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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

Lotta Love(18)
大変、長らくお待たせいたしました。30の物語、更新再開です。

べたべたしつつバカンスを楽しむシュウマサ観光二日目のスタートになります。海に行くシュウマサなんて、何てハードルの高いところで話を中断させちゃったんでしょうね。笑 今回も彼氏力の高い白河で頑張りたいと思います。

では、本文へどうぞ!
<Lotta Love>

 そもそも問題のない部分の肌ですら晒すのを嫌がる節があった。それは必ずしも胸から鎖骨に走る傷痕を見せまいとする感情を意味しない。習い性であるのか、元々そうであったのか、マサキにはわからなかったが、どうやらシュウは、傷痕に関係なく、自らの肌を晒すのに忌避感を覚えているようだ。暑い盛りだろうと、整備の最中であろうと、腕ひとつ捲らない。それは最早、傷痕がどうこうといったレベルを超えている。
 それなのに、マサキに付き合って海に出るという。
 安心感よりも不安が勝る。マサキはプールを眺め続けた。ジェットスキーは愉しみだ。水上で水平を疾《はし》る風と並走する、或いは、滞留する空気を風と変えてゆく――。どれだけサイバスターで風を切ろうとも、操縦席に身を収めていてはその空気を感じることは出来ない。風を感じて走る。それはマサキにとって、子どもの頃に乗ったカートに次ぐ経験になるだろう。それでも。
 自分の愉しみの為だけに他人を犠牲にするのは耐えられない。
 時にシュウはマサキを甘やかす。それはこうした関係になる以前よりそうだった気がする。マサキにそれと悟らせないように気紛れに手を差し伸べてみせては、マサキの反骨心を煽るような台詞を吐く。きっと、計算高い男のすること。そこには打算があっただろう。けれども当時のマサキはそれに気付けなかった。
 けれども歳月は過ぎゆくものだ。近頃のシュウは取り繕うことをしなくなった。それはふたりの関係の変化に比例するように。それがマサキには、時々怖く感じられる。シュウはいつか、全てをマサキの為に犠牲にしてしまうのではないか。だからこそ、無理はさせたくねえ。そう呟くと、噂をすれば影が差す。シュウが再びリビングに姿を現わした。
「無理はしていませんよ、マサキ」
「本当かね。俺には未だにお前が海で肌を晒している姿が想像出来ないんだがな」
 マサキの浅い考えなど、シュウには容易く見通せるものであるのだろう。なら、楽しみにしておいて貰いましょう。当たり前のように返ってきた力強い言葉に、けれどもマサキの不安は更に募るばかり。
 時刻は9時を回っている。
 今日も肩に掛けられたトートバッグは健在だ。海に行くともなれば荷物はそれなりになるようで、ずっしりと肩に食い込んでいる。それをソファに置いたシュウは、出る時間になるまで読書をするつもりらしい。自らもソファに腰を収めると、手にしていた文庫本を広げた。
「持ち物ってどうすればいいんだ」
「財布とスマートフォンは持ったのでしょう。それで充分ですよ。あなたの荷物はここに入れてありますしね」
 のんびりとくつろいでいるシュウに話を聞くと、既にタクシーを頼んだ後らしい。なるべく昨日のタクシーを、とフロントに話を通してあるらしく、到着したら連絡が来るようだ。ブロークンな英語能力しかないマサキとしては、出来れば日本語が出来る運転手の方がよかったりするのだが、母国語たるインドネシア語を含めて、英語、日本語と三か国語を操れるドライバーというのは、バリでは希少な部類に入るのだそうだ。
「そもそもインドネシア語を綺麗に話せるドライバーも珍しいのですよ」
「そうなのか?」
「地方によって言語にばらつきがあるのですよ。方言ですね。その数数百に上るとか。ですから、インドネシア語を話せるというだけでも重宝されるようです」
「数百は凄いな。北と南じゃ言葉が通じなかったりするのかね」
「そうかも知れませんね。ここは観光地化された地域ですから、英語が通じる施設も多いですが、地方の住宅街といった地元の人々が生活している場では、そもそもインドネシア語が通じるかも怪しいでしょう。私もインドネシア語は習得していませんので、片言で会話をするのも無理があります。そうである以上、そこに住まう人々との意思の疎通は出来ませんよ。それでもバリの一般的な町の風景が見たいですか、マサキ?」
 見たいか見たくないかで云えば見たかった。綺麗に舗装された道路、整然と建物が建ち並ぶ街並み。勿論、部分部分にまだまだ整頓さきれていない雑然さが残ってはいるものの、観光地化された地区はあくまでバリの表の顔だ。それは、観光客といった外から訪れる客に向けたよそいきの顔でもある。
 土埃舞うアスファルト、囲いのない家、泥に塗れた畦道《あぜみち》……もしかするとマサキはラングランの地方的な風景を探しているのかも知れなかった。そこには守るべき人々の日常がある。平和で長閑な世界。飾り立てられることなき町中に、等身大の人々の暮らしが広がっている。そのささやかな幸せに満足を感じているような人々の暮らしぶりはどれだけ慎ましやかなものであろうか。それをマサキは見たかった。見て、目に焼き付けて、心の奥底に抱き、時折そっと取り出しては眺め、自らが戦う為の力とするのだ。
 勿論、シュウが先程口にしたように、どんな社会にも暗部はある。ラングランだってそうだ。中央集権の弊害だろう。地方へ行けば行っただけ治安の悪さが滲み出るようになる。
 そもそも、どれだけ職業選択の自由が与えられていようとも、それを存分に生かすには才能が必要になる。望めど叶わぬ願いが世の中には必ず存在するのだ。だからこそ生じる富める者と貧する者の財産の差の開き。それがどうしてラングランにないなどと云えたものだろう。マサキは共同体に夢を抱く年齢ではなくなっていた。
 マサキが頷くと、困った人だ。シュウが笑った。
 子どもを愛でるような眼差し。彼は時折、マサキが我儘を口にした瞬間に、こうした表情をする。
「なら、タクシーの運転手にチップを弾んでガイドを頼むことにしましょう。危険《リスク》は最小限に抑えた方がいいでしょう。これで、あなたと私の希望を半分ですよ、マサキ」
 それでいいさ。そうマサキが返すと、まるで頃合いを見計らったかのように電話が鳴った。どうやらタクシーが着いたようだ。時刻は9時半を回ったぐらいだ。行きますよ。電話を切ったシュウに声をかけられて、マサキは籐椅子から腰を上げた。トートバッグに手を掛けると、大丈夫ですよ。と、シュウがそれを制してくる。
「付き合ってもらっているのは私の方ですからね。これぐらいの荷物は持つべきでしょう」
 それを当たり前と受け入れられている子供時代は過ぎたのに。マサキは苦笑した。縮まらない歳の差。その分、シュウはいつまでもマサキを子ども扱いしているように思える……子供じゃねえぞ。ぼそっと呟いた言葉を耳聡く聞き留めたシュウがヴィラを出る瞬間に、わかってますよ。何を云っているのかとでも云いたげな調子でそう口にした。
 今日もバリは好天に恵まれている。
 厚ぼったくも真白の雲が流れる青空。吹き抜ける風が心地いい。ヴィラ同士の導線がかち合わないように植えられている植物が、青々とした葉を揺らしている。自分たちのヴィラを出たマサキは、シュウの背中と輝ける太陽が座す天を視界に収めながら、フロントへと向かった。 
「これからどこに向かうんだ?」
「スミニャックから南東に30分ほど車を走らせた先にあるサヌールですよ」
 フロントのある建物の近くに止まっている一台のタクシー。マサキたちの到着を待ちかねていたようで、運転席側の扉の外に立っていた運転手は、その姿を認めると白い歯を零れさせた。
 満面の笑顔。シュウの頼みをタクシー会社は聞き入れたようだ。昨日もマサキたちを方々へと運んだ運転手は、マサキの英語がブロークンであることを知っているからだろう。早速とばかりにシュウに今日の予定を尋ねている。彼らの英語で繰り広げられる会話を盗み聞くに、午前から午後にかけてサヌールでマリンスポーツに興じ、サヌール周辺で観光を済ませた後に、マサキの希望でもある町の散策をするつもりであるようだ。
「今日の夜はバリ舞踏を観ましょう。それとも他に何か見たいものがありますか?」
 途中でマサキにそう断りを入れてきた辺り、二日目の今日をシュウは観光三昧の一日にするつもりらしい。他にも何も何がどこでどう見られるか、マサキはよくわかっていない。人々の暮らしぶりがわかる光景さえ見られれば、後は別に。そう改めて口にすると、スパやヨガ体験などもありますよ。マサキの無知からくる欲のなさが、シュウには気にかかっているようだ。とはいえ、そう勧められたところで、マリンスポーツ以上のアクティビティもそうはない。いや、いい。バリ舞踏の方が、観光しているって気になるもんな。マサキはシュウにそう伝え、タクシーに乗り込んだ。
「サヌールのマリンスポーツのパックに申し込みをしてありますから、マリンジェット以外のマリンスポーツも楽しめますよ。ボート、パラセイリング、ウエイクボード、スノーケルにダイビング……あなたはどれを楽しみたいですか、マサキ」
「そんなに色々やれる時間、あるのかよ」
「三時間の間、ひとつのスポーツ辺り、30分の体験が可能なそうです。とはいえ、希望があれば体験時間を長くすることや短くすることも出来るようですね」
「パラセイリングやウエイクボートは面白そうだけど、お前、本当にいいのか。そんなに沢山楽しめるほど、海に馴染みがあるようには思えないんだが。それに、そもそも泳げるのかよ。俺、お前がどこまで本気でマリンスポーツを楽しもうとしてるのか、不安になる」
 隣に乗り込んだシュウとそう会話をしている間に、エンジンをふかしたタクシーがサヌールに向けて滑り出す。あっという間に遠ざかるヴィラの建物。心地いい振動に身体を揺らしながら、スミニャックの街中を駆け抜けてゆくタクシーの窓から臨める景色をマサキは眺めた。
「これでも泳ぐことは出来ますよ。あまり身体の丈夫な子どもではなかったのでね。体力づくりに水泳を嗜まされてはいたのですよ。最初はプールで短い距離から始めて、後には海で遠泳もしましたね。ただ、マリンスポーツと云った娯楽に興じるのは、今日が初めてではありますが」
「遠泳? 本格的じゃないか」
「体力づくりですからね。お陰で、今ではそれなりに健康に自信が持てる大人になれましたよ」
 観光地として拓けているスミニャックからは、バリの各地に向かうのは容易であるようだ。車の流れに沿って大通りを往くタクシー。様々な人種で溢れ返っているスミニャックのメインストリートを抜けて、一路東へ――……。
「ダイビング、一緒にしようぜ。バリの海の中がどうなってるか見るのも、観光だろ」
 そういった幼少期を過ごしていたのであれば、海の中に入るのも吝《やぶさ》かではないに違いない。そう思ったマサキが誘いかけてみれば、いいですよと至極あっさりとした答えが返ってきた。実際のところ、スマートフォンで調べてみた限りでは、バリの海の透明度はそこまでではないらしかったが、それでも海中の美しさがそこそこ期待出来る程度には澄んだ水であるようだ。楽しみだな。徐々に近づくサヌールとの距離に、マサキがぽつりと洩らすと、そういった期待に胸を膨らますのも、観光の醍醐味なのかも知れませんね。シュウは感慨に耽るっているかのように微かに遠い眼差しをしてみせると、そっと。手探りでマサキの手を握ってきた。


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