やり場のない怒りをぶつけられるテュッティとヤンロンを書こうと思ったら、ひたすらヤンロンが勝ち誇る話になりました。
私が書くヤンロンは何かおかしい。性格が。でも人間、ちょっとぐらいは意外性があった方がいいんじゃないかな、などと思ったり。
<兵どもが夢の跡>
「どういう教育をしているのです」
と、シュウが口にした瞬間、テュッティはこう云い返さずにいられなかった。
「その格好で云っても説得力はないわね」
王都の裏通りにある喫茶店。赤茶けたレンガを積み上げて造られているこじんまりとした建物だった。通りに面した壁にカーテンのかかった小窓が並ぶ。クラシカルな外観の喫茶店に足を踏み入れれば、薄暗い店内にはジャズが流れていた。
カウンター席とボックス席を合わせて30ほどの席がある店内を、球形の吊るし電球が淡く照らし出している。
黒い柱にクリーム色の壁が如何にも喫茶店らしいオーソドックスな造り。カウンター脇の書棚には読み込まれた雑誌が詰め込まれ、寛ぎの空間を作り上げのに一役買っている。テュッティが普段通っているオープンテラスを擁すような店とは全く趣の異なる店は、店主の拘りによって作り上げられた城と呼ぶに相応しい雰囲気に満ちていた。
その最奥にあるボックス席にて、テュッティはヤンロンとともにシュウと向き合っていた。
シュウの隣には、彼に凭れて眠っているマサキの姿。時々、軽い鼾が聞こえてくる辺り、どうやら深い眠りの中にいるようだ。
マサキが寝ている理由はわからない。シュウに呼び出されたテュッティが、こちらも同じくシュウに呼び出されたヤンロンとともに駆けつけた時には既にこうだった。
気安く他人に触れるような性格ではないマサキが、こうして誰かに心置きなく凭れている姿などそう目に出来るものでもない。マサキの姉を自称するテュッティは、当然のことながらそれが特異な状況であることに気付いていたが、果たしてヤンロンはどうなのだろう。テュッティは極限まで砂糖を投入した紅茶のカップを取り上げて口に運びながら、ちらとその横顔を窺った。
「こういう格好だからこそ云っているのですよ」
「今更マサキに寄りかかられたぐらいで眉間に皺か。お前も大概潔癖なようだな、シュウ」
「そのことについて話をしたい訳ではないのですがね」
「なら、何の話をしたいというんだ。そこで寝ているマサキに問題があるとして、それが僕らの教育の仕方にどう関わってくる? お前の話はいつも結論からだ。先ずは順序だてて説明しろ。話はそれからだ」
いつもと変わりのない無表情。堅物を地で往くヤンロンの表情が変わることは滅多にない。それなのに口達者ときている。シュウもそういった気質の強い人間なだけに、ふたりが向き合っている状況は地獄絵図と呼ぶより他ない。
「勿論、そうしますよ。丁度、こちらに来る用事があったので、ついでとマサキを呼び出したのですよ。話をしたいこともありましたしね。ところが店に入って五分も経たない内にこれです。声をかければ起きていたのは三回まで。今ではすっかり夢の中ですよ。だから私はあなた方に尋ねているのです。どういった教育がこうした結果を齎すのかと」
「順を追って説明してくれたのはわかったわ。でも、あなたが何を云いたいのかは相変わらずさっぱりなのだけど」
テュッティは首を傾げた。
寝る子は良く育つという金言の通り、育ち盛りな時期にあるマサキは実によく眠る。急場にあってはその限りではなかったが、普段の睡眠時間はきっちり八時間。家で過ごす日ともなろうものなら、これに加えて三時間ほどの昼寝の時間が加わる。
それだけではない。どうかすると食後にうたた寝を始める。ソファに座ろうものなら五分と経たずに船を漕ぎだす。暇さえあれば寝ることに注力し出すマサキに理由を尋ねても、とにかく眠いとしか答えない。だからといって、すべき時にすべきことをこなせない訳ではない。戦場に立てば、立派な牽引役として部隊を引っ張ってみせる。だからテュッティはそれが少年期によくある光景なのだと寛容に受け止めていた。
「おめでたいですね、テュッティ」けれどもシュウは納得がいっていないようだ。テュッティの返しに見下すような視線を向けてくると、「他人と会っていながら、その最中に眠る。これ以上の無礼がどこにあったものか」
「だからって私たちを呼ぶのは間違っていないかしら。それはマサキ自身の問題でしょう」
どうやらシュウは自分と会っていながら、マサキが寝てしまったことに腹を立てているらしい。しかし本人にその感情をぶつけるのは躊躇われたのだろう。だから八つ当たりの先を求めて、マサキを監督する立場にあるテュッティとヤンロンを呼び出した……。
とんだとばっちりだわ。シュウの冷ややかな眼差しに射抜かれたテュッティは、まともに視線を合わせることを避け、ヤンロンの方へと視線を逃がした。
「むしろその席順はどういったことなのかと、僕としては訊きたいところだがな。ボックス席でどうやったらその並びで座ろうと思えたものか」
その矢先にヤンロンが何の感情も感じさせない平易な声で云ってのけたものだから、テュッティとしては驚くより他なく。
「あなた時々、ストレートに物を訊くわよね、ヤンロン」
「状況を明瞭りとさせずに進められる話でもないだろう」
澄ました顔をして珈琲を啜るヤンロンに、実は彼は確信的に云っているのではないかと思いつつも、それを指摘出来るような強い心臓を有している訳でもない。テュッティは肩を竦めてシュウに向き直った。そして、敢えて突っ込まずにいたものを、ヤンロンがわざわざ指摘してしまった以上は云わずに済ませられる話でもない――と、口を開いた。
「大体、マサキが矢鱈と寝るのはあなたの所為ではないの、クリストフ」
ボックス席に横並びに座る程度には、マサキがシュウに気を許しているという事実。それが意味するところはひとつだ。ヤンロンにしてもそれを直接的に指摘するのが憚られたからこそ、席順に言及するだけに留めてみせたのではないか。
「私は確かにつまらない人間ですがね、呼び出しに応じた人間を寝かせてしまうほど、気配りの出来ない人間でもありませんよ」
だのに普段は人の心の機微に長けている筈のシュウは、自分が置かれている状況に余程腹が据えかねているのか。表面上は冷静であるように映るのにも関わらず、よくよく聞けば混乱甚だしい台詞を吐いてくる。
「……わざとやってるのか、これは」
「……違うのよ。多分、腹を立て過ぎて、私たちの言葉の意味がわからなくなってるのよ」
「それは滑稽だ」状況を把握したヤンロンが悪魔的な笑顔を浮かべる。「お前にも欠点があったんだな、シュウ」
今にもわははと声を上げそうなぐらいの満面の笑み。それにシュウが面白さを感じる筈がない。眉を顰めただけではあったものの、抗議の意思がありありと窺える表情となったシュウに、何だか長くなりそうだわ――と、テュッティは宙を仰がずにいられなかった。
※ ※ ※
それから一時間余り。
シュウの長くくどい嫌味と、それを煽り散らかすヤンロンの皮肉に付き合わされ続けたテュッティは、ようやく目を覚ましたマサキの「……お前の所為だろ」というひと言で正気に返ったシュウに、自分は何に付き合わされたのかと疑問を抱きながらも、ようやく解放を得られた我が身にただただ喜びも露わに。
シュウとマサキのふたりを喫茶店に残し、シュウを遣り込められたことで上機嫌なヤンロンを伴って、行きつけのスイーツが美味しい店へと向かったのだった。
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