私の中でマサキはすっかり恋愛に不器用な少年になってしまっているのですが、実際はどうなのでしょうね。
シュウマサ的には一生白河に囚われていて欲しくもあります。
<顔で笑って心で泣かない>
別れましょう。と、もし自分が口したら、彼はどういった顔をするのだろうか。
ふとした思い付きは、シュウの心の中で抗い難い欲へと姿を変えた。
本気かと尋ねてくるだろうか? 呆然とするだろうか? それとも、何事もなかった風に振舞ってみせるだろうか?
彼の執着心のなさに恐ろしさを感じていたシュウは、だからこそ彼にその言葉をぶつけたいと思ってしまった。シュウが必要としているほど、彼はシュウを必要としていないのではないか。それは疑念だった。気持ちの大小に拘るなどらしくないことだと思いつつも、手に入れたものを愛でるだけでは満足出来ない。対等な立場で彼とこの先の人生を送って行きたいと考えていたシュウは、或る日、ついにその欲を抑えきれずに口にしてしまった。
「別れましょう、マサキ」
何があった訳ではなかった。強いて云えば平凡過ぎる一日ではあった。
いつも通りに自宅でマサキと会って、何をするも決めずにふたりでいる。ありきたりな一日は、けれども彼がいるだけで特別な日常となった。
時に気紛れに口付けを交わし、時に気紛れに寄り添い合う。読書にテレビ鑑賞。ラジオを聞いたり、使い魔と語らったりもした。
ソファの上の限られた空間は、ふたりで過ごすには丁度よい広さだった。手を伸ばせば直ぐに触れられる位置にマサキがいる。それはマサキにとっても同様だったようだ。なあ、シュウ。そう笑って手を伸ばしてくるマサキを、シュウはこの一日で何度目にしたことだろう。
シュウの自宅で過ごすときはいつもそうだった。シュウとマサキはめいめい好きなことをしながら、時々二人でなければできないことをした。性行為もそのひとつ。口付けが時間を長くすればした分だけ、欲を募らせてゆくのだろう。瞳を潤ませながらしたいと呟くマサキの身体を、シュウはこのソファアで幾度も抱いた。
この日もそうだった。したいの? と、尋ねたシュウの背中に腕を回して、してくれよと云ったマサキ。シュウは昼下がりのソファの上にマサキを座らせて、欲望に溺れてゆく彼の姿を見守った。そして次には膝の上に乗せて、乱れよがる彼の姿を目に焼き付けた。
何も云わずとも雰囲気を察して姿を消すようになった使い魔たちが戻ってくる頃には、夜の帳が天蓋を覆うまでに時間が過ぎてしまっていた。
強いて云えば幸せ過ぎたのだ。
そろそろ帰らなきゃな。ふたりでキッチンに立って作った食事を残すことなく食べきってみせたマサキが、いつも通りにそう口にして席を立った。あっという間に過ぎてしまった一日に、泊まって行かないの? いつもなら尋ねる言葉を、今日に限ってシュウは吐く気になれなかった。
「別れましょう、マサキ」
何で――とは、マサキは口にしなかった。ただ、いつもと同じように平然とした表情で、わかった。とだけ口にした。じゃあな。と、そのまま理由を訊かずに立ち去ろうとするマサキに、シュウは自分が取り返しの付かないことをしてしまったのだと悟らずにいられなかった。
彼は人間関係を受け入れることしか出来ないのだ。
いつの間にか沢山の仲間に囲まれて生きるようになっていたマサキは、けれども自ら求めて彼らを傍に置くようになったのではなかった。それがシュウがマサキに感じていたもどかしさの正体だ。シュウは更に悟った。彼らはマサキ=アンドーという人間の精神性に惹かれて、その傍に集うことを選んだに過ぎない。マサキはただ受け入れただけだ。彼らを拒絶しないことで、彼らにそのままでいいと明示しているかのように。
だから彼らより、一歩先んじたシュウはマサキを獲得出来た。
他の人間がシュウのように行動していれば、マサキはきっとその人物を選んでいたことだろう。
何が彼をしてそうさせているのかは不明だが、他人に対して物怖じせず言葉を吐いてみせるマサキは、だのに人間関係を彼らと構築していくことにには消極的なのだ。
だからシュウは焦った。焦って、マサキ。あなたは――と、追い縋るように言葉を吐いた。
「どうした?」
先程、別れを告げられたとはとても思えない表情。何事もなかった様子で振り返ったマサキに、立場が逆転していると思いながらも、シュウはその肩に手を置かずにはいられなかった。
「何も訊かないのですか」
「だって、お前が決めたことだろ」
嗚呼――シュウは溜息にも似た息を衝いた。それこそが彼の傷。シュウがずっと触れたいと願っていたマサキの心の傷なのだ。そう、マサキは去る者を追わない。何故ならそれが無駄に終わることを知ってしまっているからだ。
シュウは弾かれたようにマサキの身体を抱き締めていた。
自分と比べるとひと回りは小さい身体。この小さい身体に、マサキは癒えない傷を抱えている。すみませんでした。シュウはマサキに謝罪した。そしてこう言葉を続けた。
「あなたの気持ちを試したかった。許してはくれませんか」
瞬間、躊躇う素振りをマサキが見せる。
怒らせてしまっただろうか。それとも傷付けてしまったのだろうか。シュウは悩み始めた。どうすれば自分のしてしまったことを取り返せるのか。その矢先に、そろりとマサキの手がシュウの背中へと回されてくる。
「別れなくていいんだな」
「ええ。もう、一生云いません。ですからどうか、今の言葉を取り消させてください」
「いいよ。気にしてないから。でも、飽きたらちゃんと云えよ。大人しく去るぐらいなら、俺にも出来るからさ……」
その諦めてしまったかのような一種独特な云い回しが、マサキの受けた傷の深さを物語っているようだ。
「ねえ、マサキ。泊まって行ってはくれませんか」
何がマサキに身に起こったのかシュウは知らない。この先ももしかしたら知ることはないかも知れない。それでも、マサキが人間関係に受け身にならざるを得ない思いをしてきたことだけは明白だった。
――ならば私は、一生を懸けてあなたを愛そう。私の想いをあなたが信じてくれるように。
シュウは自身のささやかな好奇心を恥じ、そして悔いた。そしてだからこそこう思った。彼の心の空白を埋めるのは私だ。
「私と一緒に眠りに就きましょう。ねえ、マサキ」
シュウのいつもの引き留めの台詞にマサキがこくりと頷く。愛していますよ、マサキ。ずうっと。シュウは溢れる想いのままに言葉を吐いた。次いで、マサキがシュウを見上げてくる。少しだけ照れくさそうな表情。わかってるよ。そう云ったマサキがもう一度、小さくこくりと頷く。そのマサキの態度に、シュウは自らの宝物をもう二度と手放すような真似はしないと誓った。
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