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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

汝、力に驕ることなかれ(終)
さっくり終わります☆

こういうのって解説入れると途端に野暮になるんですけど、白河は自分の中の悪性を自覚しているからこそ、揮うべき時をきっちり分ける人間だと思うんですよね。それは自分自身の感情と世界のあるべき姿は別だと弁えているということでもあります。だから彼にとって、与えられる死は救いで与える死は慈悲なんですよ。



<汝、力に驕ることなかれ>

 神ならぬ人の身ですから――と、いつかマサキに語って聞かせてきた男は、けれどもやはり心のどこかでは他人を裁くことに快感を覚えているのではなかろうか。死は救いであり、慈悲である。口の中でシュウの最後の言葉を繰り返したマサキは面会室を出た。
 一度の死を経験している彼にとって、ヴォルクルスからの解放を叶えたそれが救いであったことは想像に難くない。彼はああいった結末を迎えなければ、雁字搦めに捕えられた己が身をどうにも出来なかった。だが、与える死が慈悲であるとはどういう意味なのか。
 慈悲を授けること=死を与えることなどと、人の世に戻ってきた彼が口にしていい言葉ではない。
 そもそもシュウ=シラカワという人間は、平等性に則った本質的な世界の在り方を重んじることが出来るのだ。性差で役割が定められるなどナンセンス。番がひとりに限られることもナンセンス。固定観念に捉われない彼の寛容さは、時に古典的な道徳観に縛られがちなマサキの狭量さと対立したが、だからこそ、彼は自分こそが正義などと驕れるような人間ではないことを、マサキは天地神明に誓って断言出来る。
 その彼が、ああも挑発的な言葉を吐いた。
 守るべきものの為であれば、シュウは社会的な正義などどうでもいいのだ。
 己の心が命ずるがままに生きる彼は、己の心が命ずるがままに自らが有する絶大な力を揮う。それは彼の自尊心の表れでもあった。何よりも己が納得出来るように。相手を自らの気が済むように罰する為であれば、残虐行為も厭わないと宣言してみせたシュウは、きっと自らの復権には何ら興味を持っていないのだろう。
 地位や立場よりも大事なもの。それは自らの心。シュウの言葉から彼が胸に秘めている覚悟を読み取ったマサキは、監房に戻るとすぐさま用箋に自分の偽らざる気持ちを書き付けた。
 ――今後、一般人には非暴力を貫く。
 どれだけプレシアに非礼を働いた男であれ、青年が一般人であった以上、マサキはシュウのようには思い切れないのだ。
 マサキはわかっていた。清い水には魚は棲めない。マサキが守りたいラ・ギアスは、雄大な自然の中で数多の人々が生の営みを繰り広げている世界だ。彼らは決して一括りに出来るような性質を持っていない。濃淡が両端に分かれたグラデーション。地上人を蔑む者もいれば、祀り上げる者もいる。富める者もいれば、貧する者もいる。寄付を施す者もいれば、盗みを働く者もいる。そう、碌でもない男であろうと、あの青年もまた、地底世界を構成するひとつの要素に違いない。それを魔装機神操者という立場に就いたことで飲み込めるようになったマサキは、だからこそ素直な心持ちで、書くべきこととしてその|一言《いちごん》を用箋に刻み付けた。
 監房からの解放は早かった。
 翌日、マサキが家に帰ると目を赤くしたプレシアがいた。マサキの姿を目にするなり、自分の所為だと泣きじゃくった義妹に、俺のやり方が悪かったんだよとマサキは笑った。プレシアを心配して集っていた仲間たちは、そんなことはないとマサキのしたことを擁護したが、その言葉にマサキが流されることはもうなかった。
 マサキはシュウにはなれないのだ。
 生きて、生きて、生き抜いて、この世界の秩序を守り続ける。その遠大な目的の為であれば、自らの自尊心ぐらい幾らでも捨ててやる。プレシアや彼らと久しぶりにテーブルを囲んで、穏やかなティータイムを繰り広げながら、そう自身の気持ちに決着を付けたマサキは、もしかするとシュウはこうなることを望んでいたからこそ、監房にて謹慎させられていた自分の許に足を運んだのではないか――と思わずにいられなかった。
 尤も、あの捻くれ者の男のことだ。素直にはそうした考えを吐きはしまい。
 ――お前はお前の道を往くがいいさ。俺は俺の道を往く。
 いつかそう声をかけてやろう。賑やかなプレシアと仲間たちの語らいに耳を傾けつつ、今日も温かな陽光を降り注がせている太陽を窓越しに見上げたマサキは、その瞬間のシュウの顔を想像して、ひとり声を殺して笑った。






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