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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

偶には後ろを振り返ることも必要だ(日記)
説明するのって面倒臭い。(楽しい話はしていません)


昨日新年会って名の同窓会に行ったじゃないですか。そうするとやぱ今何してるか聞かれる訳ですよ。面倒なので精神障害でA型通ってるってざっくり云ったんですけど、大抵の人は「精神障害」って聞くと「うつ病」だと思うんですよ。
これはもう仕方がなくて、施設の仲間たちですら私がうつ病だと思ってるぐらいです。それだけうつ病は精神障害でポピュラーな疾患な訳ですよ。(何故そんなことになっているかというと、聞かれないから答えないだけです。施設の利用者には秘密保持契約の締結が求められます。そうである以上は、なるべく病状については伏せておいた方が(相手に余計な負担をかけないという意味で)、ベターだろうと思っているのです)
ただそうなると相手と話が噛み合わなくなるんですよね。それに私は気付いているんですけど、どうしてそうなったのかとか説明するの面倒臭いじゃないですか。クッソ長いし。私自身は話すことに何かを思うことはありませんけど、相手にとって聞いてて楽しい話ではないでしょうし。

(以下は私が精神疾患を患うに至った経緯についての話も含まれるので反転します)

そもそも親が離婚してるって話ですら、聞いた側が気まずそうになる訳ですよ。腹刺されたフラバから銀色恐怖症になってそれをどうにかする為に受けた催眠暗示で記憶障害になったとか、聞いたら嫌になるに決まってるじゃないですか。私は自分のことなのでしゃーないと思ってますけど、これ他人の話だったら多分相当感情的になると思うんですよね。とはいえ、私自身がこうして割り切れているのは、それなりの理由があるからなんですけど。

懐かしい人たちと会いたい気持ちはあるんですけど、こういうのがあるから面倒だなって思う気持ちもあるんです。仕方のないことなんですけどね。
あ、新年会自体はまあまあ楽しかったです。私は飲めないのでどうしても盛り上がりについていけなかったりしますが、そこはもうしゃーない。素面で騒げるほど若くもないので!笑

※ ※ ※

先日、Xでギフテッドがトレンドに上がってたのでちょっと覗いてみたんですけど、元になったニュースの中で大学教授が「所詮は高専程度」と能力に言及したりとか、彼らの性格的な問題とかに言及したみたいで、まあ尻馬に乗ってやっかみの激しい連中がギフテッドを叩いてること叩いてること。

……馬鹿なの?(最大級の侮蔑)

私は三歳の時に精神科で知能検査を受けて自分の知能指数を知ったんですけど、そんなに珍しいものだと思ってなかったので結構べらべら周りに自分の知能指数の話をしちゃってたんですよね。だから私の知能指数の話についてはもう周知の事実だった訳ですけど、そうすると湧いて出てくるのが周囲のやっかみと嫉妬です。
子どもはそんなこと気にせず付き合ってくれる(それでも私ばかり表彰が続くのでうんざりしていたみたいで、高学年になる頃には他の子が表彰されると凄かったです)んですけど、PTAの親御さんたちは何かに付けて難癖付けてくる訳です。あの子ばかり狡いって。

私は左半身に原因不明の湿疹がある(非伝染性)んですけど、それが冬になって冷えると紫色に変色するんですね。だから冷たい風に当たらないようにって、母親が長袖の体操着を用意してくれた訳ですよ。学校にも許可をもらって(そもそも売ってる時点で許可もへったくれもないんですけど)体育の時間はそれを着てたんです。
そしたらあーた、PTAから学校に苦情ですよ。あの子だけ狡いって。その数がよっぽどだったんじゃないですか?担任から着ないでくれって云われましたよ。許可出したのあなたなのに?てかちゃんと売ってるものなのに??
担任の名前はもう忘れましたけど、授業のわからないところを聞きにいった私に「あなたは出来るのだから自分でやりなさい。出来ない子の相手をするのが教師の仕事」って云った先生だったと思います。ばーかばーか。(シンプルな罵倒)教師が生徒にものを教えることを拒否したらそれはもう教師ではないです。そんな単純なこともわからない愚かな先生だから、PTAのクレームに折れるんですよ。ばーかばーか。

それはさておき、

お陰で一部の子どもたちからは「化け物」って云われましたねえ。百倍の正論で叩き潰してやりましたけど。しかもPTAからも学校にクレームが入ったみたいです。子どもが気持ち悪いって云ってるって。「何とか出来ないの?」とふざけたことを担任が云い出したので、「長袖の体操着を着ないでくれって云ったのは誰ですか?こうなるってわかってたから着てたんじゃないですか」って云ってやったら黙ってましたよ。馬鹿なのかしら、この人。

この程度のことは日常茶飯事です。教師からもPTAからも邪魔者扱いをされる。母親は疲れ切ってました。何かあるとここぞとばかりに責められる。彼女は私が中学二年生の時に不倫の果てに家を出て行ってしまうのですが、それもある意味仕方がなかったのでしょう。こんな環境では気を許せる友人なんて作れませんから。
ずっと母親社会で孤立していた彼女が逃げてしまうのも已む無し。そういった点では、私の母親になってしまったことは彼女の人生最大の不幸としか云いようがないです。

私が知能指数に合わない市立の小学校に通ってしまっているのも問題でした。嫌でも目立つ。行政はちゃんと他の学校への転校を考えてくれましたし、国もちゃんとお金を用意したりしてくれた(給付型奨学金ってやつですね。教育委員会の話だと私の名前で予算がおりているという話でしたが)りはしたんですよ。ただ文部省(当時)が一番最初に話を持ち込んだ学校(学習院)が、「うちにはそういった子を教えられる教師がいない」だの「そういった子ならどこに通っても一緒でしょう」と、最悪の返事をしてきたものですから、父がそれで頑なになってしまって……私自身も「それだったら、この環境で自分で頑張ればいいじゃないか」と思いましたし。

勿論先生の中にも味方はいました。ただ欲なしに私の味方になってくれる先生は一握りでした。皆、将来的な利益を考えるんですよ。「この子は将来有名になるから今の内に恩を売っておこう」って。
私にとって教師とは三つのパターンに分かれます。関わり合いにならないように距離を取るか、欲にまかせて依怙贔屓をしてくるか、純粋に普通の生徒として扱ってくれるか。
文部省は幼稚園の頃から支援をしたいと幼稚園に申し出ていたようなんですが、それを私の担任の先生が止めてくれていたんです。「せめて幼稚園の間だけはあなたに子どもらしく過ごさせてあげたい」って。その言葉の意味が、小学校に上がると同時にわかるようになりました。

自分を取り巻く環境は普通ではない。その原因が自分の知能指数にある。
やっかむ人たちには聞きたいですよ。それでもこの才能、欲しいですかって。

誰に心を許し、誰を警戒するか、私は小学生の時から考えて生きていかなければなりませんでした。上手く立ち回る為にどう言葉を使うか。私がやたらと言葉に拘るのは、こういった経緯からです。云い方ひとつで他人を黙らせることが出来る言葉という武器。肉体的に非力な私はこれで戦うしかありませんでした。
私が他人との付き合いに消極的なのは、幼くしてそうした醜い大人社会に放り込まれてしまったからでもあります。今、付き合いのある友人たちは、私の知能指数を知っていて、それでも尚私と付き合い続けてくれた子たちです。

勿論私は平均的に知能が高い高知能(下位IQとの差は5~10)ですので、正確にはギフテッドではないのですが、高い知能に生まれ付くということは、大人の醜さを他の子どもたちより多く目の当たりにするということでもあるのです。
天に恵まれた才能がある人間を全力で潰しにくるんですよ、才能のない人間は。本当に醜い。私が普通の人間になることを人生の目的として生きているのは、こうした経験があるからです。

でもこういうことを云ってもやっかみが先に立つ人間には理解されないんですよね。嫉みや僻みは恐ろしい。だったら努力しろよ、と私は声を大にして云いたいのですよ。高知能であれ、ギフテッドあれ、神様ではありません。自分である程度までは何とか出来ますけど、根本的には教えてもらえないことはわからないんです。この意味わかりますか?普通の人間でも努力をすれば勝てるんです。

世の中には私よりも物を知っている人間が沢山います。それを私は子どもの頃から知っています。物を覚える才能というのは、知能指数には関係ない(あるんですけど割愛します)んです。
勿論、才能以上のことを人は出来ませんので、そういった方面に才能のない人は御愁傷様と云うより他ないのですが、人間程度の差はあれこそ、大なり小なり何某かの才能や長所となり得る特性があるってもんです。
それはもしかすると勉強に関わるものではないかも知れない。でもいいじゃないですか。だって今の世の中見てくださいよ。こんなに絵を描くのが上手な人たちで溢れている。(絵を描く能力も知能指数が関わる部分があるのですが、これについても割愛します)映えるようにセッティングするのが上手い人がいる。キャラ弁を作るのが上手い人もいる。掃除が上手い人、誰かに愛情を捧げるのが上手い人、人の扱いに長けている人。様々な能力に溢れているでしょう。
人間という生き物はショートカットが出来るんです。先人が築き上げたものの続きからスタートしていくことが出来る生き物なんですよ。インターネットが普及してからの20年で能力に優れた人々が溢れるようになったのは、勿論ネットにそういった人たちが集ったこともあるのですが、ネットで資料が共有されることによって、誰でもその続きからスタート出来るようになったことも影響しているのです。

だからやっかんでる暇があるなら努力しろ。

私と彼らの努力が同量だったら私が勝つのは当たり前です。そこは純粋に能力の差が出るところですから。でもその差が二倍、三倍と膨れ上がっていったらどうでしょう?彼らは私に勝つんです。

この理屈がわかっていない人が多過ぎる。

だから大学教授があんなとんちんかんなことを云うんですよ。ばーかばーか。私は四年生の時に、スキップの話が出て、試しに高校に授業を受けに行ったことがあるんですけど、もうね凄いの!!!やっぱりきちんと勉強をしてきた先輩方は凄いんですよ!!!視野が広い!!!そんな着眼点があるのか!って、ところからばんばん質問が飛ぶ。物凄い勉強になりました。
優しいお姉さま方は「来るのを待ってるよ」って云ってくださいましたけど、いやー行けないですよ。無理、ムリムリ。あの着眼点は義務教育四年程度では身に付きません。だからきちんと勉強をして、正面から来ますって答えました。

でもわからないんですよね。ない人には。

わかっていて云ってしまう私にも問題があるのですけど、ニュースの特集記事なんかを見てると日本社会ってIQ130程度(クラスにひとりはいるレベル)でも窮屈に生きていかなければならないみたいじゃないですか。それがあまりにも不憫で。
私たちは自分の知能に見合った教育が受けたいだけなんです。それが無理なら他の子と同じように扱って欲しいんです。教師が教師であることを投げるような扱いはして欲しくない。

私たちにだって教育を受ける権利はあります。

たったそれだけのことすら日本では難しいんです。それを心の片隅にでも留めていただければ幸いです。まあ、私たち逆の意味で障害者なので、そもそも普通の学校に通うってのに無理があるとは思ってはいるんですけどね。

※ ※ ※

そんな感じで日記とは呼べない日記でした。どっとはらい。ヽ(´ー`)ノ


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