思い出したか」
突如として嗤い声を上げたシュウに、向かい側のマサキが怪訝そうな表情を浮かべる。
「ふと、思い知ったのですよ。私にはやはり友人と呼べる相手はいないのだとね」
ひとしきり嗤ったシュウは、そう口にして、手にした写真を上着のポケットに仕舞った。
幼少のみぎりから今日に至るまで、疎遠になった時期はあれど、絶えることなく続いているカールとの交流は、けれども太陽のように輝けるマサキとの付き合いと比べれば、一瞬で霞んでしまうぐらいに儚いものであったのだ。
咄嗟に思い出せる記憶の量が、途惑いを感じるほどに異なる。
わかってはいた事実を、自分の脳内世界を通じて思い知ることとなったシュウは、恐らく、私に友人と呼べる存在は一生出来ないことだろう――と、しみじみ噛み締めるより他なく。苦みが増したように感じられる紅茶を口に含みながら、目の前のマサキが次の言葉を探して考え込んでいるのに静かに目を遣った。
「……いつだったか、ウェンディがお前のことを話して聞かせてきたことがあってさ」
ややあって口を開いたマサキに、シュウは何故ウェンディなのだろうとの思いを抱かずにいられなかった。
練金学士となるとほぼ同時に、大公家に上がるようになったウエンディは、別の意味で幼少のみぎりよりシュウが馴染んできた人間でもある。知り合いと呼べるほどに近しくはなかったが、シュウの過去から現在に続く波乱の人生を、恐らくは正しく認識している唯一の人間。だが、それをマサキが知っているとは到底思えない。
童女のようにあどけない彼女は、その外見とは裏腹に、非常なクレバーな人間でもあるのだ。
打ち明けていい話とそうでない話を明確に区別することの出来る才女。彼女が易々とシュウの過去をマサキに話して聞かせるなど、シュウからすれば想像だにしないことであった。そのぐらいに信用の置ける人間でなければ、大公家への出入りなど叶う筈もなし。彼女は私生活が最重要機密である王族との付き合い方を心得ていたからこそ、長きに渡ってマクソード家と親交を結ぶことを許された一握りの側の人間だ。
「彼女は何と云っていましたか」
そうである以上、さして差し障りのある話でもあるまい。そう思いながら、シュウがマサキに話の続きを促せば、彼は引き締めた表情を崩すことなく珈琲をひと口だけ喉に通してから、思い切った様子で言葉を続けてきた。
「大したことじゃねえよ。ただ、お前の見ている世界がどういったものかって、珍しく真剣に話して聞かせてきたんだ」
※ ※ ※
それはマサキが何度目かわからないシュウとの喧嘩に、精神の落ち着け先を求めて|練金学士協会《アカデミー》に飛び込んだ際の出来事であったようだ。
※ ※ ※
それはマサキが何度目かわからないシュウとの喧嘩に、精神の落ち着け先を求めて|練金学士協会《アカデミー》に飛び込んだ際の出来事であったようだ。
澄ました顔ばかりで面白味がないだの、自分のことですら他人事みたいに語りやがるだの、人に説教をするのに上から目線だのと、マサキが散々シュウについての愚痴を吐いた後に、静かにそれらを聞き続けていたウエンディがぽつりと洩らしたのだという。
――それはあなたがシュウがどれだけ特異な存在であるかをわかっていないからよ、マサキ。
全くマサキ=アンドーという人間は、残酷なぐらいに根が無邪気に出来ている。
――それはあなたがシュウがどれだけ特異な存在であるかをわかっていないからよ、マサキ。
全くマサキ=アンドーという人間は、残酷なぐらいに根が無邪気に出来ている。
彼がリューネとウエンディという自分に懸想しているふたりの女性をどう処しているのか。シュウは全くといっていいほどその実情を知らなかったが、色恋沙汰を退けた相手に、自身の色恋沙汰に関する愚痴をぶつけるという狂気じみた行動に出るくらいには、彼の中では彼女らの好意は過去のものとなっているようだ。
純粋で鈍感。そういったマサキの悪意なき無邪気さを、ウエンディがどう考えているのかはさておき、マサキの愚痴に珍しくも深刻な表情で向き合ってみせたウエンディは、続けてマサキにこう説いて聞かせてきたのだという。
「座れば当たる、子だったのよ。僅かな手がかりから問題の本質を見抜いて、その答えを一足飛びに口にしてみせるものだから、周りの人たちからは随分と気味悪がられていてね」
「シュウが、か? そりゃ確かにあいつは偶に、何でそんなことをお前が知ってるんだってことを口にするけどよ……」
「今は嘘を吐くことを覚えたのよ。その方が他人との摩擦が少なくて済むと学習したんじゃないかしら。本当のことを口にする時には、なるべく相手にわかるように思考の経緯を説明するようにもなったし……」
シュウからすればそれは、流石は練金学士協会《アカデミー》の才媛と謳われるウエンディだけはある――と、思わされる慧眼の表れであったが、マサキからすればそれは、シュウの人生が虚飾に彩られたものであると云われているも同義だったようだ。
「ウエンディは、あいつの人生が偽りだって云いたいのか」
そう口にしたマサキに、ウエンディは穏やかに言葉を紡いでいった。
まるでそうすることが、自分とマサキの間にある溝を埋めるひとつの手段であるとでも思っているかのように。
「そうではないのよ。シュウが見ている世界は私たちが見ている世界とは異なるのよ。例えば正魔装機の運用に対して、議会が賛成派と反対派に分かれているのはあなたも知っているでしょう。彼らはそれぞれの立場の側から、正魔装機の運用に対して利点や欠点を述べているわよね。けれどもそれらはシュウの中では遠い過去の話なのよ。それだけではないわね。どう運用すれば対外的な摩擦を少なく済ませることが出来るか――或いは、どう正魔装機を使わずして世界の秩序を保つのかといった答えさえも、彼にとっては過去の話なのよ」
「悪い。ウエンディが云っていることの意味が俺にはわからねえ」
「魔装機計画が立案された時点で、シュウはそこまで見抜いていたって話なんだけど、ちょっとマサキには例えが難しかったかしらね? 将棋の話に例えた方が良かったかしら。あれは何手先まで読めるかというゲームでもあるでしょう。それを世の中の事象や人間心理に至るまで、適用出来てしまうのがシュウだってこと」
「それなら何となくわかる。けどそれがあいつが嘘を吐いているって話とどう関係してくるんだ」
「世の中の全ての人間がひとつの方向を向くことはないでしょう。魔装機計画の賛成派と反対派。中立だっているわね。シュウはそれぞれの立場の人々がこれから先に向かっていくだろう思考の先の先を読むことが出来てしまう。その中には、自分の心が向く意見も潜んでいることでしょう。でも彼はそれを口にはしないのよ。彼は全体を見た上で、最も理に適っている意見――或いは他人に理解を得られ易い意見を口にするようになったのよ。だってその方が他人との摩擦は少なく済むものね」
「だから嘘を吐いてるって? よくわかんねえ。けど、あいつが周囲に気を遣って生きてるってことだけはわかった」
マサキの反応にウェンディはふふ、と声を発して小さく笑ったという。
無理もない。ひとつの事情に対して単一的なものの見方が常態なマサキに、漸進的ではあるものの複層的で、四方八方に飛び散る思考の群れが瞬間的に存在し得ることを理解せよというのは、魔装機神操者になることよりも難しいことであるだろう。
それがマサキとシュウが見ている世界の違いでもある。
その現実を伝えることの難しさに、けれどもウエンディは絶望したりはしなかったようだ。それがわかれば上出来よ。歌うように続けた彼女は、届かぬものを眺めるような眼差しでこうシュウのことを評してみせたのだという。
――彼は千年に一度、地球を掠める彗星のような存在なのよ。
「だってそうよね。王族で科学者で練金学士で魔術師で剣士だなんて、手に入れようと思って獲得出来る才能ではないもの。他人からすれば目も眩むほどの|能力《ステータス》。それだけの才能があったら人生イージーモードなんじゃないかって、あなたも思うんじゃないかしら」
――彼は千年に一度、地球を掠める彗星のような存在なのよ。
「だってそうよね。王族で科学者で練金学士で魔術師で剣士だなんて、手に入れようと思って獲得出来る才能ではないもの。他人からすれば目も眩むほどの|能力《ステータス》。それだけの才能があったら人生イージーモードなんじゃないかって、あなたも思うんじゃないかしら」
才能とは、そこに存在しているだけで人心を惑わすものであるのだ。
嫉みは陰謀を生み、羨望は信奉と化す。シュウが邪神教団の手に落ちたのも、恐らくはその表れであったのだ。常に恭しくシュウに傅いていたルオゾール。彼にとってクリストフ=グラン=マクソードという人間は、決して手に入らない才能の集合体であったからこそ、妄念を向ける先と化した。
カールにしてもそうだ。
シュウは己の才能が他人の目を曇らせることを知っている。素のままのクリストフ=マクソードという人間の精神性が、どれだけの人間に受け入れられたものか。彼らはこの輝ける才能の数々がなければ、気難しい性質のシュウと付き合おうなどとは思わなかったに違いない。
けれどもそれは、シュウに限った話ではないのだ。
「あなたもそう。爆発的な量の|気《プラーナ》という『才能』で、魔装機神サイバスターの操者という立場を獲得したあなたは、見る人からすれば人生イージーモードに捉えられるでしょう。でもマサキ、その立場はそんなに楽なものかしらね」
「んな筈あるかよ。って、そうか……それはあいつも同じってことか……」
そうよ。と、たおやかに笑ってみせたウエンディは、次いでマサキにも届かぬものを眺めるような眼差しを向けてきたのだという。
それは決して彼女の未練などではなかった。
何も知らぬ赤の他人はウエンディの眼差しの意味を問うだろう。|練金学士協会《アカデミー》の会長職を望まれる地位にありながら、何故? ――と。シュウはその答えを知っている。
魔装機神サイバスター。地底世界の戦争の常識を覆す戦闘用ロボットを、ラングランの支援を受けて創り上げてしまった彼女には、練金学士協会以外に行き場がないのだ。諸外国からの批判や非難を弾いてくれる練金学士協会という檻。彼女はその中でしか生きられない研究者であることを、シュウに指摘されるまでもなく気付いてしまっている。
だからこその羨望。外の世界を縦横無尽に駆け抜けるマサキとシュウは、彼女にとっては届かぬ夢が形を取って現れたものなのだ。
「わかったでしょう。あなたでなければ駄目なのよ。シュウの隠された感情を理解してあげられるのは、あなただけ。そこは忘れずにいて頂戴ね、マサキ」
聡明なウエンディはそれを見抜いていたからこそ、敢えてマサキを諭すことにしたのだろう。
伊達に短くない歳月を、マクソード家と過ごしてきた女性だけはある――マサキの長い|独白《モノローグ》を聞き終えたシュウは、ウェンディの理解力の高さにそう思わずにいられなかった。
※ ※ ※
「そう云われてみれば、俺だってあいつらに話が通じないことあるしな」
※ ※ ※
「そう云われてみれば、俺だってあいつらに話が通じないことあるしな」
きっとそれは思想的な問題ではなく、彼の能力に関わる感覚的な話であるのだろう。カップに目を落としてそう呟いたマサキに、シュウは場違いにもその中の珈琲の温度が気になった。
彼の手の中で冷めきってしまった珈琲。淹れ直すかと問えば、今日の彼は長居が出来る環境にはないようだ。いや、いい。と短く答えて、カップに残されていた珈琲をひと思いに飲み干していく。
「ウエンディの話で、それがお前にとっては日常だってことが理解出来たよ」
そう云ったマサキが飲み終えたカップをテーブルに置いて立ち上がる。
「行くのですか」
「任務が終わったばかりなんだ。この後は報告書の作成さ。俺たちの能力が錆び付かないようにって各所から回してもらった任務だから仕方がないが、まさかこの俺までもが煩雑な事務仕事をこなさなきゃならないとはな」
系統立てて話をするのが苦手なマサキにとって、報告書の作成はさぞや苦役に感じられていることだろう。
「レポートの作成は慣れですよ、マサキ」
「慣れでどうにかなるならとっくに書けるようになってるだろ。あれだって才能さ」
シュウはつい溢れ出そうになる笑いを堪えつつ、じゃあなと背を向けたマサキをリビングから送り出した。そしてソファの上。彼が家を出て行く音を聞きながら、その独白への奇妙な感情が残滓となってこびり付く胸の内を整理しようと、思考の淵へと意識を沈めていった。
マサキに授けられているのは優れた直観力だけではない。彼はその類まれなる洞察力の持ち主でもあった。云われていることの内容が理解出来なくとも本質を見抜いてしまう。彼の言葉が論理的文脈を求められるようになると抽象的になるのは、だからでもある。
マサキは論理的思考を放棄する人間であるからこそ説明下手で、だからこそ一般社会に溶け込んでいられる人間なのだ。
けれどもシュウにとっては、それこそが救いであった。
理論を飛び越えた先にある真理。それを検証し確立させてゆくのは、研究者たるシュウの役目だった。だからシュウはマサキに説明を求めなくなった。彼はラングラン史に名を残す戦士である。その事実だけで充分だ。
シュウにとってはそれよりも、マサキと向いている方向が同じであるということの方が大事だった。
そこにはシュウの子どもの頃からの夢が詰まっている。自身の理解者を得るという果てしのない夢……真理を得たいという終わりのない夢……家族にしても、恋人にしてもそうだ。マサキ=アンドーという青年はシュウが得たいものの資質を全て兼ね備えている。
――子どもの頃の私には、数多くの夢があった。
写真の束が呼び込んだ過去への回帰。過ぎ去りし時代と、今目の前に広がっている現実。その差にシュウは思いを馳せた。
――子どもの頃の私には、数多くの夢があった。
写真の束が呼び込んだ過去への回帰。過ぎ去りし時代と、今目の前に広がっている現実。その差にシュウは思いを馳せた。
他愛ない夢の中のひとつには、忌憚なく語り合える友人を得るというものもあった。きっと、その夢さえもあの無邪気な青年は叶えてくれることだろう。シュウは冷え切った紅茶をゆっくりと味わいながら、今しがた去って行ったマサキを想った。
マサキとシュウが見ている世界の差異は、実際のところ然程でもない。むしろお互い孤独な立場に就いている分、重なり合う部分も多かろう。それだけ、シュウはマサキ=アンドーという人間の底なしの可能性を認めていたし、それを自明のものとして受け入れてもいた。
これ以上を望むのは罰が当たるというもの。テーブルの上からマサキが置いていったカップを取り上げたシュウは、そこに僅かに残された彼の温もりにふっと口元を緩ませた。そして、次の彼の来訪がいつになるのかを愉しみにしながら、二脚のカップをキッチンへと片付けに向かった。
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