推しカプがいちゃこらしているのを見る壁になりたいと思う欲求、あると思います。
長くこの物語を続けているからか、やはり思い入れというものが出来てきました。君ら一生その距離感でべたべたしていてくれ。そう思いながらも、いつかは話をおわらせなければなりませぬ。そう考えるとやっぱり寂しいものです。
ということで、ヴィラから出るところまでになります。
次回から再びのデンパサル編です。宜しくお願いします。
では、本文へどうぞ!
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長くこの物語を続けているからか、やはり思い入れというものが出来てきました。君ら一生その距離感でべたべたしていてくれ。そう思いながらも、いつかは話をおわらせなければなりませぬ。そう考えるとやっぱり寂しいものです。
ということで、ヴィラから出るところまでになります。
次回から再びのデンパサル編です。宜しくお願いします。
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<Lotta Love>
どうやら自身の持ち物を使うつもりであるようだ。いつの間に用意されたのか、シュウの手の内にあるヘアーオイルのボトル。彼がその蓋を開くとふわりと嗅ぎ慣れた彼の髪の匂いが鼻を擽った。ああ、この匂いだ。マサキの胸がじくりと疼く。
自分のものではない匂いというものは、時として人間を酷く落ち着かなくさせたものだったけれども、彼といる時にいつも嗅いでいる匂いだからだろう。それを自分が身に纏うということに、マサキとしては少なからず期待を抱かずにいられなかった。
「肌にせよ、髪にせよ、日頃のケアが大事なのですよ」
「わかっちゃいるが、面倒なんだよな。もっと気を遣えってテュッティたちには云われるけどさ、実際、俺がそういうのに気を遣い始めたら滑稽じゃないか? 柄に合わないっつーかさ……」
手のひらに広げたオイルをマサキの濡れた髪に揉み込んでくるシュウに、マサキは鏡の向こう側に映る彼の顔を覗き込んだ。柔らかい笑み。彼の手によるマッサージは心地いい。
冬になるとマサキの口唇は度々皮がめくれたものだったけれども、その都度リップクリームを買い与えてくるシュウは、自身を身ぎれいに整えることにそれなりに気を遣っているようだ。手慣れた指の動き。頭皮を揉みほぐされたマサキの額にうっすらと汗が浮かぶ。
きっとそれは育ちの差であるのだろう。
多くの貴族に傅かれて育ったシュウ=シラカワ、或いはクリストフ=グラン=マクソードという人間は、その立場に相応しい外見を維持することを厭ってはならないと躾けられた人間であるのだ……。
時間をかけてマサキの髪にオイルを馴染ませたシュウが、続けてドライヤーのスイッチを入れる。自分の手で掴んだドライヤーを髪の毛が熱され過ぎない程度に遠ざけるのは、そういった意味で器用に出来ていないマサキにとっては難しく感じられることでもあったが、シュウにとっては日常的な些事でもあるからか。ドライヤーを髪に当てる距離感も心得ている様子だ。
「お前、案外ちゃんと自分でやってるのな」
鷹揚に生きている彼は、どうかすると、自身に纏わり付いているふたりの女性に身の回りの世話を任せたものだったけれども、だからといって自分でしないといったことをする人間ではなかったようだ。
「あまり他人に触れられるのが好きではないのですよ」
「そりゃあ、悪い……」
「あなたに触られることまで嫌がるほど、病的ではありませんよ。一般的な人間が一般的に嫌がる範囲の中でのこと。中には親愛の情を示すのにフレンドリーな接触を求める人間もいますが、無闇やたらと他人と接触を繰り返すのはね。どうにも落ち着かない」
神経質な面がある男でもあるのだ。
キングサイズの広いベッド。寝具には拘りがあるらしい。ふたりで横になっても尚余るぐらいの幅のベッドでなければ、シュウは落ち着いて寝られないようだった。その割には研究に没頭している最中など、椅子での仮眠も余裕で受け入れてみせる。
身の回りを整えることにしてもそうだ。ふたりの女性に任せきりにしているその作業を、けれどもシュウは蔵書に対してだけは適用出来ないようだった。恐らくは、本の虫たる彼のこと。自身にとって心地の良い並びになっている蔵書の山を勝手に崩されるのが堪らないのだ。だからこそ、その手入れの為であれば、何日かかろうともひとりで作業を完遂してみせた。
彼の日常的な嗜好品のひとつである紅茶。たった一杯のそれをどの茶葉にするか真剣に悩んでみせるシュウは、けれども他人をもてなすといったイベントごとでは、平気で何種類もの茶葉を彼らに振舞ってみせた。
繊細にして豪気。
神経質にして鷹揚。
両極端な面を併せ持つシュウ=シラカワという人間は、他人との接触においてもその法則を崩すつもりはないらしい。これまで散々マサキに自身を触らせておきながらの台詞に、お前って、ホント丁度いいってことを知らねえのな。マサキは盛大に呆れ返った。
「あなたは私が彼女らに、髪の毛だの腕だの気安く触られることに慣れてしまってもいいと?」
「それが極端だって云ってるんだよ」
ドライヤーの風が地肌に与えてくる程良い温み。彼が丁寧にマサキの髪を扱っているのが伝わってくる。
陽射しに当たって焼けた髪はオイルを馴染ませられたからか、艶やかさを取り戻したかのように映る。そこから漂ってくる自分のものではない香り。顔を寄せて幾度も嗅いだ彼の香りに包まれながら、マサキは夢心地な気分に浸った。
ひとつ戦場を駆けてはまた次の戦場へと追い立てられるように戦い続けた。けれども、平和が取り戻されても拭えぬ不安。人が人である限り、欲に野望と戦いの火種には事欠かない。幸せを実感する機会に乏しかったマサキは、だからこそ平和な日々に安穏と胡坐をかいて生活をすることが出来なかった。
大きな幸せなど必要ない。
マサキが心を安らがせるだけの平和を実感するには、この程度のささやかな幸せで良かったのだ。
マサキの髪を乾かし終えたシュウが、その仕上がりを確認するような様子で、鏡の中のマサキの顔を見詰めてくる。使いますか? その手がヘアーオイルを掲げる。いいのかよ。マサキが尋ねれば、良くなければ勧めもしないでしょう。鏡の向こうのシュウが笑った。
「予備のオイルがあります。封を切っていませんから、心置きなく使えますよ。あなたも成人して大分経つのですし、そろそろ自分の身体を手入れすることを覚えてもいいでしょう」
「でも、お前みたいに丁寧には」
「誰でも最初は出来ないところからスタートですよ、マサキ」
マサキの髪の毛を抓んだシュウが、毛先を口元に寄せてゆく。お揃いですね。どうやら匂いを嗅いだようだ。
「普段のあなたの髪の匂いも私は好きですけれど、こちらにいると痛みますからね。せめてここにいる間ぐらいは使って欲しいものです」
「俺の髪の匂いってどんな匂いだよ。別に何もしてないぞ」
指先にマサキの髪を絡ませて弄んでいたシュウが、瞬間、遠く懐かしいものを眺めるような目つきになった。
「汗と草と太陽の匂いですよ」
ラングランの大地の香りです。そう付け加えて指を放したシュウが、マサキの肩を叩いた。そして一足先に洗面所を出ると、リビングへと入ってゆく。後を追ったマサキは壁にかかっている時計を見上げた。11時20分。タクシーが来るまでにはまだ時間がある。
先に長椅子に身を収めたシュウが読みかけの本を開きながら、来ないの? と尋ねてくる。マサキは彼の隣に腰を下ろした。ついさっきまでふたりで過ごしたプールは、彼の手で綺麗に片付けられてしまっていて、それがマサキには少しばかり寂しく感じられたものだったけれども、今日で全てが終わるバカンスでもない。またシュウと入る機会もあるだろうと自分を慰める。
ぽつりぽつりと言葉を吐きながら読書に耽るシュウの肩に頭を乗せて、マサキもまたぽつりぽつりと言葉を返しながらタクシーが来るまでの時間を過ごした。
「そろそろ行きましょうか」
11時50分。本を畳んでテーブルの上に置いたシュウが、長椅子の足元に置いていたトートバックを手に取って立ち上がる。流石にそろそろ一度は荷物を持っておくべきだと思ったマサキがその肩紐に手を伸ばすも、大丈夫ですよ。彼はすげなく断ってきた。
ヴィラの建物の戸締りを確認し、外に出る。
うっそうと繁る木々に植え込み。亜熱帯の植物も多い小路を通り抜けながら、フロントに向かう。ふと背後を振り返れば、今出てきたばかりのヴィラは植え込みに隠れて見えなくなってしまっていた。あれは夢だったのだろうか? ふたりでウォーターガンを振り回して水流を撃ち合ったプールでの一幕。つい先程の出来事であった筈なのに、もう何年も昔のことにも感じられる思い出に、マサキは先行くシュウのシャツの袖を掴まずにいられなかった。
「どうしました」
「また、いつか。お前と水遊びするなんてこと、あるのかね」
「人生はあなたが思っている以上に長い時間ですよ、マサキ」
明瞭《はっき》りとした約束を口にすることを避けたシュウは、けれどもいつかはと言外に含ませる言葉を吐いて、袖を掴んでいるマサキの手を握ると、そろそろ目の前に姿を現わしたフロントの建物へと歩んで行った。
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