今年のバレンタインも短編でお茶を濁します。
<Miss Valentine.>
そろそろそういった時期になるのだと思っていた矢先のマサキの来訪に、期待を感じなかったといえば嘘になる。とはいえ、不器用な割に手作りに拘る性質だ。今年も穏便には済まないだろう――と、目の前に立ったマサキにシュウが身構えた刹那、「口を開けろ」と暴虐にも限度がある命令が飛んできた。
「先ず、何を隠し持っているのか教えなさい」
両手を後ろに隠しているマサキに嫌な予感が駆け抜ける。シュウはマサキの手に掴まれている物体を確認しようと顔を覗き込ませた。しかし、|敵《マサキ》もさる者。さっと身体を動かすと、自身の両手をシュウの視界から隠してしまう。
「いいから口を開けろ」
「いいえ。後ろに隠しているものを出してからですよ」
「いいから口を開けろ」
「隠さずにいられないものを口の中に放り込むなど、蛮行にも限度があると思いませんか、マサキ」
「いいから口を開けろっつってんだよ!」
「いえ、ですから――」
云い終わらぬ内にマサキが後ろ手に隠していた『何か』を口の中に突っ込んでくる。
甘い。舌が溶けそうな甘さにシュウは咽た。味は間違いなくチョコレートだが、テュッティが好みそうなぐらいに甘い。シュウは眉を歪めながらチョコレートと思しき物体を舐めた。気の所為だと思いたいが、砂糖の粒を想起させるじゃりじゃりとした歯触りがする。あまりの甘さに困惑しつつ、マサキを見上げれば「どうだよ」と、何とも表現し難い表情で味を尋ねてきた。
「甘いですよ」
「だよな」
「何をどうしたらこんなに甘くなるんです」
「テュッティが『今年は私が手伝うわ』って、云ってきかなくてよ……」
「その物体を私の口の中に躊躇わずに押し込んでくるあなたも相当ですが」
シュウは僅かに残った砂糖の塊のようなチョコレートを飲み込んだ。そして、テーブルの上にあるティーカップを取り上げ、紅茶で口を漱いだ。ストレートティーですら消すことの出来ない甘味が、舌の上から喉の奥にまでこびりついている。
「違うんだよ。ちょっと……その、形を作るのに失敗しちまってよ……」
シュウは続けて紅茶で口を漱いだ。心なしか口内の不快感が和らいだ気がするが、あくまで誤差。正常な味覚が取り戻せるまでには、まだまだ時間が必要だ。
「何から何まで失敗した物体を私に食べさせなくともいいでしょうに」
「だってよ、勿体ねえじゃねえかよ。折角作ったのに」
だからこそ、恨み言をマサキにぶつけてみれば、この返しである。
どうもマサキ=アンドーという人間は、食べ物を無駄にするのが耐えられない性質であるらしい。ふたりで食事をしてもそうだ。作り過ぎた料理もひとりで全部片づけてしまう。彼曰く、日本人の性であるらしいが、その精神性に則って自分で片付けようとは思わなかったのだろうか。
「ひとつ尋ねたいのですが」
「何だよ」
「自分で食べるという選択肢は」
「味見で散々食った。もう向こう三か月、チョコレートはいい」
成程。と、シュウは頷いた。
味見で懲りた結果、残ったチョコレートの勿体なさをシュウで晴らそうという算段であったのだろう。だが――と、シュウはマサキが手にしているギフトボックスを見た。中にはまだチョコレートが何粒か残されている。これを全て食べさせられるなど耐え難い拷問だ。
「奇遇ですね。私も同意見ですよ。もう暫くチョコレートは」
「まだ、あと四粒ぐらいあるんだがな」
「私をどうしたいのです、あなたは」
「バレンタインじゃねえかよ。俺が頑張ったんだぞ」
「わかっていますが」
シュウはマサキの顔をまじまじと見詰めた。何が何でも全部食わせるという鋼の意志を感じさせる強い眼差し。これはもう、不意打ちを食らわせてでも食べさせる気だ。覚ったシュウは手のひらをマサキに差し出した。わかりました。と、ギフトボックスを受け取る。
「何処に行くんだよ」
「キッチンですよ。確か、栄養補給用に買っておいたチョコレートがこの辺りにあった筈」
シュウは戸棚の中に仕舞い込んでいたカカオ90%のチョコレートを取り出した。
「何をするつもりだよ」
「このままでは食べきれないでしょう。溶かしてこのチョコレートと混ぜますよ」
「えー……」マサキが不服そうな表情を浮かべる。「俺が作ったのに」
「テュッティが、の間違いでしょう」
シュウはボウルに湯を張った。
それでも不満が残るのだろう。小さな呻き声を上げながら、湯せんでチョコレートを溶かし始めたシュウに、マサキが「形を作ったのは俺なんだがな」と愚痴る。
「球体にしたかったあなたの努力は認めますよ。とはいえ、この甘さは身体に良くないでしょう。まあ、偶には私からのチョコレートも悪くないでしょう。違いますか、マサキ」
「しかしだなー……」
「私の手作りのチョコレートなど、滅多に食べられるものではありませんよ」
その台詞にようやく納得がいったようだ。わかった。と頷いたマサキが、カウンター越しにシュウの前に陣取る。どうやら完成まで見守るつもりでいるようだ。まるで母親が料理の支度を終えるのを待つようなマサキの態度に微笑ましさを覚えながら、シュウは彼が好みそうな味にチョコレートを整えていった――……。
※ ※ ※
それから一時間ほど。
※ ※ ※
それから一時間ほど。
オレンジリキュールに生クリーム。そして大量の90%カカオチョコレートで味を調えられた上からカカオをまぶした生チョコの完成に、喜び半分、口惜しさ半分といった表情でいたマサキだったが、食べてみると味の違いが良く理解出来たようだ。来年は頑張るよ。と、決意を新たにした様子で生チョコを頬張っていたのだとか。
<恋人になってから>
<恋人になってから>
好きだの愛しているだの、付き合ってくれだのと告白を繰り返してきたシュウに、俺が根負けしてから三か月が経った。
とはいえ、何かが決定的に変わることはなかった。
キスもなければハグもない。当然、それ以上などある筈もない。強いて云えば、自主的に顔を合わせる回数が増えたぐらい。変わることのないシュウとの関係に、俺は安心したような、それでいて拍子抜けしたような気持ちでいた。
「チョコを寄越せ?」
その矢先に、奴から持ち掛けられた提案。
――バレンタインにチョコレートをくれませんか、マサキ。ああ、勿論、私からもチョコレートを差し上げますよ。
地上と風習を異にするラ・ギアスにバレンタインという行事はなかったが、俺たち地上人の間では恒例行事と化していたからだろう。それをどこかから伝え聞いたのか。それとも地上に出ていた際に知ったのかは不明だが、日頃、研究三昧な生活を送っていても、恋人らしいイベントには食指が動くようだ。バレンタインのチョコレートを俺から欲しいと云い出したシュウに、けれども俺は途惑いを隠せなかった。
「チョコって、あのチョコだよな」
「他にどういったチョコがあるのか知りませんが、私が云っているのは食べ物、若しくは飲み物のチョコレートですね」
「だよな。俺も他にチョコレートって呼ばれる物体は知らねえ」
俺は宙を睨んだ。
代わり映えのしない表情は、本気度を覚らせない。
シュウはいつだってそうだ。俺に愛の言葉を囁く時ですら余裕然とした態度を崩さない。だから俺は、ずうっと自分が揶揄われているのだと思っていた。今にしてもそうだ。恋人らしいことを何ひとつせず、バレンタインのチョコレートを欲しがるなどあっていいものか。今どきの小学生にしたところで、もっと上手く立ち回るだろうに。
「ええっと……確認するが、お前、本気で俺からのチョコレートが欲しいんだよな」
「ええ。でなければわざわざ催促しもしないでしょう。そもそも、云わなければ、あなたは私に何もくれなさそうですし」
「そりゃまあ。お前がチョコレートを欲しがるとは思ってないしな……」
そもそも、バレンタインの前に、この男は一番のイベントであるクリスマスをスルーしているのだ。前日になっても、誘いの言葉ひとつない。まさかまさか。俺は盛大に捻くれた。恋人とは何だ? そんなことを考えながら、ベッドの中でうつうつとした時間を過ごすくらいには。
だから後日、何をしていたのか尋ねてみれば、仲間とささやかなパーティをしていたのだという。確かに俺も、何も云われないものだから、仲間とパーティに明け暮れていたが、以前とは関係が異なっているのだ。何かひとことぐらいはあって然るべきだろうに。
「云っておきますが、私はあなたから貰えるチョコレートが欲しいのですよ」
「そのぐらいはわかってる」
「本当でしょうか」
シュウの揶揄い混じりの声に、俺は頬を膨らませた。
「わかってるっつうの。幾ら俺だって、お前と付き合ってる自覚ぐらいある」
「本当に?」
不意にシュウの顔が目の前に近付いてくる。俺は焦って、腰を引いた。
隙のない整い切った顔立ちは、まるで良く出来た彫刻のようだ。俺は俺が容姿的な意味で格好いいことを疑わない人間だが、その俺をしてもたじろがずにいられない美しさ。近くで目にするのには勇気が要るシュウの顔に、迫力負けした俺は視線を逸らした。
情けない。
何で俺が、こんな風に胸の鼓動を高鳴らせないとならないんだ。
不条理な感情に怒りが込み上げてくる。ああ、そうだ。俺はこいつに絆されて付き合うことを了承した筈だった。だのに、これでは――まるで、俺が……まるで……俺の方がシュウを意識しているみたいじゃないか!
「残念」直後、頭上から声が降ってくる。「少しは私に馴れてくれたかと思っていたのですが」
「なんだよ、それ。動物じゃあるまいし」
「そうでしょうか。私といるあなたは緊張しているように思えますよ」
「それはないな」
俺は視線の先にあるシュウの胸を押し退けた。奴と顔を合わせる度、気恥ずかしくて仕方がない思いをしているのを覚られたくない。その一心で、熱くなった頬を冷まして顔を上げる。
「照れているの、マサキ」
「照れてない」
「本当に?」
ほんの少しだけ俺より上背の高いシュウが、俺を余裕たっぷりに見下ろしている。
――もしかすると、こいつは色々なことを先に進めるのを待っているのかも知れない。
何故かはわからないがそう感じた俺は、クリスマスのことをまた思い出した。俺は俺を口説き続けたシュウが誘ってくるのが当たり前だと思っていたが、奴からすれば『自分に馴れていない恋人』だ。俺が誘ってくるのを待っていた可能性もある。けれども、俺はそれをシュウに確認することが出来ないまま、「チョコレートを楽しみにしていますよ、マサキ」悠然と微笑んでみせるシュウの顔に見蕩れるしかなかった。
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