おまけのシャワーシーン。驚いたことに続きます。
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<Lonely Soldier>
服を脱ぐのも難儀そうなシュウの介助をしつつ、濡れると厄介だからと勧められたマサキもまた服を脱いだ。とにもかくにも全身を洗いたくて堪らなかったようだ。几帳面な性格の筈のシュウは乱雑に服を脱ぎ去ると、早速とシャワールームに足を踏み入れて行った。おい、待てよ。マサキは床に散った彼の服を脱衣籠に放り込んでその後を追った。
先に髪を洗って欲しいと訴えてくるシュウに従って、シャワーのコックを捻る。あっという間に立ち込める蒸気。その向こう側で、どこか安堵したような様子のシュウが静かに微笑む。
「もうちょっと身体を屈めろよ。手が届かねえ」
広さがあれば椅子を持ち込めたが、人ひとりが湯を浴びるのがやっとな個室とあっては、立って用事を済ませるのが精一杯だ。マサキは僅かに上半身を屈めたシュウの頭にシャワーの湯を浴びせかけた。
「やっと思う存分湯を浴びれますよ」
「今までどうしてたんだよ」
「洗髪は入院患者用のシャンプーとリンスで。身体は濡れタオルで拭くぐらいですよ。戦場だと思えば我慢も効きますが、とはいえ三日もそんな生活を続けてはね。シャワーが恋しくなったものでしょう」
余程、不自由を感じていたのだろう。はあ。と心地よさそうに息を吐いたシュウが頭を上げる。満足気な笑み。濡れそぼった前髪が瞳の大半を覆い隠してしまってはいるものの、安らかさを感じているのが窺い知れる。
マサキはシャンプーを手に取り、シュウに後ろを向くように告げた。
雫が滴る髪に恐る恐る手を伸ばす。他人の頭を洗った経験などマサキにはない。自分の髪を洗うように扱った結果、目に液剤が入ろうものなら更なる厄介事になるのは必死。泡が垂れてきたら云えよ。念を押しながら彼の髪を洗う。
「もう少し強く洗ってくれてもいいのですよ」
「お前の目に泡が入るんじゃないかと思うとヒヤヒヤする」
「そこまで不器用だとは思っていないのですが」
「お前が思ってなくとも、俺は怖いんだよ」
柔い髪。クセの強い彼の髪は、まるで猫の毛のように細い。猫を撫でているような感覚に囚われながら、マサキは彼の髪を時間をかけて揉み込んでいった。入院患者用のシャンプーとリンスは水を使わずに髪質を整えるものだ。それを使わざるを得ない状況にきっと消化不良を感じていたに違いない。そこここと細かく洗い上げる場所の指示を出してくるシュウに、マサキは可能な限り指を伸ばして応えてやった。
「お前、髪伸びたんじゃないか?」
元々襟足を眺めに整える男ではあったが、長い戦禍を過ごしている内に散髪をするのを忘れてしまったのだろうか。肩口を通り越して、そろそろ肩甲骨に届こうとしている毛先にマサキがそうと指摘してみせれば、どうやら図星であったようだ。
「そうかも知れませんね。二ヶ月ほど切ってませんし」
「この機会に切るんだな。折角の補給地入りと休暇だ」
「全ての機体の補修が終わったら行きますよ」
この期に及んでまだ自身の身なりを整えることよりも、補修を優先するつもりであるらしい。献身的というよりは、自我《エゴ》を通しているようにも映る。恐らく自信家なシュウのことだ。自分が指揮を執った方が補修が早く済むと思い上がっているのだろう。
溜息を吐きたくなるような思いに囚われながらもどうにか髪を洗い上げたマサキは、シュウに自分の方を向かせると、再び屈んだ長躯にシャワーを浴びせかけてやりながら、彼の慢心を諫めるように云った。
「一人でシャワーも浴びれねぇなら、せめて周りの人間の手間は省いてやれよ」
「確かに、それもそうですね」シュウはマサキの言葉に納得したようだ。「補給地を出ない内には切りに行くことにしましょう」
シャンプーを終えれば次はリンスだ。同じくゆっくりと髪にリンスを揉み込んだマサキは、それも同様にシャワーで押し流した。大分、すっきりしましたよ。すっきりとした面差し。水も滴るいい男という言葉が良く似合う。吊り上がり気味の眦も涼やかに微笑んでみせるシュウに、で、次はどうするんだ? と、マサキは尋ねた。
「背中を流せばいいのか? まさか全部洗えなんて云わねえよな」
「上半身ぐらいは洗って欲しいのですがね」
「……冗談だろ?」マサキはまじまじとシュウの顔を見詰めた。
いつもと変わらぬ薄い笑み。鉄皮面の彼にとっては、笑顔こそがポーカーフェイスでもある。
マサキは困惑露わに目を瞬《しばた》かせた。
声の調子からして冗談を云っているとは思えない。とはいえ、人嫌いな面がある上に、人並み以上の自尊心を有している男のこと。片腕が使えない程度で肌に触れる行為までもを頼んでくるとは、さしものマサキにとっても思いもよらないことだった。
「左手も使えないことはないのですが、右手と比べるとやはり勝手が違うのですよ」
「それはわかるが――」
「清潔感に関わることですからね。出来ればこの機会に確りと洗っておきたい」
「だからって、お前」
「別に全部を洗えとは云いません。洗い難い上半身だけで結構です」
もしかするとシュウ自身は、マサキに物を頼むことにそこまで拘りを持っていないのやも知れない。いや、それだけ片腕が使えない事態に困窮しているということか。だとすれば、無下に断り続けるのも同義に悖る。仕方がない。マサキは腹を括った。
「……わかったよ。上半身だな」
マサキが彼と同じ立場に置かれたら、やはり同じように誰かを頼りたくもなったものだろう。けれども、では実際誰に頼むかとなると、適切な相手は思い浮かばないものだ。そう考えると、日常の些事を頼める相手というものは、案外限られているのやも知れなかった。
「ほら、向こう向けよ。背中から洗うぞ」
マサキはシュウに背中を向けさせた。自身よりもひと回りは大きく感じる背中は、けれどもマサキよりも肌の白さが際立つものだ。体質だろうか? 同じように日々戦闘に明け暮れているにも関わらず、荒れることを知らない肌へとマサキは泡立てたスポンジを這わせていった。
うなじから肩甲骨、肩甲骨から腰、脇腹。そして身体を返させて、腕に手首、首周り……目にする機会が限られる身体を、マサキは身体を洗い流すついでにまじまじと見た。決して筋肉が付いていない訳ではなかったが、骨格の方が目立つ体躯。肉付きの良いマサキの身体と比べると圧倒的に細く感じられる。
「お前、ちゃんと栄養摂ってんのかよ」
「あなたと比べればきちんと摂っている方だと思いますよ」
「本当かよ」
「経口摂取栄養補助剤《サプリメント》がありますから」
シュウの返事にマサキは顔を顰めずにいられなかった。
ある種、合理的な男のすることだ。食事に対しても味や量より合理性を求めがちなのだろう。マサキはサフィーネたちとシュウの会話を思い出した。どうしようもねえな。ここまでサプリメントで食事を済ませていたシュウに、思いがけず非難めいた言葉が口を衝いて出る。
「肉ばかりの食生活を送っているあなたには云われたくないですね」
マサキは舌を鳴らした。栄養バランスという面では、確かにマサキの方が考えてはいなかったからだ。
成長が止まった感があるマサキに比べ、すらりと伸びた上背を誇るシュウ。骨格レベルでは彼の方が大きいのは明らかだった。手ひとつを取ってもふた回りは大きかったし、胸板にしてもそう。肉の付き具合は貧相に映るのに、マサキでは手が回しきれない。
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