この話のシュウはちょっとアレな子です。
そこのところをお含みおきの上でどうぞ。
そこのところをお含みおきの上でどうぞ。
<サフィーネのお料理教室>
まるで犯罪者を断罪する検察官のようだ。侮蔑とはまさにこれを指すに違いない。独善的な表情を浮かべたシュウが、これ以上となく冷ややかな視線をサフィーネに注いでいる。
この表情を見られただけでもシュウに付き従って生きてきた甲斐があった。
サフィーネの身体は歓喜にわなないた。
恐らく、サフィーネのストレートな物云いに反射的に反応してしまったのだろう。凄味に満ちたシュウの表情は、元が端正だからこそサフィーネの心を鷲掴みにした。見蕩れるほどに凄絶で苛烈な眼差し。こうした彼の素が窺える態度こそが、サフィーネを強くシュウに縛り付けている要素なのだと――シュウ自身は気付いていないに違いない。
「聞いていますか、サフィーネ」
「は、はい。シュウ様ぁ……」
腰が砕けそうだ。背もたれに両腕を置いて、サフィーネはシュウを見上げ続けた。何かを云わねばならないのはわかっているが、この麗しい表情を目の前にしてしまっては、どういった言葉も無価値なものに思えてくる。まさしく放心状態だ。先ほどまで何の話をしていたのか思い出せなくなったサフィーネに気付いたのだろうか。「でも、シュウ」とテリウスが呑気な声を放った。
「君が今している研究だって下劣な」
「テリウス」
「はい」
修行の一環であるらしい。シュウの研究――中でも魔術が関わるものを手伝わされているらしいテリウスは、当然のことながらその内容を熟知している。だからこそ飛び出た言葉であったのだろうが、それはシュウにとっては触れてはならない禁忌であったようだ。先ほどの表情を上回る凄絶さ。見るもの全てを恐れ戦かせる表情がテリウスを見下ろしている。
「ま、まあ、シュウ様。流石ですわね。それだけ難しい研究をなさっておられるのでしょう」
居ずまいを正したテリウスに、空気が張り詰める。耐え難いほどの緊張感に、「シュウ様も何かお飲みになられます?」サフィーネはシュウに椅子を勧めて立ち上がった。紅茶をとの言葉に、ほっと息を吐いてカウンターに立つ。
「ところで何の話をしていたのです」
「君の家事能力の話だよ、シュウ」
サフィーネは冷蔵庫から軟水を取り出した。それをやかんに注ぎ、火をかけている間にポットを温める。
「料理でしたら私はするつもりが」
「モニカ姉さんが出来るのに僕らが出来ないのはどうかって話。まあ、僕はちょっとしたものなら作れるようになったけど、君は全く作れないままだろ、シュウ」
ポットに茶葉を入れ、沸騰した湯を勢いよく注いでゆく。踊る茶葉が美しい。タイマーを三分にセットしたサフィーネは、シュウとテリウスの会話に耳を傾けた。どうやらこれまでの話の流れを説明しているようだ。テリウスの言葉にシュウが深く頷いている。
「成程、テリウス。確かにあなたの云い分にも一理ある」
蒸らし終えた紅茶をストレーナーで濾しながらカップに注ぐ。綺麗な琥珀色に満ちたティーカップをシュウの前に差し出すと、そこそこの出来であったようだ。一口啜ったシュウが、微かに頷いた。
「上出来ですよ、サフィーネ」
「有難うございます、シュウ様」
「ところで先ほどテリウスとあなたがしていた話ですが」
「はい、シュウ様」席に着き直したサフィーネはシュウに向き直った。
ゆったりと紅茶を飲むシュウの仕草が、後光が差してきそうなまでに眩く映る。惚れ惚れするほどの美丈夫とはこのことだ。距離の近さ故にシュウの顔を直視出来ないサフィーネは、白蝋のように滑らかな彼の手に視線を注いだ。
「あなたも男女の役割は平等であると考えていますか」
「勿論にございます」
「私も同じ考えです」云って、また一口紅茶を口に含む。「人が精霊の下に平等であるのであれば、それは男女の役割にしても然り。私が神ではない以上、私だけが特別であっていい筈もなし。故に私もまた料理が出来るようにならなければならないでしょう」
「さ、流石のご慧眼! その通りにございますわ!」
サフィーネは机に向かって頭を垂れた。
何を云っているかは良くわからないが、料理をする決心だけは付けてくれたようだ。テリウスの物怖じしない態度に感謝をしながらも、いつ気が変わらないとも限らない。サフィーネはシュウに念を押すのも兼ねて、その真意を確認した。
「と、いうことは、シュウ様は料理を覚えてくださいますのね?」
「勿論ですよ、サフィーネ」
そうと決まれば善は急げだ。本人の気が変わらない内に、基本的なことを教え込まなければ!
サフィーネはシュウに今日のスケジュールを確認した。
どうやらテリウスに手伝わせている研究が上手くいっていないらしい。シュウ曰く、今日は研究を成功させる為の情報を入手すべく、文献を当たるつもりであったようだ。何の研究かは不明だが、シュウの手を煩わせるとはかなりの難関であるのだろう。とはいえ、つまりは空いているのと一緒である。それならば躊躇う必要はない。
「ではエプロンを用意して参りますわ」サフィーネは嫣然と微笑んだ。「実際に料理をしながら、料理の基本を覚えてゆきましょう、シュウ様」
※ ※ ※
エプロンを着けるのですら初めてであるようだ。いつもの手際の良さはどこにやら。たどたどしく肩紐に袖を通したシュウに助けを出しながら、彼にどうにかエプロンを着せるのに成功したサフィーネは、玉葱に大豆、トマト缶と、必要な材料を冷蔵庫から取り出してカウンターの上に並べてから、これから作る料理の説明をシュウに始めた。
※ ※ ※
エプロンを着けるのですら初めてであるようだ。いつもの手際の良さはどこにやら。たどたどしく肩紐に袖を通したシュウに助けを出しながら、彼にどうにかエプロンを着せるのに成功したサフィーネは、玉葱に大豆、トマト缶と、必要な材料を冷蔵庫から取り出してカウンターの上に並べてから、これから作る料理の説明をシュウに始めた。
「今日はチリコンカンを作ります」
祭祀を司る立場にいたが故に、肉類を摂取しない生活を続けてきたシュウは、ヴィーガンまでではないものの肉類が苦手らしかった。そういった彼に肉料理は教え難い。だからこそ野菜だけで作れる料理を用意してみれば、名前と料理の完成形が結び付かないのだろう。チリコンカン。と、不思議そうな声で尋ねてくる。
「大豆のトマト煮のことですわ」
「ああ、それなら偶にあなたが作ってくれていますね、サフィーネ」
ちなみにテリウスは見学である。
多少なりとも料理が出来るのと、彼までもを巻き込むと説明が面倒になるからだったが、見学者と云う立場はそれはそれで楽しいらしい。それもその筈。あのシュウがエプロンを着けて初めての料理に挑むのである。シュウに興味を抱いている彼からすれば、これ以上に面白く感じられる状況もない筈だ。
「ちゃんと出来上がるのかなあ」
「作り方は簡単です」興味津々といったテリウスの視線を無視して、サフィーネは続けた。「玉葱を刻んで、大豆と一緒に炒めて、そこにトマトをぶっ込んで煮るだけ。味付けはコンソメと塩胡椒のみと、とってイージー! しかも、ですよ。なんと包丁を使うのは玉葱をみじん切りにする時だけ! これならシュウ様でも楽勝です」
「成程。手間がそこまでかからない料理なのですね」
「そういうことです」
シュウのモチベーションを保たせるには、彼が好む料理を作らせた方がいいに決まっている。だからこそのメニューセレクト。多少ではあるが、切って炒める工程が入っている為、初心者でもそれなりの達成感が得られるに違いない難易度でもある。
さて、とサフィーネは玉葱をシュウに差し出した。「早速これをみじん切りにしていきましょう」
「いきなりみじん切りは難易度高くないかい、サフィーネ」
「シュウ様は手先が器用ですもの。このぐらいでしたら直ぐに習得を」
と、サフィーネから玉葱を受け取ったシュウが、しげしげと皮付きのそれ眺めていたかと思うとおもむろに宙へと放り投げた。そこからは電光石火の早業だ。残像を残して宙を舞う手刀が、落下する前の玉葱を瞬時にして切り刻んでゆく。程なくして、細かく切り刻まれた玉葱がまな板の上に落ちてきた。
「シュゥゥゥゥゥウ、さまあああああああッ!?」
伊達に剣術を修めていないということか。見事なまでの手刀。綺麗に切り刻まれた玉葱に、けれどもサフィーネは暗澹たる気分になった。こんな野性味溢れる料理方法など、マタギですら取りはしない。
「あっはっは……君、本当に面白いよ……っ、シュウ……っ」
料理の法則を無視したシュウの行動にテリウスが大爆笑する中、「包丁を使ってください、シュウ様」サフィーネはめげてたまるかと、もうひとつの玉葱と包丁をシュウに渡すも、シュウとしては納得が行かないようだ。真顔でサフィーネに向き直ると、
「何か問題でも、サフィーネ」
「問題しかございませんわね……」
巫山戯ているのではないのだ。ただシュウは行き過ぎた合理主義者なだけで。
そう自分に云い聞かせてみるも、先行き不安なのには違いない。負けないわよ。サフィーネは両の拳を強く握り締めた。
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