一緒に住み始めたばかりのシュウマサは、また改めてきちんと書きたいと思います。
<雪>
ラングランに今年初めての雪が降った。
窓枠にうっすらと積もる雪。ニュースによれば現在の積雪は六センチであるらしい。豪雪地帯に比べれば、雨に毛が生えた程度の量であるが、これでも温暖な気候が当たり前なラングランでは驚異的な量だ。
シュウは視線をリビングに戻した。|空調《エアコン》は効いてはいるが、物足りないようだ。足が寒いと云いながら、マサキがブランケットに包まっている。その脇では彼の二匹の使い魔が、チカを追いかけ回しながら上へ下への大騒ぎだ。
「先ずは羽を毟るところからニャのね!」
「次は砂で揉むんだニャ!」
「なんで調理前提!? あたくし観賞用ですよ!」
やめてやめてと喧しいチカが、安全な逃げ場を求めてシュウの肩に飛んでくる。だが、臆することのないシロとクロには逆効果であるようだ。二匹揃ってシュウの膝の上に飛び込んでくると、チカに向かって両手を挙げる。
猫の本能で狩りをしているのだろう。爪が飛び出た四つの手。シロとクロの攻撃から顔を逃がしながら、シュウはチカを横目に捉えた。
「ああッ!? その目は、あたくしにどいて欲しいと望んでいる目!」
「当たり前でしょう」
シュウはチカを掴んだ。そして、そのまま前方へと放り投げた。
あんぎゃあああああ。と、声を上げながらも、自身が鳥であることは忘れていなかったようだ。棚にぶつかる直前でふわりと宙を舞ったチカが、今度は天井の桟の上へと逃げ込んでいく。直後、卑怯ニャ! と、シュウの膝から降りたシロとクロが、届かぬ獲物にリビングの床の上を跳ね回った。
「その辺にしておけよ」
のそりと立ち上がったマサキが、ブランケットごとシュウの膝の上に乗り上がってくる。
それを目にして、潮時だと感じたようだ。気まずそうな表情を浮かべたシロとクロがテーブルの下に潜り込む。視界から天敵の姿が消えたことで、チカもようやく安心したようだ。桟の上で毛づくろいを始めた。
「あなたも彼らのように動き回ればいいのでは?」
シュウは顎の下に頭を潜り込ませているマサキに目をやった。柔らかく細まった瞳が、彼の満ち足りた気持ちを代弁しているようだ。
「雪ではしゃぐのは子供だけだろ」
「去年、何度あなたと雪合戦をしたことか」
「煩えな。いちゃつくぞ」
「どうぞ」
シュウはブランケットの上からマサキの身体を抱き締めた。
寒くなると人の温もりが恋しくなるらしい。この時期のマサキはよくシュウに甘えてくる。まるでそれこそが、自分を満たす唯一の手段だとでも思っているかのように。
「雪を眺めながらこうして過ごすのも、悪くないよな」
天井にチカ、テーブルの下にシロとクロ。そして、膝の上にマサキ。心地よい重みを全身で受け止めながら、シュウは思った。呆気ないほどに安い幸福だが、世界中の宝物を集めても敵わないほどの価値がある。
「今年は何回、あなたと雪合戦をするのでしょうね」
シュウはマサキの顔を覗き込んで、ただそうっと笑いかけた。
<はじめての>
<はじめての>
やる。と、マサキが手を出した瞬間、シュウは微かな感心を覚えずにいられなかった。
今日は地上の暦でバレンタインだ。
マサキにチョコレートを要求したのはシュウ自身であったものの、何せ大雑把な性格である。ささやかな願いなどとうに忘れてしまったことだろうとシュウ自身思っていただけに、目の前に現れたギフトボックスに驚きを禁じ得ない。
「これはどうも」
シュウはギフトボックスを手に取った。
恐らくはプレシアに手伝ってもらったのだ。スモークピンクのリボンがかけられたココア色のギフトボックス。直ぐに中を開いて覗いてみたい衝動に駆られるも、それはあまり品の良い振る舞いではない。
「開けてもいいですか?」
シュウは軽く息を吸い込んでマサキに尋ねた。
「ああ、いいぜ」
どことなく気恥ずかしそうな表情。それでもきっぱりと開けていいと口にしたマサキに、シュウはギフトボックスをリビングに持ち込んで、テーブルの上に置いた。中を見たくて堪らないのに、開けてしまうのが勿体ない気もする。
けれども背後にシュウの様子を窺っているマサキがいる以上、開けない訳にはいかない。
シュウはリボンに指をかけた。中に入っているチョコレートはどういったものなのだろう? 様々に想像しながら、リボンを解いて箱を開く。
「どう……だよ」
消え入りそうな声は、彼が少なからず中身のチョコレートに関わっているからなのだ。
シュウはマサキを振り返った。ココアに粉糖、カラースプレーをまぶした三種のトリュフチョコレート。ギフトボックスの中に山盛りになっているチョコレートに、自然と笑みが零れる。
「これはあなたが?」
「そう、だよ。悪いか」
「悪いなどとは云っていませんよ」
シュウはマサキに手を伸ばした。
喜びで胸がどうにかなってしまいそうだ。その気持ちのまま、マサキの身体を掻き抱く。
「有難う、マサキ」
「う、うん……」
こういった反応は予想していなかったようだ。腕の中でマサキが身体を硬くする。
シュウはそうっと手を離した。
戦闘時に於いては、豪快な面を発揮するマサキではあったが、対人関係に於いては、ノミの心臓のような繊細さを発揮したりもする。特にシュウと付き合い始めてからのマサキはそれが顕著だ。目を合わせるのですら恥ずかしがることも珍しくない。
――きっと初めて自分からチョコレートを贈るバレンタインに緊張しているのだ。
シュウはギフトボックスから、ココアがまぶされたトリュフチョコレートを一粒取り出した。定番且つシンプルな手作りチョコレートではあったが、口の中に含めば、じんわりとした甘みが広がる。
ふわりと溶けてゆくチョコレートの優しい甘み。これをマサキが作ったのだ。胸に広がる実感が、シュウの心を洗い流してゆく。
「美味しいですよ」
瞬間、安堵したようなマサキの表情がマサキの顔に広がる。
「良かった。チョコレートを作るのは初めてだったからよ。お前の口に合う味になったかが心配でさ」
「気に入りましたよ、とても」
シュウは再度、マサキの身体を抱き締めた。
ジャケットの大きさに誤魔化されてしまいそうになるが、マサキの身体は細い。きちんと鍛えているだけあって締まっているはいるものの、シュウの腕にすっぽりと収まる程度の幅。この小さな双肩に世界の命運がかかっているのだと思うと、言葉にならない感情が湧き上がってくる。
「キスをしてもいいですか」
シュウが尋ねると、まだスキンシップに慣れていないようだ。う、ん。と、躊躇いがちにマサキが頷く。
「なら、目を閉じて」
「うん」
シュウはマサキの頬に手を置いた。
顔を上げさせると、ぴくりと肩が震える。
普段のマサキからは見られることのないしおらしさ。それがいじらしく感じられて仕方がない。溢れ出る愛おしさのままにマサキの口唇に口唇を重ねていったシュウは、ようやく獲得した幸福をただただ深く噛み締めた。
<実感>
<実感>
突然、瞼の上に眩い光が降ってきた。
抗い切れない明るさに、眠りを貪っていたマサキは仕方なしに目を開いた。
ベッドの脇、窓辺に立つシュウがカーテンを開いている。昨日夜更けまで読書に耽っていた割には元気なことだ――と思いながら、寝癖混じりの髪を掻きつつ起き上がる。気配が動いたことで気付いたようだ。カーテンを開ききったシュウがマサキを振り返った。
「起きたのですね、マサキ」
「起きるだろ、そりゃ……」
昨日は引っ越しだった。
シュウと決めた新しい我が家。荷物を運び込み終えたところで力尽きたマサキに、シュウは笑ってこう云った。これからはずっと一緒なのですから、焦ることはないでしょう。
荷解きの終わっていない段ボールの山は寝室まで浸食していたが、気にする素振りもみせなかったシュウに訝しむ思いもあったが、それは、シュウがこれから始まるマサキとの暮らしに大きな期待をしているからでもあるのだろう。身が引き締まる思いに捉われたマサキは、のそりとベッドを出てクローゼットを開いた。
僅かな衣類を出すのが精一杯だった昨日の残滓。隙間の多いクローゼットの中身が先の長さを物語っている。
「早く荷物を片付けねえとな。この状態は落ち着かねえ」
「その前に軽くジョギングをしませんか」
「お前、本当にマイペースだよな」
日課のトレーニングを休んで荷解きとはいかないようだ。几帳面なシュウからの提案に迷う気持ちもあったが、思うように片付かない家に対する鬱憤も溜まっている。気晴らしにジョギングもいいだろうと僅かな衣類の中からトレーニング用の服を出したマサキは、身軽な格好でいるシュウが見守る中、着替えを済ませた。
「こういうのも当たり前になっていくのかねえ」
「勿論でしょう。これからはずうっと一緒、なのですから」
一緒に住もうと提案してきたのはシュウだった。
自分の許にマサキが通い続ける状態を非合理的だと感じたのだという。尤もだとはマサキも思うも、何年も長い春を続けた末の|提案《プロポーズ》である。今更感は拭えなかったが、通う手間が省けるのは素直に有難かった。
どの道、マサキ自身もいずれはと考えていたのだ。ただ、それをいつにするかを決めかねていただけで――……。
プレシアが嫁いで数か月が経ったのも、決断を後押しした。きっとシュウも同じ思いでいたのに違いない。あなたをひとりにしておくのは、何かと不安ですから。と、結婚指輪のつもりであるらしい。プラチナのペアリングをマサキの指に嵌めてきながら、生活能力に乏しい割には堂々と宣ってくれたものだ。
「どこを走るんだよ」
「川辺の遊歩道から公園まで」
「本格的に走る気だな、お前」
「トレーニングですからね」
街のはずれに構えたふたりの家で、今日から始まる新生活。
こうしてふたりでひとつづつ、新たな習慣を積み上げてゆくのだろう。陽射しを受けて眩く輝くシュウの穏やかな笑顔に目を細めながら、マサキは当たり前のようにシュウが隣に立つこれからの生活に思いを馳せた。
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