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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

科学室の災厄(2)

 顔を寄せ合い実験器具を扱う生徒達を傍目に、一人消極的なエスケープをマサキは続けていた。頬杖を付いたまま仏頂面で窓の外を眺めるという、それはささやか過ぎるエスケープを。
「ねえマサキ、ちょっとでいいから実験やりなよ」
 見れば試験管を両手に抱えたミオがマサキを覗き込んでいる。
「ああ?」
「センセ、さっきこっち見てたよ」
「だから何だよ」
「あたしの親切がわからないかなあ、マサキには。後でまた大変な目に遭っても知らないよ」
 テーブルの上には液体の注がれたビーカー。撹拌棒が差し込まれたビーカーはアルコールランプで熱され、中の液体が対流を起こしている。その蒸気がマサキに届く。と、つんと鼻腔を刺激する酸の匂いがする。
 シュウが投げ掛けたという視線の意味が気にはなるものの、それでもマサキは素直に実験に参加する気にはなれない。
 そもそも毎度毎度、その後降りかかる厄災を気にして行動を控えていては、まるでマサキの人生の決定権はシュウにあるようなものではないか。絶対的に相手に依存しているならともかく、日常生活の全てにおいて支配されるなど窮屈でしかないであろうし、そこまでマサキも自分を捨てられない。マサキはマサキ、今迄そうして他人の干渉を受けずに生きてきた。相手が誰であろうと自分の思うがままに。
 それを覆し、力任せに支配を強要した初めての相手がシュウだ。それを振り切れないからこそ尚更反発したくなる。力でも理屈でも敵わない相手。こちらが無視をすればした分お釣り所では済まない仕打ちが待っているのは承知だ。承知しているがどうにも譲れない気持ちがある。
 不貞腐れたままマサキはミオに言葉を返した。
「別に……どうでもいいだろそんなの。余計なお世話だ」
「あらら、マサキ御機嫌斜め。もしかして、また」
「また……なんだよ」
 試験管の中の透明な液体をビーカーに注ぎ込み、ミオがマサキに顔を寄せる。何やら浮付いた嫌な予感満載の微笑を浮かべるとミオは言う。
「いやあセンセと痴話喧嘩でもしたのかなー、なんて」
「してねぇ」
 間髪入れずに否定して、マサキはミオの顔を押し退けた。むぎゅ、とガマガエルが押し潰されたような声がその口元から発され、重心が後ろに反れたミオはそのまま椅子に座り込む。
「もう、マサキっ。あたしだって女の子なんだよ」
「女の子が聞いて呆れるぜ」
「このか弱い貴家様を捕まえて女の子じゃないって言うの? マサキの目は節穴だわ」
「女扱いしてほしければもう少しそれらしく振舞えよ」
「そういう事言うとこれかけちゃうよ」
 片手に残った試験管をマサキの頭に掲げてミオが笑う。その中では黄色い液体が何やら不自然な煙を吐き出している。試験管の底からは気泡が絶え間なく立ち昇り、さながら発泡酒といった有様だ。
 見るからに怪しい。
 見るからに危険物。
「ちょっと待てええええっ! それ中身はなんだよおおおおっ!」
 そろそろとその試験管を傾けていくミオにマサキは飛び引いた。椅子が音を立てて倒れ、間一髪、試験管から滴る液体がそこに掛かる――と、物の溶ける嫌な音と共に椅子の足に穴が空いた。
「授業を真面目に聞いてないマサキが悪いのよ♪」
「悪いのよ、じゃねえええええっ! 溶けてるだろ椅子の足いいいいいいっ!」
 煙を吹き上げて椅子を溶かしていく液体など、どうあっても授業で扱う品物ではない気がする。
 顔が引き攣ったマサキの目の前で、試験管は滑らかにミオの頭の脇に移動し、それを振りかぶった腕ににこやかな微笑みが追従し、
「せーの☆」
「馬鹿お前そんなの振り撒くなあああああっ!」
 マサキはミオに飛びかかると、今まさに試験管を放ろうとしている手を掴んだ。
「やだちょっとマサキ何するのよ!」
「そんな危険な物をお前に持たせてられるか! それをこっちに寄越せ!」
 泡と煙を吐く試験管を奪おうと試みるマサキにミオも一筋縄では行かない。強化人間の底力発揮と男性のマサキでも押さえるのがやっとの力で抵抗する。揺れる試験管の内容物が大きく波打ち、それが縁に届いて円を描く。
「いーやーっ!」
「いいから寄越せ!」
「いやいやいやいやっ! これを手に入れるのにどれだけ苦労したと思ってるの!」
「お前それ実験用の液じゃねぇのかよおおおおおおおおっ!?」
 しまった、と表情を変えるミオの動きが止まる。今がチャンスとマサキは引く腕に力を込める。何としてでもこの暴挙を止めなければ自分の身が危うい。それは必死に成らざるを得ない。
 そうして格闘を続けていたのは僅かな間、マサキがようやくその手から試験管をもぎ取れると思った瞬間、
「あ」
「あああああああああっ!」
 揉み合う手元から試験管が抜けた。押して引いての勢いは試験管が床にそのまま落ちるなどニュートンの万有引力の法則に沿った動きをさせない。見事な放物線を描いて宙を舞う試験管が向かった先には――。
「うわあ」
驚いているのか甚だ疑わしい気の抜けたミオの声と共に、試験管の中身が隣りのテーブルの男子生徒の頭に降り注ぐ。途端に吹き上がる白煙に生徒の姿がかき消され、辺り一帯に焦げた繊維の匂いが立ち込める。非常事態どころの騒ぎではない。騒然とする教室内で焦るマサキは、かといって危険な薬品に迂闊に手も出せずただ喚く。
「わああああああっ!? 白骨化するんじゃねぇだろうなっ!」
「マサキが余計な事するから」
「お前本気で振り撒くつもりだったじゃねぇか! 椅子の足を溶かしたのはどこのどいつだよ!」
「あれは計算違いだったわ」
「計算違いで済めば警察はいらねええええええっ!?」
 そう騒いでいる間に、マサキの視線の先で立ちこめていた煙は薄らいでいった。そして中央に立つであろう生徒の影がうっすらと浮かび上がる。その陰影は徐々に濃くなり、やがて明瞭に彼の姿を出現させた。
「……いやん、ストリップショー☆」
 引いた煙の跡には全裸の男子高校生が呆然とした表情で立っている。突拍子もない出来事に巻き込まれたのだから当然だ。幸い外傷はなく、着衣や手にしていたシャープペンなど、いわば本体に付属したパーツだけががきれいに溶けている。どうやればそのような薬品が出来上がるのかはさておき、それはとてつもなく器用な溶け具合だ。
「しっかり見てんじゃねぇよ!」
 両手で顔を覆ったミオの指はどうしようもない程に開かれている。乙女の嗜みなどどこへやら、興味津々と股間を見詰めるミオの口が、「ちっちゃい……」と呟いたのを見て、流石にマサキはその頭を力一杯叩いた。
 問題の発生元が自分である自覚がとんとない。「いたぁい」と頭を押さえて喚くミオを脇目にマサキはこの事態にどう対処すべきか考える。ミオに構っている場合ではない惨状を目の前に、ひたすら知恵を絞る。早くどうにかしなければ、あの悪魔の微笑みを湛えた男が――男が絶対に。
「――何を、しているのですか、あなた方は」
 背筋も凍る冷ややかな声が背後から響き、マサキは竦み上がった。予想通りと云うべきか、同じ教室内にいるのであるから直ぐにこうなるのは解っていたのだが、それでも振り返るのが恐ろしく感じるこの存在感と威圧感。恐る恐るマサキが振り返ると、そこには。
 絶対零度の視線は不機嫌では済まない化学教師が、世界崩壊寸前の仏頂面で立っていた。
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