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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

科学室の災厄(4)

 ――よく考えたらマニアックな格好だよね。素肌に白衣って。

 ミオの言葉を噛み締めつつ、化学の授業を終えた昼休み。マサキは化学準備室にいた。
 恐ろしい事に、マサキにこの格好で出歩かれては教師としての監督責任に問われるとシュウは自覚していた。あれやこれやの不可解で不条理な現象を引き起こしておきながらの自覚は、シュウが教師としての立場とそれ以外の立場に線を引いて区別している事を示している。なら自分やミオや理科課の教師に対する仕打ちは何なのだとマサキは思わずにいられない。
「……なんか腑に落ちねぇ」
 特に生徒に口止めをしはしなかったのは、現場さえ押さえられなければどうとでも出来ると考えているからだろう。既に化学室の床と椅子は修復されていて、騒動の痕跡を探すのは難しい。
 原理の分からぬ未知の呪術によって瞬く間に復元された床と椅子は色褪せた質感もそのままだ。もし噂が生徒の口に上ったとしてもこれでは。あの男子生徒の制服がマサキの物であると証明出来るならまだしも、唯一の証明である生徒手帳くらいはマサキも確りと抜き取ってある。
「俺やミオや理科課のセンセーってのは別の扱い……なんだろうなあ」
 その是非を問うつもりはマサキにはない。マサキやミオは教師以前のシュウを知っている。それを他の生徒と同列に扱えというのは無理であるし、実際シュウがそう行動していたらミオはともかくマサキは不満を感じただろう。
 つまる所、どう行動されてもマサキが不満を覚えるのに変わりはないのだ。
「……しかしまだかよ、あの男」
 季節は秋。制服が冬服に変わったこの季節に白衣一枚では肌寒い。しかも暖房のない準備室ではいっそう寒さが身に堪える。
 生徒の誰かにジャージを貸して貰う手段もあるにはあるが、それはどうもシュウが由としないようである。根本的な解決にはなっていないからだろう。加えてその場合、行方不明になった制服の行方を問われる可能性もある。
「弁当だけでも持ってきて貰えばよかったな」
 時計のない化学準備室では時間の流れは体感に頼るしかない。する事もなく過ぎる時間に退屈が押し寄せ、マサキは暇潰しを求めて周囲を見回した。
 ぱさり、と体が揺れた拍子に羽織っている白衣の襟がずれた。はだけた肩に襟元をたくし上げ、マサキは自分の格好をまじまじと見詰める。
 白衣そのものが元々衣服の上から羽織る為のもので、襟ぐりが普通の服より大きく開いている。加えて、大きさが大きさである。余った袖を折り返さねば手が出ない程に丈が長いのは、この白衣の持ち主がマサキよりも上背があるからだ。
「……確かにこれは、マニアックだよな」
 素肌の上に、白衣。
 中々体験出来ないシチュエーションではある。いや、滅多な事では経験出来ない。コスプレマニアでもあるまいし、こんな事態でもなければ一生経験しないだろう格好だ。
 臍の近くまで開いた胸元に腕に余る袖口と風がやたらと通る格好にマサキの肌も冷えがちだ。少し動けば布に肌が擦られ、なにやらこそばゆい感触を残して離れる。授業中はそれ程気にはしていなかったそれらの現象が妙な現実感を呼び覚ます。躰に擦れる白衣の感触を確かめるようにマサキは視線を落とした。
 掴んだ襟を顔に寄せる。
 香料の匂いだろうか。それとも薬品の匂いだろうか。鼻腔を擽る甘ったるい匂いをマサキは暫く嗅いでいた。
 懐かしい匂いだ。
 だのに身近に在る匂いだ。
 日常的ではないにせよよく嗅ぐ匂い。
 やけに心安らがせる匂いをどこで嗅いだのだろう、とマサキは考えて気付く。
「……あいつの、匂い」
 抱き締められる程に近くに寄らないと気付けない匂い。日常では感じる機会のない匂いに、マサキの体は僅かに熱を帯びた。それは肌を重ねている間にこそ感じられるものだ。
「……甘い」
 目を閉じて白衣の感触を追い、甘い香りの余韻に浸る。
「……匂い」
 その行為が思い出させる。抱き締められた腕の感触を、触れ合う肌の感触を、顔を伏せた肩の感触を、爪を立てた背中、頭を引き寄せて掴んだ髪、それから―― それらの感触をマサキは今の独りの躰ですら感じてしまう程に思い出せる。つぶさに、余す所無く明瞭に。どこまでも、どこまでも、その刺激は精神を高揚させ、やがては全身を疼かせるまでに支配を広げた。
 管理室側のドアノブが回る音は小さく、耳に届きながらもマサキは注意も払わず立ち尽くしたまま、その感触に浸る。男の放つ甘い香りはそれだけの力を持っていた。
「待たせましたね、制服を――」
 声を掛けられて、マサキは慌てて振り返る。
「……!」
 その顔が今迄の行為に対する気まずさから朱に染まる。ただ白衣をこうして着ただけで、そこまで想像をめぐらせてしまう自分にどうして恥じずにいれるだろう。
 思考など伝わりはしないと頭では理解していても、平静を保てない。熱さを増す頬に更にマサキは狼狽えた。これではまるで飛んで火に入る夏の虫だ。何事もない昼休みに自ら災いの種を振り撒いてしまった後悔に今更苛まれても遅い。恐らく、無事では済まないだろう。
 案の定、シュウは小さく笑うと後ろ手で閉めた扉の鍵を掛けた。見抜かれている――身を竦めるマサキに近付く最中で手にした制服を資料棚に置き、ゆっくりと腕を伸ばす。
「――何を、考えていました」
 背後から緩く回された手がそろりと開かれた胸元を撫上げる。からかいを含んだ声が耳近くで発され、かかる息にマサキは体を揺らした。足が小刻みに震えているのは恐怖からではない。
 どうにも制御しきれない、期待。
「言ってみなさい」
 首を振ったのは必死の抵抗だった。言わないと――と、襟元から忍び込んだ手が胸を抓む。その僅かな刺激に腰を反らしてマサキはシュウに凭れ込んだ。口元から零れた声に、作為を感じさせない穏やかな微笑みが浮かぶ。
「これ以上、何もしてあげませんよ」
「……あっ」
 シュウの手が微かに触れる程度の距離で胸を撫でた。じわり、と染み込むような感触を残しただけで腕が抜かれる。名残惜しさと気恥ずかしさのせめぎ合いにマサキは薄く開いた瞳でシュウを見上げるも
言葉はなく。変わらぬ微笑みが穏やかにマサキを見詰めている。
 言ったからには実行する男だ。つれなく離される腕を耐えられるだろうか――抱えている手を掴んで去り際を引き止める。躊躇いに震える口唇。観念してマサキは息を吸い込むと口を開いた。
「……匂いが、するな、って……」
「匂い?」
 微かな笑い声を含んだ問いが先を促がすように発され、その愉悦を滲ませるシュウの態度にマサキは口惜しさを覚えつつも掴む手に更に力を込めた。既に躰の熱は止められそうにない。一度点いた火は容易に消えず、マサキの躰を意思に関係なく蝕んでゆく。
 それを教えたのは目の前のこの男。
「お前の……匂いが、するなって……これ……」
「私が事態の収束を考えて行動していた間、あなたはそう考えていたのですね」
 意地悪く発される言葉。マサキは吐き捨てる。
「いいだろ、もう。ちゃんと言ったんだから」
「あなたと違って妄想にうつつを抜かしていた訳ではありませんよ、私は」
 引かれた手に導かれて窓辺に向かう。
 狭い化学準備室の窓は嵌め込み窓、縁は室内に向かってせり出している。出窓のような僅かなスペースに――とはいっても座って足を投げ出す程度の余裕はある場所に、シュウは抱えたマサキの腰を乗せた。
 縁の高さはマサキの腰より拳一つ分は高い。床から浮いた足の遣り場に困惑するマサキを悠然とシュウは見下ろす。掴んだ手をマサキの足の間に誘って、
「その気にさせなさい。あなたのその行動で――」
 せり出した窓の縁の角に踵を引っ掛け、マサキは折れた膝の下で手を動かした。
 喉に留めておけず声がせわしなく吐き出される息の最中に洩れる。その都度、マサキの頭は小さく揺れる。まるで動きをインプットされた自動人形のように、それを繰り返す。
「……こう……?」
 その一挙手一動を見詰めている黒衣の化学教師に羞恥に消えてしまいそうな顔を上げて、マサキは問う。これでいいのかと。いいのならば、その先を自分に与えて欲しいと。
 自分でも信じられぬ程甘い声で強請る。それが更に自らの劣情を煽り、マサキの理性を失わさせてゆく。早く、早く、その快楽を、知ってしまったあの激しく躰を突き動かす快楽が欲しい。誰でもなく、この男の手で。そう、望む。
「それでは、見えませんよ」
「……っ……」
 膝頭を撫でる冷ややかな感触の手に膝を開き、マサキはシュウを見詰めたまま緩く手を動かした。足の奥に差し込んだ指は意のままに動く。だが、その意思とは関係なく欲望を吐かす一点に進む指は他人のもののように思える。
 分かっていながらも止められないその行為。幾度もさせられた自分を嬲るという行為に極限の羞恥を覚えながらも、それに対する褒美を待ち望みながらマサキは耽り、溺れる。飴と鞭、それに騙されているだけと思いながらも止まらない。
「あ……ああっ……!」
 果肉を割った指の下で蜜を滴らせる壺。窄めた口が物足りないとわななき、咥えた肉を引き込む。そして絞り上げるのだ。もっと、もっと、とその飢えを表現するかの如く。
 抉る指も、それを咥える蜜部もどちらも自分の躰。
 突いて、抉って、引き抜いて、差し込んで。マサキはシュウにあられない欲望とその捌け口を存分に晒して見せつける。欲しいのはこんな快楽ではないのだと。
「……あ、ま……だ……まだ、か……よ……」
 迫る快感にマサキが催促を口にすれば、耳に寄せられた口唇が淫靡な言葉を吐く。
 ――足りますか、二本で。
 容赦なく焦らし、追い詰め、暴き立てる――シュウの言葉はマサキの羞恥を限界まで追い込む。
 吐息を吐く口唇も、熱を含んで潤んだ瞳も、全て曝け出し触れる程近くにあるシュウの顔をマサキは必死の思いで見詰める。それは懇願と一縷の望みを賭けた行動だった。
 羞恥を晒して、誘い掛ける。
 それをマサキに教えたのはこの黒衣の化学教師だ。
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