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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

降りしきる、雨
この話は以下の話の続編になります。

風青し
愁い雨

これだけドシリアスに書いておいてなんですが、この後の白河はマサキにしつこくフェイルロードをどう想っていたのか尋ねるのでしょうね。特にベッドの上で!!!!!!!!笑



<降りしきる、雨>

 セニアからマサキの行方を尋ねられたその日、シュウは始め、彼女が何故そこまで必死になってマサキを探し回っているのか理解出来なかった。
 確かに、極度の方向音痴である彼は実に良く道に迷った。隣に並んでいた筈が、気付けば真逆の方向に向かって歩き始めていた――などというのはまだ可愛い方で、シュウに気付かれずに忽然と姿を消してしまうことも珍しくない。サイバスターに乗ろうものなら更に事態は深刻だ。隣り合わせのバゴニアやシュテドニアスに迷い込むなどは日常茶飯事。自分が居る場所がわからなくなったのであれば足を止めればいいものを、躍起になって動き回るものだから、それと知らず地底世界を一周してしまっていたなどということも良くあった。
 初めのうちこそシュウもマサキの行方を探し回ったものだが、迷子になることに慣れ切ってしまったマサキはどこ吹く風。見付けたところで、またか。ぐらいの反応しかしてみせない。しかも彼は豪運の持ち主であるようだ。散々探し回ったのちに無傷でその辺りからひょっこり姿を現してみせるものだから、探し回ったシュウの方が無駄に疲れているなどということも良くあった。
 だからこそ、シュウはセニアの話を聞き流した。
 半年ほどかけた研究の集大成である論文の執筆が、佳境に差し掛かっていたこともあった。どうせ戻ってくるマサキと目の前の完成間近の論文。どちらが大事であるかは問うまでもない。シュウはそういった意味で、迷子になったマサキに対してはドライだった。
「あなた、人の話を聞いてる?」
 片手間に繋いでいたエーテル通信機からセニアの声が響いてくる。
「聞いていますよ」シュウはキーを叩く手を止めた。
 マホガニー製のアンティークビューロの上は草稿や資料が散乱している。記憶を頼りに論文に必要な研究データを取り上げたシュウは、それを目に入る位置に置き直して再びキーを叩き始めた。
「それならマサキを探しに行ってよ」
「明日になっても見付からないというのであればまだしも、まだ半日も経っていないのでしょう。どうせ直ぐに姿を現しますよ。いつものようにね」
 シュウはキーを叩き続けた。
 夜通し作業をすることが前提ではあったが、このペースで執筆を続ければ、明日の朝には論文が完成する。最終チェックに半日かけるとしても、明日の夕方にはシュウの身体は空くだろう。それまでにマサキが戻ってこないのであれば、探すのに協力しないこともない……シュウがそこまで考えた矢先だった。セニアが意外な言葉を吐いた。
「あなた忘れてない? 今日はフェイルロード兄さんの命日だってこと」
 瞬間、シュウは瞠目した。
 死角から鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。セニアやシュウにと、この日のマサキはフェイルロードとの縁を求めて行動するのが常だった。かといって故人との思い出話に花を咲かせるでもない。ただ傍らに陣取って、陰気に一日を過ごすばかり。マサキにとって魔装機操者たちの庇護者であったフェイルロードに手をかけたという事実は、それだけの重みを持っていた。
 それがどちらにも姿を見せていない。
「あたしの所に来ないのはいいわよ。でも、あなたの所にも行っていないとなると」
 シュウは論文を執筆する手を止めた。
 一日経てばマサキが元に戻るのはわかっていた。わかっていても胸騒ぎが止まらない。シュウの記憶が確かであれば、今年はフェイルロードの没後十年の節目の年だ。あれだけこの日に拘り続けたマサキが、何もせずにこの日を終えるとは考え難かった。
「モニカとテリウスに連絡をしてみます。セニア、あなたは神殿に連絡を」
「神殿?」
「マサキのことです。精霊界にまで足を運びかねない」
「確かに、そうね……」
「フェイルロードと会って不都合がある訳ではありませんが、精霊界は人の身で何度も訪れていい場所でもありませんしね。もし行っていた場合には早めに連れ戻した方がいいでしょう」
 セニアとの通信を終えたシュウは、早速、モニカとテリウスに連絡を入れた。
 どうやらマサキは立て続けにふたりの許を訪れたらしく、どちらからもマサキと会ったとの返答があった。フェイルロードの死を彼らがどう受け止めているのかを尋ねてきたのだという。とはいえ、彼らの返答はマサキをその場に留めるには至らなかったようだ。訊くべきことを訊き終えた彼は、何処に行くとも告げずに去っていったらしい。
 シュウは窓の外を見た。
 相当の量の雨が降っている。
 フェイルロードが命を落としてからというもの、まるでラングランの大地が彼の死を悼んでいるかのように、この日は雨が降ることが多くなった。涙雨、滝落とし、村雨……形を変えて大地を濡らし続ける雨にマサキは何を思っていたのだろう。口数少なくこの日を過ごす彼から、シュウが聞けたことは少ない。
 今年は煙雨であるようだ。
 降りしきる雨が景色をけぶらせながら窓を叩いているのを眺めつつ、シュウはマサキの身を案じた。サイバスターを足としているマサキが雨に濡れそぼることはないに等しかったが、如何せん日が日である。今日に限ってはナーバスでウエットな彼が、無茶をしていない保障はどこにもなかった。
「神殿には行っていないみたいだわ」
 セニアから連絡があったのは、その数分後だった。
 ラングラン領内の全ての神殿に連絡を取ったが、マサキが訪れたという記録はなかったそうだ。と、なると――シュウは考え込んだ。セニアにシュウ、モニカ、テリウス。マサキが会える範囲でのフェイルロードに縁のある人間はこれが全てだ。フェイルロードに直接会うという選択肢をマサキが取っていない以上、あとはフェイルロードと縁のある場所ぐらいしかマサキが向かいそうな場所はない。
 墓所だろうか? シュウは不意に脳裏に降ってきた答えに、けれども首を振った。
 いつぞやマサキを連れて行ったことがあるとはいえ、極秘裏に埋葬されたフェイルロードが眠る墓所は、彼を利用せんとする輩が近付かぬように厳重に管理されている。それは魔装機神操者であろうと例外ではない。そもそもが、縁者であるセニアやシュウですら滅多なことでは立ち入れぬ場所であるのだ。単身でマサキが向かったところで、墓所の管理者や警備の兵士に追い返されてしまうだろう。
「わかりました、セニア。心当たりを探してみますよ」
 シュウはそう云ってセニアとの二度目の通信を終えた。
 安請け合いするつもりはなかったが、かといって放ってもおけなかった。何より、もう十年が過ぎたという現実が、シュウの重い腰を上げさせた。とはいえ、フェイルロードとマサキが親交を結んでいた時代のシュウは教団の活動に熱心だったこともあり、ふたりの思い出になりそうな場所で心当たる場所などそうは思い浮かばない。それでも、探さなければ。シュウはデスクの上もそのままに身支度を済ませて家を出た。
 嫌な胸騒ぎがするのは、降りしきる雨の所為ではなかった。
 かつてフェイルロードに対する思いを「答えが出ない」とシュウに告白したマサキ。彼が結論を出すのを待つつもりでいたシュウは、今尚マサキの心の深い場所を占めているフェイルロードに対して、嫉妬めいた思いを抱き始めていた。

※ ※ ※

 あまり心を残し過ぎてはいけないと思いながらも、いざこの日を迎えるとマサキの心は乱れた。
 右も左もわからなかった地上の魔装機操者たちを牽引し続けたフェイルロード。彼の死をマサキは受け入れていたが、死を間近とした彼の行動には納得をしていなかった。デュラクシールという巨大な力を手に入れた彼が、世界の統一を目指すなどという安直な方法論に頼ったのは何故か? 生きている内に恒久的な平和が約束された世界が見たかったからだ。それをマサキは理解していた。けれども納得が出来ずにいた。
 マサキの良く知るフェイルロードは地道な努力を積み重ねることの意義を知っている男だ。それがああもあっさりと力に溺れてしまった。げに恐ろしきは人智を超えた力――などとは、マサキは思わなかった。戦場に立ち、様々な信念でもって戦う敵を目の当たりにした回数の分だけ、その思いは強くなった。
 何故、彼は地道な努力を未来に繋げようと思わなかったのだろう。
 それがマサキにはどうしても理解《わか》らなかった。命が潰えても、彼の平和を願う想いは潰えない。それは十六体の正魔装機がこの世に存在する限り裏切られることのない約束だ。そこにあるのは、フェイルロードに対する恩義、などという安っぽい思いではない。マサキたち魔装機操者はフェイルロードの理念に共感をしたからこそ、彼の下に集い、彼とともに戦う決意をしたのだ。
 彼が力に驕るような人間であったならば、最初からマサキは力を貸すような真似はしなかった。
 だからマサキは訳がわからなくなるのだ。
 死を目前に人間がみせる態度こそが本性であると宣う識者もいるにはいたが、フェイルロードのそれは、本性と呼ぶよりも錯乱に近かった。彼の本領である『地道な努力で理解を得る』という信念からは尤も遠い選択。世界をあるがままにしておけなかった彼は、まるでそうすることでマサキたちに自身が生きた記憶を刻み付けようとしているようでもあった。
 もしかすると、フェイルロードの本心はそこにこそあったのかも知れない。
 この日のマサキはフェイルロードの心変わりの真意を様々に想像した。もし、自分がフェイルロードと同じ境遇に置かれたらどうするだろうか。無意味な想像を幾度も繰り返してわかったことは、マサキはフェイルロードにはなれないというたったひとつの真理だけだった。けれども、彼が自分が生きた記憶をマサキたちに刻み付けようとしていたのであれば、納得がゆく。既にマサキは十年に渡って同じ問いを繰り返してしまうほどに、フェイルロード=グラン=ビルセイアという男の生き様を考え続けてしまっている。
 それがマサキは面白くなかった。
 そんな矮小な男を、自分は敬愛し、そして尊敬していたのだろうか。
 穏やかな男は内心を語ることが少なかった。ただ平和の意義に関してだけは、繰り返しマサキたちに語って聞かせた。平和な日常の尊さ、それが齎す国家の安寧。平和が当たり前だった時代に幼少期を送ったとは思えぬほど、平和の有難みを知っていたフェイルロード。そういった彼が、たった一機のデュラクシールという超魔装機に心を狂わされてしまった。その瞬間の衝撃と悲しみを、マサキは今でもまざまざと思い出すことが出来た。どれだけの戦場を経験しても、あれに勝る衝撃はない。そのぐらいマサキの知るフェイルロードと、マサキに敵対したフェイルロードには乖離があったのだ。
 人の心は単純には出来ていない。それをマサキは理解出来ない少年ではなかったが、その真理を差し引いて尚、フェイルロードの選択には違和感が残った。平和を求める気持ちが先走った結果だとすれば、こんなに歪んだ自己実現の方法もない。何より、目先の平和に飛び付いたところで、武力で築いた平和は長続きしないものだ。それをあの聡明なフェイルロードが何故理解出来なかったのか? 堂々巡りの思考はマサキに、これといった明快な答えを与えてはくれなかった。
 死して尚、精霊界に魂を残すフェイルロードに、問い質してみたこともあった。
 けれどもマサキが納得出来る答えは得られなかった。
 もしかするとフェイルロード自身も、自分の行動原理を理解していないのかも知れない。その可能性に思い至ったマサキはアプローチの角度を変えた。何故、自分はこんなにもフェイルロード=グラン=ビルセイアという男に拘り続けているのだろうか。とはいえ、直感的に生きているマサキにとって、その道は容易に攻略出来る道程ではなかった。自分の心を覗いている筈なのに、気付けばフェイルロードのことばかりを考えてしまっている。内省が苦手なマサキにとって、自分の心は他人の心よりも理解出来難いものであったのだ。
 だから、マサキは十年の節目にフェイルロードへの蟠りを断ち切る決心をした。
 雨音が騒がしい朝。陰鬱な気分で目を覚ましたマサキは、クローゼットの中に仕舞い込んでいた一振りの古びた軍剣を手に家を出た。行き先は、モニカとテリウスの許だ。自分には近くない人物と認識していたが故に、深く語り合うことのなかったフェイルロードの弟妹たち。先ずは彼らときちんと話をすべきだ。ようやくそう思い切ることが出来るようになった十年目のマサキは、幾分軽くなった心に自らの残虐性を垣間見たような気になりながら、彼らと話をした。

 ――そうは云われましても、マサキ。フェイルロード兄さまは、自分がやりたいことをやって死んだのですわ。だったらどうして私が悲しむことがあるでしょう。勿論、最初は少し悲しかったですわ。でも、国家の壁をなくせば、争いが起こらなくなるなんて、平和な世界を夢見た兄さまらしい考えでしょう? だから私は悲しむことを止めたのですわ。

 ――立派な人だったよ。僕にも優しい人だった。でも、あの頃の僕はその優しさを受け止められるだけの器がなかったんだよね。立派過ぎて気後れしてしまった。僕らとは違って、世界のことばかり考えていた人だもの。王室って、本来、ああいった人がいるべき場所だよね。

 モニカとテリウスの言葉は、マサキに十年という歳月は他人にとっては一瞬ではなかったのだと思い知らさせた。いつまでも同じ場所で足踏みしているマサキとは異なり、モニカとテリウスは兄の死をとうの昔に消化してしまっている。それはマサキに少なからずショックを与えた。
 恨み言を云われれるのではないかと思っていたのだ。
 だが、モニカとテリウスはマサキを責めなかった。それどころか、フェイルロードの死をただあった出来事として受け止めていた。それはこの二人に限った話ではなかった。未だに一語一句違わず思い出すことが出来るいつぞやのセニアの台詞を、マサキは振り返った。

 ――悲しむばかりが悼む方法じゃないでしょ。フェイルロード兄さんが目指した平和な世界を築き上げることも、その死を悼む方法だとあたしは思っているのよ。だからあたしはこの世界に残った。兄さんの遺志を継ぐためにね。

 そこでマサキは気付いた。自分は誰かに責められたかったのだと。
 いつまでもマサキがフェイルロードに拘り続けてしまうのは、フェイルロードを斃した罪悪感を昇華しきれていないからだ。それにマサキは自覚があった。たらればの話をし出すと際限がなくなるが、もしもフェイルロードに残された時間がもっとあれば、彼はもう少し余裕をもってマサキたちの言葉に耳を傾けてくれたのではないか? もしくはマサキたちにシュウ並みの理屈を展開する能力があれば、彼は自身の胸の内に秘めた本心を曝け出してくれていたのではないか? 打つ手がないと諦めるより先に、出来ることをきちんとこなすことをマサキたちに説いたフェイルロード。その彼の教えに自分たちは背いてしまったのではないか。マサキは十年の間に溜め込んだ罪悪感をどう消化すればいいかわからなくなった。
 シュウに会いたい。
 フェイルロードの従弟として、一歩引いた位置からフェイルロードの行いを眺めていた彼は、セニアと筆頭とする弟妹たちとはまた違った感覚をフェイルロードに対して抱いているようだ。いつか彼がマサキに語って聞かせた言葉が彼の本心であるのであれば、『私には彼のことを考える資格がない。自ら求めるものの為に、王族であることを捨てた私にはね』と口にしたシュウは、マサキ同様に、フェイルロードに罪悪感を抱いているのだろう。それを踏み越えて、自らが求むるものに正直に生きているシュウであれば、マサキに納得出来る答えを与えてくれるかも知れない。
 そう考えたマサキは、この先の行動をどうするか悩んだ。行くべき場所は決めていたが、例年通りにシュウの許で過ごす一日も魅力的に映る。十年の節目にシュウが口にする『答え』を聞いてみてもいいのではないか? 暫く悩んだマサキは、けれども結局は最初に計画していた通りに動くことにした。
 誰かに与えられた答えでは意味がないのだ。
 だったら答えを求める気持ちそのものを、断ち切るしかない。
 だからマサキはフェイルロードが最期を迎えたあの地に向かうことにした。フェイルロードを斃した直後に、デュラクシールの残骸から回収した彼の一振りの軍剣と一緒に――。

※ ※ ※

 バルディア州はナゴール湾。海を近くする土地に出ると、磯の香りが強くなった。
 潮を含む雨が降りしきる中、シュウは馬車の座席から外の景色を臨んだ。鈍色に染まった世界の奥に、白亜の機神が屹立している。どうやらシュウの読み通りに、マサキはこの地を訪れているようだ。「この辺りで結構ですよ」シュウはサイバスターから数百メートルの位置で御者に告げた。そして雨掃けの悪い地に降り立った。
 傘を片手に歩を進めてゆく。
 まるで雨に濡れることで、自らが犯した罪を洗い流しているようだ。徐々に距離を近くするサイバスターに悲哀を感じながら先を急げば、その足元に人のような影が蠢いているのが目に入った。手にしたスコップで地面を掘っているらしい。ボトルグリーンの鮮やかな髪が、すっかり濡れそぼってしまっている。「マサキ」シュウは声を上げてマサキの名を呼んだ。ぴくりと震えた肩が、まるで悪戯を見咎められた子どものように映った。
「雨具ぐらいは用意してきなさい」
 背後から傘を差しかけてやりながら、マサキの足元を覗けば、こんもりと土が盛られている。
 隣にぽっかりと口を開けている穴に何かを埋めるつもりであるらしい。それが何であるか予想が付かなかったシュウは、黙ってマサキの行動を見守った。まるで自身の迷いを断ち切るようにざくざくと穴を掘り進めてゆくマサキが、ややあって口を開く。
「何でここだってわかったんだよ」
 不機嫌とも取れる声は、マサキがこの地にひとりでいたかったからだとシュウに感じさせた。
「他に今日のあなたが行きそうな場所が思い浮かばなかったからですよ」 
 だからシュウはそうとだけ答えた。
 自分の気持ちや行動を見透かされることを好まないマサキは、時に心の機微に長けているシュウに対してぶっきらぼうになった。俺はお前のそういったところに甘えたくねえ――いつぞやマサキが口にした台詞は、何も語らずともシュウに自らの気持ちや考えが通じてしまうことに対しての恐れだ。自らの内心に踏み込まれることを嫌うシュウとしては、マサキのその忌避感は尤もだと思う。だからこそ、シュウはマサキが自ら語り始めるのを待つことにした。
「そうか。まあ、俺は単純だからな……」
 雨が土を柔らかくしているのだろう。ざくざくと音を立てるスコップが、すんなりと土を描き出してゆく。一掻き、二掻き、三掻き。そこで満足ゆく深さと広さになったようだ。マサキが少し離れた場所に置いていた布に包まれた何かを持ってきた。
「デュラクシールを撃破した後に手に入れたんだ」
 戦いが繰り返されたことで、支給品が粗悪になっていったのだろう。包みを解いたマサキが取りだした一振りの軍剣は、もうあちこちが錆びれてしまっている。それでも、それが高価な品であったことは一目で知れた。金箔が施された柄。細やかな意匠はそれなりの立場に就いていた人間が所有者であったことを示している。
「軍剣ですか。フェイルロードの」
「もう、持っていても仕方ねえしな。かといって王宮に返すのも何か違うだろ。だったら、殿下が墜ちたこの地に埋めちまった方がいいかな、なんてさ……」
「セニアに頼めば墓所に埋めてもらうくらいは出来ますよ」
「出来ればもう殿下には戦いと縁遠い世界にいて欲しいんだよな。剣を放すってそういうことだろ」
「それをフェイルロードが望むとでも」
「俺が嫌なんだ」
 明瞭《はっき》りと口にしたマサキが、身を屈めて軍剣を穴の中に収める。
 穴の底に溜まった雨水が軍剣を飲み込む。暫く、黙って穴の中を見詰めていたマサキが、ややあってスコップを手に取った。掘り返した土を躊躇うことなく軍剣に被せてゆく。「いいのですか、それで」シュウはマサキに尋ねた。水捌けの悪いこの土では、腐食が進むのも早いことだろう。それでも、マサキはフェイルロードの軍剣を手放すことに迷いはないようだ。ああ。と、短く頷くと、スコップを動かす手を早めていった。
「もう、いい加減に手放したい」
 それが軍剣に限らないことにシュウは気付いていた。
 十年分の執着を、マサキは軍剣と一緒に、フェイルロードが斃れたこの土地に置いてゆくつもりなのだ。その決心を歓迎する気持ちもあれば、寂しく感じる気持ちもあった。何より、シュウはマサキが見付けた答えを知らないままだ。フェイルロードの行動の是非を自身に問い続けたマサキ。彼は果たして自身が納得ゆく答えを見付けられたのだろうか? 盛り土が量をなくしてゆくのを見守りながら、シュウは考え続けた。
 芯の強さに優しさが勝る男だったフェイルロード。けれども、その優しさが生来のものではないことに、シュウは早くから気付いていた。彼は本来は我の強い男である。自らの最期をああ飾ったのも自我の現れだ。フェイルロードは自らの手で統一された世界を築き上げたかった。そして自らが生きた足跡をこの世に残したかった。
 命の終わりを悟った人間の多くが生にしがみついて足掻くように、フェイルロードもまた、自身の恵まれた存在にしがみ付いたのだ。
 王家に生まれついても、ままならないことはある。それをフェイルロードは知っていたからこそ。
 序列はその最たるものだ。
 不幸なことに、フェイルロードは優れた能力を有してはいたが、飛び抜けた才能は有していなかった。魔力にしてもそうだ。彼の魔力はシュウやモニカ、テリウスに比べると遥かに見劣りした。戦闘能力にしてもそうだ。彼の戦闘能力は、マサキやヤンロンといった地上人たちには遠く及ばなかった。何をしても及第点な彼は、だからこそ、自らの価値を優しさとリーダーシップに求めていった。
 王室にいたシュウはその血の滲むような努力を知っている。けれども、『出来上がった』フェイルロードしか知らないマサキには、彼の悩みや苦しみを想像する余地がない。シュウはそれをわかっていた。わかっていながら、マサキに真実を告げるのを避けてしまった。
 ラングランの歴史に大きな足跡と大きな汚濁を残していった従兄を、シュウは少なからず憐れんでいるのだ。
 思い出をあるがままにしておきたいと思うのは、シュウの驕りであるのかも知れない。けれども、マサキの中にある輝ける日々に手を加えるような真似をシュウはしたくなかった。シュウが知っているフェイルロード像をマサキに明かすというのは、そういうことだ。
「こういったモンを持ち帰っちまったのが、良くなかったんだな」
 軍剣を埋め終えたマサキがぽつりと呟いた。
「気は済みましたか」
 シュウは余計なことを云わぬように努めた。
「済んだ」
「なら、帰るのですね」
 ここまでマサキに遇される男であったフェイルロード。彼を羨ましいと思う気持ちが、シュウの胸の内に様々な言葉を生み出した。あなたはフェイルロードをどう想っているのですか……あなたはフェイルロードとどういった未来を作りたかったのですか……あなたはフェイルロードの行動にどういった答えを見付けたのですか……けれども、それらを全て口にしてしまえば、そうでなくともナーバスなマサキは余計に悩むことになるだろう。
 今日ばかりはマサキに余計な悩みを与えたくない。
 短くない付き合いでマサキのウェットな一面を知っているシュウは、だからこそ、今日という日のマサキの為に口を慎んだ。それをどう受け止めたのかはわからない。サイバスターで一緒にシュウの自宅に行くと云い出したマサキが、操縦席で濡れた服を着替えながら、「お前は何も訊かないんだな」と口にする。
「訊いても詮無いことですから」
 突き放し過ぎだろうかと思いながらも、他に出来る返事はなかった。 
 今年のマサキは十年の節目を迎えて、ついにフェイルロードへの拘りを捨てる決心を付けたようだが、それで本当に彼の長い物患いが終わるかはわからない。もしかすると、来年の今日の彼は、またシュウの許で陰気に一日を過ごしているかも知れなかった。ドライな物云いや態度とは裏腹に情に篤い青年でもあるマサキ。そうしたマサキのウェットな気質を肯定することはシュウには出来なかったが、かといって、安易に否定も出来なかった。
 フェイルロードは死に、シュウは生きている。そしてマサキも生き続けている。
 精霊界に存在しているとはいえ、死人に口なしである以上、彼がマサキの誤解を解く機会は限られている。そうである以上、マサキ自身に結論を出させる方が禍根が少なく済む。シュウはフェイルロードを憐れんでいるからこそ、彼を遇しているのだ。
 正直なところ、フェイルロードがマサキのことをどう想っていたかシュウにはわからない。ただ、余りあるマサキの才能に、フェイルロードが嫉妬の念を抱いていたことだろう。そう思ってはいた。
 フェイルロードは我が手で平和を築き上げたかったのだ。
 それが神聖ラングラン帝国の王家に生まれついた彼が生涯を懸けて成し遂げたかったたったひとつのこと。慈愛や優しさからではなく、建国五万年の歴史を誇る国家の国王の長男に生まれついたというプライドがしがみつかせた、たったひとつの存在証明だった。

※ ※ ※

 マサキの目から見たシュウ=シラカワは、自分の得意分野となると饒舌になりもしたが、基本的には寡黙な男だ。付き合いの長さの分だけ、マサキとは気安く言葉を交わすが、大抵は黙って書や思索の世界に没頭している。陰と陽で例えるのであれば陰気――マサキは決して自分が陽気な性質だとは思ってはいなかったが、陰気の傾向がシュウと自分とでは異なることには気付いていた。そして、そうであるが故に、彼との歯車が奇跡的に噛み合っているいることにも気付いていた。
 例年、フェイルロードの命日を、マサキがシュウの許で過ごしていたのに深い理由はない。フェイルロードの従弟とはいえ、ヴォルクルスに囚われていたシュウである。王族であった時代とはいえ、深い親交はなかっただろう。そう思いながらもシュウの許にマサキが立ち寄り続けたのは、彼であればこの日のマサキを放っておいてくれると信じていたからだ。
 ひとりで考え続けるのはしんどかった。
 かといって、他人に口を挟まれるのも嫌だった。
 こんな我儘に黙って付き合ってくれる人間など、シュウを置いて他にない。帰途でいつも以上に寡黙なシュウとサイバスターに乗り続けたマサキは、今更にその事実に気付いて愕然とした。そして、シュウの鋼の精神力に敬服した。
 そもそも、マサキを相手にすると口が過ぎるシュウのことだ。口に出して云いたいことが山ほどあったに違いないのに、彼はマサキの物患いを邪魔しなかった。それどころか、マサキがフェイルロードの墓所に足を踏み入れられるように尽力してくれもした。
 本当はきっと彼もセニア同様に、マサキにいい加減にしろと云いたかっただろうに。
 十年も引き摺ったフェイルロードへの罪悪感。平和の意味を、そしてそれを手にする代償を考え続けたマサキは、それらを手放したことで、やっと肩の荷が下りたような気分になった。そして、ようやく、知りたいという気持ちを捨ててフェイルロードのことを考える余裕が生まれた。
 あの風が強い日に、マサキをフェイルロードの墓所に連れて行ったシュウはこう云った。
 ――あなたはいつか再び、フェイルロードと世界を共にする日が来る。その時に手を携え合って戦えればいいのではありませんか。
 それをもうマサキはしたくなかった。取り戻したいのは、フェイルロードのリーダーシップに率いられて輝ける未来を信じていられた日々だ。自分たちが斃れても後がある。その安心感が自身の存在によるものだと、どうしてフェイルロードは理解しなかったのだろう? 戦場に立つのは戦士であるマサキの務めで、それを牽引するのが王族たるフェイルロードの務めだ。マサキはそれでいいと思っていたのに。
 だのにフェイルロードは、自らの手でその均衡《バランス》を壊してしまった。
 世界統一の為の軍事侵攻。それによってマサキたちが離反することも覚悟の上で、彼は立ち上がってしまった。
 十六体の正魔装機の操者たちは我が強い。優れたリーダーシップを発揮する人間がいなければ、船頭多くして船山に上るになってしまうほどに。ラングランの内乱時に魔装機操者たちが与する軍を違えたのは、ラングランの混乱した政治情勢は勿論だが、それ以上に各々の信念が異なっていたのが原因だ。そういった癖の強い魔装機操者たちを纏め上げていたフェイルロード。ラングランの黄金期に魔装機操者たちがバラバラにならずに済んでいたのは、確実にフェイルロードのお陰である。
 だから、もういいのだ。
 寡黙なシュウの膝の上に乗って、サイバスターを操縦しながら、どうかするとまた物煩いに沈んでゆきそうな自らにマサキは苦笑した。考えても答えが出ない問いを続ける日々に、もうマサキは飽きてしまっている。だのに何故、ここまでフェイルロード=グラン=ビルセイアという男の生き様に拘ってしまうのか。
 あの輝ける日々までもをマサキは失った訳ではない。何より、死んだ人間にいつまでも心を残してしまっていては、今生きている人間に対して失礼だ。それよりも――そう、それよりもシュウのことだ。マサキは口唇を引き絞った。あまりにも恐ろしくて、考えることを先送りにしていたシュウの死。それが縁遠い内に、マサキは精霊界に渡れないシュウの魂を救う方法を考えねばならなかった。

※ ※ ※

 自宅にマサキを招き入れたシュウは、マサキにせがまれるがまま、彼とともにシャワーを浴びた。
 元々ドライな性質を併せ持つマサキは、見限ったあとの立ち直りが早い人間である。バスルームで気持ちがいいと口にしながらシャワーを浴びる彼は、今日がフェイルロードの命日であることを忘れるほどにいつも通りに戻ってしまっていた。
 それがシュウには僅かばかり、腹立たしかった。
 マサキのフェイルロードへの想いを知ることなく、十年の歳月に渡る彼の物煩いが終わってしまった。その現実は、シュウを安堵させるとともに、何故か不快な気分にもさせた。それはシュウがフェイルロードを憐れんでいるからではなかった。密かに抱き続けたフェイルロードへの嫉妬心。それが胸の内で明確な形を取っている。だのにシュウにそうした感情を呼び覚まさせる本人は、最早フェイルロードのことなどどこ吹く風で、呑気にもシュウの服を借りると湯上り後の火照った身体をリビングで冷ましている。
「髪を乾かしてきては如何ですか、マサキ。折角温まった身体がまた冷えてしまいますよ」
 シュウはまるで家の付属物にでもなってしまったかの如く、部屋に馴染んでいるマサキに声をかけた。
 例年であれば、陰気な姿を晒す彼は、さながらこの部屋に迷い込んだ怪異のようであった。それが普段と変わらぬ様子でそこにいる。それこそが今の世を生きるマサキがすべきことである筈なのに、シュウの胸のつかえは取れなかった。
 道半ばにして斃れざるを得なかったフェイルロードに対して、感じる微かな後ろめたさ。年にたった一日、マサキがフェイルロードを想って過ごす日に激しい嫉妬を覚えるのに、いざ彼が思い切ってしまうと申し訳なさを感じてしまう。それはきっとシュウがフェイルロードに対して、憐れみだけではなく、親族であるが故の情を抱いているからでもあるのだろう。
「後でな」
 シュウがソファに腰を下ろすと同時に、のそりとマサキの身体が動く。
 膝の上に乗ってきたマサキがシュウの肩に濡れた頭を落としてくるのを、シュウは奇異なるものを見るような思いでいた。他の日はいざ知らず、この日に限っては、大人しくシュウの足元で物思いに耽るのが当たり前だったマサキ。本当に彼はフェイルロードへの蟠りが勝る想いを手放してしまったのだ……。その現実がひしひしと胸に押し迫ってくる。
「寒いのですか」
「お前の肌が恋しくなった」
 珍しくも素直に胸の内を吐露するマサキに、シュウはその気持ちを受け入れていいものか迷った。これが当たり前の日常である筈なのに、何故か酷く遠いものに感じられる。知りたい。シュウは体温の高いマサキの熱を感じながら、彼がどういった結論を手に入れたのか問い質したい欲求と戦っていた。
「――本当に良かったのですか、あれで」
 誘い水を向けるように、シュウは尋ねた。
 直接的に尋ねることは簡単だったが、ナイーブで警戒心の強いマサキが殻に閉じこもってしまわないとも限らない。意固地なマサキは一度頑なになると、その心を開かせるのは容易ではないのだ。だから遠回しなところからシュウは攻めた。
「十年考えたんだ。なら、もういいだろ」
「十年も考え続けたのに?」
「まるで俺が何も見付けられなかったように云いやがる」
「あなたの中に確固たる答えがあるのであれば、それでいいのですよ。ですが中途半端に思い切るような真似をしては、今後のあなたの為にも良くはないでしょう、マサキ。あなたは納得出来なければ先に進めないタイプの人間です。きちんと前を向く為にも、そこは」
「大丈夫だよ、シュウ」顔を上げたマサキがシュウの頬に手を伸ばしてくる。「ごめんな。ずっと、付き合わせちまって」
 眉を歪めたマサキのどこか悲哀が漂う表情に、シュウはマサキの迷いを見た。彼はまだ、答えを見付けていないのだ。いないまま、疲れ切った心を遮蔽する為に、自らの想いを断ち切ってしまった。読み取れた感情がシュウの胸に重く圧し掛かる。
 もしかすると、一生彼は自らの想いに無自覚なまま生きてゆくのかも知れない。
 竹で割ったような性格であるマサキの、思いがけない挫折はシュウに様々な感情を呼び覚ました。彼は明確にシュウに対してとは異なる感情をフェイルロードに対して抱いている。それがただの敬愛であればいい。シュウは祈りにも似た気持ちでマサキの身体を抱き締めた。そして尋ねた。
「あなたはどう、フェイルロードのことを想っていたのですか」
「何だよ、今更。おかしなことを聞きやがるな」
「十年ですからね」シュウはマサキの髪を撫でた。冷え始めた濡れた髪の温もりが、指先に染み込んでくる。「髪を乾かしましょう、マサキ」
 シュウはマサキの身体を抱えて立ち上がった。
 訊いてはならないことを口にしてしまった気まずさが、シュウをその場に留めてはくれなかった。マサキを追い立てるようにして洗面所に向かったシュウは、マサキの心を十年も掴んだフェイルロードに対する明確な嫉妬心が自身の心を薄く覆っていることに気付いた。
「具合は大丈夫ですか、マサキ」
「別に平気だぞ」
「そうは云っても、あれだけ濡れたのですから」
 努めて穏やかに声をかけてやりながら、シュウはマサキの髪の毛を乾かしていった。
 けれども後悔の念は消えない。
 出来ればシュウは、嫉妬を露わとすることなくこの話を終わりにしてやりたかった。それを我慢しきれなかったのは、シュウに対して無防備であるマサキの所為だ。こうまで心を許してくれているマサキを疑うような真似をしてしまった。その事実がシュウの胸を縛り上げる。けれども、今更口にしてしまった言葉を取り消せもしない。鏡の向こう側に映るマサキの穏やかな表情な眺めながら、だからシュウは謝罪の言葉を口にした。
「すみませんでしたね、マサキ」
「何をだよ」
「つまらないことを尋ねてしまったことですよ」
 瞬間、鏡の向こう側のマサキが瞳を伏せる。
「いや……いいんだ、シュウ」
 瞳を開いたマサキは何かを覚悟したような表情だった。
「俺は大事なことを忘れてたんだよ。死んだ人間よりも生きている人間の方が大事だってことをさ。なのに、自分のつまらない拘りに捉われて、十年もお前やセニアを付き合わせちまった。詫びるのは俺の方だろ」
 もしかすると、マサキ自身、何も語らずにきた自分に思うところがあったのかも知れない。
 鏡越しにシュウを見詰めてきながら言葉を紡ぎ始めたマサキに、それもそうだ――と、シュウは思った。十年もの間、フェイルロードのことばかり考えていては、心が疲弊しきってしまう。だからマサキは彼を想うことをこの日に限っていた。仲間やシュウたちとの日常をきちんと過ごしながら、その谷間に少しだけ。それをシュウは狭量にも許さなかった。
「詫びないでください、マサキ」シュウは首を振った。「十年の内のたった十日のことなのですから」
「でも、十年って歳月に変わりはないだろ」
 口を尖らせるマサキの髪を乾かしきったシュウは、艶を取り戻したマサキのボトルグリーンの髪を指で梳いてやりながら、先程目の当たりにしたばかりの光景を思い返した。
 降りしきる雨の中、濡れた髪から雫を垂らしつつ、フェイルロードの軍剣を埋める為の穴を掘っていたマサキ。そこまでしてでも、彼は捨てたいものがあった。それが、フェイルロード=グラン=ビルセイアという男に拘り続けた自分であることに疑いはない。
 ならば、シュウも捨てるべきなのだ。
 シュウの胸に巣食うフェイルロードへの醜いまでの嫉妬が、マサキに対する占有欲からきているのは明らかだ。彼がここにいることが答えであるのに、邪念が湧いて出るのを止められない。シュウは自らの陰気な性質をその時、初めて恥じた。自身が疲弊するより先に、この妄執を捨ててしまわなければ、いずれまたシュウはマサキを困らせてしまうだろう。
「変わりますよ、マサキ。十日と三千六百五十日ではね」
 リビングに戻ってきたシュウは、まだ膝の上に乗りたがるマサキを抱き締めて、彼の肩越しに雨が陰気に降り注ぐ窓の外の景色を眺めた。自身の内にあるマサキに対する恐ろしいまでの妄念は、この雨に流してしまおう。シュウはそうっと心の中から嫉妬心を取り出した。そして、それを外に放った。
 黒々とした靄が雨に掻き消されてゆく。これでいい。シュウはマサキの髪に顔を埋めた。
「あのよ」
 マサキが口を開いたのは、その瞬間だった。
「どうしました」
「俺、精霊界に行こうと思うんだ」
 納得する答えを得る為に、マサキがフェイルロードと会うのはいい考えであるようにシュウには思えた。そもそもマサキは自らの気持ちを言語化するのが苦手なのだ。その彼が十年にも渡って考え続けた疑問。今ならば訊けないことがないくらいに言葉も纏まっていることだろう。
「でも、殿下に会いに行く為じゃないぜ」
 だが、マサキはそうしたシュウの思考を即座に断ち切った。
「ならば、何をしに」
 シュウは途惑いながら、顔を上げた。
 同時にマサキが、額を合わせてシュウの顔を覗き込んでくる。真摯な眼差し。マサキのボトルグリーンの瞳には覇気が漲っていた。
「お前のことだよ」
「私の……?」
「お前が変な覚悟を決めてるみたいだからさ、死後、精霊界に行けるのかをサイフィスに訊いてこようと思うんだ。駄目なら叶える為の方法を訊いてくる。それがないっていうなら、俺が絶対になんとかしてやる。だから……」
 嗚呼――シュウは熱い吐息を静かに吐き出した。
 紛れもない。シュウの良く知るマサキがそこにいる。
 フェイルロードのことを諦めたマサキが、シュウの為に諦めない道を選択している。それがシュウの胸に眠っていたマサキに対する確かな信頼を呼び覚ました。叶わない願いであろうと最後までしぶとく道を探し続けるマサキ。世界の秩序を守る為に戦い続ける選択をしたマサキは、夢を夢のままで終わらせるような男ではないのだ。
「マサキ」
 シュウは力一杯マサキの身体を抱き締めた。
「私がフェイルロードと同じ立場と境遇にあったら、きっと私はこう考えたことでしょうね。『自分という指導者を失っても、あなた方に前に進む覚悟はあるのだろうか』と」
 マサキの言葉に対する返答にはなっていない。そんなことはシュウにはわかっていた。それでも今、この言葉をシュウはマサキにかけてやりたかった。
 無論、シュウは全能の神ではない。そうである以上、これは悪質な嘘だ。それでも、優しさで自分を糊塗したフェイルロードにはこれ以上とない賛辞だ。そして、フェイルロードの優しさを信じているマサキにとっても、見たい夢を見させてやる贈り物となるだろう。
「だから、俺たちの敵に回ったって?」
「私ならそう思ったという話ですよ、これは」
 ゆっくりとシュウの背中に回されたマサキの手が、強く衣装を掴んでくる。
 賑やかなテレビの合間に聞こえてくる雨の音は、まるでシュウがフェイルロードに対する拘りを捨てるのを待っていたかのようだ。徐々に弱まりをみせ始めたかと思うと、ものの数分もせずに止んでしまった。これで本当に終わったのだ。シュウは泣きじゃくるマサキの背中をさすってやりながら、十年という歳月の重みをようやく噛み締めた。
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