今回は長いですよ!でもまだシュウは地上に出ていません!笑
<wandering destiny>
神殿側の準備が整うのは、早くとも明日の午後になるようだ。
情報局を後にしたシュウは、神殿に向かう道すがら、謹慎処分を受けている魔装機神操者たちの許に寄ることにした。
彼らが最後に会ったマサキの様子がどうであったのか。そこにこそ、マサキを探す手掛かりが潜んでいるのではないか。だが、セニアから聞いた通り、彼らの謹慎が緩いものであるからだろう。シュウが実際に話を聞くことが出来たのはテュッティとヤンロンだけだった。
「でも、あなたが思うようなことは何もなかったのよ、クリストフ」
シュウがテュッティの家を訪ねると、彼女は刺繍に励んでいるところだった。勧められたソファと対になっているローテーブルの上に広げられた布と刺繍道具。家に閉じ籠る機会があまりないからこそ、趣味を充実させるいい機会と、彼女は謹慎処分を前向きに捉えたのだそうだ。
始めはハンカチといった小物への刺繍だけだったが、謹慎が長期化しそうな様子に方向転換。クッションカバーといったそこそこの大きさのファブリックを経て、今はタペストリーの製作に挑戦しているところなのだとか。
「至って普通の様子だったと?」シュウは問い返した。
ローテーブルの一角にタペストリーを寄せて茶菓子を置いたテュッティが、そうなのよ。と、小首を傾げながらシュウの体面に着く。その足元には狼を模した二匹の使い魔。北欧神話で『貪欲』を象徴する名を持つフレキとゲリだ。
「そうなのよ。地上での休暇なんて余計な世話だろって笑ってたくらいだったし」
「何処に行くといった話もなかったようですね、その調子では」
「折角だし、たらふく刺身を食ってやるとは云ってたけど……」
「彼らしい」
シュウは声を潜めて笑った。
温暖な気候が常なラングランでは、生食の文化は根付き難かった。流通する食品の衛生面については、法で基準が定められる程度にはしっかりと管理されていたが、家庭に持ち込まれれば話は別になる。そもそもこの陽気である。食材を放置すれば痛みが進む気温。火を通せば問題なく食べられるものを、わざわざ食中毒のリスクを冒してまで生で食べようとする者もいまい。
地上世界に対する未練を感じさせないドライさが目立つマサキではあったが、故国の食には懐かしさを感じることがあったようだ。自分で作って食べるだけでなく、仲間に振舞うこともあったとも聞く。だからこそ、彼が刺身を欲していたと聞いたシュウは、彼らしい――と口元を緩めたのだが。
「しかし、そうなると、マサキが行方を眩ませたのは、あくまで地上に出てからの出来事が原因ということになってしまいますね」
「あの子のことだから、迷っているだけだとは思うのよねえ」
マサキの変化には敏感であるテュッティをして、ここまで云わせるぐらいである。恐らく彼らと別れた際のマサキには、本当に任務を完了させることと、刺身を食べることしか頭になかったのだろう。
何せマサキ=アンドーという青年は、世間ずれしていないからか。腹芸が苦手ときている。
嘘を吐けば、顔や態度に出ずにいられない。そういった彼が地上に上がった時点で何某かの思惑を胸に秘めていたとして、それを仲間に悟らせずに別れることが出来るだろうか。シュウは短くない彼との付き合いを振り返った。自分の前ではとみに負の感情表現が豊かとなるマサキ。ああまで考えていることがわかり易く、且つ理解出来ない存在にシュウはこれまで出会ったことがない。
そうである以上、マサキの行方不明の原因は、彼自身の特性である方向音痴に由来するか、地上で生じた何某かのトラブルによるものであるとの二択にしかならないだろう。そう、シュウの知るマサキは、そういった発作的な行動を起こす人間でもあるのだ。
「そうであるといいとは思いますが、捜索を頼まれた以上、あらゆる事態を想定しなければなりませんしね」
シュウはその言葉を区切りとすることにした。
ここでテュッティの話を聞き続けても、これ以上の収穫は見込めなさそうだ。ならば次の目的地に向かうのが得策だ。飲みかけの紅茶を置いてゆくのに僅かばかりの抵抗はあったが、無駄な会話を続けて情報収集が上手くいかなかったでは話にならない。シュウはティーカップを置いて、立ち上がった。
「あら、もう行くの?」
「ええ。ヤンロンやミオにも話を聞きたいと思っているので」
「ヤンロンはあの通りの性格だから真面目に謹慎しているでしょうけど、ミオはどうかしらね」
玄関に向かうシュウの後に続いてきながら、テュッティが憂いているような言葉を吐く。
「この程度の処分で済んでいるってことを理解していればいいのだけど」
それにシュウは応えなかった。では――と、玄関扉に手を掛け、そのまま外に出た。
シュウが次に向かったのはミオの家だった。ヤンロンは修行をし易い環境を求めているからか。ラングランの外れに近いい場所に居を構えている。彼の家に向かう行きがけに寄るには丁度いい場所にあるミオの家は、けれどもテュッティの予感が当たっていたようで、チャイムを鳴らしても反応がなかった。
「まだ出ちゃ駄目ですか、ご主人様」
「結構ですよ、チカ。少しここで彼女の帰りを待つことにしましょう」
上着のポケットに身を潜ませていたチカを出してやり、彼を相手に時間を潰すこと一時間ほど。戻ってくる気配のないミオに、彼女から話を聞くのを諦めたシュウは、ポケットにチカを戻してヤンロンの許を訪れることにした。
「お前がマサキの捜索か」
地上に出た折に、故事成語に関連する資料を買い漁ったらしかった。この機会にそれらを読み耽ろうと思ったのだが――と、ヤンロンはリビングのテーブルの上に積まれている書物をそう説明した。
どこで買い漁った家具であるのだろうか。部屋の中はオリエンタルな雰囲気に溢れている。
壁際にて左右に配置された一対の椅子、縁に緩やかなながらも不規則な曲線を描いている木枠が嵌まった巨大な鏡。そして、梅の形を模した飾り棚。圧巻の中華テイストに好奇心を擽られたシュウが見入っていると、客人を迎え入れるには適さない環境であることに気付いたのだろう。ヤンロンが書物を片付けようとし始める。
「直ぐにお暇するので結構ですよ」シュウは手近な椅子に腰掛けた。「テュッティから既に話は聞いています。マサキの様子に変わりがなかったと。あなたの目から見たマサキにも変わりがなかったのであれば、他に深く聞ける話もないでしょうしね」
そうか――と、頷いたヤンロンもまた手近な椅子に腰を下ろす。恐らくは直ぐに済む話だと思ったのだろう。テュッティのように茶菓子を用意するといった気配はない。
「ひとつだけ、気になる点があってな」
ややあって、おもむろに口を開いたヤンロンにこれは意外とシュウは目を開いた。
シュウとしては正直、ヤンロンの証言には期待をしていなかった。
頑固で意固地なマサキは嘘の吐けない性質ではあったが、稀に、自らがどう考えているかといった思想を隠してしまうことがあった。わざとではない。そういった腹芸的なもの全般がマサキは苦手だ。ただ、基本的に気分の切り替えが早いが故に、深刻な事態ををなかった風に振舞えてしまう。
彼の弱点である方向音痴が如何なく発揮されたのでなければ、マサキが行方をくらますことに彼らが心当たらない理由としては、これしか考えられない。そう、マサキ=アンドーはそういった意味で嘘吐きで|薄情《ドライ》だ。だのにヤンロンは思い当たる節があるという。意外な彼の発言に、手掛かりを欲するシュウは胸をさんざめかせた。
「ひとつだけ――ですか」
「ああ。今になって思えば、程度の話ではあるがな」
「それは……」
シュウはヤンロンに次の言葉を促した。
「この本を買ったのは日本でだった」
テーブルの上に積み上がった書物を見上げながらヤンロンが言葉を継ぐ。日本で? と、疑問を差し挟みつつ、シュウはそれらの書物の背表紙に目を遣った。簡体字で刻まれたタイトルは、紛れもなくそれらの書物が中国語で記されていることを示している。
「僕はもう長いこと故国に戻っていないからな。迂闊に故郷に足を踏み入れようものなら、党に身柄を拘束される可能性がある」
「成程。それで日本に」
「|中華街《チャイニーズタウン》があるところであれば何処でも良かったのだがな」
ヤンロン曰く、それは中華街からの帰り道で起こった出来事であったようだ。
地上に出てから六日目となったその日、宿泊するビジネスホテルに向かっていたヤンロンは、最寄り駅のコンコースでマサキと思しき人物を見掛けたのだそうだ。
服装が異なれば人違いとも思えたが、見慣れたアイスブルーのジャケットに藍色のジーンズ姿。肩にこそアースカラーのデイバッグを掛けてはいたが、白いグローブにカーキーカラーのブーツも健在とあっては、マサキではない可能性の方が低い。
何といっても休暇中の出来事だ。奇妙な偶然もあるものだと思ったヤンロンはマサキに声を掛けようとしたが、彼はヤンロンには気付かぬ様子で改札を抜けて行ってしまったのだという。
「休暇中でもあったしな。わざわざ後を追って声を掛けるのも野暮かと思ってそのままにしてしまったが」
「その時のマサキの様子がおかしかったと?」
「今になって思えば、だがな。僕の目にはマサキが妙に急ぎ足で改札を抜けていったように見えた。表情も決して明るいようには思えなかった。そういった雰囲気もあって、何かあったのではないかと思っていたが、実際に僕らに関わる問題が起きていたらセニアから連絡があるだろう。だから、気の所為ぐらいに捉えていたのだが」
「それがマサキを見た最後になったと」
シュウの言葉に厳めしい顔付きで頷いたヤンロンが、こんなことになるとはな。と、後悔を滲ませる口振りで呟いた。責任感の強い彼としては、あの時にマサキを呼び止めておけばこうはならなかったという気持ちが強いのだろう。
「他に何か気になったことは」
「いや、そのぐらいだな。送還直後のマサキは至って普通だった」
「テュッティも同じことを云っていましたよ。恐らくは、地上に出た時のマサキには、行方をくらます理由は何もなかったのでしょうね。ところで、マサキを見掛けた駅の名を教えてもらえますか」
どうやらマサキは浅草辺りで何かを見るか聞くかしたようだ。ヤンロンからマサキを見掛けた駅の名を聞き出したシュウは、それ以上彼からの有効な情報がないことを確認してから、彼の家を辞去することとした。
「マサキのこと、頼んだぞ」
「ええ。必ず探し出してみせますよ」
ヤンロンに見送られつつ外に出たシュウは、彼が家の扉を閉ざすのを確認してから、ポケットの中のチカを外に出した。
「何だか良くわからない話ですねえ。ラ・ギアスへの帰還よりも大事なことって、地上でまた外宇宙との戦争が起こったぐらいしか思い付かないですよ」
「しかし実際のところ、そういった事態は起こっていない」
「だから良くわからないんじゃないですか、ご主人様。やっぱりマサキさん、迷っちゃったんですかねえ」
「それは地上に出てから確認することでしょう。今、あれこれ想像を逞しくしても得られるものは何もありませんからね」
シュウは道を往きながら、ヤンロンの家を振り返った。
彼に最後に託された一言の重みをシュウは自覚していた。恐らくヤンロンは、自分でマサキの捜索に当たりたかったに違いなかった。それが思いがけず議会の処分が重くなってしまったことで叶わなくなってしまったからこそ、彼は精神を統一するかのように書の世界に没頭しているのではなかろうか。
テュッティにしてもそうだ。
彼女が刺繍に安らぎを見出したのは、ただ謹慎するばかりでは、嫌でもマサキのことを考えてしまうからに違いない。
「それにしてもミオさんは何処に行っちゃったんでしょうかねえ」
「まあ、そこは仕方がありませんね。私たちにも時間の限りはある。ヤンロンから有益と思われる情報を聞けただけでも良しとしなければ」
チカの云う通り、確かに、マサキと年齢の近いミオから話を聞けなかったのは残念だが、もし、仮に彼の行方不明の理由が方向音痴以外の要因によって齎されていたのだとしたら、時間が経てば経っただけ地上に連れ戻せる望みは薄くなる。ましてやシュウは、これから地上への出立を控えている身だ。
そうである以上、これ以上の事前調査は難しい――シュウはチカを肩に乗せて、一路、神官イブンが待つ神殿へと向かうことにした。
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