よくよく考えたらマサキは地上時代に知ってる筈だよなあ、と思ったのでこうなりました。
<汝、力に驕ることなかれ(中)>
監視用の格子が嵌め込まれた鉄扉。時折、看守を務める兵士が通り過ぎるのが見える。
捕虜収容施設とは趣が異なる監房。冷え冷えとした感触の床や壁は捕虜収容施設とどっこいどっこいではあったが、頭の位置に鉄柵で覆われた小窓があり、せせこましい空間に柔らかな光と温かな空気を届けてくれていた。
家具は二種類だ。
折り畳み式の簡素なベッドと、食事や書き物をする為に使用する小さな机。机の下には用箋と筆記用具が収められている。セニアは何も云っていなかったが、考えが纏まったらここに再発防止案を記し、外を巡回している兵士に渡せということらしい。
すべきことはわかっている。かといって直ぐにそれを文章に起こせるほど、マサキは書類の作成には慣れていない。
どう書けばいいのかを考えるだけで終わった初日。まんじりとせず夜を明かしたマサキは、配給の食事を掻き込んですぐさま、今日こそは――と、思いながら用箋と筆記用具を取り出した。
壁に向かって固定されている机に向かう。
貧相な食事は、囚人たちと同じメニューであるかららしかった。健康的な就寝時刻や起床時刻も同じだ。マサキが相手であろうと手心を加える気のないセニアに、彼女の本気が垣間見える。ならば、自分も真面目に取り組まなければ。マサキは用箋に向かって、昨日練った文章を書き始めようとした。
だが、あれだけ時間をかけて考え尽くしたにも関わらず、上手く文章に書き起こせない。書いた先から陳腐な言葉が連なっているようにしか見えなくなる自らの文章。どうしたらいいんだよ。少しもしない内に宙を仰いだマサキは深く溜息を吐いた。
そもそも人並み以上にスポーツを嗜んできたマサキは、その経験で、自らの拳が司法からは武器同様に扱われることを知っていた。それは、地上世界と理が異なる地底世界にしても同様だ。常人を凌ぐ力を有する人間は、その力故に深慮でなければならないのだ。
幾ら裁量権を与えられた魔装機神の操者でも限度はある。その現実に、マサキは不服を感じてはいなかった。
力の揮いどころを誤れば、処罰が下される。
当たり前のことをマサキはわかっていた。だからこそ、後悔の念に限りはなかった。もっと自分は上手くやれた筈だった……その気持ちがマサキの文章を揺らがせているのは明白だ。
ついつい言い訳めいた言葉を連ねてしまう自分。それは、反省していることをアピールしたいと思ってしまうからなのか。それとも心のどこかで今回の処分に納得をしていない自分がいるからか――自分でも何が書きたいのか不明な文章が書き付けられた用箋を眺めたマサキは、ややあって静まり返った監房に寝転がった。
電灯がひとつしかない天井を見上げる。
書くのはたったひとつ。一般人へは非暴力を貫くこと。それだけでいい。だのに、それだけで済ませることに抵抗感を覚えてしまう。果たしてその程度で、強硬な姿勢を貫いたセニアが許してくれるだろうか?
険しい表情を崩しもしなかったセニアの厳しい眼差しが思い返される。彼女は明確にマサキの行いを批判していた……
悩み尽きずにマサキは寝返りを打った。程なくして、耳に通路を往く看守の靴音が潜り込んでくる。と、その足がマサキがいる監房の前で止まった。
「マサキ殿、面会人です」
「面会人――だと?」マサキは身体を起こして、鉄扉の前に立った。「会わせていいのか、俺に」
「セニア様からの許可は下りています」
「許可が下りてる……?」
マサキは訝しく感じながら、開かれた鉄扉から外に出た。
囚人用の監房にマサキを放り込んだぐらいであるのだ。セニアが今回の一件を、マサキが考えている以上に重く考えているのは間違いない。そうである以上、安易に面会を認めるような真似をする筈がない。そう思いながら兵士の後を続いて長い通路を往けば、脱走防止用のゲートを抜けた先に、面会室と書かれたプレートが掲げられた扉が見えてきた。
「どうぞ、こちらに」
兵士に導かれるがまま扉を潜り、面会室の中へ。
どの世界でも考えることは同じとみえる。中央を鉄柵で仕切られた小部屋。鉄柵を挟むようにして、テーブルと椅子が置かれている。手前にある椅子に腰を下ろしたマサキは、その正面でマサキの訪れを待っていた書生風の男に視線を合わせた。
「お前、何でここに」
「あなたの仲間が騒いでいましたからね。セニアの処分が遣り過ぎではないかと」
瞳を覆い隠す前髪に、度の強い眼鏡。もっさりとしたガリ勉といった風采の男の名はシュウ=シラカワ。どれだけ姿形を変えてみせようとも、マサキの目は誤魔化せない。纏ったプラーナの質で直ぐに素性が知れる男は、どうやら騒ぎを聞きつけて姿を現わしたらしかった。
「で、それを笑いにきたってか」マサキはふんと鼻を鳴らした。
司直の手に委ねられずに済んだのだ。寛大な処置であるのは理解している。それでも、悠然と言葉を紡ぐ彼を目の前にすると、監房に身を置かざるを得なくなった自分がみじめったらしく感じられてしまう……
だからマサキは虚勢を張った。
それをシュウはどう感じ取ったのだろうか。いつも通りに|皮相的《シニカル》な笑みを浮かべてみせると、
「あなたがどう過ごしているのかを確認しにきたのですが、余計な世話だったようですね」
「余計な世話かよ。わかってるくせに、何でわざわざ足を運んだかね」
「あなたが腐っていたら叱り飛ばそうと思っていたからですよ」
しらと云ってのけたシュウが、けれども今のマサキには羨ましく感じられて仕方がない。そう、目の前のこの男は、魔装機神操者であり剣聖でもあるマサキとは異なり、取るべき責任とは無縁な生活を送っている。
自らの心が命ずるがままに生きているシュウ。彼は自らを縛る因業を断ち切る為であれば手段を選ばない。セニアの手を盛大に煩わせる彼は、この広大なラ・ギアス世界で、自由に振舞うことを許された――否、その圧倒的な能力と力故に放置されるに至ったたったひとりの人間だ。
「お前はいいよな。自由に生きられて」
だからマサキは、自らの気持ちの赴くがまま言葉を継いだ。
「どう振舞っても咎めるヤツがいねえ」
「あなたが想定する自由がどういった意味かはわかりかねますが、義務や権利からの自由といった意味であるのであれば、重罪人である私の自由は確かに保障されたものなのでしょうね」
それをシュウはどう感じ取ったのだろう。平易な声で返された言葉の意図は、学の足りないマサキには読み取れそうにない。
元来が学者肌な男なのだ。
だが、長い付き合いだ。その意味せんとするところを理解出来ずとも、マサキにはシュウが何を云いたいかは察しが付いた。この男がこうも回りくどく言葉を吐く時、それはそれと知れぬ嫌味を吐く時だ。
「気に入らねえからって、回りくどく云うんじゃねえよ。そういう時ははっきり云え」
「察しが良くて助かりますよ。私自身は義務から解放されたつもりはありませんでしたからね」
「その割には、容赦なく敵をぶっ潰してるように見えるがな」
「あなたはそうしたかったのですか」
「そうじゃねえよ……いや、そうだったのかも知れねえな……」
マサキは言葉を濁した。
大事な義妹に下心で近付いた男を、そして止めに入った自分の存在を丸ごと無視してみせた男を、マサキは恐らくまだ許せていない。ふと心の底から湧き上がってきた濁った感情に、マサキはそれを痛感させられた。
だからマサキは言い訳めいた言葉を用箋に書き連ねた。自らの正当性を訴えるが如く。そう、あの男への恨み言を口にする代わりに。
「お優しいことで」
「優しい? お前、何を云ってるんだ」
「殺す程度で済ませて差し上げるのでしょう。相手の命一つで収めてあげるなど、優しさ以外の何物でもありませんね」
「……死んじまったら何も出来ねえんだぞ」
「だから、でしょうに」
クックと声を潜ませて嗤ったシュウが、謳うように言葉を継いだ。死ねばそこまで――。声に抑揚のない男にしては人間味に溢れる声音。けれども、その意味するところがわからないマサキは、目を丸くして目の前の男を見遣ることしか出来ずに。
「本当の地獄を味わわせたければ、生かさず殺さずが鉄則ですよ、マサキ。死んだ方がましだと思いながら生き永らえなければならない人生ほどの苦役が他にありますか? 醜く愚かな人間には相応しいことでしょう」
「だったらお前は、何で――」
そこで言葉が引っ掛かった。いつの間にかからからに渇いている喉。そうだ、こいつは。マサキは自らの残虐性を押し隠そうとしもしない男を目の前にして、かつてのシュウの姿を思い出した。
人間の本性などそう簡単には変わりはしない。シュウ=シラカワという男は、未だ心に残忍さを隠し持っているのだ。ただその矛先が、不特定多数から自らの大事なものの尊厳を侵す人間に移り変わっただけで。彼自身はずうっと。
「答えが知りたいですか、マサキ」
厳かに響き渡った声の元を辿れば、これ以上となく穏やかな笑みが浮かんでいる。きっと、碌な答えではない。嫌な予感に胸をさんざめかせながらも、ああ。と頷いたマサキに、シュウが前髪を掻き上げる。
「死は救いであり、慈悲だからですよ」
そうして慈しむような眼差しをマサキに向けてきたシュウは、暫く沈黙を保った後に、これ以上語ることはないと見切ったようだった。席を立ちあがると、では――と、いつもの彼に等しく、ゆったりとした足取りで面会室を出て行った。
「死は救いであり、慈悲だからですよ」
そうして慈しむような眼差しをマサキに向けてきたシュウは、暫く沈黙を保った後に、これ以上語ることはないと見切ったようだった。席を立ちあがると、では――と、いつもの彼に等しく、ゆったりとした足取りで面会室を出て行った。
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