きっと同じ話を何度も書くのでしょう。
今年で11年目になりました。震災のあの日から。
今年で11年目になりました。震災のあの日から。
嫌な思いをしたりもしましたが、3.11というのは、普段の付き合いというものの大切さを教えてくれた出来事でした。
仕事帰りに煙草を買いに寄っていた薬局。煙草不足の折には「入荷したら取っておきますよ。何カートン要りますか?」と、わざわざ声を掛けてくれました。
仕事帰りに野菜を買っていた食料品店。米不足の折には「お米はありますか?入荷次第になりますけど、優先してお渡ししますよ」と、こちらもわざわざ声を掛けてくれました。
どちらも今は移転して無くなってしまったお店です。
震災直後。未だ余震が激しい中。スーパーが閉まってしまい食料を調達できなくなった私の注文に応えてくれたお弁当屋さん。月に何度かお弁当を買いに行っていた店でした。
あれだけ激しい揺れの中で、油を使うことには覚悟が必要だったのでしょう。私が「できますか?」と聞くと、「できます」と腹を括った表情で、力強く頷いてくれました。
その店も今はもうありません。
トイレットペーパー不足の折に、いいよと云ったのに、わざわざトイレットペーパーを送ってくれたネットの友人。店頭からトイレットペーパーが消え、家のトイレットペーパーも無くなり、どうしようかと思っていたところに届いたトイレットペーパーに、我が家は救われました。
彼女とは今も親交があります。
震災の翌日、仕事に行くと、「これから忙しくなるかも知れないから、覚悟しておいてね」とリーダーに云われたものでした。「災害の後は親戚に物資やお金を送る人が増えるのよ」
あの時ほど、緊張感をもって仕事をしたことはありません。
この荷物を必要としている人がいる。三年近く配達を続けてきて、初めてそれを強く意識しました。震度5クラスの余震が続く中、お客様からお客様へ。託された荷物を必死に届けた日々でした。
正直、怖くはありましたけど、でも辛くはなかった日々でした。
震災直後に我が町へ避難を決めてくれた双葉町の人々。今年、ようやく双葉町は一時帰宅が出来るようになりました。
勿論、彼らが故郷に帰れるまでには、まだまだ時間が必要なことでしょう。それでも、立ち入ることすら出来なかったあの日々に比べれば、大きな前進です。
一日も早い、双葉町民の皆様の帰郷をお祈り申し上げております。
11年という歳月は、過ぎてみればあっという間。私にとっては、パソコンやデータ、人間関係など、失ってしまったものの方が多かった11年でしたが、だからといって嘆いてばかりいても始まりません。
今日という日は、残りの人生の最初の日である。
今日よりも明日。明日よりも明後日の自分の人生がより良いものになるように、日々を精一杯生きてゆくしかありません。
「二十歳まで生きれるかわからないのだから」と叔母たちに云われて育った私にとって、今の人生はおまけのようなもの。いつ人生が終わっても悔いのないように、持てる力の全てを出し切って生きねば。
それが志半ばにして散っていった、名も知らぬ誰かへの、私なりの供養なのです。
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仕事帰りに煙草を買いに寄っていた薬局。煙草不足の折には「入荷したら取っておきますよ。何カートン要りますか?」と、わざわざ声を掛けてくれました。
仕事帰りに野菜を買っていた食料品店。米不足の折には「お米はありますか?入荷次第になりますけど、優先してお渡ししますよ」と、こちらもわざわざ声を掛けてくれました。
どちらも今は移転して無くなってしまったお店です。
震災直後。未だ余震が激しい中。スーパーが閉まってしまい食料を調達できなくなった私の注文に応えてくれたお弁当屋さん。月に何度かお弁当を買いに行っていた店でした。
あれだけ激しい揺れの中で、油を使うことには覚悟が必要だったのでしょう。私が「できますか?」と聞くと、「できます」と腹を括った表情で、力強く頷いてくれました。
その店も今はもうありません。
トイレットペーパー不足の折に、いいよと云ったのに、わざわざトイレットペーパーを送ってくれたネットの友人。店頭からトイレットペーパーが消え、家のトイレットペーパーも無くなり、どうしようかと思っていたところに届いたトイレットペーパーに、我が家は救われました。
彼女とは今も親交があります。
震災の翌日、仕事に行くと、「これから忙しくなるかも知れないから、覚悟しておいてね」とリーダーに云われたものでした。「災害の後は親戚に物資やお金を送る人が増えるのよ」
あの時ほど、緊張感をもって仕事をしたことはありません。
この荷物を必要としている人がいる。三年近く配達を続けてきて、初めてそれを強く意識しました。震度5クラスの余震が続く中、お客様からお客様へ。託された荷物を必死に届けた日々でした。
正直、怖くはありましたけど、でも辛くはなかった日々でした。
震災直後に我が町へ避難を決めてくれた双葉町の人々。今年、ようやく双葉町は一時帰宅が出来るようになりました。
勿論、彼らが故郷に帰れるまでには、まだまだ時間が必要なことでしょう。それでも、立ち入ることすら出来なかったあの日々に比べれば、大きな前進です。
一日も早い、双葉町民の皆様の帰郷をお祈り申し上げております。
11年という歳月は、過ぎてみればあっという間。私にとっては、パソコンやデータ、人間関係など、失ってしまったものの方が多かった11年でしたが、だからといって嘆いてばかりいても始まりません。
今日という日は、残りの人生の最初の日である。
今日よりも明日。明日よりも明後日の自分の人生がより良いものになるように、日々を精一杯生きてゆくしかありません。
「二十歳まで生きれるかわからないのだから」と叔母たちに云われて育った私にとって、今の人生はおまけのようなもの。いつ人生が終わっても悔いのないように、持てる力の全てを出し切って生きねば。
それが志半ばにして散っていった、名も知らぬ誰かへの、私なりの供養なのです。
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