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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

夜離れ(17)
これは長くなりそうな予感がします。2000字を超えてまだ一場面が終わらない!
表示がバグってしまったら申し訳ございません。
夜離れ(17)
 
 引く気のなさそうなエリザに、このままだと湯船から引きずり出されかねないと、マサキは恥を忍んで背中を流して貰うことにしたものの、“念入りに”と主人に言いつけられた彼女がそれだけで済ませてくれるはずもなく。マサキが浴室から出ることを許されたのは、身体を隅々まで洗い流されてからだった。
 着心地の良い柔らかい素材のシャツにパンツ。一回り大きいサイズのそれを、エリザに袖やら裾やらを折られて着た。そしてようやく人心地ついたマサキは、ソファに座ってエリザが呼んでくるだろう館の主人の訪れを待った。
 元々着ていた服は洗濯に回すらしかった。とはいえ、よもや食べ物ならず服まで与えられるとは思っていない。この服は元着ていた服と入れ違いに返すことになるのだろう。それは、マサキの館への逗留の終わりがまだまだ先になることを示していた。
 その事実に安堵するとともに、不安を感じる。
 あの機械的な態度のエリザとこれからも向き合っていかなければならないのだ。
 コン……コン、コン……三回のノック。「失礼致します」廊下から客間に続く扉が開く。エリザを伴って主人が姿を現した。二人は真っ直ぐにソファに向かって歩いてくる。
 エリザが胸前に掲げているのはお盆なのか。主人の裾の長い茶色っぽい上着はガウンなのか。場面を把握しようとマサキが目を凝らしていると、「ちゃんと見えるようになるにはまだ時間がかかるとのことです」と、エリザの声。わかってはいても見え始めた目は休みたがらない。そんなマサキの隣に主人が腰を下ろすと同時に、彼女はテーブルの上に瓶《ボトル》とグラスらしい――を並べ始めた。
 ぷんと薫るアルコールの匂い。そろそろと瓶に手を伸ばしてみると、思ったよりいかつい形をしている。樽のような、それでいて岩場のようなごつさ……
「では、わたくしはこれで失礼致します」
「あ、おい――」
 エリザがそう言って退出しようとするのと同時に、まるでマサキがそれを止めるのを見越していたかのように、主人の手が瓶に触れているマサキの手を取った。続けて間を空けず、その言葉を封じるかのように、
『お酒は飲まれますか?』
「嗜む程度になら」
『なら、私の寝酒にお付き合い頂きます』
 パタンと扉の閉まる音。エリザはマサキの言葉を待つことなく出て行ったらしかった。
 ――わたくしは、ご主人様の御命令であれば、いかなることであろうとも仰せのままに従う召使いにございます。
 エリザが繰り返し口にした台詞を口の中で反芻する。彼女は何がしかの命を主人より受けているらしい。それが何かはマサキにはわかりようもなかったし、わかりたくもなかったけれども、それが三人の関係性を変えてしまったことだけはわかっていた。
 グラスに注がれた琥珀色の液体をちびりと啜る。濃いウィスキーの味。そこまで酒に強くないマサキが全部を飲み干したら、それだけで正体不明になれそうだ。
 迂闊に手を出すのは控えよう。嫌な予感に、マサキはそう思う。
 広い客間に主人と二人きりになるのはこれが初めてではなかったものの、それまでの気安さがマサキの中から失われ、一種独特な緊張感を感じるようになってしまったのは、昼間のエリザの忠告の所為でもあったし、先ほどのデザートの一件の所為でもあった。
『いかがですか、味は』
「きついな、これ」
『よく眠れるいい酒ですよ』
「それよりも運動疲れで気分良く眠りたいもんだ」
 テーブルの中央。恐らくは皿がそこにあるらしい。白いぼんやりとした塊の中から主人は何かを抓み上げ、それをマサキの口唇に押し当ててくる。度重なる不埒な行動にマサキは驚きを隠せない。咄嗟に身を引いたものの、指はしつこくも追いかけてくる。
「ただのナッツですよ」発された声。予感が確信に変わる。
「そういう問題じゃなくてだな」言おうとした矢先から、開いた口の中にナッツを放り込まれる。酒のツマミには程よくとも、ほぼ素面の身で食すのには塩気の強いそれ。マサキは仕方なく噛み砕いて嚥下する。
「奥方がいるんだろう。エリザだって言っていたじゃないか。そういった戯れは控えた方が」
「随分と慣れたご様子で」腕を掴まれて、身を捩る。
「慣れてるって、何が」
「こういった場面での相手のあしらい方ですよ」
 そのまま力任せに肩を抱き寄せられて、口元にグラスを押し当てられた。耳元近くに寄る口唇からしてくる強烈なアルコール臭……“彼”は既に酔っているらしかった。
「はっきり言えよ」
 色の塊の世界でも区別は付く。そう、髪の毛の色が違う。だからマサキは他人だと思い込みたいのだ。けれども知っている。あの男は染料や化粧でもって、ぱっと見ただけでは自分だと気付かれない程度には、姿を変える術を心得ている。
「他人だと思っているのでしょう?」
 その問いに、マサキはどう答えたものか、言葉を詰まらせた。口ぶりからして、彼がこの事態を面白く感じていないらしいことは存分に伝わってくる。「それなのに、何故?」
「お前、何を知って――」
「思い出させてあげましょうか?」
 マサキにはわからない。“彼”が誰であるのか。いや、わからない振りをしていたいのだ。
 わかってしまったら引き返せない。大方、城下の下卑た醜聞《ゴシップ》でも耳にした程度のこと――そう思い込んでいた方が幸せなことだってある。貴族連中の流す醜聞は、政治的な力関係が絡んでくることだってあるのだ。魔装機操者として巨大な力を得てしまったマサキだからこそ、それと無縁ではいられない。そうして表舞台から邪魔者を引き摺り落とそうとしている輩が暗躍しているのが、貴族連中の表舞台である社交界なのだ。
 いくつかの噂は実際に耳にしてしまったことがある。ゼオルートが小児性愛者だっただの、マサキが貴族の権力者だのセニアだのに身体を使って取り入っただの……そうした噂話が当人に実際にダメージを与えることがあるかと聞かれたら、余程後暗い連中でない限りはダメージは殆どないとマサキは答えるしかない。
「思い出させるって、何を」
 彼の空いた手がグラスを掴む。口に含んだそれを、ほぼ無理矢理に口移しで飲まされたマサキは、その余韻に浸る間もないまま喉が焼けそうになる熱さに噎《む》せ返った。
 
 
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