8月はのんびり過ごすって云ったんですが、その割には結構書いてますね。
<No.1>
「ほら見ろよ、空があんなに高い」
マサキは空に向かって両手を広げた。
ラングランではありふれた平原だった。天に向かって真っすぐに伸びる背の高い草が、風に吹かれて頭を揺らし続けているような。
その中央に、まるで登ってくれと云わんばかりにあるひとつの丘。なだらかに続く坂の上にピクニックシートを敷いて、シュウとふたり。雄大な自然の数々を眺めていた。
いや、正確にはマサキがひとりではしゃいでいるだけだった。
知識の徒たるシュウは、相変わらずと云うべきか。膝に広げた本の中身に御執心だ。それが面白くないマサキとしては、どうにかして彼の関心を自分に向けるべく、何かに付けて彼に話しかけてはいるものの、彼が最も関心を寄せているものが相手とあっては分が悪く。
「ええ、本当に美しいですね、マサキ」
まるで動かない視線。生返事ばかりが聞こえてくる惨状に、そろそろ本気でシュウの手元から本を取り上げるべきかとマサキは真剣に悩んでいた。
バスケットの中に納まっているスチール製のマグボトル。中身はシュウのお気に入りの紅茶が詰まっている。スモークチキンと生野菜をふんだんに使ったサンドイッチも、偏食甚だしい彼を思ってのことだ。
だというのに、シュウはそのどちらにも手を付けていない。
この場所に陣取るなり広げられた本。彼にかかればふたりでのピクニックさえも絶好の読書タイムに早変わりしてしまう。
「お前、俺の話を本当に聞いていやがるのか?」
「勿論ですよ」
「その割に視線が全く動かないってのはどういう了見だ」
「心の目で見ていますから」
ああ云えばこう返してくるシュウのつれなさに、マサキは溜息を吐いた。
ラングランは好天に恵まれた日が多い。温暖な陽気に心地良い風。青く抜ける空にしても、その気になればいつでも拝むことが出来る。生まれも育ちもラングランであるシュウにとって、それらが当たり前すぎて有難みの湧かないものであることは理解出来る。
それでも自分が隣にいるのだ――マサキはシュウを横目で睨んだ。切れ長の瞳に、筋の通った鼻梁。そして薄く形の良い口唇。彼の整った顔立ちは、童顔に自覚があるマサキの劣等感を強く刺激する。
こういった顔立ちをどう表現するのが正しいのか、シュウほどに教養のないマサキにはわからなかったが、『黙っていれば端正な顔立ちなのにね』とテュッティが口にしていた辺り、そういった顔であるのだろう。
――面白くない。
こうなったら実力行使だ。マサキはシュウの背後に回った。
幸いなるかな。読書に熱中している彼は、マサキの行動に警戒を払っていないようだ。
その端正な顔とやらを、完膚なきまでに崩してやろうじゃないか。胸に決意の炎を燃やしたマサキは、次の瞬間、力任せにシュウの脇の下に手を突っ込んだ。
「マ、サキ――ッ!」
マサキに擽られたシュウの口から、悲鳴に近い声が上がる。続けて、マサキから逃れようとしたシュウの身体が、ピクニックシートの外に転がった。
「逃げるなッ!」
マサキはシュウの身体を追うと、その胸の上に逆向きに馬乗りになった。次はここだ! マサキはシュウの靴を脱がせ、足の裏へと指を這わせた。
「――――ッ!」
相当に辛いのだろう。耐え兼ねた様子でシュウが身体が左右に転がす。それでも声を上げて笑うのは自身のプライドが許さないようだ。顔を腕で覆って必死に耐えているシュウの姿は、まるで太陽の光に晒されたミミズのようだ。
「ざまあねえな!」マサキはあははと笑った。
「……楽しいですか……っ……マサキ……」
「面白いからやってるに決まってるだろ」
身体を後ろに向けたマサキはシュウの顔に目を遣った――と、笑いを堪え過ぎたのか、目尻の際に涙が浮かんでいる。
「俺とピクニックに来てるってのに、真面目な顔して本なんか読むからだ」
ここぞとばかりに云い放てば、立つ瀬がないとばかりに肩をそびやかしてみせる。
「あなたは本当に私を退屈させないですよ、マサキ」
とはいえ、さんざ悪戯をされた後にも関わらず、シュウが機嫌を悪くした様子はなさそうだ。むしろ喜んでいる風ですらある笑い顔に、もう少し擽ってやればよかった。マサキは頬を膨らませた。
ふう。と、大きく息を注いだシュウが目元に溜まった涙を拭う。
そのまま伸ばされた手が、マサキの頬にかかる。良く云うぜ。マサキは鼻を鳴らしながら、シュウの上着の襟元を掴んだ。そして、自らの劣等感を刺激する整い過ぎたきらいのある顔を間近で見詰める。
「俺はこれで案外執着心が強いんだ」
「知っていますよ」
「だから、十年やそこらで終わりにするつもりはねえよ。じいさんになるまで一緒にいてやる」
真っ直ぐに見据えた先にあるシュウの穏やかな笑顔。慈しむように注がれる視線が、マサキの胸を締め付けた。
「沢山笑って、しわくちゃのじじいになろうぜ。世界で一番幸せな恋をするんだ」
「最高のプロポーズですね」
骨ばった大きな手がマサキの顔を導く。マサキは身を屈めて、シュウに顔を重ねた。そして、口唇を伝ってくる彼の冷えた温もりを、ここぞとばかりに味わった。
<最初の晩餐>
<最初の晩餐>
温かな橙色の光がリビングを満たしていた。
「夕食は何にしますか、マサキ」
もう日も暮れようかという時刻になってようやく手元の本から顔を上げたシュウは、ソファの隣で姿勢を崩してテレビを眺めているマサキにそう尋ねた。
「ギブ! 本当にギブ! 羽根がなくなるっ!」
「ちょっとぐらい痩せた方がいいんだニャ!」
「いやいやいやいやそれ痩せた違う! ああヤメテ! なくなる、羽根がなくなっちゃう!」
「まだまだいけるのね!」
床の上では一羽と二匹の使い魔が飽きることなくじゃれ合い続けている。長くシュウに放置されたことで疲れてしまったのか。そこにちらと視線を向けたマサキが、何にすっかねえ。何の感情も見い出せない表情で呟いた。
「いやいやいやいや、何夕食の話とか呑気にしちゃってるんですか! 見えてるなら止めて!」
助けを求めてくるチカに、「楽しそうで何よりですよ」と、シュウは笑いかけた。
昼頃に訪れたマサキと何をするでもなく過ごした午後。鳥の姿をしているチカを見ると猫としての本能が騒ぐようだ。理由もなく襲い掛かったシロとクロに、いつものことであるのだから逃げればいいものを。と、シュウは思うも、わざわざそれを口に出したりはしない。
「そこ笑うところじゃありませんって! ああ今、ぶちって云った! 滅茶苦茶羽根が抜けた音がした!」
本人が口にしている通り、その羽根は随分と薄くなってしまっていたが、所詮は魔法生物である。明日には呆気なく元の姿を取り戻している生き物に、助けも救いもないだろう。それに、何だと云いつつも、遊び相手がいることを彼は喜んでいるのだ。
だったら何をしようが野暮というものである。
シュウは隣で考え込んでいるマサキに視線を戻した。
戦場以外で見ることのない表情。眉間に皺を寄せて考え込んでいるマサキに、シュウの口元は自然に緩む。
若さゆえか。偏ったメニューの嗜好があるマサキではあったが、趣味らしい趣味を持たない彼にしては食べることに対する拘りは強いようだ。午後を読書に費やしてしまったシュウは、だから今日の夕食のメニューをどうするかをマサキに決めさせることにしたのだが――。
「寿司だな」
「寿司ですか」
おもむろに口を開いた彼が発した言葉に、シュウは僅かに目を見開いた。
温暖な気候のラングランには生食の文化がない。と、なると彼の目的も知れたもの。シュウはソファから腰を上げたマサキを見上げた。振り返った彼の顔にはまるで悪戯を思い付いた子どものような笑顔が浮かんでいる。
「地上に行こうぜ」
ラングランでの日本食の再現に限度があるからだろう。地上世界に未練を感じていない彼は、けれども本場の日本食には未練があるらしかった。ほら、立てよ。そう云ってシュウの腕を引っ張ってくると、まだまだ遊び足りないといった様子の一羽と二匹の使い魔に、「お前らもだ。行くぞ」と声をかけた。
「セニアに怒られるのはあなたでしょうに」
「いいんだよ。俺しか怒られないなら、それで」
そこまで腹を括っているのであればいいだろう。シュウは壁に掛かっているコートを手に取った。ようやくマサキの二匹の使い魔から解放されたチカが、スカスカになった羽根でひょろひょろと飛んでくる。彼をポケットに入れてやったシュウは、早く来いよと急かしてくるマサキに続いてリビングを出た。
※ ※ ※
「――で、回転寿司ですか」
※ ※ ※
「――で、回転寿司ですか」
どうせ滅多に出ない地上であるのだから、少し高級な店に入ってもいいだろうに。堅苦しさが耐え難かったのか、マサキが選んだのは大手チェーンの回転寿司だった。
「悪いかよ、回転寿司で。たらふく食えるだろ、この方が」
「この辺りなら、安くて美味しい握り寿司の店もあるでしょうに」
場所は東京。しかも新橋。何を思ったかサラリーマンの街に足を踏み入れたマサキは、夜の街に繰り出す会社員の群れに混じって、それは堂々と回転寿司の店のドアを潜ってくれたものだ
平日とはいえ夕食時だ。客はそれなりに入っていて、店内は賑やかなこと他ない。会社員の姿が目立つ店内に、シュウはそこはかとない居づらさを感じながら正面のマサキを見詰めた。
「それって立ち食いとかだろ。座ってゆっくり出来るんだからいいじゃねえか」
四人掛けのボックス席。シュウを伴って颯爽とソファに陣取ったマサキは、タブレットに表示されるメニューを漁るのに夢中なようで、顔を上げることなくシュウに言葉を返してくる。
「でしたらせめて北海道に行けばいいものを」
どうやら寿司を食べることで頭がいっぱいだったらしいマサキは、そういった当たり前のことにさえも考えを及ぼす余裕がなかったようだ。驚いた様子で目を見開くと、まあ、入っちまったもんは仕方ねえ。と、実に彼らしい言葉を吐いた。
「日本食を恋しがる割には、その質にこだわらないのがあなたらしい」
「食えれば何でもいいとは思ってねえよ。俺にだって味覚はあるからな。ただ、ちょっと思い出しちまってな」
「何をです?」
「子どもの頃の御馳走の話だよ。親父が月に一度、回転寿司に連れて行ってくれてさ。好きなだけ食えって云うけど、子どもが食える量って限りがあるだろ。食えても十皿ちょっとでさ。上手く嵌めてくれやがったなあ、なんて」
そう云って顔を上げてにかっと笑ってみせたマサキに、深い悲しみの影を見て取ったのはシュウの驕りだろうか? シュウは黙って湯呑みに手を伸ばした。ふたり分の茶を注ぎ、先ずはマグロとイカだな。そんなことを云いながらタブレットを操作しているマサキに渡す。
「まあ、偶には回転寿司も良し。私は嫌いではありませんよ」
「あからさまに態度を変えるんじゃねえよ」
ははは。と笑い声を上げたマサキが、注文を終えたことで用のなくなったタブレットをシュウに渡してくる。それを受け取ったシュウは色鮮やかなメニューの数々に視線を落としながら、そういえば――と、口を開いた。
ふたりで食事をするのも珍しくなくなったことで気付くのが遅れたが、地上でこうして差し向かいになって食事をするのは初めてのことだ。シュウがそれをマサキに告げると、何故か彼は酷く驚いたような表情になって、気付いてなかったのか? と尋ね返してきた。
<いつか幸福をその手に掴み取れるように>
<いつか幸福をその手に掴み取れるように>
遠からず口論になるとは、テュッティも思っていたのだ。
「だったらお前が手本を見せろよ」
「そういう話をしているのではないでしょう。きちんと作戦を立てろと云っているのですよ」
いつまでも埒が明かない状況に業を煮やしたのだろう。物量作戦に出ようとしたマサキに、ついに我慢が限界を迎えたようだ。作戦を立て直してはいかがですか。それまで黙って成り行きを見守っていたシュウが口を挟んだ。
「はぁ? ぶるってんのか? 偉そうに口を挟んできた割には小心じゃねえか」
口火を切ったのはマサキの方だった。
不敵に笑ってみせると、挑発的に言葉を吐く。それが癇に障ったらしい。シュウの眉間に深く皺が刻まれる。
「あなたこそ、猪突猛進もいい加減にするのですね。こういったものは計画性が大事なのですよ。闇雲に撃っても標的は墜ちはしない。どこに当て、どこの力を削ぐのかが重要なのでしょうに。一体、今までの戦いから何を学んできたのやら」
小馬鹿にした口調。他人が相手であれば冷静に対応してみせる男は、マサキが相手だと途端にそのポーカーフェイスを崩す。いやになっちゃう。テュッティは目の前で繰り広げられる口論に、何故か当てられているような気分になった。
まるで小学生の喧嘩だ。
好意がある相手を弄らずにいられない。シュウの態度はそうした幼さによく似ている。
きっと、幼少期に教団に捕えられてしまったことも関係しているのだ。大事な成長期に、真っ当な人間関係を構築してこられなかったシュウ。彼はだからこそ、他人に対して距離を置き、そしてだからこそ、マサキに対して気の置けない態度をしてみせる。
けれどもマサキはそうしたシュウの変化に気付いていないようだ。尤もらしい台詞を吐いた彼に説得されるどころか、反発心を煽られたらしい。冷ややかな視線をシュウに向ける。
「はっ! 射撃の腕に自信がないなら最初からそう云いやがれ」
「その言葉はそっくりそのままあなたにお返ししますよ、マサキ。二度もチャンスを逃したのはどなたでしょうね」
その言葉はマサキの急所を突いたようだ。苦虫を噛み潰したような表情になったマサキが、憮然と言葉を吐く。
「偶々手元が狂っただけだ」
「一度目は偶然で済むでしょうが、二度目ともなれば必然ですよ。つまり二度の|失敗《ミス》はあなた自身の腕の」
「あーもううっせえな! 高々射撃じゃねえか! 好きにやらせろよ!」
ついに癇癪を起こしたマサキに、テュッティは呆れずにいられなかった。
「あなたたち、本当に仲がいいわねえ」
瞬間、マサキとシュウが同時にテュッティを振り返った。かと思うと、口々に反意を唱える。
「どこがだ! 今までの遣り取りのどこに仲良く見える要素があるんだよ!」
「悪ふざけにも限度がありますよ、テュッティ=ノールバック」
軍の駐留地に立ち寄って、様子を見てくるだけの簡単な任務だった。その帰りにふらりと立ち寄った街。大通りの目立つ場所に建っている射撃の店を見付けたマサキは、そこに並んでいる景品のひとつに心を奪われたようだ。
小花があしらわれたペンダント。プレシアへの土産にいいなと思ったらしい。
そこにシュウが通りがかった。どういった用件でこの街に彼がいるのかはさておき、趣味と実益を兼ねて射撃に取り組んでいるマサキの姿は彼の好奇心を刺激したようだ。背後に陣取ったかと思うと、その様子を注視し始めた。
傍にテュッティがいるのにも関わらず、挨拶もなく――である。
――それは私でなくとも勘繰るわよ。
リューネやウエンディからシュウの怪しさについて日頃から聞かされているテュッテとしては、彼の不審な行動に鈍感ではいられなかった。とはいえそこを詮索した結果、シュウに機嫌を損ねられては厄介だ。
何せ彼は痛烈な皮肉屋である。口を挟んだ結果、厄介な事態になるのは、さしもテュッティであっても避けたいところだった。
だからテュッティは、シュウに自分から話し掛けるような真似はせず、ただ黙ってその様子を窺うに留めていたのだが。
「だってマサキも云った通り、高々射撃じゃないの。それをそこまでムキになって喧嘩出来るなんて。あなたたち似た者同士にも限度があるんじゃない?」
「はあ? 俺とこいつが似た者同士? こんなすかした奴と一緒にすんなよ!」
「私としてもこんな短絡的な人間と一緒にはされたくないのですがね」
「そういうところじゃないの」
テュッティは再び溜息を吐いた。
喧嘩するほど仲がいいとはよく云ったものだが、まさしくそれだ。マサキとシュウの口論は、彼らなりの親しさの表れであるように映る。気が置けるから云い合える。けれども、素直になるのは受け入れ難い。そういった感情があのシュウをして、そしてマサキをして、こうも頑なに意地を張らせているのだと……。
「ムキになるところとか、本当にそっくりよ。あなたたち」
マサキとシュウ。
シュウとマサキ。
不思議な縁で結ばれたふたりは、もしかすると自分の気持ちに気付いていないのかも知れない。
「認める気がないならそれでもいいけど、いつか逃した魚が大きいと思っても私は知らないわよ」
テュッティはふたりをけしかけるように言葉を吐いた。そうして彼らの顔を交互に見詰めた。きょとんした表情を浮かべたマサキの隣で、シュウが何かを思案するような表情を浮かべている。
「ねえマサキ。お姉さん、パフェが食べたくなっちゃったなあ」
「何だよ、いきなり」
「マサキは射撃をしてていいのよ? 私はその辺りの店でパフェを食べてくるわ。だってこの調子だと標的を落とすのに、まだまだ時間がかかりそうだし。のんびりしてくるから、シュウと戦略性についてじっくりと話し合ったら?」
だからテュッティはその場を離れることにしたのだ。
悲劇の大公子が、いつかその手に幸せを掴み取れるように。
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