ひたすらうだうだしている話です。
<誇りと矜持>
親しくしていた少女だったのだという。
何処にでもいるような笑顔の愛くるしい少女は、内乱が終わってようやく取り戻された王都の丘で、ひとり思い耽っていたマサキの目の前に姿を現わしたのだそうだ。
――ありがとうございます、戦士様。
たどたどしく言葉を吐いた少女がおずおずと差し出してきた一輪の花。彼はその花が持つ貴い花言葉を決して知りはしなかったが、痛みも激しいままの王都に力強く咲く花があるという事実に強く力付けられたのだという。
それだけ、あの戦いで彼が負った傷は大きかったようだ。
ラ・ギアスで生きる決意をした彼を守り導いてきたふたりの庇護者。ゼオルートとフェイルロード。彼らを失った悲しみに沈む暇もないままに戦い続けた彼は、王都を取り戻したことでようやくその死に思いを馳せる余裕が出来たのだ。
だから彼は、自分の痛みを和らげてくれたその少女を大切にした。王都に赴けば必ず彼女の許に顔を出し、それがたったひとことの挨拶であろうと欠かさずに声を掛け続けた。憧れの戦士様――王都を取り戻した英雄をそう呼んだ少女を時には肩に乗せて丘に立つこともあったというマサキ。戦士様、戦士様。彼の姿を見付けては駆け寄ってくる少女が、彼にとっては義妹のように可愛く感じられて仕方がなかったようだ。
彼にとって少女は平和の象徴であり、自らに力を与えてくれる守護者でもあった少女。活躍のフィールドを変え、救国の戦士から救世の英雄へと立場を変えても、彼は自分の原点を忘れることがなかった。
それが彼をして、犯してはならないミスを犯させてしまった。
陽だまりのように暖かく居心地のよい場所であった少女の住まう世界に汚れは存在しないと、短慮で浅はかな面を持つ彼は思い込んでしまったようだ。いつものように王都を訪れ、いつものように少女の許に向かった彼を襲った奇禍。戦士様! 少女にあと三歩の場所で、彼女の口から悲鳴に等しき叫び声が放たれた。
咄嗟に身体が動いたに違いなかった。彼の背後に迫り来ていた暗殺者との間に身体を割り込ませた少女の肌を、暗殺者が持っていた短刀が掠めた。それだけだった。驚異的な反射神経を誇る彼は瞬時に事態を把握すると、攻撃を加える隙も与えず暗殺者を手刀で吹き飛ばした。
けれども相手は、幼き頃から訓練を受けているだけはある。即座に体勢を立て直した暗殺者は、そのまま人混みに紛れて何処かへと姿を消したのだという。
暗殺者が振るった短刀には、致死量の少ない毒性の高い秘薬が塗られていたようだ。三日三晩高熱にうなされ続けた果てに、すとんと糸が切れたように生命活動を止めた少女。愛娘を失った悲しみの深さは察して余りある。だとというのに、彼らは三日三晩、殆ど眠ることもなく少女に付き添い続けたマサキにこう言葉を掛けてきた。
――この国を救ってくださった戦士様を守って死んだのです。これ以上の名誉がどこにありましょう。ですからどうか戦士様。気に病むようなことがありませんよう。
それは少なからぬ衝撃を彼に与えた。
魔装機神操者である自分の命と一般国民である少女の命。その重みの違いを突き付けられた彼は、かくてそれから一週間ほど。食事も碌に取らず、自室に篭って塞ぎ込む日々が続いているのだという。
※ ※ ※
情けないですね。ホットラインを通じて情報局に呼び出されたシュウは、事情を語り終えた従妹を目の前にそう言葉を吐いた。
※ ※ ※
情けないですね。ホットラインを通じて情報局に呼び出されたシュウは、事情を語り終えた従妹を目の前にそう言葉を吐いた。
「まあ、あなたはそう云うでしょうね。というか、むしろそこでマサキに同情なんてするような人間だったら、あたしがわざわざ呼び出す必要もなかった訳だし」
長い付き合いで、ある程度シュウの性格と傾向を把握しているからだろう。苦々しい表情を包み隠さず、けれども冷静に言葉を継いでみせたセニアが、トントンと執務机の端を指で叩く。
「わかっているのなら何よりですよ、セニア。それで? 関係ない話をするあなたでもない。私を呼び出したということは、マサキが立ち直る手伝いをしろということですか」
「他に何があるのかしら?」
「お断りします。私が首を突っ込んで解決する事態とは思えない。そもそも、彼の周りには彼を支える数多の仲間がいる。私の手を借りずとも、マサキはきちんと立ち直りますよ」
「責任を取れって云ってんのよ」
頬杖を付いたセニアがふんと鼻を鳴らす。シュウは眉を顰めた。じゃじゃ馬を通り越して男勝りな彼女は、野性味あふれる魔装機操者たちに感化されてか。時々、酷く王族としての品性に欠けた所作をしてみせる。
しかしそれを逐一指摘していては、まとまる話もまとまらなくなる。表情を戻したシュウは、挑戦的な眼差しで自分を見据えているセニアに、彼女が今しがた放ったばかりの言葉の真意を尋ねるべく口を開いた。
「責任……ですか」
そうよ。と革張りの椅子に背中を預けたセニアが、居丈高に言葉を継ぐ。
「いい? 彼女が死んだのは教団の暗殺者がマサキを襲おうとしたから。彼女が凶刃に倒れなければ、マサキがああも憔悴することもなかったでしょう。事の原因が邪神教団にあるのは明らかよね。なら、王都にまで姿を現わすほど、彼らが活動を活発にしているのは? 一体、誰のお陰なのかしら」
「私の所為だと仰りたい様子ですね、その口振りでは」
「当然よ」と、セニアが椅子にふんぞり返る。「バゴニアにシュテドニアス。あなたという人材を得なかったら、彼らはあそこまで貪欲に影響圏を広げるような真似をしたかしらね」
「私がいなくとも、いずれ彼らは活動を活発にしたとは思いますがね」
「うっさいわね」
黙れとばかりにシュウを睨み付けてくるセニアに、この女傑は――と、シュウは溜息を吐きたくなる思いに捉われた。
議会と渡り合わねば正魔装機の維持もままならないからか。日々逞しさを増してゆくばかりの従妹。世間ではそういった彼女を評価する向きもある一方で、婚期を逃した旧時代の遺物と見下す向きもある。無論、シュウとて後者の評価が如何に時代遅れでナンセンスであるかは理解しているつもりだ。だが、仮にも血縁である。同じく遺物であるシュウたちの汚名を雪ぐべく、影に日向に活動を続けている従妹が悪しざまに云われるのを耳にして気分がいい筈がない。
「マサキがあのまま使い物にならないんじゃ困るのよ」
「地上人を好き勝手に使うことを決めたのはあなた方なのですよ、セニア。マサキもまた、ここに至るまで消耗された地上人たちと同様に処分をすればいいだけの話では」
「あなたって、本当に嫌味な男!」
露骨に顔を顰めてみせたセニアに、シュウは声を潜めて嗤った。
召喚システムによって選別され、その後の訓練で更に篩にかけられた正魔装機の操者たち。脱落した地上人の数は両手両足では足りないぐらいだ。それを容赦なく地上に送り返してきたのが、前時代――アルザールが治世していたラングランである。
その是非については問うまでもない。シュウは既に結論を下していた。地底世界で手に余る事態の解決を、次元を超えた世界の住人たちに任せてしまった――。
「しかし、私は事実を述べているだけですからね。そもそも、地上人の力を借りるのは最小限にするといった話だったのを、こういった形にしてしまったのはフェイルロードとあなた」
「マサキが望むならそうするわよ」
シュウの言葉を聞くに堪えなくなったようだ。言葉を被せてきたセニアが、忌々し気に吐き捨てる。
「でもその意思確認も出来ない状態が続いてんの。わかる? お手上げなのよ。お・手・上・げ。常に火種を抱えているような世界情勢じゃ誰かを傍に付かせておくのにも限度があるし、いい加減マサキには起きてきてもらわないと」
どうやらマサキは仲間の声も聞けぬほどに消耗してしまっているようだ。
シュウはひっそりと溜息を吐いた。激情家揃いな彼の仲間たちは、他人に物事を諭すのには向いていない。何故なら彼らは理論を超えた直感を行動原理の論拠としているからだ。
その認識の甘さをシュウは常々指摘してきた。
魔装機の操者という立場に人格をも浸食されている彼らにとって、不測の事態が起こり得るのは戦場だけに限らなかった。彼らを英雄視する民衆たちに、彼らを敵視するた機体組織の者たち。ただ辺りをそぞろ歩くだけでも魔装機神操者という立場が付いてくる。彼らが平穏無事な人生など送るなど笑い話にも限度がある。だからこそ、魔装機神操者という立場には、過酷なまでの覚悟が求められるのだ。
今回マサキを襲った奇禍と同様の出来事は、これからも彼らを見舞うことだろう。そういった過酷な現実をも受け止められずして、何が英雄か。この程度のことで挫けられてしまうようでは、世界平和などという世迷言の実現は不可能に等しい。
「荒療治でよければ、あなたの望みを叶えるのは吝かではありませんが」
「壊さないでよね。マサキは地底世界の大事な財産なの」
それと知らず残酷な言葉を吐くセニアに、シュウは冷ややかな視線を向けずにいられなかった。
「そういったあなた方の認識こそが、彼を追い詰めてしまったのでしょうに」
苦々しさを増したセニアの表情は、彼女がそのひと言でシュウの真意を悟ったからに他ならなかった。わかってるわよ。吐き捨てるように云い放つをセニアを一瞥して、シュウはソファから立ち上がった。そして、手にしていた泥水のような珈琲の入ったカップをガラステーブルの上に置いた。
中身は殆ど手付かずだが、それを気にするような従妹でもあるまい。まあ、いいでしょう。扉に身体を向けたシュウは足を止め、セニアを振り返った。
「私に頼んだことを後悔させるぐらいには、きっちり立ち直らせてみせますよ。そう、きっちりとね」
※ ※ ※
彼の義妹は正面から義兄を訪ねてきたシュウに、大層不意を突かれたようだった。酸素の不足した魚のように口をぱくつかせた彼女は、シュウを迎え出る言葉が思い浮かばないといった様子で、少しの後にようやく、な、何の用……とだけ口にした。
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彼の義妹は正面から義兄を訪ねてきたシュウに、大層不意を突かれたようだった。酸素の不足した魚のように口をぱくつかせた彼女は、シュウを迎え出る言葉が思い浮かばないといった様子で、少しの後にようやく、な、何の用……とだけ口にした。
「何の用も何も、現状、私が彼を訪ねる理由などひとつしかないと思いますが」
押し問答を繰り広げるつもりなどなかった。ああして啖呵を切った以上、それを叶えられぬなど自身の名折れ。今のシュウにとってマサキの回復は、最優先で達成されるべきタスクであるのだ。
だからこそ、失礼しますよ。と、シュウは呆気に取られているプレシアを尻目に家に上がり込もうとした。
そこで正気に返ったようだ。両手を開いた彼女がシュウの往く手を塞ぐ。強い光を宿した瞳は、血の繋がりなどなくとも家族足り得るのだと訴えているように、シュウの目には映った。
「やめてよ! お兄ちゃんに何するつもりなの! お兄ちゃん、今あなたに構ってる暇なんてないんだから!」
「それをどうにかする為に来たのですがね」
けれどもそうした絆も、度を過ぎれば無駄な拘束にしか為り得ない。何より彼女は義兄であるマサキを、ここぞというところで庇い過ぎるきらいがあった。
それがマサキの助けにならないことを彼女が理解しているかはさておき、シュウとしては、とうに成人を迎えた筈のマサキを未だに半人前程度にしか認識していないような彼女の振る舞いには、大いに感じるところがある。
「冗談じゃないわ! お兄ちゃんをあなた如きでどうにか出来る筈がないでしょ!」
「ならば、あなたなら彼をどうにか出来るというのですか? 彼が家に篭るようになってから、もう一週間が経ったと聞きましたが」
どうやら急所を突かれたと感じる程度には、彼女も今のマサキを持て余しているようだ。ぐっと引き絞られる口元。言葉を詰まらせたプレシアに、そうでしょうとも。と、シュウは穏やかに微笑みかけた。
「セニアに頼まれてきたのですよ。責任を取れとね」
責任、と、口の中で言葉を繰り返した彼女に、「彼がああなってしまった原因の一端は邪神教団――即ち私の行いにある。そう云われては引き下がれませんからね。ですからここを通してください。私は私が果たすべき責任を果たさせてもらいます」
「それだけ……ですか。本当に、それだけ?」
疑いの全てが晴れた訳ではないようだったが、シュウの言葉を聞き入れる程度には落ち着きを取り戻したようだ。迷い悩む瞳がシュウを真っすぐに見上げている。勿論ですよ。頷きながら、シュウは彼女の言葉に答えた。
「ここが長居をしていい場所ではないことには自覚があります。十分程度で結構。少しだけマサキと話をさせてください」
「でも、今のお兄ちゃん……誰とも会おうとしなくて……」
「会う気がなければ押し入るまで」シュウはプレシアの傍を通り抜けた。「天の岩屋が開くのを待っている暇は私にはありませんのでね」
意外にも、プレシアはシュウを追って来なかった。
階段を上がり切ったシュウが階下を見下ろしてみれば、シュウの行動を黙って見守っている彼女の姿がある。シュウが階段を上がる間に彼女はシュウにマサキを任せる決心をしたようだ。殊勝にも頭を下げてみせると、扉の向こうに黙って姿を消した。
シュウは通路の突き当りにあるマサキの部屋の前に立った。
念の為にドアをノックし、彼の返事がないかを待つ。案の定、言葉が返ってくる様子はない。シュウはドアノブに手を掛けた。鍵が掛かっているかと思いきや、その気力さえもないのだろうか。するりと開いたドアに、マサキと彼の名を呼ぶ。
カーテンが閉め切られた室内の奥から何かがシュウ目掛けて飛んできたのは、次の瞬間。ドア脇の壁に当たったそれが何であるのか見下ろしてみれば、どうやら目覚まし時計であるようだ。手酷い歓迎にも限度がある――と、思いながらもシュウは背後のドアを閉めた。
「……誰の許可を得て来やがった」
暗がりの隅、部屋の角に座り込んでいるマサキがシュウを睨んで口にする。
「プレシアに通しもらわなければここには来れませんが」
シュウは先程、目覚まし時計が直撃した壁に凭れてマサキの様子を窺った。陽射しに透けたカーテンのお陰で多少は表情が窺える。落ち窪んだ瞳は、彼がこの一週間、まともに眠れていなかったことを表していた。
あの野郎。と、呟いたマサキが視線を床に落とした。何の用だよ。言葉を発するのですら難儀な様子の彼に、情けないあなたの姿を笑いに。と、シュウは言葉を返した。
刹那、室内の空気が裂けた。
座り込んだ姿勢からあっという間にシュウの目の前に躍り出てきたマサキが拳を振り上げる。お前に何がわかる! そう声を上げた彼の手首をシュウは捻り上げた。
食事も碌に取らずにいたからだろう。落ちた体力の分、動きに生彩を欠いている。シュウは容易く動きを封じられた口惜しさに顔を歪めているマサキを冷ややかに見下ろした。
「私を殺した人と同一人物だとは思えないことを云いますね」
苛烈な瞳。生きる気力までは失っていないようだ。拳で駄目なら蹴りだとばかりに脚を横払いしてくるマサキの腹に、シュウは肘を食らわせた。身体をよろめかせたマサキがごほごほと咽る。「動きがなまるにも限度がありますよ、マサキ」
「誰に……聞きやがった……」
「セニアに呼び出されたのですよ。責任を取れとね。教団の暗殺者だったのでしょう、彼女の命を奪ったのは」
「どいつもこいつも余計なことを……」
抵抗を諦めたようだ。ベッドに腰を落としたマサキにシュウは冷ややかな視線を注いだ。
「謝りに来たっていう態度じゃねえな」
「謝るつもりなどありませんので」
「本当に笑いに来たってか」今の動きで体力を消耗したようだ。ベッドに身を投げ出したマサキが、笑うなら笑え――と投げ遣りに言葉を発する。
わかってはいたが、彼は落ち込み始めると世を拗ねる性格であるらしい。
シュウは息をするのもしんどそうな様子でいるマサキに、冷ややかな視線を注ぎ続けた。魔装機神――わけても十六体の正魔装機の頂点に君臨する風の魔装機神の操者とは思えぬ細身。しなやかで強靭な彼の肉体は、不意に襲い掛かった奇禍とその結末に弱り切ってしまったようだ。
「命に序列があることぐらい、これまで戦場で数多の命を奪ってきたあなたのこと。わかっている筈だと思っていましたが」
マサキは答えない。
ただ、腕で顔を覆うと、開いた口から熱い吐息を吐き出した。泣いているのだろうか。忙しくなく胸を上下させ始めた彼にシュウは思うも、それを慰めることが彼の為になるとは思えずに。暫く黙ってマサキの様子を窺っていた。
「わかってるよ、んなこたあ……今まで散々セニアにだって云われてきた。一般国民に入れ込むような真似をするなって」
「わかっているようには思えませんね。あなたを英雄視し、崇拝する国民の恐ろしさ。あなたはそれを背負う覚悟をしていなかった」
「そうだよ。ああ、そうだ。俺は大馬鹿者だ。俺の失態を名誉だなんて云い出す人間がいるなんて思ってもいなかったさ。娘を失った悲しみに勝るものがある? 巫山戯るなって今でも思ってるさ」
「けれどもそれをあなたは変えることが出来ない。もし、変えることが出来る方法がひとつだけあるのだとすれば、それはあなたがその立場を降りることだけですよ」
「今更、降りれるか……これだけの命を奪った後で、降りて堪るかってんだよ」
「なら、食事を取るのですね」
シュウはベッドへと近付いた。顔を覆ったままでいるマサキの腕を解かせ、ベッドから起き上がらせる。
彼はもう安藤正樹という個人ではないのだ。ランドール=ザン=ゼノサキスという彼の名は、彼に戦士たる自覚を促すと同時に、神聖ラングラン帝国における生ける偶像へと彼を祀り上げてしまった。そこに安藤正樹という個は存在しない。良きに付け、悪しきに付け、噂を伴って独り歩きする名前……彼の命は、最早彼の一存で終わらせてしまっていいものではなくなってしまった。
「……悲しむ時間ぐらい与えてくれ」
「私に動きを封じられた人間が云っていい台詞ではないですね。それに、もう一週間が経ったのでしょう。そろそろ頃合いですよ、マサキ。悼むことは、いつ何処であろうが出来ます。けれどもあなたの命はひとつしかない」
シュウはマサキを担いで部屋を出た。
数多の人間の命を背負って覇道を往け。彼は自身に懸けられた民衆の期待をどう思っているのだろう。頼りない足取りながらも一歩を踏み出したマサキに、シュウは少女が渡したラナンキュラスの花言葉を伝えるべきか悩んだ。
――光機を放つ。
今の彼にとっては重い言葉であるに違いない。シュウは喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。
少女と少女の良心は、マサキ=アンドーという英雄が世界を照らし出す光となることを望んでいたのだ。そう、シュウを覆っていた闇を吹き飛ばしてみせたように、あまねく光で世界を照らし出して欲しいと……。
「お兄ちゃん!」
階段を下りる足音を聴き付けたようだ。勢いよく開いた扉の向こう側から、飛び出すようにプレシアが姿を現わす。腹が減った。そう口にしたマサキに、見るまに彼女の瞳に涙が溜まる。
「栄養のあるものを食べさせなさい」
シュウはプレシアにマサキを渡して玄関に向かった。
「私の出番はなかったようですよ」
振り返って寄り添うように立っているプレシアとマサキを眺める。妹同様に可愛がっていた少女を失ったマサキは、大事な義妹をも粗雑に扱ってしまったのだろう。
あの野郎。と、義妹のことを口にしたマサキ。けれどもそれも今日を限りに終わる。シュウは光が満ちた外の世界へと足を踏み出しながら、彼らの時間はここからまた動き出すのだろう。そう思わずにいられなかった。
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