仕事がこれから最大の山場を迎えようとしているゆりさん。既に繁忙期ではあるのですが、更なる繁忙期を迎えるにあたって、勤務時間が30分伸びることとなりました。
何とか頑張って更新時間を作り出そうとは思っていますが、なにぶん、これから週6勤が続くので、必ず出来るとお約束出来ないのが辛いところ。もっと私が文章を作るスピードが早ければなあ。
と、いったところでレスなのです!
何とか頑張って更新時間を作り出そうとは思っていますが、なにぶん、これから週6勤が続くので、必ず出来るとお約束出来ないのが辛いところ。もっと私が文章を作るスピードが早ければなあ。
と、いったところでレスなのです!
>>Hedgehog's dilemmaという理論を聞いたことがあります。
ほう?
>>寒い中、ハリネズミの群れが互いに近づいて熱を分かち合おうとする様子を描いている。しかし, 鋭いとげで互いに傷つけ合うことは避けられないので, 離れていなければならない。
へえー! 面白い話ですね! と、いうことで調べてみました。日本語だと「ヤマアラシのジレンマ」になるようですね。ドイツの哲学者であるアルトゥール・ショーペンハウアーが作った寓話が元となっているようで、心理学で取り扱われることもあるようです。(一応、@kyoさん臨床心理士を目指して心理学を学んでいた時期があったのですが(学士分の必要単位は取得済み)、寡聞にして存じ上げませんでした。申し訳ない……)
https://fashionbox.tkj.jp/archives/1299620
もし興味を持たれた方はこちらもどうぞ!
>>シュウマサは恋愛関係を築くという共通の意図を持っているにもかかわらず、避けられない理由によって、このようなことは起こらないかもしれない。
これは「起こるかも知れない」ですかね? 恐らく。
そうですね。立場の異なるふたりは、同じ事象に対してそれぞれの立場で立ち向かっていきます。そこには譲れない信念があり、譲れない誇りがある。だからこそ、例え相入りたい気持ちがあったとしても、対立が避けられなくなることもあるでしょう。
それは恋愛関係に於いても同様ですね。
立場の違い故に、譲れない信念故に、傷付ける意図はなくとも傷付けざるを得ない。そうして、距離を取らざるを得ない。まさにヤマアラシのジレンマですね。
>>この理論はあなたの書かれたものと少しずれているかもしれませんが、私はあなたの文章を読んでいるうちにそれを思いつきました。
いえいえ、言い得て妙だと思いますよ!
私が書く彼らは「譲れないものは譲れないものとして、自らの心の中に有している」人たちです。ぶっちゃけシュウマサを書いていると、「公式の彼らはこんなことはせんだろ」と思うことが多々ありますが、そう思うからこそここだけは失わせられないとも考えています。
彼らが有している信念までもを失わせてしまったら、私の書く彼らは、「名前を借りただけのただの別人」になってしますよね。だからこそ、ここだけは絶対に変えないようにしています。
そういった理由から、お互いとの距離を詰めようとする彼らは、依存するような関係にはなれませんし、時に些細なひと言に傷付き合う関係になってしまいます。これは仕方のないことです。彼らが望む関係を構築し、続けていく為には避けられないプロセスであるのですから。
シュウマサに限らず、人間関係というのはそういうものであると思っています。距離を近くしたいと望む相手との付き合いは、生まれも育ちも考えも違う他人だからこそ、時に傷付き合うことが避けられない。そうして傷付き合いながら、藻掻き合いながら、更には赦し合いながら、関係の深みを増してゆく。
きっと、人間関係というものは、距離感で量られるものではなく、深みで量られるものであるのでしょう。
私がシュウマサにお互い自立した関係であることを望んでいるのは(そしてそれが作品に大きく反映されているのは)、上記の通り、彼らが有している立場に対する誇りを失わせたくないという理由からです。そうである以上、距離を近くすれば、傷付き合うのは必然。そこを読み取って頂けたようで有難い限りです。
>>そうやってお互いに探り合って、最後にうまく距離を取っていくというストーリーが素晴らしいと思います。
先程の話の続きとなりますが、だからこそ彼らの関係性は、自己を保持したまま深みを増してゆくのです。お互いに独立したひとつの人格として尊重し、妥協点を探り合い、譲れないものは譲れないものとして残しておく。理想にはまだほど遠くもありますが、そうした点をお褒めいただけこと、本当に有難く受け止めています。
感想有難うございました!
その他ぱちぱちも感謝しております!
この繁忙期に文章を書き続けていられるのは皆様のお陰です。
お返し出来るように頑張りますので、これからも宜しくお願いいたします。
ではでは!ヽ(´ー`)ノ
.
ほう?
>>寒い中、ハリネズミの群れが互いに近づいて熱を分かち合おうとする様子を描いている。しかし, 鋭いとげで互いに傷つけ合うことは避けられないので, 離れていなければならない。
へえー! 面白い話ですね! と、いうことで調べてみました。日本語だと「ヤマアラシのジレンマ」になるようですね。ドイツの哲学者であるアルトゥール・ショーペンハウアーが作った寓話が元となっているようで、心理学で取り扱われることもあるようです。(一応、@kyoさん臨床心理士を目指して心理学を学んでいた時期があったのですが(学士分の必要単位は取得済み)、寡聞にして存じ上げませんでした。申し訳ない……)
https://fashionbox.tkj.jp/archives/1299620
もし興味を持たれた方はこちらもどうぞ!
>>シュウマサは恋愛関係を築くという共通の意図を持っているにもかかわらず、避けられない理由によって、このようなことは起こらないかもしれない。
これは「起こるかも知れない」ですかね? 恐らく。
そうですね。立場の異なるふたりは、同じ事象に対してそれぞれの立場で立ち向かっていきます。そこには譲れない信念があり、譲れない誇りがある。だからこそ、例え相入りたい気持ちがあったとしても、対立が避けられなくなることもあるでしょう。
それは恋愛関係に於いても同様ですね。
立場の違い故に、譲れない信念故に、傷付ける意図はなくとも傷付けざるを得ない。そうして、距離を取らざるを得ない。まさにヤマアラシのジレンマですね。
>>この理論はあなたの書かれたものと少しずれているかもしれませんが、私はあなたの文章を読んでいるうちにそれを思いつきました。
いえいえ、言い得て妙だと思いますよ!
私が書く彼らは「譲れないものは譲れないものとして、自らの心の中に有している」人たちです。ぶっちゃけシュウマサを書いていると、「公式の彼らはこんなことはせんだろ」と思うことが多々ありますが、そう思うからこそここだけは失わせられないとも考えています。
彼らが有している信念までもを失わせてしまったら、私の書く彼らは、「名前を借りただけのただの別人」になってしますよね。だからこそ、ここだけは絶対に変えないようにしています。
そういった理由から、お互いとの距離を詰めようとする彼らは、依存するような関係にはなれませんし、時に些細なひと言に傷付き合う関係になってしまいます。これは仕方のないことです。彼らが望む関係を構築し、続けていく為には避けられないプロセスであるのですから。
シュウマサに限らず、人間関係というのはそういうものであると思っています。距離を近くしたいと望む相手との付き合いは、生まれも育ちも考えも違う他人だからこそ、時に傷付き合うことが避けられない。そうして傷付き合いながら、藻掻き合いながら、更には赦し合いながら、関係の深みを増してゆく。
きっと、人間関係というものは、距離感で量られるものではなく、深みで量られるものであるのでしょう。
私がシュウマサにお互い自立した関係であることを望んでいるのは(そしてそれが作品に大きく反映されているのは)、上記の通り、彼らが有している立場に対する誇りを失わせたくないという理由からです。そうである以上、距離を近くすれば、傷付き合うのは必然。そこを読み取って頂けたようで有難い限りです。
>>そうやってお互いに探り合って、最後にうまく距離を取っていくというストーリーが素晴らしいと思います。
先程の話の続きとなりますが、だからこそ彼らの関係性は、自己を保持したまま深みを増してゆくのです。お互いに独立したひとつの人格として尊重し、妥協点を探り合い、譲れないものは譲れないものとして残しておく。理想にはまだほど遠くもありますが、そうした点をお褒めいただけこと、本当に有難く受け止めています。
感想有難うございました!
その他ぱちぱちも感謝しております!
この繁忙期に文章を書き続けていられるのは皆様のお陰です。
お返し出来るように頑張りますので、これからも宜しくお願いいたします。
ではでは!ヽ(´ー`)ノ
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