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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

夜の|静寂《しじま》/アイスクリン
拍手有難うございます。
最近はすっかりSSの虜となっている@kyoさんですが、長編も忘れてはおりません。

ただ……その……構成が上手くなかったのを、組み立て直していたら先に進まなくな……
<夜の|静寂《しじま》>

 溜息よりも重い吐息をマサキの髪に吐き出して、その背部に折り重なる。そして、肌越しに彼の火照った身体の温もりを味わいながら、静かに息を整えてゆく。果てのない虚脱感に身を任せること、暫く。やがて、跳ねていた鼓動が平静を取り戻す頃ともなると、長く続いた性行為の終わりを感じ取ったのだろう。もう、いいだろ……抜けって。シーツに顔を埋めたままのマサキは、呻くように言葉を吐いた。
 指先ひとつで泣き喘いでみせた割には素っ気ない。苦笑しながらも身体を退いたシュウは、だからといって、決して彼が自分に甘えたり、ねだったりしてくるような姿を見たいとは望んでいなかった。
 人間心理とは複雑怪奇なものだ。特に自らの心など、どれだけの歳月を費やしても解き明かせる気がしない。
 世の中を俯瞰して眺めるのが常たるシュウは、自らの論理思考に感情を一切差し挟まないことが出来てしまう人間だ。それはどうやら大半の人間にとっては為し難いことであるらしい。何故、他人はそこまで迫っている正解から逃れるように、歪んだ結論を導き出してしまうのか。物心付いた時には厳然と眼前に横たわっていた真理に、シュウは“他人の心を解するよりも先ずは自分の心を解すべきである”と、大いなるものによって啓示を受けたような気分になったものだ。
 マサキに対する自身の感情が単純な欲の集合体ではないことに、シュウは早くから気付いていた。それはサイバスターに対する欲の代替であったし、その操者に選ばれた少年に対する復讐でもあった。届かぬ高みを夢見ていた自らに対する嘲笑でもあったし、自らの未来を支配している得体の知れない運命に対する抵抗でもあった。そう、シュウが分析する自己――シュウ=シラカワ、或いはクリストフ=マクソードという人間は、マサキ=アンドーというラ・ギアス世界にとってかけがえのない存在を、心に巣食う悪意のままに踏み躙ることに悦びを感じてしまう人間であるのだ。シュウはひっそりと|嘲笑《わら》った。表立って口に出来るような好ましい感情をマサキに抱いてはいる訳ではない自分に、いつしかシュウに組み敷かれることに慣れていった様子のマサキ。ベッドを降りて、床に散らばった服を拾い上げては身に付けるを繰り返している彼の姿を、ベッドの上に残ったまま眺めながら、シュウは残虐と評するに相応しい自らの感情を、ひとつ、またひとつと心の底から掬い上げていった。
「もう行くのですか、マサキ?」
 未練がましい言葉を吐いてみせるのは、それがマサキを拘束する誘惑となっていることに、シュウ自身が気付き始めているからに他ならなかった。戦場にあっては獣のような直感で以て、戦いの真理を突いてゆくマサキ。その彼の姿は扱っている圧倒的な力も相俟って、超越的な存在に映ったものだ。だからこそ、シュウはマサキが欲望に支配されている姿を見たかった。そして、純粋さがクローズアップされがちなセンシティブな年代にある少年にも、年相応な面が隠されているのだと確認したかった。
「長居する訳にも行かねえだろ。ここを何処だと思ってやがるんだ」
 宙域を航行する戦艦の中で短い逢瀬を重ねては、欲望に突き動かされるがまま情事に身を任せてゆく。まさに秘め事と呼ぶに相応しい。その破滅と隣り合わせの関係は、恐らくはマサキに、戦場で敵を蹂躙するのとはまた違った快感を与えているのだ。シュウが誘いかければ、口では非難めいたことを云ってみせながらも、即座に応じてみせるようになったマサキに、所詮は彼も人間だったのだと――シュウは我が身を焼き尽くすような愉悦を味わっている。
 だからシュウは自らの許から去って行こうとしているマサキの背中に、こう静かに囁きかけるのだ。ねえ、マサキ。この戦いが終わったら、飽きるほど|性行為《セックス》をしましょう。ぴくりと小さく揺れた肩。彼の本心を語って余りある反応に、声を上げて笑い出したくなるのを堪えながら、そうしてシュウは疲れ果てた身体を休める為に、シーツの海に身体を沈めてゆく。



<アイスクリン>

 素朴な味ですね。懐かしさに誘われるがまま、いざ自分でも作ってみた母親の味。六時間ほどかけて丁寧に空気を含ませて完成させたアイスクリームをひと口、口に含んだシュウはそう云って微笑んだ。
 どうやら嫌な味ではなかったようだ。
 ミオが云うには生クリームを加えるのが正しいレシピらしかったが、そこは昔の話。生クリームが高価な食材だった時代のことだ。子どもに食べさせるデザートに使うには単価が高くなるからだろう。
 思えば子どもの頃に母親がいずこから入手してきたおやつのレシピはそういったものが多かった。膨らまないホットケーキ。厚みのあるクレープ。不格好なべっこう飴。今振り返ればどれもひと味足りない味がしたものだったけれども、あの頃のマサキにとってはどれも紛れもない御馳走だった。
「以前、日本で食べたアイスキャンディに味が似ていますよ」
「へえ。お前でもアイスキャンディなんて食べるんだな」
「あの日の東京はとみに暑かったのですよ。アスファルトの道の上に蜃気楼が揺らめくぐらいにね。だから、でしょうね。私と同じことを考えた人は多かったようで、キッチンカーには人が群がっていましたよ」
「キッチンカー、か」
 マサキの子どもの頃のアイスキャンディ売りの記憶と云えば、自転車の荷台にクーラーボックスを乗せているものだ。住宅地の片隅でのぼりも立てず、子どもたちの下校時を狙い撃つかのように姿を現すアイスキャンディ売り。それを目にした子どもたちは走って家に帰って、親に小銭をせびっては、急いで買いに戻ったものだった。
 今となっては目にしなくなった下校時の光景。下校路には様々な売り子が現れた。アイスキャンディ、ばくだん、金魚すくいにひよこ売り。文房具や手品のタネだって売られていた。おもちゃ箱をひっくり返したかのようなポップでカラフルな思い出。どれも子どもにとっては夢のようなアイテムに映ったものだ。
「今思えば大したもんじゃねえけど、でも子ども心にわくわくしたもんだよ」
「戻れるのだとしたら戻りたい?」
「どうなんだろうなあ。楽しかった思い出ってのは、そのままにしておきた方がいいだろうしな」
 お前は? とマサキはシュウに尋ねた。いつの間には彼の目の前に置いたガラスの器は空になっている。思ったよりも反応がいい。それだけ彼が日本で食べたアイスキャンディに味が似ていたということなのだろうか。
 時に舌の肥えたところをみせる男は、日頃、そこまで食に拘っている様子は見せなかったものの、いざ気に入らないとなれば遠慮なく残してみせたものだ。それがどうだ。きちんと完食してみせただけでなく、またいずれ気が向いた時にでも食べさせてください。などと宣う。
「次はちゃんと生クリームを加えて作るかな。どうなるか食べてみたい」
「そういった理由であれば止めませんが、私としては出来ればこの味がいいですね」
「何だよ。随分気に入った風な口を利くじゃないか」
 それに対してシュウは首を傾げながら、
「日本でアイスキャンディを食べた時にも感じたものですが、いつかどこかで食べたような、懐かしい味に思えるのですよ」
 云うと、お代わりはない? そうマサキに尋ねてきた。


以上です。


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