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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

無欲な舌/手探りの夜に
振り返れば、あっという間でした。のんびりゆっくり書き続ければ、またきっとあっという間に10年くらいは経っているのでしょうね。
その間に自分の解釈がどこまで発酵するのかが楽しみでもあり、でもきっとその時には昔の自分の青さを懐かしく感じるようになっているんだろうなという気持ちもあり――などと考える日々です。

拍手有難うございます。励みとしております。
皆様におかれましてものんびりお付き合いいただければ幸いです。




<無欲な舌>

「惣菜パンが食いてえ」
 昨日の夕方に訪れてから今に至るまで。何をするでもなく、ソファの上でだらだらと過ごしていたマサキが、その瞬間、シュウの問いに応えて力強く言葉を発した。
 昼食を何にするか尋ねたのだ。
 朝からがっつり食べるタイプのマサキには物足りない朝食だった。昨晩の残り物のスープに目玉焼き。そしてウィンナーとサラダ。六個入りのバターロールをひとりで全て食い尽くしたマサキは、あと一袋はいける。などと、決して多食ではないシュウを沈黙させる言葉を吐いてテーブルを離れていった。
 とはいえ、シュウからすれば、恋しい人の要望である。なら、昼食は街に出て豪勢に取ることにしよう。腹一杯食べたいというマサキの願いを叶える為に、そう考えたシュウは、だから頃合いを見計らってマサキに尋ねた。
 ――お昼は何が食べたいですか。
 その返事がこれだ。
 三ツ星グルメよりもB級グルメを好むマサキに、高尚なリクエストを期待をするのは無理がある。それをシュウはわかり過ぎるぐらいにわかっていた。それでも、もう少し手間がかかるジャンクフードを希望すると読んでいただけに、当てが外れてしまった感は否めない。
 何より、食べさせ甲斐がないにも限度がある。
 自然に恵まれたラングランは食材が豊富だ。肉、魚、野菜に果物。日本とは比べ物にならないぐらいの種類が溢れている。
 家庭料理のメニューも西と東では大きく異なるほどに、豊かな食文化。だのに、そうした多種多様なメニューには興味が向かないのか。マサキと来た日には、いつ尋ねても、ハンバーグだのエビフライだのとジャンクな食べ物ばかりを要求してくるのだ。
 それはシュウとて落胆する。
 だが、ここで心が折れてしまっていては、彼との貴重な時間を無為にしかねない。それならば、その希望を叶えてやろうではないか。どうにか気を取り直したシュウは、マサキに更に尋ねた。
「……惣菜パンにも種類がありますが」
 その瞬間のマサキの我が意を得たりといった表情! 嫌な予感をシュウは覚えるも、マサキの口は止まらない。
「コロッケパンだ」
「コロッケパン」
「焼きそばパンもいいな」
「焼きそばパン」
「カレーパンも食いてえ」
「カレーパン」
「メンチカツパンなんか最高だよな。脂の塊って感じがして」
 暴力的なカロリーを誇る総菜パンを選んで口にしたのではないかと思うまでに、偏ったメニュー。葱味噌パン、ハムマヨネーズパン、コーンパン……続くメニューに眩暈を覚えたシュウは、あまりのジャンキーさに彼の細腰を掴まずにいられなかった。
「なんだよ」
「ハイカロリーな食事を好む割にこの体格とは、どういうことなのかと思いまして」
 節制に節制を重ねているシュウの体躯と張る細さ。マサキの引き締まった肉体からは、彼が普段口にしている食事の量など想像も付かない。
「胃下垂なんじゃないか」
「胃下垂」
 冗談とも本気ともつかないマサキの言葉に、シュウは呆れ――そして覚った。
「……わかりました」
 マサキの腰から手を離したシュウは、壁に掛けてあるコートを手に取った。そして、マサキにも支度をするよう促すと、彼の望みを十二分に叶えてやるべく、玄関に向かった。

 ※ ※ ※

 それから一時間ほど後のこと。王室御用達の店に到着したシュウは顔を利かせて店にないメニューを作らせると、腹一杯になるまでマサキにそれらの総菜パンを食わせてやった。
 ただ、空腹は味覚を鈍らせる。
 味を聞いても「なんか旨い」としか返してこないマサキに敗北感を味わったシュウは、次回から問答無用で自分が希望する店にマサキを連れていくことを胸に誓ったのだ。




<手探りの夜に>

「おい、パジャマ借りるぞ」
 当たり前のように自らの独り家に泊ってゆくようになったマサキが、当たり前のように断りを入れてきたのを、そろそろ彼がいる夜に慣れてきたシュウは違和感を抱きながら聞いていた。
「おい、パジャマ借りるって」
 シュウの返事がないことで、自らの声が届いていないと思ったらしい。読みかけの書に視線を落としているシュウの前に立ったマサキが、重ねて口にしてくる。まだどこかに遠慮が残っているのだ。きちんと確認を取ってからシュウの持ち物に手を出そうとしているマサキに、聞こえていますよ。そう口にしながらシュウは顔を上げた。
「だったら返事ぐらいしろよ」
「いえ、少し気になることがありましたもので」
「本にばかり夢中になってるんじゃねえよ」
 視線をずっと膝の上に広げた書に向けていたことで誤解を受けたようだ。少しむくれたマサキの顔を目にしたシュウは、自分でも奇妙な表情をしていると思いながら、奇異なるものを見る視線をマサキに向けた。
「リューネに聞いたのですが」
「リューネ?」
 突如として仲間の名前が挙がったことに理解が追い付かない様子で、マサキが首を傾げる。ええ。と頷いたシュウは、マサキの瞳から視線を逸らさずに続けた。
「あなたは寝る時に下着一枚でいるのだとか」
 それは同じ人間に恋心を向けているからこそのささやかな優位性の発露だった。どうやらマサキが自分の許で夜を過ごしているらしい。シュウの態度や言葉からその事実を読み取ったリューネは、どこか挑発的な態度でシュウにこう告げてきたのだ。
 ――でも、シュウ。あんたじゃ耐えられないんじゃないの? マサキ、寝るとき下着一枚でしょ。
 それはリューネがシュウの隙のなさが私生活にも及んでいると踏んだからこその言葉に他ならなかった。
 事実、シュウはリューネの暴露を受けて微かな敗北感を覚えた。何せ、マサキは最初からそうだった。当たり前のようにシュウの寝着を貸してくれと訴えてきたマサキ。普段のマサキがそういった習慣でいると思い込んでいたシュウは、どういった思惑でマサキが自らの寝着を要求してくるのかを考えもしなかった。
 もしもその理由が、リューネのようなシュウの生活態度に対する誤解からきているものであるのだとしたら――これほど滑稽で遣る瀬無い行き違いもない。そう考えたシュウは、だからこそマサキに棘のある言葉をぶつけずにいられなかった。
「あなたが寝る時に、下着一枚で寝ていることですよ。私にはその寝姿は見せられないですか、マサキ」
 瞬間、眉を顰めたマサキが、怒気の滲んだ表情で言葉を返してくる。
「それを云うなら、お前もだろ。サフィーネに聞いたぞ。裸で寝てるって」
 知っていながら黙っていたのだ。マサキの予想外の返しでその事実を知ったシュウは咄嗟には言葉が出てこずに。
「見せたくないものがあるってのはわかってる。だから黙ってた」
 シュウの沈黙を拒絶と受け止めたのだ。自らの胸に秘密を収めていた理由をそう述べたマサキに、シュウは兜を脱ぐしかない。すみませんでした。自然と口を吐いて出た謝罪の言葉は、マサキの気遣いに対するシュウなりの礼でもあった。
「サフィーネには後できちんと云っておきましょう。あなたに張り合う真似をするのは止めるようにと」
「いや、別に。そこまで気にしちゃいねえんだけどな」
 余程、シュウの顔に浮かんだ表情が剣呑に映ったようだ。マサキが慌てた風でとりなしてくる。けれどもシュウはその要望を聞き入れるつもりはない。マサキに余計な気遣いをさせた罰はきっちり受けてもらう。密かな決意を胸に、努めて柔らかく微笑んでみせる。
「ですが、マサキ。あなたは勘違いをしていますね」
「勘違い?」
「私があなたと寝る際に寝着を着る理由ですよ。私にも見栄はありますからね。あなたに裸で寝るようなだらしない人間だと思われたくなかったのですが、あなたもそうした格好で寝ているというのであれば遠慮は要りませんね。今日からはいつも通りに寝るとしましょう」
 ところが、その言葉はマサキには意外なものであったらしい。鳩が豆鉄砲を食らったような表情になったかと思うと、「あ、いや。その」と、直後には狼狽え始める。
「どうしました。堅苦しいのは苦手でしょう、マサキ」
 どういった場にあっても飾らないのがらしさであるマサキにしては珍しい態度。何をそこまで困惑することがあるのだろうかと思いながらも、泳ぐ視線にマサキの動揺を見て取ったシュウは、その捉えどころのない瞳が落ち着きを取り戻すのを待つことにした。
 そこからたっぷり十秒ほど。
 あの、だの、だって、だのと言葉を濁していたマサキが、腹を括った表情でシュウに向き直った。
「あのよ、シュウ。お前、あっさり云うけどな、俺にも恥ずかしいって気持ちはあるんだよ」
「……今更ではありませんか」
 既に裸体を晒し合って久しい。それどころか、黒子の数まで知っている相手である。どこに照れを感じる要素があるのか、シュウにはまるで理解が及ばなかったが、マサキの意外な姿を見るのは悪い気がしない。
「なら、あなたがその気になるまで待ちますよ」
 シュウはそう口にしながらマサキに笑いかけた。
 いつの間にか赤く染まっている頬。そうしてくれ。と、俯き加減に呟いたマサキを、シュウは微笑ましい気持ちで見守った。






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