四章と五章の間に入ります。マサキ視点。
<wandering destiny>
幕間(二)
珍しくもシュウが本音らしきものを吐露した記憶。その言葉にマサキは期待してしまいそうになることがままあった。
熱病で彼が十歳以降の記憶を失ってしまった時の話だ。
どうやら少し前から人格としては存在していたようだ。それが自身の危機に際して表に出てきたシュウは、自身の私的な記録である日記帳にマサキが手を掛けたことに、少なからず怒りを感じているようだった。それについては当然だとマサキは思っている。マサキ自身も同じことをシュウにされていたら、怒髪、天を衝く勢いで怒り狂っていたに違いない。それでも、マサキは知りたかったのだ。シュウ=シラカワという人間がマサキ=アンドーという人間に対して何を考えていたのかを。
もう、シュウ=シラカワという男が生きた記憶は戻らないのではないかと思っていた。
それならば、せめて、最後に残った謎を知りたい。
そう、マサキは期待をしてしまっていたのだ。日記を読んだ九歳のシュウが語って聞かせてきた言葉から察するに、そこに綴られているマサキに関する記述は否定的な内容ではなさそうだ。それならば、『読む』ことが、シュウ=シラカワという人格への弔いになるのではないか? だからマサキは日記帳に手に掛けてしまった。そしてシュウを決定的に怒らせてしまった。
――私はあなたに執着している。
執着とは何だ?
――そしてあなたに心酔している。
心酔とは何だ?
――あなたに心を許していなければ、どうして私は、あなたにこうして触れられたものか!
自分がシュウに心を許されているなど、マサキは考えたこともなかった。俗物的な生理現象で自分を抱いたとばかり思っていた。けれども、それは間違いであったのだ。シュウはもっと形の大きな――それでいてままならさを感じるような想いに囚われている。苛烈に言葉得を継いだシュウの表情から、マサキが感じ取った彼の本心に対する印象はそれだった。
――私はあなたに執着している。
執着とは何だ?
――そしてあなたに心酔している。
心酔とは何だ?
――あなたに心を許していなければ、どうして私は、あなたにこうして触れられたものか!
自分がシュウに心を許されているなど、マサキは考えたこともなかった。俗物的な生理現象で自分を抱いたとばかり思っていた。けれども、それは間違いであったのだ。シュウはもっと形の大きな――それでいてままならさを感じるような想いに囚われている。苛烈に言葉得を継いだシュウの表情から、マサキが感じ取った彼の本心に対する印象はそれだった。
だから、理解《わか》らなくなった。
シュウが自分に向けている感情は、ただの好意と呼ぶにしては重過ぎるようにマサキには感じられた。こんなものは背負えない。咄嗟にマサキがそう思ってしまったのを、誰が責められただろう。マサキは風の魔装機神サイバスターの操者だ。対してシュウは、如何にサーヴァ=ヴォルクルスという人智を超えた存在に操られた所為であったとしても、国家叛乱罪に問われている男である。付き合いがあるだけでも問題視される立場であるのに、自分に向けられた重圧的なそれらの感情までもを抱えて生きるなど論外のことだった。
けれども――……。
時間が経ち、立場は変わった。セニアの尽力もあってか、ラングラン議会も態度を軟化させた。教団を離れたシュウの行動に一貫性があったことも関係しているだろう。道を違えこそしなければ、シュウが有している能力は――仲間たちも含めて、ラングラン国家の発展に寄与するものであるのだ。
さりとて、自由であることに強い執念を抱いている男だ。シュウ自身は決してそういった立場を望んではいないだろう。
それでもマサキは期待してしまうのだ。彼がこちら側に来てさえくれれば、と。そう、マサキは自身の悪癖が自分の心を飲み込もうとしているのに気付いていた。
溺れたい。彼と、終わりのない肉欲の世界に堕ちてゆきたい。それはマサキが密かに抱き続けた願望だった。奪うように抱かれた、強烈な肉欲の記憶。お陰でマサキは、未だに数少ない彼との性行為の記憶に縋って自慰に耽る癖が抜けないままだ。だというのに、マサキの身体に強烈な爪痕を残した男はマサキに手を出さなくなったときている……。
その程度の執着心だったのか?
好機《チャンス》は幾らでもあった。これまで、行動をともにした回数は数えきれない。ふたりきりになったこともそれなりにあった。だのにシュウはマサキに指の先ほども触れなくなった。記憶を取り戻したばかりのシュウとした性行為《セックス》が、彼との最後の性行為《セックス》の記憶だなどというのは巫山戯ているとマサキは思う。
だからマサキはシュウに迫った。迫らなければ、自らの悪癖に押し潰されそうだった。
快楽に溺れていなければ心の均衡《バランス》が保てない。そのぐらいに中東極右派《マウシム》の報復措置はマサキの心を挫いた。ああやって罪のない人間の命を彼らは幾つも軽々しく奪ってきたのだ。中東極右派《マウシム》を追うことを止めるつもりはなかったが、追い続けることで起こり得る可能性の全てを、あの瞬間にマサキは全て見てしまっていた。そして、だからこそ問われている気分になった。
それだけの覚悟があるのか、と。
最早、マサキにとって中東極右派《マウシム》の解体は、絶対に為さねばならないことであった。両親の仇などという卑小な理由ではない。世界に脅威を与える存在として、彼らをこのままにはしておけない。だのに、マサキには何をどうすれば彼らに辿り着けるのかがわからない。連邦軍の資料でさえも役に立たない状況下。正攻法での情報収集も封じられてしまっている。いや、これはマサキが下手を打ったからでもあったが……。
シュウは自身の情報網《ネットワーク》を使用して、中東極右派《マウシム》に迫るつもりでいるようだ。それが間違っているなどとはマサキは思わない。ただ、自分の存在が中東極右派《マウシム》に遠く及ばないと云われているような気になった。報復措置を招いてしまった以上はどうしようもなかったが、中東極右派《マウシム》に狙われている現状では、外の世界を迂闊に動き回れない。情報収集に励むシュウの傍らで、彼が出してきた体力維持の為のトレーニングメニューをこなしつつも、消化しきれないやりきれなさ。怒涛の勢いで過ぎていくドバイの日々に、マサキは多大なフレストレーションを溜め込んでしまっていた。
だから、だったのだ。
何もさせてくれないシュウに対してマサキは腹を立てていた。足を使った情報集も駄目、気晴らしのセックスも駄目。すべきことを与えてくれないのであれば、せめて自分のこの悪癖を鎮める手伝いぐらいはしてくれてもいいだろう。だのにシュウは、「私を利用しないで欲しいものですね」などと、驕り高ぶった台詞を吐く。マサキの身体を三度に渡って弄んだのは、明確なマサキの利用であったのにも関わらずだ。
それならば自分で自分を慰めるしかない。
したくてしたくて堪らないのに、そういった意味で自分に触れてくれない男が憎らしくて仕方がない。だからマサキは当て付けるように、シュウが起きているのを確認した上で自慰に耽り始めた。
ベッドを挟んだ向こう側にシュウがいる。マサキの身体を余すところなく知っているたったひとりの男が。
強烈な背徳感に眩暈がする。
マサキは呆気ないぐらいに簡単にその行為に没頭した。いつぞやのシュウの愛撫を思い返しながら、彼が辿った軌跡を自らの手で辿った。幾度も自慰に使った記憶はもう擦り切れてぼろぼろだ。きっと中にはマサキの願望も混じってしまっていることだろう。それでもシュウと性行為《セックス》に耽った三度の記憶はマサキにとっての大事な宝物だった。世の中にそこまで自分に囚われている人間がいるという証明――マサキは自分に執着するシュウを重いと感じながらも、彼のそうした強烈な感情に依存していたのだ。
肌を辿って、乳首を抓み、股間の奥へと手を滑り込ませる。蕾の入り口を刺激するのがマサキは好きだった。深く挿入《はい》るか挿入《はい》らないかの辺りに指を嵌め込み、萎んだ後孔を大きく広げてゆく。嗚呼、ああ、ここに欲しい。幾度か受け入れたシュウの男性器《ペニス》を思い出す。蕾をぴったりと塞いで、抽送を繰り返すあの熱い昂ぶり。猛々しく身体の中で暴れ回る彼の男性器《ペニス》の記憶は、マサキから自制心を剥ぎ取った。
そこで我慢が限界を迎えたようだ。シュウがベッドを出る気配がした。
「どうしてそういったことをするのです」
被っているブランケットごとマサキを抱き締めてきたシュウに、マサキが感じたのは落胆と怒りだった。
「何だよ、お前。やれねえって云っておきながら」
「やれない、とは云っていないでしょう。利用されるのが嫌だと云ったまで」
それがマサキを苛立たせているのだ。
執着していると云った。心酔しているとも云った。心を許しているとも云った。だのにどうして今更、上げ膳据え膳を食おうともせず、ただマサキの行為が悪いことであるかのように窘めてくるのか。マサキには意味がわからない。数えられる回数だったにせよ、キスをしてセックスをした仲だ。そのきっかけは、彼がマサキの悪癖を目撃してしまったからであったのに。
「セックスも駄目、オナニーも駄目って、じゃあ何ならいいんだよ! 前みたいに犯せばいいだろ、この野郎! それを今度は抱けないって、どういうことなんだよ!」
「私があなたを好きだからですよ!」
シュウの返答に、マサキは絶望的な気分になった。
それは彼の中にあるマサキ=アンドー像の肥大化だ。彼には彼の理想とするマサキがいる。こんな跳ねっ返りの強い生意気な男ではなく、もっと従順で、そして寛大な心持ちで自分を受け入れてくれるような。だから彼は自慰に耽るマサキを封じようとするのだ。それは自分が求めるマサキではない。そう云いたげに。
「関係ないだろ、そんなこと! 俺は聖人君子じゃねえ。お前の都合に合わせた人物像を当て嵌められるのはまっぴらだ!」
マサキの怒りは収まらなかった。だのにシュウは、マサキの全身全霊をかけた言葉にこう返してきたのだ。
「だったら、その辺で男でも買ってくればいいでしょう!」
血の気が引いた。
自分は云ってはならない台詞を云ってしまったのだ。本能的にマサキは覚った。
それもそうだ。好きだとシュウは云ったのだ、マサキに。
核心に迫る言葉を悉く避ける男は、安っぽい言葉に踊らされるような真似はしない。いつも回りくどい云い回しで核心から話を逸らしていってしまう。その彼が、こんなにもわかり易く、ストレートに言葉を吐くことがかつてあっただろうか?
なかった――のだ。
シュウの日記帳にマサキ手を掛けた瞬間ですら、彼にはまだどこか余裕が感じられた。腹を立てているのは間違いないが、理性までもを失っていない。そう感じ取れる目の輝きをしていた。だのに今の彼はどうだ。本当に余裕を失ってしまっている。
シュウは耐えているのだ。
自身の欲を必死に押さえ込んで、マサキの痛々しいまでのフラストレーションの発露に耐えている。
俺は……どうすれば……。マサキは反射的にシュウを怒鳴りつけてしまった自分の浅はかな行動を反省し、そして後悔した。やっと聞けたシュウの本音。だのに自分はそれを跳ね除けるような真似をしてしまった。万が一にでも有難うと云えていれば、また違った展開があった筈なのに。
「なら、俺はどうすればいいんだよ……」
「一緒に寝ましょう。ただ穏やかに眠れるようになるまで、私があなたと一緒に寝ますよ」
「何もしないくせに」
マサキの身体を抱き締めてくるシュウに水を向けてみるが、彼はどうあってもマサキの悪癖に付き合う気はなさそうだ。そのままベッドにマサキを連れて入り込む。
マサキは溜息を吐いた。わかってはいるのだ。ここで身体を重ねたところで、それは愛の交歓などというありふれた行為ではない。ただ欲に溺れただけの獣の交配だ。特に自分だ。マサキは今にも泣き出してしまいそうな己の心を奮い立たせた。ホテルのレストランで見た光景が、いつまで経ってもマサキの胸を苛んでいる。
だからシュウはマサキを抱かないのだ。
いや、抱けないのだ。
利用されたくない。シュウの言葉を振り返る。全くその通りだ。好意を持っている相手が、肉欲で自分に迫ってきたとして、欲求の赴くがままに抱いたとしても心は手に入らない。それは虚しさを募らせるだけの行為となるだろう。或いは幻滅する端緒となるかも知れない。それをこの頭脳明晰な男は理解している。
理解しているから『抱かない』のだ。
マサキは己を恥じた。そこで初めて思った。ようやく掴んだシュウの本心を手放したくない。
そしてこう思った。
どこかではきちんと、その気持ちに応えなければ。
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