今朝はようやく少しだけ「幽けき~」のテキストに手を付けました。
以下、Twitterより。
以下、Twitterより。
<Epic>
「人が折角来てやってるのに邪魔だ邪魔だって云いやがって! てめえがそういう了見ならもういい! 二度と来ねえよ、こんなトコ!」
「ああ、結構ですね。これで研究も捗ろうというものです。男に二言はなし。あなたがその言葉を守ってくれることを願っていますよ!」
三ヶ月ぶり、通算十度目になる痴話喧嘩に、三匹の使い魔たちが|狼狽《うろた》え始めるも、口にしてしまった言葉を引っ込めるのは性分ではない。シュウは大股に壁に向かうと、ハンガーに掛けられていたマサキのジャケットを手に取った。そして彼に向けて放り投げた。それを落とすことなく受け取ったマサキは、シュウの顔を見るのも憎々しいといった様子で袖を腕を通すと、足元で寝そべっていた二匹の使い魔たちを呼び立てる余裕もないようだ。騒々しく足音を立てながら、振り返ることもなく家を出て行く。
待つんだニャ! 声を上げながら、頭に血が上った主人を追いかけて出てゆく二匹の使い魔たち。天井の桟から舞い降りてきたチカがその後ろ姿を眺めながら、「止めるなら今の内ですよ、ご主人様」と、慌てふためいた声を発する。
「時と場合を考えて動けない方にこそ問題があるとは考えませんか、チカ?」
「それにしたって、マサキさんにもマサキさんの都合ってもんがあるでしょうに。そもそもご主人様の研究は趣味みたいなものじゃないですか。表向きには学会だって追放されている身ですよ。ノルマをこなす為に論文を発表する必要もないのに、思い付いたらいざ吉日。ご主人様はやらずに我慢するってことをもう少し学習なさった方が」
チカ。名前を呼びながら目尻の際にその姿を捉えれば、余程の凶相であったようだ。ひぃ。と短く悲鳴を上げたチカは我が身の安全を確保する必要を感じたのだろう。再び天井の桟へと逃げ込んでゆく。
自分でも剣呑な表情をしているとシュウは思う。それでも相貌が険しくなるのを止められない。そもそも研究に専念しているところに勝手に上がり込んできては構え構えと煩くせっついてくるマサキが悪い。シュウは研究を進めていた書斎に戻るとデスクに着いた。これでようやく研究も捗ろうというもの。だのに、広げっ放しになっていた文献や論文に再び目を落としてみるも、集中力が続かない。
腹立たしさが意識を奪ってしまっているのは明らかだ。
問題はどちらに腹を立てているかだ。
シュウは書棚から一冊の書籍を取り出した。まだ解き明かされていない公理のみが記されている本文から、適当にひとつを取り上げる。そしてデスクに戻るとノートに思い付くがまま、解法を書き付けていく。いつもこうだ。マサキと喧嘩をした後のシュウは自分でも驚くほど動揺してしまう。それを鎮める為にどれだけの時間を費やさねばならないのか。無駄にしか感じられない時間。それはシュウにとって学問に従事している時間が、それだけ短く感じられていることを示していた。
少なくない時間をマサキの為に割いているのだ。
だのに彼はシュウの都合など構わず自分の都合ばかりを押し付けてくる。今日もそうだ。朝も早くから姿を現した彼は、研究で徹夜だったシュウの都合に構わず、書斎にまで入り込んできては相手をしろと煩かった。それを笑って窘めていられたのは最初の内だけ。研究が山場に差し掛かっていたシュウは次第に余裕を失っていってしまったのだ。邪魔ですよ。気付いた時には遅かった。感情が高ぶり易いマサキの怒りに火が点いた。
シュウの言葉に気分を害したマサキの気持ちも察せなくはない。自らの許に姿を現すことが稀な男に、だからこそ多忙なスケジュールの合間を縫って会いに来てみれば、相手は自らの趣味に没頭しているばかりか、それにかまけて自らを邪魔者扱いしてくるではないか。
報われないとはまさにこのこと。それはマサキとて拗ねようともいうものだ。
いつの間にか当たり前のように止まっている手に、シュウは髪を掻き毟った。心の中に確かにある本音。腹立たしくてどうしようもないのに、彼が戻って来ることを期待してしまっている。何度同じ過ちを繰り返せば学習するというのだろう。シュウはデスクに備え付けの革張りのチェアーに深く身体を埋めた。十指に及ぶ博士号など、彼との付き合いにおける解法を探すのには何の役にも立ちはしない。
いっそ別れてしまえば楽になれるのではないだろうか。わかっているのに踏み切れない己の浅ましさ。シュウはいよいよ落ち着きを欠き始めた精神に、書斎を出た。
そしてマサキと顔を合わせた。
どうやら考え事に専心している間に戻って来ていたようだ。何の用です。舌の根乾かぬ内のマサキの帰還に、流石にこれはどれだけ発作的な喧嘩だったにせよ早過ぎると感じたシュウが問えば、忘れてたんだよ。そっぽを向きながらマサキがソファからグローブを拾い上げる。
「邪魔したな。じゃあな」
そして顔を合わせることなく背中を向けたマサキに、それでも手放せないのだと、シュウは咄嗟に手を伸ばしていた。そうして、自らの体躯からすれば華奢にも思える身体を抱き締めると、その薄い肩に顔を埋めて、
「嘘ですよ」
「知ってる」
嗚呼。こうして自分はまた、彼から逃れる機会を逸してしまうのだ。わかっていながらも、マサキの全てを飲み込む台詞に、シュウは安堵を覚えずにいられない。甘えている。シュウは自らの幼児性に呆れ果てながらも、春の陽だまりにいるような彼との関係をどう続けていくべきであるのか考えた。
「遅くなりましたが朝食にしましょう、マサキ」
先ずはそこから始めるべきだ。シュウが提案すれば、彼もまた腹を空かせていたようだ。こくりと頷くと、何が食べたい? 自分が作る気でいるのだろう。そう尋ねてきた。
<春、盛りの折に>
<春、盛りの折に>
「何処だよ、ここ」
桜かと見紛う薄桃色の葉が、風に吹かれてそよいでいる。春の趣溢れる谷間を見下ろしながら、もうそんな季節になったか――と、マサキは巡り来た季節を感慨深く感じながらも、今来た道を探して周囲を窺わずにいられなかった。
「だからあの野郎、一緒に出掛けようって煩かったんだな」
二匹の使い魔に尋ねるまでもなく、役立たずと化した精霊レーダーは現在位置を正しくは伝えてきてはくれない。参ったな。ラングランでは珍しくもない凡百の景色にマサキは声を上げるも、既に主人の困った性質には慣れきってしまったようだ。二匹の使い魔は呑気にも、だったら花見だニャ! と騒がしい。
王都から西に東に。しつこく追いかけてくるリューネから逃れること一時間。ふと気付けばその声が聞こえなくなっているばかりか、ヴァルシオーネRの姿さえもなくなっていた。さて、どうやって王都に戻るか。頼りになる|道案内人《ナビゲーター》を、自ら望んでのこととはいえ失ってしまっている現実。マサキが深い溜息を洩らしてしまうのも無理のないことだ。
「いざとニャれば救難信号を出せばいいのね」
「運が良ければ軍が拾ってくれるんだニャ」
自分たちが道案内をするという選択肢はないようだ。それどころか現状をどうにかしようという気すらないらしい。当たり前のように外部に助けを求めることを提案してくる二匹の使い魔に、そんな真似が出来るか。マサキは憮然と言葉を吐く。
「また迷ったんですね、って云われながら王都まで護衛されて帰る? 冗談じゃねえ」
いつだったか。半日迷って増々辺境へと足を踏み入れてしまった時に、仕方なしに軍を頼った時のことが思い出される。彼らの間でもマサキの方向音痴が重度なものであることは知られているらしく、余計な詮索をされずに王都まで送り届けてもらえたものの、その道すがらで彼らは「マサキ殿にも弱点があったんですね」などと云いたい放題。彼らを指揮して戦場に立つことも多いマサキとしては、その自尊心をいたく傷付けられたものだった。
「旅の恥はかき捨てニャのニャ」
「二度あることは三度ある、ニャのよ」
「どっちも合ってねえよ。お前らのことわざの知識もいい加減だな」
自らの無意識の産物である筈の使い魔の適当にも限度がある例えに、マサキは言葉を挟まずにいられない。そもそも旅をしているつもりもなければ、二度も三度もあんな思いをしたくもないのだ。なのにそれを奨励するかのようなこの台詞。
「お前ら、もう少し使い魔としての自覚を持てよ」
うんざりしながら続ければ、ここは流石にマサキの使い魔だけはある。
「でもマサキ、今更恥ずかしがっても仕方ニャいんじゃニャいの? マサキが方向音痴ニャのは軍の人たちも知ってることニャのよ? 助けを求めたって、ああまたですか。ぐらいで済むと思うけど」
「俺にだってプライドはあるんだよ」
口の減らない使い魔のあまりの頼りなさに項垂れるも、行動しないことには何も始まらない。どうすっか。ぽつりと呟けば、だから花見ニャのね! と、どうあっても春のイベントにしたいらしい。二匹の使い魔はマサキの膝の上に乗り上がってきては、交互に花見花見と口|喧《やかま》しく急かしてくる。
「仕方ねえな。少しだけだぞ」
その昂った気持ちが花見で収まれば、使い魔としての本分を思い出すかも知れない。そんなことを考えながらマサキが操縦席のカバーを開いた瞬間だった。聞き覚えのあるエンジン音。地鳴りを響かせながら近付いてくる青き機影は、春爛漫と染め上げられた谷間にあっては、一種独特の風合いを醸し出している。
「救いの神!」
「な、訳ねえだろ! こういうのは厄介事が増えたって云うんだよ!」
結局のところ、二匹の使い魔たちにしたところで、マサキ自身が道に迷ってしまったものをどうにかする術はないのだ。操縦席から飛び跳ねん勢いで、グランゾンを出迎えようとする彼らを膝から叩き落としたマサキは、次いで通信モニターに映し出されるいけすかない男の気障ったらしい顔立ちを、盛大に顔を|顰《しか》めて迎えた。
「その表情から察するに、どうやらあなたがここにいるのは、意識してのことではなさそうですね、マサキ」
顔を合わせるなり自分の現在の状態を云い当てられるのはいい気がしない。マサキは更に顔を顰めた。
「お前はどういう目的なんだよ」
「散策ですよ」
決して快い存在として人々に受け入れられてはいない男の奔放な行動の後始末をするのは、いつだってマサキたちなのだ。せめてもう少し、自分とその機体の反則的なステータスに意識を向けてくれてもいいものをとマサキは思うも、シュウがそういった小さなことを気にするような性格の男だったとしたら、そもそもラ・ギアスに平和が訪れることはないだろう。
「人のことは云えねえけどな、その機体を使って方々に散歩に出掛けるのだけは止めとけよ。その都度、善良な市民とやらの通報で軍の窓口はパンクするんだぞ。それをセニアが毎度上手いこと処理してくれてるって、わかってんのかよ、お前」
わかってはいても口にせずにはいられない。マサキが敢えて苦言を呈せば、自覚はあるらしい。モニターの向こう側の男は肩をそびやかしてみせた。
「これでも隠密行動には自信があるのですがね」
「一目散にここ目がけて向かってきておきながら、か? どこに隠れるつもりがあるのか云ってみろよ」
「これは手厳しい。それだけ長い時間迷っているということですかね」
「俺の不機嫌を方向音痴の所為にするんじゃねえよ! まだここに辿り着いたばかりだ!」
そう吐き捨てたマサキの顔に、意を唱えたさそうな二匹の使い魔の視線が突き刺さる。
云いたいことはわかるが、マサキとしては認め難い。そもそも原因はリューネにある。今日はそういう気分ではないと重ねて云ったにも関わらず、マサキを道に迷うまで延々追いかけ回してくれたのだ。それだけでも気が立っているというのに、その気分を少しでも落ち着けようとした矢先に、更なる厄介事の登場である。これでマサキの気がささくれない方がどうかしている。
「そういうことでしたら、どうですか。私はここの景色を臨みに来たのですよ。少し付き合ってくだされば、道がわかるところまでお送りしましょう」
その瞬間の二匹の使い魔の気色ばった表情! これではまるでマサキばかりが悪者のようではないか。マサキは面白くないと思うも、このやる気のない使い魔二匹と一緒に行動を続けたところで、事態が打開されることはないだろうということはわかっている。
「あー、もう。仕方ねえな。少しだけだぞ、少しだけ。そしたら送れよ」
それに対してモニターの向こう側の男は、何が可笑しいのだろう。低く声を発しながら笑ってみせると、いいスポットがあるのですよ、とマサキを更に谷間の奥へと誘うかのようにグランゾンを|疾《はし》らせてゆく。
<ひとときの安らぎ>
<ひとときの安らぎ>
寝たいから貸せ。
コントロールルームで計器類を整備していたシュウの目の前に姿を現したマサキは、そう口にするなり、それが当然とばかりに操縦席に身体を埋めていく。寝る時の彼の癖なのだろうか。手足を伸ばしきった方が楽に眠れるだろうに、身体を丸めて操縦席に収まっている。早くも目を伏せて眠りに就こうとしているマサキの姿を横目に眺めながら、シュウはグランゾンのコントロールルームを出た。
シュウの返事を待たずしての蛮行。見ずとも事情は察せたものの、確認もせずに認めるのも違う気がする。確かにシュウは彼の仲間と比べても、彼に対して寛容であるようではあったが、それにマサキが甘えてしまうようなことがあっては、世界の護り人という彼の立場に瑕を付かせかねない。シュウはマサキには自分の足で立ち、自分の頭で考え、そして自分の選択で生きていって欲しいのだ。
グランゾンの外装を覆うように取り巻いているローリングタワーの一角に場所を定めたシュウは、上部から眼下を見下ろすこと暫く。遠目にもそれと知れる鮮やかな金髪をなびかせながら、|格納庫《ドック》に姿を現したリューネの様子を見て、彼女のあまりにも盲目的な態度につい溜息を洩らしてしまう。
彼女はしきりと首を左右に振りながら、鼠一匹逃さぬといった様子で周囲に目を配っている。行き交う|整備士《メカニック》たちがマサキの居場所をわざわざ教えたりしないのは人徳か。目当ての人物は恐らくもう眠りに落ちていることだろうに、熱心なことだ。シュウは手にしたバインダーに目を落として、整備に専念している振りをしながら、彼女の動向を見守った。
やがて探すべき場所を探しきったのだろう。|格納庫《ドック》内をうろつき回っていた彼女が、残すはここばかりとグランゾンに迫ってくる。そしてそこにシュウの姿を認めると、いけ好かない男と言葉を交わすことで、果たしてマサキの居場所を探し出せるのかと考えたようだ。直後には諦めたように首を振ると、次のスポットへ向かう決心を付けた様子で、早足に|格納庫《ドック》を出て行った。
シュウは彼女の姿が|格納庫《ドック》から完全に消えるのを待って、コントロールルームへと戻った。
すうすうと静かな寝息を立てながら眠りに就いているマサキは、かつて敵だった男たるシュウへの警戒心をすっかり解いてしまっているように映る。胎児のポーズ。身体を丸めて眠る姿は、外界の喧騒から自らを隔離しているつもりでもあるのだろう。こうも心安らいで眠っている様子なのを、整備にかかる音で起こしてしまうのも気が引ける。シュウは操縦席の肘当てに腰掛けて、マサキの寝顔を見下ろした。
これだけ距離を近くしても、起きる気配がまるでない。
何を考えてのことなのか。シュウは軽く息を吐いた。何が変わったかと聞かれれば、何も変わってなどいない。シュウの言葉の端々に自らとは相容れぬ部分を見出してしまうマサキは、事あるごとにシュウに突っかかってきたものだったし、マサキの中に経験に見合わぬ幼さを見出してしまうシュウは、マサキに対してつい余計なひと言を吐きがちだった。けれども、時は過ぎた。シュウは簡単にマサキの敵に回るような真似はしなくなったし、マサキもまた頭ごなしにシュウを敵と見做さなくなった。
たったそれだけの、けれどもそれは大いなる変化。
だからマサキは、時にこうしてこっそりと、シュウの許を訪れるようになった。ひとりになりたい時、休みたい時、何かをじっくりと考えたい時。理由は様々だったが、そのいずれにせよ、マサキはシュウに迎え入れる以外のアクションは期待していないようだ。
さりとて、その場を立ち去れというのも違う。
何を考えているのかわからないマサキの行動は、けれども彼のシュウに対する感情の変化を表していた。その心境の変化を、シュウは殊更にマサキに問いかけたりはしなかった。それは何故か? シュウはこう考えているのだ。わざわざ問わずとも、自らの変化を振り返ればわかる――と。
マサキはシュウを信用はしていないが、信頼はしている。
それはシュウがマサキを信頼しているのと同様に。
彼なら四面楚歌の状況も、正攻法で打破してくれることだろう。シュウは上着のポケットから読みかけの本を取り出した。そして今一度、その頁を捲る前にマサキの顔を見遣った。
落ち着いた表情で眠りに就いているマサキは、シュウの注視に晒されてもやはり起きる様子がない。
――決して仲睦まじくとはいかない相手だからこそ、信用出来ることもあるのだ……
鏡合わせのように存在する同胞。育ちも立場も異なるふたりを繋いでいるのは、生まれという|出自《ルーツ》だけだ。けれどもシュウは、それだけでマサキに寛容になれる自分がいることを知っている。私の欲しいものを全て持っているあなた。心の中でそう呟いたシュウは、マサキがいずれ目を覚ますその瞬間まで。今度こそその顔に目を遣ることなく、手にした本を読み耽った。
以上です。
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以上です。
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