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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

逃げ水(後)
私が書くと誰も彼も黒くなるような気がするんですけど、きっと気の所為ですよね!(爽やか)
 
ということで後編です。本当はもうちょっとコメディタッチにするつもりだったんですが、やっぱりこの辺りの話は茶化しちゃ駄目かなという気持ちがあるもので……では、本文へどうぞ!
<逃げ水>
 
 そう、そしてだからこそ、クリストフは縁談に対して消極的であるのだろう。
 クリストフはフィルロードの地位が安泰のものとなるのを待っているに違いない。フェイルロードはその考えを捨てきれずにいた。
 そもそも、おっとりとした気性故に王座に就けるには頼りないと評されるモニカですら、その稀有なまでの魔力量に資質を見出す者たちがいるのだ。地上人との間の子であるが故に罪の子とも評されるクリストフの恵まれた才能を担ぎ上げない者がどれだけいたものか。
 彼は類いまれなき知能と豊かな魔力量に恵まれただけでなく、身体的な能力にも恵まれていた。数多の学問を修め、魔術に通じ、武芸に秀でる。陰気な性質ではあったものの、それは彼が世界を引いて見ているからこその――或いは、彼自身が抱えてしまった過去故の消極性でしかない。政務に関わりたがらないが故に実務的な面においては未知数ではあったが、その知能と知識をもってすれば、その程度のことと思わせるだけの実力を有する第三王位継承者。王としての資質が及第点でしかないフェイルロードは廃太子の危機と常に隣り合わせにいた。
 だからといって、はいそうですか、と継承権を放棄してしまえるほどに、フェイルロードは国王アルザールの第一子たる自尊心を捨ててはいなかった。将来この国を統べるべく教育を授けられたフェイルロードは、自らの立場や地位、そして何よりアルザールの息子であることに誇りを持っているのだ。その教育はフェイルロードに決して皇統を傍流に譲るのを良しとはしてくれない。
 いっそフェイルロードのもうひとりの妹であるセニアのように、魔力を初めから有していなければ、フェイルロードもまた王位に諦めが付けられたことだろう。それでも、フェイルロードがクリストフという傍流に王位を譲ろうと考えられたかは、フェイルロード自身にもわからなかったが。
 第一王位継承権を持つ王太子より先に大公子が妃を娶るのは珍しい話ではなかったとはいえ、クリストフには第三位という非常に近しい王位継承権が付いてくる。そうである以上、フェイルロードより先に我が子に恵まれようものなら、その子もまたクリストフ同様に王位継承権争いに巻き込まれることになる。思慮深いクリストフがその事実に思い至らない筈がない。そうフェイルロードは過去を振り返っては思ってきたものだった。
 しかし――。
 フェイルロードは思い悩んでいた。魔力テストに合格するために禁忌の力に手を付けてしまってから起こるようになった、自らの身体の異常。突然に襲いかかるどうしようもない倦怠感、動悸、息切れ。胸痛をも伴う異常に、健康を誇っていたフェイルロードが未来を案じない筈がない。恐らく、自らの命はそう長くない。ならば、すべきことは決まったも同然。やがて訪れるだろうその日までに、モニカの地位を安泰なものとしなければ……。
 そのモニカはどうやらクリストフに仄かな恋心を抱いているようだ。蝶よ花よと育てられた我が妹ながら変わっている、とフェイルロードは思ったものだが、それが本人の意思であるのだから仕方がない。むしろクリストフとモニカが成婚した方が、本流と傍流の間に起こり得る将来的な争いを避けられるという意味で好都合だ。
 そこまで考えて、痛む胸にフェイルロードは思うのだ。
 嗚呼、やはり自分は嫌なのだ――と。
 出来の良すぎる従兄弟は自分亡き後、どういった栄華を手に入れるのだろう。命に限りができたことで諦めなければならないものが出てきてしまったフェイルロードは、だからこそ、この地位を、名誉を、そして愛しい妹を、クリストフにだけは奪われたくなかった。それを防ぐ手立てはただひとつ。自らの目の黒い内に、大公家の嫡男として、その家督を継ぐに相応しい妃を得てもらう。
 フェイルロードは山積する政務を片付けると、王宮のどこかにいるに違いないクリストフを求めて執務室を後にした。
 
「あなたにしてはらしくないことにまで口を挟むような真似をしますね、フェイルロード」
 今日も今日とて書庫に篭っていたらしいクリストフは、世間話のついでと押し寄せる縁談についての感想を求めたフェイルロードに、手元の書物から顔を上げることもせずにいた。
「しかしだよ、クリストフ。私の耳にまで届いてしまったものは仕方ない。彼らとて不用意に私の耳に君の話を入れるような真似もすまい。それだけ彼らも君の頑なさに頭を悩ませているのだろう。彼らは王宮を離れれば貴族社会の一員だ。そのぐらいはわかっているだろう、クリストフ」
「彼らの面子を保つ為に私たちが存在している訳ではないでしょうに。彼らがその結果、里下がりをしようとも私の生活に影響はない。王宮社会にも新しい風が必要だ。優秀な民官を重用する手もあるでしょう。むしろその方が風通しが良くなるかも知れませんね」
 返す刃で切ってしまわれてはフェイルロードの立場もない。切れ味鋭いナイフのようなクリストフの言葉に、フェイルロードはどう言葉を返したものか悩んだ。ここは素直に自らの考えをぶつけてみるべきだろうか。
 暫しの沈黙。冷ややかな態度を顕わにしてみせたクリストフではあったが、フェイルロードをこの場から追い出そうとまでは思っていないようだ。手元の書物に没頭しているだけの可能性も無きにしも非ずだが、恐らくは、従兄弟としてそのぐらいには気を許してくれているのだろう。クリストフは赤の他人には例えられないまでに冷徹だ。なら……とフェイルロードは口を開く。
「その……君はだね、クリストフ。もしかして私に遠慮をしたりはしていないかい」
「自らの置かれている立場を自覚してはいますが、だからといって私がそれに遠慮をするような性格だと思っているのですか。答えは単純ですよ、フェイルロード。私は今の生活を気に入っている。それを他人に壊されたくない。それだけですよ。そもそも、これだけ大手を振って自らの求める世界に邁進出来るこの環境を、どうして私が手放すとでも?」
「しかし、だからといって、一生をひとりで過ごす訳にもいかないだろう。君には次ぐべき家名があるのだよ、クリストフ。今後、君には大公家の当主として、王家を支えていってもらわなければならないんだ」
「本当にそう思っていますか、フェイルロード」影差す横顔が、いっそうその影を深いものとする。「私とて王族の一員だ。そのぐらいの原則原理は理解しています。私が独り身で生涯を終えればビルセイア家での王位の占有が叶うとね。そうである以上、あなたにとって私が子孫を残す可能性は摘み取っておきたいものであるこそすれ、勧めたいものではない筈でしょう。違いますか」
 図星を突かれたフェイルロードは再び言葉に詰まった。
 幼い頃からの付き合いで、クリストフのこうした物言いに悪気がないのはフェイルロードもわかっていた。彼は常に先回りして言葉を吐く。まるで、そのくらいのことはとうに考えが及んでいるとでも言いたげに。
 それを素直にフェイルロードが感心していられたのは遠い昔のこと。今となっては苦手意識が先に立つまでに、フェイルロードはクリストフへの溝を自ら深めてしまっている。
「それに、私のことよりも自分の方が先でしょうに、フェイルロード。国民はあなたに期待をかけている。いつこの国の未来を共に支えてくれる妃を得てくれるのかとね。期待される像を演じてみせるのも王族の仕事ですよ、フェイルロード。それとも、あなたも結婚する気がないと云うつもりですか」
「私のことはいいのだよ、クリストフ。私に寄せられる縁談など数が知れている。将来のことを考えれば即決していい話でもない。でも君に寄せられている縁談の数はそんなものではないだろう。彼らの顔を立ててやるのも主人としての務めだ」
「期待をさせないことも必要ですよ、フェイルロード」ふふ……と、何が可笑しいのか、そこでクリストフは笑った。「どうもあなたはモニカに期待をしていないばかりか、自分自身にも期待をしていないようだ。本流としてその考え方はどうなのでしょうね」
 手元の書物を閉じたクリストフはその書を別の場所で読むつもりらしかった。思いがけない指摘に呆けるフェイルロードを尻目に、何冊かの書物を小脇に抱えると、「では、失礼しますよ」彼は悠然とした足取りでその場から去って行く。
 ――彼と話すのは気が入る……。
 その背中が書庫から消えるのを待って、フェイルロードは手近な梯子に腰掛けた。天井まで高く届く棚を埋め尽くす書物に取り囲まれながら、いっそう深く息を吐く。
 己の未来を悟ってしまったフェイルロードは、王位に執着する代わりに結婚を諦めた。国と結婚することを求められる立場であるとはいえ、長い人生を寡婦として過ごさせるような真似を、どうして自らの妻たる女性にさせられようか。だったら初めから結婚しない方がいい――そういった己の考えを、フェイルロードはクリストフに見透かされているような気がした。
 フェイルロードの周囲の人間たちは、将来の国母に値する女性を望んでいるからだろう。フェイルロードが縁談に前向きでなくとも、勝手にその心を推し量ってくれたものだったが、クリストフは違う。でなければどうしてモニカにまで話が及んだものだろう? それがフェイルロードにはとてつもなく恐ろしいことの始まりのように思えるのだ。
 その内面に踏み込もうとしたところで、まるで逃げ水のように躱されてしまう。そんなクリストフには幾つかの良からぬ噂も聞こえてきていた。それが現実のものとならなければいいのだが……フェイルロードは独り書庫の奥にて、自らのいないその未来を憂いた。
 
 
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