Twitterに投下したSSを纏めました。
・命の天秤
・空、美しき晴れの日に
・沈むリアル
の計三本になります。
残りの二本は掲載時そのままとなっていますが、「沈むリアル」だけは大幅に加筆しました。宜しければお目を通して頂けますと幸いです。
・命の天秤
・空、美しき晴れの日に
・沈むリアル
の計三本になります。
残りの二本は掲載時そのままとなっていますが、「沈むリアル」だけは大幅に加筆しました。宜しければお目を通して頂けますと幸いです。
<命の天秤>
その言葉の真実は、彼が死ぬその日にわかるのだ。
思いやりか、それともただの嘘か。それとも、それこそが彼の真実の望みであったのか――けれどもその時には、全てが手遅れでしかない。彼はその日に、マサキの記憶に鮮烈に残るそんな言葉を吐いた。
「心臓が欲しい? 俺の?」
「心臓が欲しい? 俺の?」
云われた言葉の意味が良く飲み込めずにそう問い返したマサキに、シュウはいつも通りの表情で繰り返し言葉を吐いた。そう、あなたのね――と。
薄い、笑み。何を考えているのかわからない瞳が、その表情の中で、笑うことをせずにマサキを見詰めている。
「子供の頃に受けさせられたヴォルクルスとの契約の儀式の際に、心臓に微かな傷が付いてしまったようなのですよ。それで傷周りの細胞の成長が阻害されてしまったのでしょう。私は戦闘や運動に過大な負担を感じようになってしまった……長生きは出来ないと医者には云われていましたが、先日、発作を起こした際に医者にかかったところ、思った以上に深刻な状態だったようです。|臓器提供者《ドナー》を募った方がいいと云われましてね」
深刻な内容を口にしている割には、それと感じさせないまでに穏やかな口ぶりで話を進めるシュウに、マサキは彼が置かれている状況が、口にしている以上に深刻なものであると受け止めざるを得なかった。
「それで――心臓が欲しいって?」
「そう。私としてはあなたの心臓がいい」
「でも心臓って云ったって、ひとつしかないだろ」
替えの効く臓器であるのなら、マサキとて臓器を提供するのも|吝《やぶさ》かではなかった。顔も知らぬ他人にまでその範囲を広げるつもりはなかったものの、見知った人間の苦境に際して、何もせずに手を|拱《こまね》いて右往左往するような愚か者ではないのだ。それで助かるのであれば、臓器のひとつやふたつくらい安い代償だ。
しかし、ひとつしかない臓器たる心臓が欲しいと云われてしまっては。
マサキは考え込んだ。たったひとつしかない臓器で、どうすれば自らの命と目の前の男の命を両立させることが出来るだろう。考えて、考えて、考えて、ふと地上にいた頃に読んだ漫画の一頁が、頭の中に思い浮かんだ。
「お前が嫌じゃないってなら、背中で繋がるか」
「背中で繋がる?」
鸚鵡返しに口にしたシュウは、マサキの答えが余程意外なものであったようだ。微かに瞠目している表情は、冷静であることが常である彼の動揺を、明瞭に伝えてくるものだった。
「必要な心臓はふたつ。けれども実際に使える心臓がひとつしかないってなら、そのひとつでどうにかするしかないだろ。ひとつの心臓を共有する為に、背中で繋がるんだよ。若しくは胸で、か。医者に訊いてみろよ。出来る筈だから」
「しかし、その生活をいつまでも続ける訳にも行かないでしょう。お互いが不自由を感じるのは目に見えている」
「だからって何もしなきゃお前は死ぬだけだろ」
「死にますね、確実に」
「だったら俺の心臓はお前にくれてやる。但し、俺は違う心臓で生きるぞ。まだやらなきゃいけないことがあるからな」
マサキは云って笑った。そして、それまでの辛抱だ。付け加えるように言葉を繋げると、そこでシュウはようやく納得したような表情を浮かべた。
時間稼ぎの為に、ひとつの心臓をふたりで使う。|臓器提供者《ドナー》など、そう都合よく現れないことを知っているマサキは、だからこそそう答えを出した。
どちらか片方の命を犠牲にするより、ふたりで生きる。
マサキの導き出した答えをシュウはどう感じたのだろうか。あなたらしい――そう呟いた瞳がゆっくりと細まる。まるで眩い太陽を眺めるように。そのまま、シュウはその視界にその姿を収めるように確りと。真正面にマサキを見据えながら、こう言葉を吐いた。
――冗談ですよ、マサキ。
本当だろうか? 人の悪い面のあるシュウの、意地の悪い嘘。彼は時にこうして良くマサキを試すように嘘を吐いたものだ。そしてこうして全ての会話を無かったことにしてしまう。そんなシュウの発言に、それはきっと真実なのだろう。マサキはシュウの嘘を打ち明ける言葉を信用することとして、その胸を肘で小突いた。
「人を騙すのなら、もっと可愛げのある嘘を吐けよ」
ええ、と頷くシュウがそうっと、心臓を|摩《さす》るように胸の上に手を置いた。もしかしたら彼は真の出来事を述べたのやも知れない。脳裏を一瞬掠めた考えにマサキは不安を感じたりもしたものだったけれども、シュウはそれ以上その話題を引っ張るつもりはないようで、次の瞬間には、会話の舵を別の方向へと切ってしまった。
(了)
<空、美しき晴れの日に>
(了)
貴方はシュウマサで『貴方の心臓が欲しい』をお題にして140文字SSを書いてください。
#shindanmaker
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<空、美しき晴れの日に>
抜けるような青空が美しい日だった。
続く平原の先に街を望める丘。なだらかな斜面に立って宙を仰いでいるマサキの後姿は、今日の空を存分に味わっているのだろうと思わせるものだった。胸を開いて腕を下ろし、風に身を任せ、両の足で地面を踏みしめてあるがままに……けれどもそこに近付いてゆくにつれて、シュウはその様子が、自分が思っていたものとは異なっていることに気付かされた。
肩が小刻みに震えている。
小さく洩れ聞こえる声。口を衝いて出そうになる嗚咽を必死に堪えている。
何が彼をして、そこまでの悲しみに襲わせたのか。シュウに心当たるものはひとつしかなかったものの、だからといってそれだけが原因とは限らない。
――涙の理由は本人に直接尋ねることとしよう。
自分のことを話したがらない性質のマサキは、本人がそうしているつもりでなくとも、数多くの秘密を抱えているように映ったものだ。シュウは大股でマサキの許に歩み寄った。周囲に気を配る余裕もないほどに、自分の世界に沈んでいたようだ。マサキがシュウの気配に気付いて身体を揺らした直後、シュウはその腕を掴んでいた。
「何だよ……お前……」
きっと、こうして無遠慮に触れてくる人間を他に知らないのだ。マサキは振り向くことなく、腕を掴んだ相手がシュウだと気付いたようだった。さりとて、自ら振り向く気はないのだろう。背中を向けたまま、気丈に言葉を吐く。
シュウはマサキの腕を引いて、自分へと振り向かせた。
抵抗する素振りを見せたものの、割合すんなりと振り向いたマサキの頬に残る幾条もの涙の跡。それが陽の光を受けて煌めいたかと思うと、赤く染まった瞳がふいとシュウから視線を外した。
「何があったのです」
「別に、何もねえよ」
そういう態度なのだ。シュウの心を煽り立てるのは。
どれだけ身体を掴み取ったとしても、それを許されていると感じても、心の奥の奥――そこに潜んでいる本心までは悟らせてくれない。まるでそれを奪われてしまったら、逃げ場を持たなくなるとでも云いたげに。マサキは自らの考えを極力シュウに明かさないように振舞うのだ。
癪に触って仕方がない。
自分の弱味ばかりを掴まれてしまっている。それをどうしてシュウが許せようか。シュウは自らが自尊心《プライド》の高い人間であるという自覚がある。あるからこそ、心を許した人間にこそ、弱味を晒すことを良しとしてきた。それだのに、その相手と来た日には。まるでそんな人間心理には無関心とばかりに、自らの弱味を晒すまいと必死だ。
シュウはマサキ、とその名を呼んで、顎を掴んだ。
やめろって。と、口にして、今度こそ本気の抵抗を見せるマサキの顎を力任せに引く。晒される顔。まだ涙が引ききっていないままの潤んだ瞳が、観念した様子でシュウを見上げてきた。お前はいつもそうだ。自分に無理を強いるシュウの振る舞いが面白くないのだろう。拗ねた調子で言葉を吐いたマサキの目尻にシュウは口付けた。
「あなたの笑顔も、あなたの涙も、全部私のものですよ、マサキ。誰にも渡しなどしない」
そうしてそうっと。両の頬を包み込んで、その顔を見下ろす。
「無茶ばかり云いやがる」
シュウが自身の何もかもを占有しようとするのは今に始まったことではないにせよ、マサキにとっては想像の範囲外に及ぶことがままあるらしい。破天荒な生き方をしているように見えて、その実、常識的なマサキは、そういった意味で他人の感情を汲み取るのが下手だ。今にしてもそうだったのだろう。困惑しきった表情。途惑いがありありと浮かぶ瞳が揺れている。
無茶なものかとシュウは嗤った。
絶望の淵から這い上がってきたシュウは、死をも乗り越えてきたからこそ、与えられた生に対して貪欲になった。あると思っていなかった二度目の生に、より深き彩りを。そしてより深き充実を――絵に描いた餅で腹が満たされることはないと知っているシュウは、だからこそ執着を隠さなくなった。
潜んで生きてきた暗がりの世界を照らし出してくれた光。風の魔装機神が遣わした少年の純粋な希《ねが》いは、どれだけシュウの心を揺さぶったことだろう。あの日からシュウの人生は、二度目の生に向けて動き始めた。諦めの悪い少年の執念が実を結んだからこそ、シュウはこうして再び人生を謳歌している。
その感謝を仇で返すつもりはない。
だからシュウはマサキに制限をかけるのだ。何度でも、何にでも。そうして、縛り付けた魂が、自らの力でその頸木《くびき》を解き放って、強く激しく輝き始めるさまを見守ってゆくのだ。
「何故、泣いていたの」
「まだ聞くのかよ」
「それを聞かないことには終われないでしょう」
「我儘だよな、お前」
はあ、と溜息をひとつ。深く吐き出したマサキの手が、頬を包んでいるシュウの手に重なる。剣を握り続けて擦り切れた肉刺《まめ》の数の分だけ厚みの増した肌。こうして彼が戦い続けた歳月を表すものに触れる度に、シュウはどうとも表現出来ない侘しさに囚われたものだった。
まだ子どもでいられた時代に習慣の違う世界に召喚され、大人になることを強制された少年は、同じ年代の子どもたちが当たり前に獲得している平和な時間の記憶が圧倒的に足らない。それが時折、こうしてひとりとなった彼の精神に、小さく影を落としているのだと気付いていたからこそ。
「どう足掻いても取り戻せないものを、どうにかして取り戻せないかと考えちまった」
ぽつりと呟くように言葉を吐き出したマサキの表情が、暗く沈む。
「わかっていたのに、いざこうして戦い終えてみたら、本当に取り戻せなかったってさ」
そうして、何が残ったんだろうな。と付け加えて、その胸中とは裏腹に澄み渡る青空を見上げたマサキに、シュウはそれが何ら慰めとならぬことを承知で断言するのだ。
「私がいるでしょう」
はたと見開かれた瞳がシュウに視線を戻す。
思いがけぬ台詞を受けたマサキは、けれども破顔して、「お前は本当に我儘だよな」と繰り返した。
(了)
(了)
あなたは2RTされたら「お前の笑顔も、お前の涙も…全部、俺のモノだ。誰にも、やらねえ」の台詞を使ってシュウマサを描(書)きましょう。
https://shindanmaker.com/528698
<沈むリアル>
<沈むリアル>
ずっと貴方を捜していました。シュウがそう云った瞬間、少年は目を瞬《しばた》かせながら首を傾げてみせた。
夕陽が照らし出す世界。黄金の穂が波打つ原野に肩まで身体を埋めながら、彼は沈みゆく太陽を眺めていたようだ。誰? 今の彼よりも幾分、幼い姿。歳の頃は九、十歳といった所だろう。穂を踏みしだいて姿を現わしたシュウを、あどけなさの色濃く残る瞳で捉えながら、変声期もまだな声で問いかけてくる。
あなたの知り合いですよ。シュウがそう答えると、彼は途端に表情を一変させて、嘘だと悲鳴にも近い叫び声を上げた。
「俺はあんたなんて知らない」
そしてぷいとそっぽを向く。
彼の感情表現が豊かなのは、今に始まったことではないらしい。ころころと表情を変えたかと思うと、遠慮なく自分の感情を言葉にする。それが例え、本来の自分では及ぶべくもない存在であろうとも。
大胆不敵にして自由自在。彼はシュウにないものを全て持っているように、シュウの目には映ったものだった。だからこそ、いかにも彼らしいその態度が微笑ましく感じられて仕方がないのだ。
それはそうでしょうね。そう云いながら、シュウは顔を背けたままの彼に一歩近付く。
警戒をしてはいるようだが、だからといって、突然目の前に姿を現わした未知なる男を、一足飛びに無視しようとも思えないようだ。黒目を動かして、ちらちらと。シュウを盗み見てくる彼に、子供の相手が得意ではないシュウはどうすべきか迷ったものの、何もせずにいるのも警戒心を強めるだけ。そうっと笑いかけてやると、彼はどう反応すればいいかわからなくなった様子でシュウを上目遣いに見上げながら、変なヤツ。そうとだけ呟いた。
「私は未来のあなたの知り合いですよ」
その台詞に好奇心を擽られたのだろう。未来、と繰り返した彼は、身体ごとシュウに向き直った。
「どうやって?」
「術を使ったのですよ」
「術? 魔法か何かか」
「そうですね。魔術、と云ってあなたに信じてもらえたものかどうか……」
シュウは彼の目の前で手を広げてみせた。色取り取りに染まったシャボン玉が手のひらの内側から、空へと。さわさわと穂を鳴らしている風に吹き上げられるようにして上ってゆく。子供騙しの術ではあったものの、そこはまだ幼子でもある。彼にはその現象がとてつもなく神秘的なものに映ったようだ。わあ、と声を上げると、尽きることなく湧き出るシャボン玉を追いかけて顔を空に向けた、
「簡単に見せられるものとなると、このぐらいが限界ではありますが」、
逢魔が時。黄昏の空に消えてゆくシャボン玉は茜色の光を受けて、星の瞬きのように輝いている。その儚くも幻想的な光景を暫く黙って眺めていた彼は、ややあって、シュウに視線を戻すと、「でも、どうして?」と当たり前の疑問を口にした。
「何で俺の所に来たんだ? 用があったから来たんだろ?」
思い付きでも子どもの歓心を買うことはしてみるものだ――すっかり警戒心を解いた様子の彼にシュウは手を戻した。そして最後のシャボン玉が宙に上ってゆくのを待ってから言葉を継いだ。探している人がいるのですよ、と。
勿論、ただ会いたいから、だけでシュウはここまで足を運んだのではない。すべきことがあり、その為に必要だからこそ、この姿の彼に会いにきた。まだ幸福だった時代に生きている彼に。
「口が悪くて、躾がなってなくて、人の顔を見れば噛みついてばかり。けれども私はそんな彼に恩義を感じています」
「なんか、その云い方だと、恩人って感じじゃないな」
「そうでしょうね。でも、そういった性格も含めて、彼の存在が私には微笑ましく感じられて仕方がないのですよ」
ふうん。わかったようなわかっていないような生返事。それでもまだシュウの話を聞く気はあるようだ。彼は筋が糸引く三白眼でシュウを見上げながら、それで――と、続きを促してくる。
「その彼が心を閉ざしてしまった」
「何があったんだ」
「幼くして両親をテロで喪った彼は、だからこそ戦いに身を投じたのです。それが自分のような人間を二度と生み出さずに済む方法だと思ったのではないでしょうか。テロリズムさえも横行しないような平和な世界。それを目指して戦い続けた彼は、けれどもある時、ふと気付いてしまったのです」
きっと、自分のような幼子が、迂闊に口を挟んでいい問題ではないとでも思ったのではないだろうか。もしかすると、まだ幼い彼には難しい話に聞こえたのかも知れない。だからこそ、なのだろう。真っ直ぐにシュウを見詰めてくる真摯な眼差し。彼は黙ってシュウの話の続きを待っている。
そんな彼を目の前に、シュウはゆっくりと口を開いた。残酷な真実を告げる為に。
「――彼が斃してきた敵にも家族がいるという当たり前の事実に」
ごくり、と彼の喉が鳴った。いつしか額にうっすらと汗が浮かんでいる。何かを必死に堪えているかのような表情。挑むようにシュウを見据えてくる彼に、ほらとシュウは手を差し出した。
「私は彼を取り戻したいのですよ。そう、あなたをね。|マ《・》|サ《・》|キ《・》」
刹那、ドンッ、と身体を揺り動かすような衝撃が走ったかと思うと、地面に亀裂が生じた。それはシュウと彼の足元を裂くように深みを増してゆく。マサキ。シュウは彼の名前を呼んだ。先程までとは一変した険しい表情が、シュウを捕らえている。
――嗚呼、嗚呼、ああ、ああ、アアアアアッ!
亀裂は増々深みを増し、シュウの足元をも飲み込もうとしていた。けれどもシュウは怯まなかった。戻れないかも知れないと覚悟を決めた上で、|マサキの精神世界《この世界》に来たのだ。どうしてこのままこの場を去れようか。
意識の表層から深層へと。無意識の世界に近付けは近付くほど、マサキの心象風景は幼い頃の世界へと戻って行った。まるで今の彼を取り巻く世界が、ひととき身を置くだけの仮初めの世界だとでも云いたげに。そう、彼にとって完成された世界とは、もしかすると幼かった頃。まだ彼の家族が揃っていた時代にあったのやも知れない。
掴んでは逃げられる。逃げられては深く沈む。シュウはマサキの精神世界を彷徨い続けた。
今度こそ。
マサキの世界は次第に意味を為さなくなりつつあった。有象無象の切り取られた時間が折り重なるだけの、時間を持たない世界ばかりが続いた先に、ようやく見付けた黄金の原野。夕餉前のひとときを切り取ったような世界で、ようやく再びマサキの姿を捉えたシュウは、それでも真実を告げることを躊躇わなかった。
――やめ、やめろっ……俺を、起こすな……ッ!
身悶えるマサキの姿が視界の中央から上へと流れてゆく。シュウの足元にもう大地はない。飲み込まれるがままに、沈むがままに。昏く地の底へと続いているだろう亀裂の上に、シュウの身体が踊る。アアアアアッ! マサキの身体を捩じ切る勢いで迸る絶叫はまだ続いている。それでも、一縷の望みを懸けて、シュウは視界を覆い尽くした茜色の空に向けて手を伸ばした。
「馬鹿野郎……ッ」
宙に飛び出してその手を掴んできたマサキの姿は、最早あのあどけなさを残す少年のものではない。シュウは掴んだマサキの手を引き寄せて、その身体を強く抱き寄せた。
幾層にも渡るマサキの複雑な精神世界を、シュウは孤独にもひとりで何日もかけて、終わりも間近なここまで降りてきたのだ。そうしてようやく掴んだマサキ自身。二度と離してなるものか。馬鹿、落ちる。踏ん張るものを持たないマサキの身体が、シュウとともに暗闇へと落ちてゆく。見る間に遠ざかる空。その闇の中に、点々と。まるで瞬く星のように小さな光が幾つも浮かび上がった。
「目を覚ましたようですね、マサキ」
「お前、この状況でよくそんな呑気をことを云ってられるな」
「ここはあなたの精神世界ですからね。あなたの認識次第でどうとでも姿を変えてみせるものですよ」
「本当かよ……」
疑い深くも、止まれ。と、マサキが口にする。
まるでその言葉を待っていたかのように、幾条にも筋を引いて流れ去る光の群れが、徐々にそのスピードを緩やかなものとしていった――かと思うと、次の瞬間。柔らかな衝撃がふたりを包み込む。それと同時に、照明が灯るようにぱあっと、辺りに新たで鮮やかな世界が広がる。
乾いた大地に、点在するクレーター。地平線の彼方に青く輝く地球の姿が映っているということは、どうやらここは月であるようだ。
――ここがマサキの精神世界の底であるのだろうか?
だとしたら彼にとって月という場所は、シュウと同じように特別な場所であるのだろう。シュウはマサキを一層強く抱き締めた。この光景を目に出来ただけでも、危険を冒してここまで来た甲斐はあった……一歩間違えば、己の精神は二度と身体に戻ることが出来なくなる。シュウはそういった危険を省みず、自我を失ってしまったマサキの心を取り戻す旅に出たのだ。
自らの精神を懸けた旅は、だからこそシュウに予想以上の収穫を齎してくれたのやも知れない。乾いた大地に身を横たえて、マサキを腕に抱きながら、シュウはひたすらに自らが得たものに対する感慨に耽った。けれども歓びに浸ってばかりもいられない。マサキはマサキで、ようやく取り戻した自我に思う所があるのだろう。もう、離せよ。そう云って、シュウの腕から逃れようとする。
「私がこの手を離したら、あなたはまた何処かに行ってしまうのでしょう」
「そんなことはねえよ。っていうか、どうやったら元の世界に戻れるんだよ、これ……」
「あなたが大丈夫だと云い切れるのであれば、このままあなたを連れて外の世界に戻りますが」
そうしてシュウはマサキの髪の匂いを嗅いだ。太陽と草と風の匂いがする香りを。
仕方ねえな、とマサキが面倒くさそうに言葉を次ぐ。「もう、大丈夫だ。だから一緒に、ここから出ようぜ」
本当に、と尋ねながらシュウは地に付けている背中を中心に、魔方陣を展開させ始めた。ああ、と力強く頷いたマサキの姿が、世界とともに揺らぎ始める。シュウの耳に最後に言葉を残しながら。
――きっと大丈夫だ。今ならそう云える。
(了)
――きっと大丈夫だ。今ならそう云える。
(了)
シュウのお話は「ずっと貴方を捜していました」で始まり「きっと大丈夫だって、今なら言える」で終わります。
#こんなお話いかがですか #shindanmaker
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