そろそろシュウマサが書きたい病が始まりました。
<研究は体力勝負>
起床時刻が微妙だったその日のマサキは、だったらいっそシュウと一緒に昼食を取ろうと思った。
規則正しい生活を常としている義妹は、とうに何処かへ出掛けた後なようだ。ならば、何の遠慮もいらないとテーブルの上に用意されていた食事をタッパーに詰め直して、バケットと一緒にバスケットに放り込む。そうして、いつになく強い陽射しの元、サイバスターを駆ること一時間ほど。目的地に辿り着いたマサキが尋ね人の家に上がり込んでみれば、珍しくもゆで卵を片手に読書に励む家主の姿がある。
「珍しいこともあるじゃねえか」
マサキはバスケットをテーブルの上に置いた。
ちらと視線を投げて寄越したシュウは、口の中に残っているゆで卵をゆっくりと咀嚼している。食べ物を口内に残したまま話すことがない辺り、几帳面で潔癖なシュウらしい。
その隣に腰を下ろしながら、サプリメントはどうしたよ。マサキは尋ねた。
自らの知識欲を満たすことを最優先課題としている男は、それらに時間をかける代わりに、食事や睡眠といった生命活動に必要な行為を削りだちだった。その日常食は、大半がサプリメント。一瞬で必要な栄養の摂取が済む点が気に入っているらしく、戸棚の中には大量のサプリメントが種類も豊富に揃えられている。
「サプリメントと健康の関係については、これまでも様々な研究が行われてきましたが、先日出た追跡調査を含む最終論文で、一定の健康被害が認められるとの結論が出ましたので」
「お前、健康に気を遣うつもりがあったのかっ!?」
やれ研究だ、論文だ、査読だ、読書だと、自らの趣味に邁進しておきながらこの台詞。食事や睡眠を削るのは序の口。着替えに入浴、掃除に洗濯と日常生活を送るのに必要な行為の一切でさえも、自分の欲の為に放棄するのがシュウ=シラカワという人間である。そんな男に最も不釣り合いな単語が何であるかと問われれば、十人が十人とも『健康』であると答えることだろう。
「心外ですね、マサキ。私にもそのぐらいの欲はありますよ」
「いや、あの、お前な……自分の生活態度をちょっと真面目に振り返ってみろよ……サプリメントをやめたぐらいで取り返せる不摂生じゃねえだろ、それ」
どうやら自覚がないようだ。そうですかね。と口にしたシュウは、暫く考える素振りをみせた。
「散歩やトレーニングを欠かしたことはない筈ですが」
「睡眠が足りねえんだよ、お前は。読んでる本の内容が面白いからって明け方近くまで読書をし続けるのは当たり前。その癖、昼前には起きてきやがる。研究を始めようものなら不眠不休も厭わなくなるじゃねえか。これの何処が健康なんだ?」
「その分、後日纏めて寝ていますので」
「睡眠は足し算引き算で何とかなるもんじゃねえよ……」
はあ。と、マサキは溜息を吐き出しつつ、ソファの背もたれに首を乗せて宙を仰いだ。この話題になると、シュウは折角の頭脳をどこに使っているのかと思うくらいに論点を逸らし始める。まるで子どものようだ。
普段は知性の塊でありながら、いざ自分事が絡むとこの始末。何だかなあ。マサキは諦めにも似た気分でシュウに向き直った。
「ところで、お前。健康を目指して何をするつもりなんだ。まさか長生きするつもり、なんて云わねえよな」
「私が目標とする研究で満足出来る成果を出すには、一生あっても足りないぐらいですが」
「長生きするつもりでいるのかよ……」
だったらその前に改めるべき生活態度がごまんとあるだろう――とは、流石にマサキは口にしなかった。不可能を可能にしてばかりのこの男のことだ。彼の往く道は神が作っているのではないかというぐらいに開けている。万が一にも長生きしないとは云えないだろう。
「お前がそこまでして成果を出したい研究ねえ。ラ・ギアスをもうひとつ作るってか」
ウエンディに聞いた話によれば、世に出回っている技術の五分の一ぐらいは、この男が世に出した論文が元となっているのだそうだ。
――シュウなら世界を創るぐらい訳ないわね。
冗談めかしてウエンディが云っていた言葉を、だからこそマサキが口にしてみれば、どうやらシュウにとって創世という技術は通過点のひとつであるらしい。表情を変えずに生真面目にも言葉を継いでみせる。
「そのぐらいでしたら、あと三年ぐらいで理論化が」
「やめろ馬鹿。宇宙の法則を乱すな」
「とはいえ、無から有を生み出す技術は今のところ確立されていませんので、実際に実現するとなると、莫大な資源を必要とすることになるでしょう。資源のスマート化を研究過程に組み込むと、理論化にはあと十年は必要でしょうね」
「何を云っているかわからねえが、お前の研究スケールが俺が思っている以上にでっかいことはわかった」
これ以上彼の話を聞いていては神経がもたない。マサキとしてはそれで話を終わらせて、バスケットの中身を彼と分かち合いたいところだったが、滑らかに言葉を紡ぎ始めた彼の口は止まることを知らない。
「それよりも神を創り出す方が余程困難ですよ」
「かみをつくる。お前、何を云ってるんだ?」
「世界を生み出せる万能神としての神を人間の手で創り出せるかという話ですよ、マサキ」
「わかってる。だがな、それは流石に無理なんじゃ……いや、お前、世界をもうひとつ創れるって云ったもんな……」
「とはいえ、世界をもうひとつ創るのとは訳が違いますよ。先ず組成組織が明らかになっていない。次にその誕生プロセスが明らかになっていない。その次に、そもそもどの次元に存在しているかも明らかになっていない。と、なると、上位次元――精霊界以上の次元に我々が生身で到達出来なければ話にならないということに」
「悪い。本気でお前が何を云っているかわからねえ」
「次元が上がると時間のスピードが変わるのは御存じでしょう」
「知ってるけど、真面目に解説されても困るんだよ」
マサキはソファから立ち上がった。そしてテーブルの上のバスケットを開く。食うぞと声を掛けて、キッチンへ皿を取りに向かう。
「ほらね、マサキさん。やっぱり、ご主人様は神に相応しいんですよ。世界を創れるなんて云い切れるの、うちのご主人様ぐらいですよ!」
黙ってマサキとシュウの遣り取りに耳を傾けていたチカが、マサキを追い掛けてきてそう口にする。
いつだったか、チカがマサキに語って聞かせた将来の夢。主人を新興宗教の祖にする――確かに、世界を創れるなどと豪語するシュウはその立場に相応しい。加えてあのカリスマ性だ。一定の信者は獲得出来ることだろう。
けれども、それはマサキが必要とするシュウ=シラカワではないのだ。
「俺は神様の嫁になる気はねえぞ」
「あらあら。嫁だって認めてるんですね」
口の減らない使い魔を引っ掴んで、キッチンの窓から外に放り投げる。ぎゃあといった悲鳴が聞こえてきた気がしたが気にはしない。食器棚から皿をカトラリーを取り出したマサキは遅くなった昼食を摂るべく、リビングへと引き返していった。
<HELP ME!>
<HELP ME!>
シュウの記憶が正しければ、マサキがシュウに助けを求めてきたことは一度もなかった。
|偶《・》|々《・》行き会ったシュウが恩を押し付けたことは数知れずだが、仲間でもない人間に助けを求めるほど安いプライドの持ち主ではないのだろう。そこは流石に精霊に選ばれし魔装機神操者。自らの立場を深く自覚しているようである。
それがどういった気紛れか。使われることを想定していなかったエーテル通信機を介して、「助けろ」ときたものだ。
シュウは書斎のデスクの上で埃を被っていたエーテル通信機をまじまじと見詰めた。聞いてるのか? と、続けてマサキの声が聴こえてくる。聞こえてはいますが――シュウはそこで脳裏を過ぎった嫌な予感を口にした。
「あなた、本当にマサキですか」
彼のことだ。滅多に使うことのない通信機を放置した挙句、何処かで失くしてしまっていてもおかしくはない。だからこその問いだった。けれどもその問いは彼の神経を逆撫でしてしまったようだ。何でだよ。どこか腹を立てたようなマサキの声が返ってくる。
「お前がいざって時に使えっていったモンを使ってやってるのに、その言い草はなんだ。いつもは人に親切を押し売りしてきて倍返しさせるくせに、俺が助けを求めたら信じられないってか。巫山戯るなよ、本当に……」
「これは失礼しました」
この口の回り具合は紛れもなくマサキである。
シュウは姿勢を直した。そして、デスクの上に積み上げていた本の影に隠れかかっているエーテル通信機を取り上げ、埃を払いながらマサキに問い直した。
「何があったのです、マサキ。あなたが私に助けを求めてくるなど珍しい」
「迷った」
「いつものことですね」
「かれこれ三日」
「流石にいつものことではないようですね」
「迎えに来い」
そうは云われても、シュウとて居場所のわからない人間を迎えに行ける筈がない。
マサキは疑っているようだったが、これまでの親切の押し付けは全て偶然の産物によるものである――確かにレーダーにサイバスターの反応を見付けては、距離を詰めて様子を窺ったりはした。けれどもシュウがした小細工などその程度。そもそも策を弄そうにも、妙なところで勘の鋭い彼は、GPSなどといった探知機を取り付けられようものならすぐさま見抜いて破棄してしまう。
シュウは途方に暮れた。壊滅的な方向感覚の持ち主であるマサキに、目印を訊ねても碌な答えが返ってこないのはわかりきっている。と、なると取れる手段はひとつ。シュウは「腹が減った」と愚痴ているマサキに少し待つように伝え、椅子から立ち上がった。
床に魔法陣を展開する。気配察知の魔法は、シュウぐらいの魔力の持ち主であればラングラン全土を標的にすることが出来る。シュウは自身を中心に、少しずつ範囲を広げていった。特徴的なマサキの|気《プラーナ》は雑多な気配の中にあっても一瞬で捕捉出来る筈だ。
だというのに。
いつまで経っても一向にそれらしい気配を捉えられない事態に、嫌な想像が駆け巡る。シュウは術を中断し、デスクに戻った。マサキ。とエーテル通信機に呼びかける。「ラングラン国内にはあなたの気配がないようですが」
「やっぱり」
わかっていたと云いたげな口振りに、シュウは額を押さえた。流石に国外に出られてしまっていては、シュウひとりで出来ることにも限度がある。特に軍に姿を見られようものなら、外交問題に発展しかねない。
「さっき追いかけてきた連中が着てた軍服に見覚えがあってな。多分、バゴニア正規軍のもんじゃないかって」
「バゴニア正規軍」
「多分、その辺をうろちょろしてればジノに会えるような気はしてるんだが」
「その予感が外れる方に一億クレジット賭けてもいいですよ、マサキ。あなたの方向音痴は幸運を遠ざける仕様になっているようですから」
「だったら早く迎えに来いよ。本当に腹が減った」
「わかりましたから、絶対にそこから動かないでください。半日以内には必ずどうにかしてみせます」
シュウは即座に情報局への|専用通信回線《ホットライン》を開いた。
「何よ。いきなり……」
「どこかの誰かさんが迷っているようですが」
「何であなたがそれを知ってるの!? もう三日になるのよ。本当にもう……」
幸い、身体が空いていたようだ。すぐさまに通信に応じてみせた従妹にここまでの事情を話して聞かせれば、こうしたことは初めてではないらしい。全く、マサキと来た日には――と、溜息混じりの言葉が返ってくる。
「迷うなら国内だけにしてくれって、あれほどきつく云い含めておいたのに!」
どうやら外交カードとしてサイバスターを使われてしまっているようだ。セニア曰く、マサキがバゴニアに迷い込む度に、外交部が右往左往する事態になっているのだとか。
「そういった事情だとすると、私はここで手を引いた方が良さそうですね」
「そうして頂戴。後はあたしが何とかするから」
転んでもただでは起きないバゴニア――と、苦々しい表情で云い放ったセニアは、そう云って、シュウにマサキの救出を約束すると、早速、関係各所に働きかけを行ったようだ。
かくて、数時間という猛スピードでラングランに取り戻されたマサキは、シュウが後に彼から聞いたところによると、一ヶ月ほどセニアに扱き使われたらしかった。
けれども転んでもたたでは起きないのはシュウも同様。だからお前に頼んだのに。と、口をへの字に曲げて抗議の意を示すマサキに、シュウはきっちりと今回の恩の礼を請求したのだった。
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