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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

LastX'mas(1)【加筆修正アリ】
明日からと云っていたのですが、そんなに長くない話ですので、今日から始めてしまおうと思いました。そんなに長くなく終わる予定です。宜しくお願いします。

最近云っていませんでしたが、拍手有難うございます。励みになります。
ひとりで書き続けても何の意味もありませんので、もし少しでも心の琴線に触れるものがありましたら、ぽちりと押していただけますと幸いです。では、本文へどうぞ!
<LastX'mas>

 シュウはそっと膝の上に載せていたアルバムを閉じた。
 マサキがこの世から姿を消して三ヶ月。今年もまた彼が楽しみにしていたクリスマスがやって来る。いつしか倉庫を埋め尽くすまでになったクリスマスオーナメント。ふたりでこつこつと買い集めたそれを、今のシュウは未だ飾る気にはなれなかった。
 終わり際は呆気なかったようだ。
 いつの日かシュウがマサキに立てた誓い。世界とマサキのどちからかを取らなければならない時が来たら、必ずやマサキを取ってみせる。それは、マサキの仲間たちには決して立てられない誓いだった。だのにシュウはその誓いを叶えてみせるどころか、そもそもの最期の瞬間を迎えるマサキの目の前に立つことすら叶わなかった。
 簡単な遺跡調査であったようだ。
 けれどもそれはパンドラの箱を開くに等しい行為だった。如何にも無謀なマサキらしく、彼は無防備にも祭壇にある装置に手を触れてしまったようだ。それが太古に作られた機構《システム》だと知らずに。そしてその機構《システム》によって憑代《よりしろ》と認識された。その結果、彼は直後にはその身に数多の精霊を集わせることとなった。
 人の身で複数の精霊を身体に宿すとなれば、どういった結果を招くかは火を見るより明らかだ。
 この狭苦しい地底世界の平和と秩序を保つ為に生きている正魔装機の操者たちには大義がある。世界存亡の危機には、全てを捨てて戦え。それは人間の命よりも世界の存続が優先されることを意味していた。人の命がどれだけ奪われようとも、世界が存続すればいい。彼らの命は世界に比べれば軽いものであるのだ。
 勿論、正しき心を持つ彼らのこと。彼らは先ず世界とマサキの命、両方を取ることを考えただろう。けれども、それが難しい選択であるとなった時、彼らは残酷な決意をせざるを得なくなった。世界の秩序を保つ為に、マサキの命を捨てる。八百万の神。ラ・ギアスを空気同様に満たしている精霊という存在に身体を奪われ、暴虐な侵略者となったマサキ=アンドーという魔装機神サイバスターの操者を、彼らは斃《たお》す決心をしたのだ。
 精霊界と地底世界が分離《わか》たれて久しい。
 万物に宿る精霊の存在までもが消失した訳ではなかったけれども、精霊界は人の身で容易く足を踏み入れられる場所ではなくなってしまった。ひとつひとつはささやかな恵みを齎《もたら》すだけの存在である精霊が、マサキ=アンドーという人間に寄り集まって暴走するに至った理由のひとつは、自らを統べる存在が集う世界との接触《コンタクト》の手段を失ったからでもあったのだろう。
 彼らはただ、自らを統べ、導く、強い存在を欲していただけなのだ。
 けれどもその暴走は人間たちの手には余るものであった。如何に高位精霊との共鳴《ポゼッション》を経験していたとはいえ、それは精霊単体での話。数多の精霊をその身に受け入れる器としては、マサキ=アンドーという存在は未熟であったのやも知れない。幾千、幾万に上る人ならざる存在をその身に抱え込まされることとなったマサキの自我は、それこそ瞬く間に崩壊の時を迎えたようだ。
 シュウやウェンディ、或いは神官たちが手立てを講じる前に――、いや、そもそものその報を受け取るよりも先に、不意に起こった精霊の集積によって、マサキ=アンドーというかけがえのない存在は、ラ・ギアス世界から失われてしまった。
 その現実を、シュウは未だ受け入れきれずにいる。
 涙のひとつでも流せればまた違っていたに違いない。この世に蔓延る人間の大多数は、感情の表出が心の痛みを和らげるのに非常に重要な役割を果たしているということを、書籍を読まずしても知っている。それは経験則の一種だ。笑い、泣き、怒る。理性を重んじるラ・ギアス人にとって、そうした活動は無駄な消耗を招く行為に感じられるようであったが、原初的な人間らしさのひとつの要素である。そもそも、地上人の気《プラーナ》があれだけ豊かなものであるのは、彼らが情動の齎す活動を制御しないからに他ならないだろうに。
 機能不全、そう機能不全。アルバムを閉じて暫く。彼の死に涙ひとつ流すことの出来ない自分に、シュウは自らが陥っている状態を的確に表現する単語を脳裏に蘇らせてみたものの、それで現実の何が変わったものか。馬鹿々々しい。シュウはそれ以上、自分の状態について考えるのを止めた。
 ―――彼《マサキ》は死に、自分《シュウ》は生きている。
 シュウは変わらぬ光を注ぎ続ける中天の光点を窓越しに見上げた。
 同じような幸福が、今日も明日も明後日も齎されると信じていた。日々増す愛おしさ。これ以上人を愛し、愛されることなどない。それは艱難辛苦の道を歩まざるを得なかったシュウが、その道の果てにようやく獲得した栄光だった。小説といった娯楽的な読み物を手にする機会に恵まれないシュウは、咄嗟にはその状態を表現する詩的な言葉を思い浮かべられなかったが、ありきたりな表現である|薔薇色の人生《ラ・ヴィアン・ローズ》という言葉がこんなにも相応しく感じられる日々は他にないと思うぐらいに、マサキと過ごす日々に感動と興奮と悦びを覚えていた。
 いずれその日々に終わりが来ることを覚悟していたものの、シュウの予測では、それはこんなにも早く訪れるものではなかった。マサキは逞しく、そしてしぶとく、これから先も戦場で生き抜いてゆくことだろう。それが16体の正魔装機を束ねる魔装機神サイバスターの操者に求められる生き様。勇者に祭り上げられた彼が歩んで行く、輝ける人生だった。だからこそ、シュウはマサキを失うことがあるのだとすれば、それは彼、或いは自分が老衰で死ぬ時か、若しくは彼が心変わりをした時だと、特に深い理由もなく思い込んでいたのだ。
 漠然とした予想。それは高い知能を誇るシュウにとっては、常に正しい天啓であった。
 知能というものは想像出来る範囲の不幸しか予測させないように出来ているようだ。シュウはアルバムを書棚に仕舞った。ぎこちない笑顔を浮かべて写真に納まることしか出来なかったマサキ。けれども季節を重ねるにつれ、自然体のスナップ写真を残すまでにカメラに慣れていった。
 季節の移り変わり。地底世界には存在しない四季を感じに、そして記録に残すべく、幾度ふたりで地上に赴いたことか。写真を残すことを選択したのは正解だった……記憶力に自信のあるシュウは、そうでなくとも思い出を細かく記憶出来る人間であったが、思い出せる範囲には限りがあるように感じていた。それが写真を眺めていると解消される。より鮮やかに、より美しく。脳裏に蘇ってくる輝けるあの日々。それはまるで一本のショートフィルムを見ているような細やかさで!
 ―――地上に行こう。
 ふと、そう思った。
 そしてふたりで巡った世界を今また地上から順に眺めてゆくのだ。シュウが識《し》りたいと望み、その同行者《コンパニオン》にマサキを選んだふたつの世界を。


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