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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

眠れなくなったのでだらだら書く(すんごい毒を吐いてるよ!)
自分を好きでもない人たちと無理に付き合う必要はないよねー。



けを女の代わりにするな論ってあるじゃないですか。私もその意見には大いに頷くところなんですけど、でもなー、@kyoさんリバ駄目なんですよ。この論に頷くのであれば、「リバも大丈夫にならないと駄目なんじゃないの。所詮お前も受けを女の代わりにしてるだけだよ。同族嫌悪は止めたら?」って結論になるんですよね、いつも!!!!!

そうだよ同族嫌悪だよ、何か悪い?(開き直った)

とはいえ、気持ち的には受けを女の代わりにするつもりはないので、ガチで受け(うちの場合マサキ)が嫌がるだけの展開も書きたいと思うことがあるんですけど、ただ私のメンタルが最後まで持ちそうにないんですよね。読んでる皆様もそういうのをあまり好まない方が多そうですし、となると、これを書いても「誰もはっぴーじゃない」状況にしかならないじゃないですか。

じゃあ、やらなーい。

これが一次創作だったらやりますよ。血反吐吐いてもやります。
自分のメンタルがどうのこうのなんてのは関係ねえ。物語の設定によってはそういう展開だって起こる。起こる以上は書かなければならない。で、書き通してみせます。それが創作者の矜持ってもんでしょ。

でも私がやってるのは二次創作なんですよ。

二次創作である以上は、どこかでちゃんとブレーキ踏んで創作活動しなきゃいけないと思ってるんですよね。いや、私はR字書きというその一点で、全くブレーキを踏んでいない側の人間な訳なんですけど、だからこそちゃんと「ここまでは書くけど、ここからは書かない」のラインを決めておかないといけないなって。

男同士のセックスって綺麗事では済まない部分多いじゃないですか。時々リアル主義が顔を覗かせてくる@kyoさんとしてはそういうのも書きたくなっちゃう時があるんですけど(例えば性行為の結果、大スカが起っちゃうことがあるとかね)、でも私がやってるのは二次創作なので、そういったある種のリアリティは捨てるしかない訳ですよ。

二次創作なのだから、純然たるファンタジーでいい。というかファンタジーでなければならない。

いっぱいM男さんたちに話を聞いて書いた淫獄の宴やpiercingだって、結局はスーパーハイパーファンタジーですからね。正直、聞いた話の一割も使ってない。他の方にはまた他の創作論があるとは思いますが、でも私はこれでいいと思ってるんです。二次創作なので!!!!

一次創作だったらもっと違った展開になっているのは間違いないです。リアリティを持たせる為に、聞いた話の五割から八割くらいは間違いなく使ってる。でも私がやっているのは二次創作です。権利者が存在している作品をてめぇの好みで塗り直すっていう、権利者からしたら怒髪天を衝くぐらいの最低最悪な行為である訳ですよ。しかもそれを公開している。どんな悪漢かっつー話ですよ。

まあ稀には訴えが認められなくて権利者が負けるなんてこともある二次創作界隈なんですけど、私はその例外に自分が入るとは思ってませんからね!これだけ設定使ってて逃れられる筈がない。だからこそ、どうせ自分なんてクソ野郎なんだからとことんクソ野郎になってやろうとは思わない訳ですよ。そんなん目糞鼻糞やんって思われるでしょうけれども、クソ野郎にだって矜持はあるんですよ。その矜持からして線引きはしなければならないものです。

だからリアリティを捨てるんです。

線引きは人それぞれなので、Rを絶対に書かないということで守っている人もいれば、私のようにRの内容に線を引いている人もいるでしょう。そこに統一ルールなんてものはない訳ですが、大抵の二次創作者は、そういった自分で科した縛りの中で創作活動をしていると思うんですよね。

まあ、個人的に二次創作を創作って云っちゃうのはなんの冗談?とは思ってるんですけど。



論、二次創作とはいえども、私はそれなりに文章作法なんかを勉強した上で書いている訳ですし、だからこそ云うんですけど、舞台だのキャラだのそここそが創作の肝って部分を借りパクしておいて、創作って云っちゃうの厚かましいにも限度があると思いません?まあ、それを表に出している私は厚かましさの権化なんですけど、SNSの隆盛で二次創作界隈が表に出るようになってからというもの、その自覚すら持ってないって人が増えたなあって。ファッションでやってる部分も強くなったからか、ナチュラルに同人ゴロみたいな考えをする人も増えましたしね!!!!!自分の作品を売ることがキャラへの愛に勝ってるじゃねーか!ってなることホントに多い。

自分の愛に対価を求めるって、資本主義に毒され過ぎなんじゃないですかね???
フロムの愛するということを読め!!!

差別はいけない、みたいなふわっとした理由で、我々の人権なんて保護しなくていいですよ。
知らんけど。
我々は訴えられたらほぼほぼ負ける犯罪者集団ですよ。何が創作者だ笑わせんな。

創作界隈にはヒエラルキーというか階層があっていいんですよ。
それは訴えられたら負ける順での階層です。

一次創作
 ↓
二次創作
 ↓
nmmn

ほら、すっきりするでしょ!

一次創作者はそういった意味で胸張って生きてくださいよ。我々までもを創作者のカテゴリに組み込まなくて結構です。ちゃんとそこはわかってやってます。あなたがたに肩を並べられるほど、我々はお綺麗な存在じゃございません。自分のやっている行為が犯罪に抵触している可能性が高いのを自覚した上でやってるんです。こんな奴らを救おうと思わなくていいんです。ねえ?

権利者に訴えられたら負ける可能性が高い連中を、対等に扱う必要がどこにあるかっつー話ですよ。(nmmnの場合は本人ですし、こちらは確実に負けます。何なら一次創作でモデルを特定出来る形で書いても負けます。そのぐらい実在の人物の扱いは難しいです)見下せ!いや、いらん衝突を避けたいなら上辺は取り繕ってもいいですが、内心ではきっちり見下せ!そのくらいの気概がなきゃ一次創作やりきれませんよ!



えるということは解体の連続なんですよね。こうやって事象をひたすらに解体してゆく。そこには当然ながら自己の否定に繋がる思考も起こり得ります。人間という生き物は浅ましいので、どこかでこの思考という行為に「自己の正当化」という欲が紛れ込んでしまうのですが、その欲からの脱却こそが、学ぶという行為における本質のひとつな訳ですよ。真に学ぶということは、自然なる自己の変化と同一なるものですし!

汝、自分を愛するな。
自己は世界における事象のひとつに過ぎないと心得よ。

そういうことなんじゃないですかね。知らんけど。

字書きっつー存在は面倒臭い生き物なので、物事を複雑化しまくります。だってそうじゃないと作品が書けないので!!!!!上辺だけなぞってわかった気になっているだけじゃ、凡百な作品しか書けなくなりますからね!世に出すに値する作品が書けるようになる為には、わかった気になった先を突き詰めてゆく必要がある訳ですよ。そういった意味では、今の私の考えはこうだけれども、将来的にまた変わる可能性もある訳です。何故なら、思索という行為は、わかった気になってからが本番だからです!

同じところをぐるぐる回った先に見える光を掴み取る行為の連続。
それこそが考えるということ。

まあ、勿論、「語り得ぬものを語ってはならない」というルールはある訳なんですが……

だから皆様におかれましては、「本当にそうか?本当にそれでいいのか?」と、私が書くものを疑ってかかっていただけますと幸いです!

何故なら、それもまた学び!生きるということなのですから!



他にもいっぱい書きたいことあるんですけど、流石にもうこんな時間になったので、今日はここまで!洗濯機回しながら少しだけ寝ます!!!(二時半から起きてる)


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