「ヤンロンの誓い」後の一幕。大いに捏造。シュウマサですよ。
<内緒にして>
「ここは、どこだ」
マサキは迷っていた。
先程、少しばかり壁の絵画に見蕩れてしまったのが失敗だったようだ。先導してマサキを案内していた兵士の姿がいつの間にか消えている。それどころか一緒に歩いていた筈のヤンロンの姿も既にない。
困ったぞ。マサキは頭を掻いた。そして宮殿内部で迷った己の現状を冷静に分析した。初めての場所だけに、自分が何処にいるのかがさっぱりわからない。しかも、王宮内である。下手な場所に足を踏み入れれば大問題に発展しかねないときたものだ。
「止まった方がいいのよ、マサキ」
「流石に動かニャい方がいいと思うんだニャ」
「俺もそうは思うんだが、あの兵士、俺を見付けてくれるかね?」
マサキは足を止めて、左手側の壁に掛けられているアルザールの肖像画を見上げた。右手側には幅広の下り階段があり、階下のホールに続いていた。ホールの片隅には一台のグランドピアノ。ガラス製で、内部が良く見える。ハープが隣に並んでいるということは、演奏する為のホールであるのだろうか? マサキは階段を下りて、グランドピアノを確かめようとした。
「マサキ!」
「やめニャさいニャのよ!」
二匹の使い魔の咎める言葉にはっとなる。
危うく、触ってはいけないものに触るところだった。ガラス製とあっては指紋が残るだろう。大事になる前に気付いて良かったと、冷や汗を掻きながらその場に留まったマサキは、自分が何故こういった事態に陥っているのかを思い返した。
全てはヤンロンの所為である。
彼が珍しくもマサキに頼みごとをしてきたのだ。モニカの護衛に同行してくれと。その最中に姿を現したルオゾールを、ヤンロンとともに撃退したのがモニカの心の琴線に触れたようだ。彼女からお礼に少額の援助を提示されたマサキは、断るのも角が立つと思い、素直に援助を受けることにしたのだが。
「やっぱりガラじゃねえことはするもんじゃねえよな」
マサキはごちた。
それで終わった話だと思っていたマサキの許に、モニカからの特使がやってきたのは昨日のこと。何でも先日のお礼に、マサキとヤンロンを茶会に招待してくれるのだという。面倒臭いことが嫌いなマサキとしては堅苦しい場は御免被りたかったが、名誉なことなのですからとゼオルートに説得されてしまっては逃れきれない。仕方なく、モニカからの招待状を受け取ることになってしまった。
明けて今日。
王都で合流したヤンロンとともに茶会に参加すべく宮殿の門を潜ったマサキは、同行者がいるからと安心していた。流石にヤンロンである。マサキが迷いかければ注意をしてくれることだろう。だというのに、ものの十分もせずにこの有様である。
「あー、もう帰りてぇ!」
「ちょっと、マサキ。声が大きいニャのよ」
「静かにした方がいいんだニャ」
「お前ら、道案内も出来ねえのかよ。使い魔のクセして」
シロとクロに窘められたマサキは、身動き取れない状態に対するフラストレーションを二匹の使い魔にぶつけようとした。そもそも、この二匹がマサキの特性を受け継いでいなければ、迷子になるのは避けられた事態である。そう、使い魔でありながら、この二匹の使い魔はナビゲートが出来なかった。いつもマサキと一緒に盛大に迷ってばかり。これでは何の為の使い魔なのかわからない。
とはいえ、そこは流石マサキの無意識の産物。口の減らない主人に似た使い魔たちも黙ってはいない。
「無理に決まってるのよ」
「おいらたちマサキの使い魔だからニャ」
「な、なんて使えねえ……」マサキは頭を抱えた。「どうすりゃいいんだよ。このまま夜になったら笑えねえぞ」
「巡回の兵士がいる筈ニャんだニャ」
「ここで大人しくしていれば見付けてくれるのよ。だから辛抱して、マサキ」
「そうは云ってもだな……」
「誰がそこにいるのですか」
途方に暮れたマサキが壁に凭れかかった刹那、通路の奥から声がした。見れば、いつの間にそこに陣取っていたのか。貴族と思しき男たちが集団で何事か話をしている。
「誰が……って、俺だ。ランドールだ」
どうやら重要な話をしていたようだ。マサキの返答に、心なしか、彼らの顔に焦りの色が浮かんだように見える。けれどもそれをマサキは追及することが出来なかった。その中央に立っている男の姿に見覚えがあったからだ。
「お、前……シュウ、何で、お前がここに」
「その台詞は私のものですよ、マサキ」
そそくさとその場を立ち去った貴族たちに不審感を覚えるも、彼らを追いかけて更に状況を悪化させたくはない。その場に留まったマサキの許に、一人残ったシュウが歩んでくる。嫌な予感しかしねえ。マサキは警戒の度合いを強めた。シュウの冷ややかさを感じさせる紫色の双眸が、マサキを真っ直ぐ見据えている。
「教えていただけますか。あなたは何の用で宮殿に立ち入っているのです」
「姫さんから招待状を貰ったんだよ。茶会に来ないかって」マサキはジャケットのポケットから受け取った招待状を取り出した。「そしたら迷っちまって」
シュウの白く節ばった手が招待状を取り上げる。
微かに花の香りがする。封筒に染み込ませられた香水の香りだ。テュッティに聞いたところ、上流階級での礼儀であるらしい。その匂いが、シュウが身に纏っている何かの香水の匂いと混じり合う。よからぬ気配を漂わせている男にしては、清涼感に溢れる香り。似つかわしくねえ。マサキは胸の内でシュウに向かって毒づいた。
恐らくは、封蝋に押されている印を確認していたのだろう。招待状を裏返したシュウが、しげしげと封蝋を検めている。
「失礼しましたね」
ややあって、マサキに招待状を返してきたシュウがゆったりと口を開く。
「確かに、この封蝋に押されている印はラングラン王家のものですね。正式な招待状であるようです。とはいえ、あなたは随分と奥まで迷い込んでしまっっているようですが」
「悪いか」
「悪くはありませんよ」
クックと声を潜めてシュウが嗤う。陰気だと思い込んでいた男の意外な反応――緩んだ口元が、一気に彼の人間性を露わとした気がする。目を瞠ったマサキはシュウの顔をまじまじと見詰めた。この距離で彼の顔を拝むのは初めてのことだ。
よくよく見れば、随分と整った面差しをしている。表情を工夫すれば、さぞや人の印象に残るだろう。思いがけぬ彼の美貌に。マサキはどう反応したものか迷った。
嫌な予感がするのに変わりはない。
さりとて、何か決定打がある訳でもない。
ただそういった予感がするというだけで、シュウをどうにかするだけの権限はマサキにはなかった。魔装機神操者とて万能ではない。正しき行いに背けば、精霊は操者を見放すのだ。立場に驕ったような迂闊な行動は巌に慎まねばならなかった。
「茶会ということは中庭に招く予定だったのでしょうね」
どうやらシュウは王宮内部の事情に明るいようだ。すらすらと言葉を継ぐ。
「そこのホールに中庭に続く扉があります。道なりに真っ直ぐ行けば、モニカ王女が用意している茶会の会場に着けますよ」
「……助かった。恩に着る」
嫌な予感は徐々にその形を露わとしていた。けれどもマサキは何も出来なかった。
シュウがマサキに対して何もしてこない以上、マサキが勝手な動きをすればそれは越権行為だ。先程の貴族たちとシュウが何をしていたか気にはかかるが、恐らくは政治の話でもしていたのだろう。彼らの中に顔を覚えている議員が何人かいたのを確認していたマサキは、だからこそ、面倒ごとを避けてその場をさっさと立ち去ろうとした。
「待ちなさい、マサキ」
腕を取られて振り返る。
マサキを覗き込んでいるシュウの端正な顔が、瞬間、前に動いた。マサキの視界が暗くなる。かと思うと、直後、柔らかいものがマサキの口唇に触れてきた。
「な、なななな……!」
シュウの腕を払って飛び退いたマサキは、口唇を手で拭った。「お、お前、そういう……」慌て過ぎて言葉が上手く続かない。
「口止めですよ、マサキ。私がここにいると知られると煩くなる方々がおられるのでね。ですから、どうかこのことは内緒にしておいていただけませんか」
「煩くなる、って……」
「面倒ごとに巻き込まれるのは、あなたも嫌でしょう? まあ、あなたが黙っていないというのであれば、もう一度口止めをするまでですが」
云いながら顔を近付けてくるシュウに、蘇る口唇の感触。咄嗟にシュウの胸に手を突いたマサキは、次の瞬間、その身体を思いきり押し退けていた。
「だ、黙っててやる。だから、そんなに顔を近付けるな!」
「おや、照れていらっしゃるのですか」
「んな筈あるか!」
まだ口唇に残っているシュウの口唇の温もり。やけに冷え冷えとした感触が何故か胸を騒がせる。それは決して甘い予感ではなかった。むしろ、マサキの嫌な予感を盛大に煽っていた。それでも、約束は約束だ。シュウに背を向けたマサキは、自らを奮い立たせるように言葉を継いだ。
「もう、俺は行くぞ!」
「そうですね、あまりモニカ王女を待たせてはいけませんからね」
シュウもこの場に長居をしたい訳ではなさそうだ。あっさりと踵を返すと、「では、よろしく頼みましたよ、マサキ」靴音を高く響かせながら通路の奥へと姿を消してゆく。
「マジで、なんなんだ。あの野郎……」
「でも、良かったニャのよ。行くべき場所がわかって」
「早く行かニャいと、ヤンロンに怒られるんだニャ」
「そうだった。急げ!」
シュウの動きが気にはなるが、今は追っている場合ではない。
シロとクロに急かされたマサキは階段を降りた。いつかはシュウの謎が解けるのだろうか? 疑問を胸に抱きながらも、ホールの正面にある高いガラス戸を開ける。その日が目前に迫っていることを知らないマサキは、モニカが用意しているだろう茶会の会場に辿り着くべく、中庭に向かって足を踏み出した。
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