どんどんこっちに上げないといけないものが溜まってゆく!!!!
<最初の晩餐>
温かな橙色の光がリビングを満たしていた。
「夕食は何にしますか、マサキ」
もう日も暮れようかという時刻になってようやく手元の本から顔を上げたシュウは、ソファの隣で姿勢を崩してテレビを眺めているマサキにそう尋ねた。
「ギブ! 本当にギブ! 羽根がなくなるっ!」
「ちょっとぐらい痩せた方がいいんだニャ!」
「いやいやいやいやそれ痩せた違う! ああヤメテ! なくなる、羽根がなくなっちゃう!」
「まだまだいけるのね!」
床の上では一羽と二匹の使い魔が飽きることなくじゃれ合い続けている。長くシュウに放置されたことで疲れてしまったのか。そこにちらと視線を向けたマサキが、何にすっかねえ。何の感情も見い出せない表情で呟いた。
「いやいやいやいや、何夕食の話とか呑気にしちゃってるんですか! 見えてるなら止めて!」
助けを求めてくるチカに、「楽しそうで何よりですよ」と、シュウは笑いかけた。
昼頃に訪れたマサキと何をするでもなく過ごした午後。鳥の姿をしているチカを見ると猫としての本能が騒ぐようだ。理由もなく襲い掛かったシロとクロに、いつものことであるのだから逃げればいいものを。と、シュウは思うも、わざわざそれを口に出したりはしない。
「そこ笑うところじゃありませんって! ああ今、ぶちって云った! 滅茶苦茶羽根が抜けた音がした!」
本人が口にしている通り、その羽根は随分と薄くなってしまっていたが、所詮は魔法生物である。明日には呆気なく元の姿を取り戻している生き物に、助けも救いもないだろう。それに、何だと云いつつも、遊び相手がいることを彼は喜んでいるのだ。
だったら何をしようが野暮というものである。
シュウは隣で考え込んでいるマサキに視線を戻した。
戦場以外で見ることのない表情。眉間に皺を寄せて考え込んでいるマサキに、シュウの口元は自然に緩む。
若さゆえか。偏ったメニューの嗜好があるマサキではあったが、趣味らしい趣味を持たない彼にしては食べることに対する拘りは強いようだ。午後を読書に費やしてしまったシュウは、だから今日の夕食のメニューをどうするかをマサキに決めさせることにしたのだが――。
「寿司だな」
「寿司ですか」
おもむろに口を開いた彼が発した言葉に、シュウは僅かに目を見開いた。
温暖な気候のラングランには生食の文化がない。と、なると彼の目的も知れたもの。シュウはソファから腰を上げたマサキを見上げた。振り返った彼の顔にはまるで悪戯を思い付いた子どものような笑顔が浮かんでいる。
「地上に行こうぜ」
ラングランでの日本食の再現に限度があるからだろう。地上世界に未練を感じていない彼は、けれども本場の日本食には未練があるらしかった。ほら、立てよ。そう云ってシュウの腕を引っ張ってくると、まだまだ遊び足りないといった様子の一羽と二匹の使い魔に、「お前らもだ。行くぞ」と声をかけた。
「セニアに怒られるのはあなたでしょうに」
「いいんだよ。俺しか怒られないなら、それで」
そこまで腹を括っているのであればいいだろう。シュウは壁に掛かっているコートを手に取った。ようやくマサキの二匹の使い魔から解放されたチカが、スカスカになった羽根でひょろひょろと飛んでくる。彼をポケットに入れてやったシュウは、早く来いよと急かしてくるマサキに続いてリビングを出た。
※ ※ ※
「――で、回転寿司ですか」
※ ※ ※
「――で、回転寿司ですか」
どうせ滅多に出ない地上であるのだから、少し高級な店に入ってもいいだろうに。堅苦しさが耐え難かったのか、マサキが選んだのは大手チェーンの回転寿司だった。
「悪いかよ、回転寿司で。たらふく食えるだろ、この方が」
「この辺りなら、安くて美味しい握り寿司の店もあるでしょうに」
場所は東京。しかも新橋。何を思ったかサラリーマンの街に足を踏み入れたマサキは、夜の街に繰り出す会社員の群れに混じって、それは堂々と回転寿司の店のドアを潜ってくれたものだ
平日とはいえ夕食時だ。客はそれなりに入っていて、店内は賑やかなこと他ない。会社員の姿が目立つ店内に、シュウはそこはかとない居づらさを感じながら正面のマサキを見詰めた。
「それって立ち食いとかだろ。座ってゆっくり出来るんだからいいじゃねえか」
四人掛けのボックス席。シュウを伴って颯爽とソファに陣取ったマサキは、タブレットに表示されるメニューを漁るのに夢中なようで、顔を上げることなくシュウに言葉を返してくる。
「でしたらせめて北海道に行けばいいものを」
どうやら寿司を食べることで頭がいっぱいだったらしいマサキは、そういった当たり前のことにさえも考えを及ぼす余裕がなかったようだ。驚いた様子で目を見開くと、まあ、入っちまったもんは仕方ねえ。と、実に彼らしい言葉を吐いた。
「日本食を恋しがる割には、その質にこだわらないのがあなたらしい」
「食えれば何でもいいとは思ってねえよ。俺にだって味覚はあるからな。ただ、ちょっと思い出しちまってな」
「何をです?」
「子どもの頃の御馳走の話だよ。親父が月に一度、回転寿司に連れて行ってくれてさ。好きなだけ食えって云うけど、子どもが食える量って限りがあるだろ。食えても十皿ちょっとでさ。上手く嵌めてくれやがったなあ、なんて」
そう云って顔を上げてにかっと笑ってみせたマサキに、深い悲しみの影を見て取ったのはシュウの驕りだろうか? シュウは黙って湯呑みに手を伸ばした。ふたり分の茶を注ぎ、先ずはマグロとイカだな。そんなことを云いながらタブレットを操作しているマサキに渡す。
「まあ、偶には回転寿司も良し。私は嫌いではありませんよ」
「あからさまに態度を変えるんじゃねえよ」
ははは。と笑い声を上げたマサキが、注文を終えたことで用のなくなったタブレットをシュウに渡してくる。それを受け取ったシュウは色鮮やかなメニューの数々に視線を落としながら、そういえば――と、口を開いた。
ふたりで食事をするのも珍しくなくなったことで気付くのが遅れたが、地上でこうして差し向かいになって食事をするのは初めてのことだ。シュウがそれをマサキに告げると、何故か彼は酷く驚いたような表情になって、気付いてなかったのか? と尋ね返してきた。
<いつか幸福をその手に掴み取れるように>
<いつか幸福をその手に掴み取れるように>
遠からず口論になるとは、テュッティも思っていたのだ。
「だったらお前が手本を見せろよ」
「そういう話をしているのではないでしょう。きちんと作戦を立てろと云っているのですよ」
いつまでも埒が明かない状況に業を煮やしたのだろう。物量作戦に出ようとしたマサキに、ついに我慢が限界を迎えたようだ。作戦を立て直してはいかがですか。それまで黙って成り行きを見守っていたシュウが口を挟んだ。
「はぁ? ぶるってんのか? 偉そうに口を挟んできた割には小心じゃねえか」
口火を切ったのはマサキの方だった。
不敵に笑ってみせると、挑発的に言葉を吐く。それが癇に障ったらしい。シュウの眉間に深く皺が刻まれる。
「あなたこそ、猪突猛進もいい加減にするのですね。こういったものは計画性が大事なのですよ。闇雲に撃っても標的は墜ちはしない。どこに当て、どこの力を削ぐのかが重要なのでしょうに。一体、今までの戦いから何を学んできたのやら」
小馬鹿にした口調。他人が相手であれば冷静に対応してみせる男は、マサキが相手だと途端にそのポーカーフェイスを崩す。いやになっちゃう。テュッティは目の前で繰り広げられる口論に、何故か当てられているような気分になった。
まるで小学生の喧嘩だ。
好意がある相手を弄らずにいられない。シュウの態度はそうした幼さによく似ている。
きっと、幼少期に教団に捕えられてしまったことも関係しているのだ。大事な成長期に、真っ当な人間関係を構築してこられなかったシュウ。彼はだからこそ、他人に対して距離を置き、そしてだからこそ、マサキに対して気の置けない態度をしてみせる。
けれどもマサキはそうしたシュウの変化に気付いていないようだ。尤もらしい台詞を吐いた彼に説得されるどころか、反発心を煽られたらしい。冷ややかな視線をシュウに向ける。
「はっ! 射撃の腕に自信がないなら最初からそう云いやがれ」
「その言葉はそっくりそのままあなたにお返ししますよ、マサキ。二度もチャンスを逃したのはどなたでしょうね」
その言葉はマサキの急所を突いたようだ。苦虫を噛み潰したような表情になったマサキが、憮然と言葉を吐く。
「偶々手元が狂っただけだ」
「一度目は偶然で済むでしょうが、二度目ともなれば必然ですよ。つまり二度の|失敗《ミス》はあなた自身の腕の」
「あーもううっせえな! 高々射撃じゃねえか! 好きにやらせろよ!」
ついに癇癪を起こしたマサキに、テュッティは呆れずにいられなかった。
「あなたたち、本当に仲がいいわねえ」
瞬間、マサキとシュウが同時にテュッティを振り返った。かと思うと、口々に反意を唱える。
「どこがだ! 今までの遣り取りのどこに仲良く見える要素があるんだよ!」
「悪ふざけにも限度がありますよ、テュッティ=ノールバック」
軍の駐留地に立ち寄って、様子を見てくるだけの簡単な任務だった。その帰りにふらりと立ち寄った街。大通りの目立つ場所に建っている射撃の店を見付けたマサキは、そこに並んでいる景品のひとつに心を奪われたようだ。
小花があしらわれたペンダント。プレシアへの土産にいいなと思ったらしい。
そこにシュウが通りがかった。どういった用件でこの街に彼がいるのかはさておき、趣味と実益を兼ねて射撃に取り組んでいるマサキの姿は彼の好奇心を刺激したようだ。背後に陣取ったかと思うと、その様子を注視し始めた。
傍にテュッティがいるのにも関わらず、挨拶もなく――である。
――それは私でなくとも勘繰るわよ。
リューネやウエンディからシュウの怪しさについて日頃から聞かされているテュッテとしては、彼の不審な行動に鈍感ではいられなかった。とはいえそこを詮索した結果、シュウに機嫌を損ねられては厄介だ。
何せ彼は痛烈な皮肉屋である。口を挟んだ結果、厄介な事態になるのは、さしもテュッティであっても避けたいところだった。
だからテュッティは、シュウに自分から話し掛けるような真似はせず、ただ黙ってその様子を窺うに留めていたのだが。
「だってマサキも云った通り、高々射撃じゃないの。それをそこまでムキになって喧嘩出来るなんて。あなたたち似た者同士にも限度があるんじゃない?」
「はあ? 俺とこいつが似た者同士? こんなすかした奴と一緒にすんなよ!」
「私としてもこんな短絡的な人間と一緒にはされたくないのですがね」
「そういうところじゃないの」
テュッティは再び溜息を吐いた。
喧嘩するほど仲がいいとはよく云ったものだが、まさしくそれだ。マサキとシュウの口論は、彼らなりの親しさの表れであるように映る。気が置けるから云い合える。けれども、素直になるのは受け入れ難い。そういった感情があのシュウをして、そしてマサキをして、こうも頑なに意地を張らせているのだと……。
「ムキになるところとか、本当にそっくりよ。あなたたち」
マサキとシュウ。
シュウとマサキ。
不思議な縁で結ばれたふたりは、もしかすると自分の気持ちに気付いていないのかも知れない。
「認める気がないならそれでもいいけど、いつか逃した魚が大きいと思っても私は知らないわよ」
テュッティはふたりをけしかけるように言葉を吐いた。そうして彼らの顔を交互に見詰めた。きょとんした表情を浮かべたマサキの隣で、シュウが何かを思案するような表情を浮かべている。
「ねえマサキ。お姉さん、パフェが食べたくなっちゃったなあ」
「何だよ、いきなり」
「マサキは射撃をしてていいのよ? 私はその辺りの店でパフェを食べてくるわ。だってこの調子だと標的を落とすのに、まだまだ時間がかかりそうだし。のんびりしてくるから、シュウと戦略性についてじっくりと話し合ったら?」
だからテュッティはその場を離れることにしたのだ。
悲劇の大公子が、いつかその手に幸せを掴み取れるように。
<鬼の攪乱>
<鬼の攪乱>
「な、なななな何しにきたのよッ! この極悪人ッ!」
案の定と云うべきか。家を訪ねるなり玄関に立ちはだかった彼の義妹に、予想をしていたとはいえ、シュウは悩ましさに眉根を寄せずにいられなかった。
「マサキに呼ばれたから来たのですよ」
童顔めいた顔立ち。大きな瞳がシュウを睨んでいる。
日増しにマサキに似てきているように感じられるプレシアの顔。血の繋がりなど一切ないのにも関わらず、ぱっと見ただけでマサキを想起せずにはいられない。
「そんなことある筈ないでしょ! お兄ちゃん、今熱が38度もあって」
「知っていますよ。先程、本人から聞きましたから」
彼女に罪悪感を持っているシュウとしては、出来るだけその意に沿って行動してやりたくはあった。とはいえ、シュウを呼び出したのはマサキである。熱を出したことで気が弱ったのだろう。今にも死にそうな声で、直ぐに来いときたものだ。
これまでプレシアを慮ってか、自宅にシュウを立ち入らせてこなかったマサキの攪乱。
このチャンスを逃せば二度はない。マサキの自室に興味があったシュウは、だからこそ引く気などさらさらなく。あまりにも話が通じないようであれば、強行突破をすることにしよう。そう考えながら、プレシアを見下ろす。
「お兄ちゃんがあなたに何の用があって、連絡なんか……」
「私にもわかりませんよ。ただ――」
そこでシュウは手にしていた袋をプレシアに掲げてみせた。
「買ってくるように云われたのですよ」
白桃とみかんの缶詰に、オレンジとグレープのアイスバー。パックの苺にサイダーとコーラ。痰が絡んでいがつく喉をすっきりさせたくて堪らないらしい。マサキに買ってくるように頼まれた品に目を通したプレシアが、そのあまりにも栄養価を考えない組み合わせに、シュウの言葉が真実である確信を得たようだ。露骨に顔を歪めてみせると、少しだけだからね。と、道を譲ってくる。
お人好しなのは、兄譲り。シュウは微かに口元を緩ませて、わかっていますよ――と、今頃熱にうなされて心細い思いをしているだろうマサキの許へと一直線に向かっていった。
<夏の聖戦>
<夏の聖戦>
温暖な気候が常なラングランは、夏も穏やかな陽気が続くのが常だった。
それでも稀には夏らしい陽気に見舞われることもある。
うだるような熱気。平原の果てには蜃気楼が揺らめき、天上からは照り付けるような陽射しが降り注いでいる。雲一つない青空。ニュースを伝えるラジオでは、涼を求める人々が海や川、湖に殺到しているとのことだった。
さしもの着たきり雀のマサキもジャケットを脱ぐ陽気。サイバスターの計器を覗いてみると、気温は35℃を突破している。昨日の気温、33℃を上回る暑さ。こうも暑いと家に篭る気も失せる。
「そりゃあ暑い筈だってな……」
市井の人々同様に水辺に涼みに行きたくもあったが、残念なことにマサキには用事があった。シュウに会う。とはいえ、約束を交わした訳ではない。ただ、身体が空いた以上は会いに行かねばならなかった。
――月に何度かは顔を見せに来なさい。
マサキのスケジュールをマサキ以上に把握している男は、マサキがどのぐらいの割合で自分と会っているのかを計っているようだった。彼の家のカレンダーに付けられた印はその証左。とはいえ人付き合いに淡白な男だ。日数や回数が少ないからといって機嫌を損ねたりはしない。それでも顔を合わせる度に何日ぶりだのと聞かせてこられては、如何に神経の図太いマサキであっても気を遣わねばと思ってしまう。
「おい、シュウ。いるか?」
すべきことに追われて気付けば三週間。顔を合わせずに過ぎた日々が、マサキの心に幾許かの影を落としていたのも事実だった。会わない日々に恋しさが募る。だからマサキはシュウが不在なその家に、勝手知ったる他人の家とばかりに上がり込んだ。
どうせ少しもすれば返ってくるだろう。そう思いながら、汗に濡れた身体を冷やすべく空調を点け、冷えた飲み物を求めて冷蔵庫を開く。
封の切られていないオレンジジュース。シュウの好みではない飲み物は、恐らくはマサキの来訪を当て込んでのことだ。賞味期限を確認したマサキは、それをグラスに開けた。どうせなら氷も入れよう。そう思いながら冷凍庫を開ける。
――と、小ぶりの容器がふたつ目に付いた。
蓋に印刷されている写真からして、中身はアイスクリームであるようだ。丁度いい。火照った身体を早く冷やしたかったマサキはオレンジジュースと一緒に口に入れようと、アイスクリームの容器を取り上げた。
これがとにかく美味い。
匂い立つ上品なバニラの香りは勿論のこと、アイスクリームの旨味を凝縮したような甘さと濃さ。滑らかな舌触りは生クリームを食べているようだ。
「やばいな、これ。滅茶苦茶美味いぞ」
呆気なくひとつめのアイスクリームを完食してしまったマサキは、空になった容器を片付けるついでに冷凍庫の扉を開いた。最早、一刻も我慢が利かない。欲望の赴くがまま、さして物のない冷凍庫内に鎮座しているもうひとつのアイスクリームに手を伸ばす。
「ちょっとマサキ。大丈夫ニャの、それ食べちゃって」
「ふたつってことは、一緒に食べる気だったんじゃ」
そう二匹の使い魔が止めに入ってくるも、熱波に煽られてここまで来たマサキは自分を止められなかった。
甘いものが苦手なあの男は、きっと半分も食べずにマサキにアイスクリームを渡してくる。だったら全部食べてしまっても一緒ではないか。マサキはふたつめのアイスクリームの容器の蓋を開けた。
そしてスプーンで掬ったアイスクリームを口に頬張る。
その瞬間だった。
マサキ、いるのですか。という呼び声とともに玄関ドアが開く音がした。しーらニャい! と声を上げて二匹の使い魔がソファの下に潜り込む。マサキは二口目のアイスクリームを口に運んだ。
やめられないとまらないとはまさにこの事。地上時代に馴染みのあったコマーシャルを脳裏に思い浮かべながら、マサキは豊かな味わいのアイスクリームを口に頬張った。
「いるのなら返事ぐらいは」
リビングに姿を現わしたシュウが動きを止めた。まさか、あなた――と、手元に注がれる視線。もう残り一口もないアイスクリームを掬って、食うか? と、マサキは顔を上げた。
そこにあったのは、一切の感情を排した表情だった。色を失った双眸。ガラス玉のように硬質的な瞳がマサキを見下ろしている。
「――一日十個の限定生産品なのですがね」
吹き荒ぶ吹雪のように冷ややかな声がそのレアリティを告げる。どうやら届いたようだ。だから云ったんだニャ! ソファの奥からふたつの叫び声が上がった。同時に、すい――と、迫ってくる長躯。マサキはソファの端ににじり下がった。
「いや、だってお前、あんま甘いもの好きじゃないだろ」
「好きじゃない? もしやふたつめとは云いませんよね」
「あ、うん。えーと……」
ゆるりと伸びてきた節ばった白い手がスプーンを握っているマサキの手を掴み上げる。
「……三週間ぶりの再会にも関わらずのこの無礼。あなたとはゆっくり話し合う必要がありそうですね、マサキ」
「いや、待てよ。そんな怒るなよ」
「そろそろあなたが来ると思って用意していたものを、先に食べられれば怒りもするでしょう。安心なさい。少し話し合うだけですよ、マサキ」
「それが怖いんじゃねえかよ! 話し合いって何を話すんだよ!」
「あなたの卑しさをどう躾けるかについてですよ」
云って、隣に腰を下ろしてきたシュウに、ソファの端に追い詰められた形となったマサキは、端正ながらも凄味のある表情を正面に、ひたすらに絶望するしかなかった。
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