ということで、ビーズステッチで白河を作ろうプロジェクト。
図案の調整版をしれっとこちらに置きます。
ものっそい勢いのモブ顔に、見る度じわじわくるんですけど、これ以上はいかんともしがたく。
30×48(もしくは60)で作るべきでした。
これが終わったらマサキを作ろうと思ってます。
その時にはまたこちらでレシピを公開しますので、よければ作ってみてくださいな!
以下はワタクシのビーズに纏わる思い出話ですので、興味がない方以外は読まなくて結構です。
光一がデビューが決まった時に、剛君とお揃いのビーズのブレスレットを付けようと決めたと私に電話を掛けてきたのは、22歳の時だった。
そのビーズのブレスレットを、あろうことなかれ、私に作れと云う。
剛君のところは誰が作るのかと聞けば、お母さんが作られるとのこと。だったらこちらもそれに相当する相手が作るのが礼儀。そこで産みの母親か育ての母親に頼みなさいと云ったら、「かあさんがいい」と云う。
名付け親が作っていいものじゃないでしょ、と云っても聞かない。「ビーズやテグスはもう用意してあるし、通すだけだから」と押してくる。仕方がないので受けることにしたところ、その直後にとんでもないことを聞かされた。
「剛君のお母さん、そういうの得意なんだって」
えー……?
何でそういう大事なことを、人が受けてから口にするのよこの子は。
「だから母さん、剛君のお母さんに教わるといいよ」
と、いうことで、あちらからわざわざ電話をいただくことになったのだけれども、話をするのは二度目ということもあってか、挨拶もそこそこに、「あなたで出来るの?」とひとこと。
剛君のお母さんはこういう人なのだ。悪い人ではないのだけれど、云い方がキツイ。気の弱い人だと辛くなってしまうんじゃなかろうか。とはいえ、こちとら巨大団地育ち。そんな親御さんには山ほど出会ってきた。
「そうなんですよ。ですから不安で……」
そう云うと、剛君のお母さんは丁寧にコツを教えてくれた。粒の大きさを揃えると綺麗に見えるように出来るらしい。有難うございます。お礼を云って電話を切り、そこから私は仕事の合間にビーズをより分けながらブレスレットを作ることにした。
ただ、残念なことに、そのブレスレットは光一たちがステージに立つこと三回ほどで、壊れてしまったのだけど。
何だかんだでこの歳まで、ビーズで作品を作ることを続けてしまった。今ではビーズステッチも出来るようになった。自分で編み図を作り、自分だけの作品を生み出せるようにもなった。
勿論、まだまだ未熟さの目立つ作品ばかりだ。それでもあの頃に比べれば成長したと思う。
だから私はTwitterに自分の作品を上げるのだ。
いつかは剛君のお母さんに届かないかと、そんなことを夢見ながら。
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そのビーズのブレスレットを、あろうことなかれ、私に作れと云う。
剛君のところは誰が作るのかと聞けば、お母さんが作られるとのこと。だったらこちらもそれに相当する相手が作るのが礼儀。そこで産みの母親か育ての母親に頼みなさいと云ったら、「かあさんがいい」と云う。
名付け親が作っていいものじゃないでしょ、と云っても聞かない。「ビーズやテグスはもう用意してあるし、通すだけだから」と押してくる。仕方がないので受けることにしたところ、その直後にとんでもないことを聞かされた。
「剛君のお母さん、そういうの得意なんだって」
えー……?
何でそういう大事なことを、人が受けてから口にするのよこの子は。
「だから母さん、剛君のお母さんに教わるといいよ」
と、いうことで、あちらからわざわざ電話をいただくことになったのだけれども、話をするのは二度目ということもあってか、挨拶もそこそこに、「あなたで出来るの?」とひとこと。
剛君のお母さんはこういう人なのだ。悪い人ではないのだけれど、云い方がキツイ。気の弱い人だと辛くなってしまうんじゃなかろうか。とはいえ、こちとら巨大団地育ち。そんな親御さんには山ほど出会ってきた。
「そうなんですよ。ですから不安で……」
そう云うと、剛君のお母さんは丁寧にコツを教えてくれた。粒の大きさを揃えると綺麗に見えるように出来るらしい。有難うございます。お礼を云って電話を切り、そこから私は仕事の合間にビーズをより分けながらブレスレットを作ることにした。
ただ、残念なことに、そのブレスレットは光一たちがステージに立つこと三回ほどで、壊れてしまったのだけど。
何だかんだでこの歳まで、ビーズで作品を作ることを続けてしまった。今ではビーズステッチも出来るようになった。自分で編み図を作り、自分だけの作品を生み出せるようにもなった。
勿論、まだまだ未熟さの目立つ作品ばかりだ。それでもあの頃に比べれば成長したと思う。
だから私はTwitterに自分の作品を上げるのだ。
いつかは剛君のお母さんに届かないかと、そんなことを夢見ながら。
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