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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

我欲、或いは欲望のバレンタイン(5)
今日はここまで。だらだらふたりで過ごしているだけです笑
<我欲、或いは欲望のバレンタイン>
 
 ああ、とマサキは頷いて、玉葱とベーコンを手にシンクに向き直る。
「その玉葱とベーコンは?」
「スープの具だよ。いつもの」
 ふたりでする昼食の準備。大量に切った玉葱をシュウに炒めさせながら、マサキはその隣でキュウリとニンジンを刻む。タンタン、タタン。ゼオルートの館の女性陣ほどではなかったけれども、そこそこ規則的なリズム。それが何かの拍子に聞こえたのだろう。シュウがスキャット混じりの歌を口ずさみ始めた。
「少し前に流行った曲だよな、それ」
 マサキが聞けば、そうですよ、と答えが返る。きっとラジオ中毒者《ジャンキー》なチカに付き合わされている内に覚えたに違いない。機嫌よく口ずさみ続けるシュウに合わせるように包丁を動かして、キュウリとニンジンを刻み終えたマサキは、ボウルに移したそれに塩を振った。
「マサキ、炒め具合はこのぐらい?」
「もうちょっとかな」
 つい視線が向きがちになる左手。互いの薬指に輝く指輪《リング》がこそばゆい。別のボウルに卵を割り入れ、牛乳を少し。ざっくりと掻き混ぜて、コンロが開くまでの間、キュウリとニンジンを絞ったマサキは再び鍋の中身を見せてきたシュウに、それでいい、と云った。
「夕方から街に出るとして、午後は何をするんだ?」
 手が空いたことで思い出したらしい。リビングに取って返したシュウが、ラッピングバックを片手にキッチンに戻ってくる。冷蔵庫の中にそれを収めてテーブルに着いたシュウは、キッチンに立ち続けるマサキを眺めながら、「昼過ぎから“或る雨の日の”が、テレビで放送されるそうですよ」
 マサキの好きなミュージカル映画のタイトルを口にしたシュウに、よもやひとりで見ろという話でもあるまいと「付き合ってくれるのか?」と訊けば、勿論、との返事。
 定期的にテレビで放送されるほどにラングランで人気のタイトルを、前回マサキが見たのは半年ぐらい前。この家でだった。
 本の虫たるシュウは好んでメディアには触れない。ラジオはチカに付き合って聴くことが多いようだが、テレビとなると気になるニュースがある時に付ける程度。いつもならそぞろチャンネルを変えるマサキを尻目に読書に耽る男は、当然ながら、前回の放送の時もテレビに釘付けのマサキの傍らで読書に耽り、話しかけられなければ画面に目を向けようともしない有様だった。
「本当かよ。もしかして本を読みながら見るつもりじゃないだろうな」
「まさか。今日ぐらいはきちんと付き合いますよ」
「できれば普段も偶にでいいから付き合って欲しいんだけどな」
「善処しましょう」
 この返事では今後の態度の改善は期待はできなさそうだ。マサキは苦笑しながら皿に料理を盛る。ポテトサラダに、オムレツ。カップにスープを注いで、ふたり分のランチをテーブルに並べ、シュウに向かい合わせに座る。
「ところで昨日のヴォルクルスの件ですが、大丈夫でしたか? 後始末をあなた方に任せきりにしてしまいましたが」
 マサキが腰を落ち着けるのを待っていたのだろう。料理を口に運んだタイミングで、シュウがフォークを手に取る。
「大丈夫だったんじゃないか? 今朝も特に変わったことはなかったみたいだし。もし何かあったとしても、ミオの家の近くだしな。直ぐに対処出来るだろ」
「それで、ですか。ラングランの要所でもない場所に、何故ヴォルクルスを召喚したのかと思っていたのですが。魔装機神を目の前にして功を焦ったのですね」
 マサキはシュウに昨日の出来事を話して聞かせた。町中でフードを被った男に液体のようなものを掛けられそうになったこと……追跡を試みたものの撒かれてしまったこと……その後《のち》にミオの家で料理をしていたらヴォルクルスが出現したこと。
「ああ、それでしたら神殿にいた男でしょうね。私が追っていた男とあそこで落ち合う約束をしていたのでしょう。どちらも始末したので、暫くは大丈夫かと思いますが」
 それならいい。マサキはほっと胸を撫で下ろす。あのどこからどう湧いてくるかわからない不気味な破壊神教の信者たちに、年に一度の大事なイベントの日まで台無しにされてしまっては、今日までの努力が報われないではないか。
 きっと直ぐに新手が現れるに違いないけれども、それはそれ。大事なパートナーと過ごす時間を他人に邪魔されたくないのは、どこの世界の恋人たちだって一緒だろう。そう、マサキとしては、取り敢えず今日が無事に過ぎてくれればそれだけでいいのだ。
「それにしても、マサキ。あの菓子を用意したのはあなたの自発的な行動だったのですか? 私はてっきり彼女のアドバイスかと」
「そりゃあ、な。去年のバレンタインがバレンタインだっただろ。俺、すっかり忘れてて一日遅れのバレンタインプレゼントになっちまったし。これで今年は出来合いのものをプレゼントじゃ、なんかな」
 シュウの手がマサキの左手に伸びる。マサキの手を取って、暫く。微笑みながら薬指に嵌った指輪《リング》を眺めていたシュウは、
「来年のバレンタインも期待していますよ、マサキ」
「何をすればこれに見合うプレゼントになるんだろうな」
「あなたがしてくれることなら、何でも」
 そっと離された手にマサキは立ち上がった。
 空になった食器をシンクに浸けて、食後の紅茶の準備とお湯を沸かす。相変わらず上機嫌らしい。背後ではシュウが先ほどと同じ歌を口ずさみながら、ラッピングバックの中の菓子を皿に盛っている。
 機嫌がいいのは結構だったけれども、繰り返されるスキャットが矢鱈と耳に残る。それに落ち着いた曲を好む男にしてはJAZZYな曲。こういう曲も好きなのだろうか。気になったマサキはシュウに訊ねてみることにした。
「その曲、好きなのか」
「チカが気に入っていて、よく歌うのですよ。頻繁に聴かされるものですから、耳から離れなくなってしまって」
「あー。なんかわかった。スキャットがきっと面白いんだな」
 チョコレート菓子の乗った皿を片手に一足先にリビングに戻ったシュウから遅れること少し。変わらず聴こえてくるシュウの歌声を耳にしながら紅茶の準備を終えたマサキは、トレーを両手にリビングに入った。
 いつもなら離れた部屋にいても聞こえてくる筈の口喧しい声が聞こえてこない。それどころかボリューム高めが平常運転のラジオの音すらも聴こえてこない……不審に思ったマサキはテーブルにトレーを置きながら、辺りを窺う。やはりその姿がない。
「そういや、チカは?」
「あなたが来て直ぐに外に出しましたよ」
 テレビに向かう形でソファに身体を収めているシュウが、ほら、と手を広げる。毎回、邪魔者扱いされては、都合よく家の外に放り出される使い魔たちが不憫ではあったけれども、ふたりでこうして過ごす時間には変えられない。シュウと比べれば使い魔たちに寛容なマサキにも欲はある。
 その開いた足の間に腰を収めて、シュウの腕の中。胸に背中を預けながら、マサキは既に点いているテレビを見た。丁度、オープニングが終わってタイトル画面が映し出されたところだ。
「もう少しだけ早ければよかったですね」
「少しぐらいならいいさ」
 そこから二時間ほど。ぽつりぽつりと会話を交わしながら、ふたりで映画を見た。
 ラングランの城下町を舞台に繰り広げられる群像劇。年齢も性別も職業も異なる人々が、それぞれ過ごす雨の一日……大きな事件が起こる訳でもない。どんでん返しがある訳でもない。ありふれた平穏な一日を歌と踊りでコミカルに表現した映画は、マサキにとっては変わらずに面白く感じられるものだった。
 制作されたのは、今から十年ほど昔。今は無くなってしまった建物も多い城下町で撮られた映像には、かつての繁栄があちこちに見て取れる。街角に、王宮に、人々の表情に。きっとマサキがこの映画を好きなのは、内乱前の未来に純粋に希望を抱いていられたあの日々が、見る度にまざまざと脳裏に蘇ってくるからなのだ。
「こういうのを見てるとさ、自分も踊れるんじゃないかって思ったりしないか」
「あなたなら踊れそうな気もしますよ」
「使う筋肉が違うんだよな。あと、身体がもっと柔らかくないと駄目だ」
「確かに。社交ダンスも優雅に踊っているように見えますが、相当の筋力を必要としますしね」
 実感の伴った台詞に、「踊るのか」と訊いてみれば、「嗜みでしたしね」との返事。
「教えて差し上げましょうか。上流社会とのパイプを得るには、彼らの文化を知ることも肝要ですよ。何かの折にあなたの身を助けてくれる人間関係が構築できるかも知れない」
「お前、俺が社交ダンスってガラだと思うのか」
 映画を見終わる頃には皿の上のチョコレート菓子はすっかり姿を消していた。あまり甘いものが得意ではない男にしては、積極的に口にしてくれたものだ。「このぐらいの甘さの方が私は好きですよ」と、シュウが口にしたということは、甘さは合格点だったのだろう。
 
 
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