六章と七章の間に入ります。あとは全体加筆修正のみです!
<wandering destiny>
幕間(三)
マサキのヒジャーズでの調査は難航していた。
所員を上手く云い包めて役所から必要な書類を引き出せないかという試みは、当然と云うべきか失敗した。UAEに次いで治安のいい国であるサウジアラビアだけはある。流石に個人情報の管理はしっかりしているようだ。
いずれにせよ、役所が当てに出来ない以上、本人たち、或いは近しい人間から情報を引き出すしかないのだが、UAEでの失敗が尾を引いていて、マサキとしては上手くやれる気がしない。それをシュウも気にしているのだろう。無理をしないよう釘を刺されている。
――いいですか、マサキ。少しでもおかしいと感じたら直ぐに引き返してきなさい。ホテルの二の舞になるのは、あなたも御免でしょう。
そこまでシュウに云わせてしまったのだ。迂闊な接触は避けなければならなかった。
マサキはハムザの実家の斜向かいにある喫茶店に陣取って、ハムザの実家に出入りする人間をチェックすることにした。ハムザの顔をマサキは知らなかったが、流石に今でもこの家にいるということはないだろう。しかし、両親らしき年代の人物の姿は見られない。
兄弟なのか、それともまさかのハムザ本人であるのか。ハムザに近い年代の男と、恐らくは妻であるのだろう。同じく近しい年代と思しき女。それから年頃の息子に娘、それよりは少し若い息子と娘が、今のあの家には住んでいるようだ。彼らがハムザ一族、或いは血縁であれば話が早いが、万が一他人だった場合は振り出しに戻るだ。シュウに役所にある居住者データを取ってもらわないとならなくなる。
それだったら始めからシュウに任せてしまえば良かった――とも、マサキは思ったが、待機を続ける生活に飽きが出てきている。調査が順調に進んでいる手応えを感じているシュウは、意外にもリヤドで気分転換にマサキを観光に連れ出しもしてくれたが、それは彼がいざとなれば自分の身を守れるだけの能力を有しているからであって、武器を携行していないマサキはそうはいかなかった。
ホテルの事件のように捨て身で襲いかかられたら、対処する術はない。
だからこそ動くしかないとマサキは思った。そもそも、中東極右派《マウシム》がまだこちらの動向を窺っているのではないかと思うと、呑気に観光という気分にもなれないのだ。ならば先制攻撃だ。先んじて彼らの拠点を突き止めて、拠点ごと指導者ハムザを潰す。それが出来るだけの経験と知識が、ラ・ギアスで様々な任務に従事してきたマサキにはあった。
――こんなストレスの溜まる生活はまっぴらだ。
どういった戦いであろうと、やるべきことはシンプルだ。頭を叩いて組織を瓦解させる。あとは事後処理を完璧に済ませればいい。それが難しいのよ。とは、いつぞやのセニアの弁だが、どれだけ綿密な作戦を立てたところで最終的に衝突は避けられないのだ。それならば、先んじて行動を起こすのもひとつの戦略だ。何より、今は待つべき時ではないとマサキの勘が囁いている。二度に渡る空港を狙った同時多発テロ。そして追撃の都市部でのテロ。報復措置と含めると、相手の資金力は相当なものだ。伊達にマサキの両親が死んだあの事件から、影に潜み続けた訳ではなかったということか。十年余りの潜伏期間の間に、中東極右派《マウシム》は様々な準備を整えている。
そうである以上、これで終わりとは思えなかった。
彼らはこれから活動を活発にする。そうである以上、彼らを叩き潰すチャンスは、表世界に顔を覗かせた今しかない。
その為にも、ヒジャーズからきちんとした成果を持ち帰らねば。
マサキは地道な調査を続けた。不慣れな尾行にも挑んだ。娘や息子たちの学校を突き止め、それとなく彼らの名前を学校の生徒たちから聞き出す。アル=アダフィー。ハムザと同じ苗字を持つ彼らが、ハムザの縁者であることがはっきりとした。問題は次の手だ。追っている線は間違いなくハムザに通じている。ここからどう踏み込んで、ハムザの所在地と資産を突き止めるか……。
縁談があることにしてはどうだろう。不意の閃きは、自分の考えにしては上出来なように思えた。息子のどちらかに縁談があると持ち掛けるのだ。それならば資産状況を聞いても不自然ではない。親族関係にしても同様だ。とはいえ、本人たちに訊いたところで、本当のことを話してくれるかは怪しい。特に彼らがハムザのしていることを知っていた場合だ。全力で誤魔化しにかかることだろう。そうである以上、彼らに近しい人間からそれとなく聞き出すのが一番の好手に思える――……。
マサキは注意深くハムザの実家に出入りする人間の観察を続けた。通い慣れた喫茶店のマスターとも言葉を交わすようになった。彼の話によれば、この辺りの区画は古くからの住人が多いらしい。あの家もそうだよ。ハムザの実家を指差して、彼は云った。
――|あんた、ここで何をしてるんだ?《What are you doing here?》」
五日目の昼のことだった。
常連と会釈を交わし、いつもの席に座る。スパイスの利いたアラビックコーヒーを飲みながら、ハムザの実家の様子を窺っていると、人懐っこい笑顔が印象的な壮年の男に話しかけられた。
――|最近、よく見るなと思って《I've been seeing it a lot lately.》。
アラビア訛りの英語だが、アジア人に合わせてゆっくりと話してくれているようだ。英語がブロークンなマサキでも言葉の意味が理解出来る。どうする? マサキは悩んだ。どこかで賭けに出なければ、マサキの遣り方で情報を入手するのは難しいだろう。
そうっと、男の気《プラーナ》を探る。男は陽気な性質であるようだ。活力のある気《プラーナ》の波長が読み取れる。
ならば、賭けてみてもいいだろう。マサキは数日間練った『設定』を口にした。あそこの家の息子に縁談を考えている家がある。すると、男は驚くほどマサキの話に食い付いてきた。どうやらハムザの家に住んでいる一家の長の幼馴染であるらしい。「俺はムフリスとは長い付き合いなんだ。その息子の縁談と聞いちゃ黙ってられねえ」と、マサキが面食らうほど赤裸々に様々な情報を語って聞かせてくれた。
勿論、全てを鵜呑みにするのは危険だ。罠でない保障はない。
それでもマサキは周囲の人間の雰囲気から、男を信用しても問題なさそうだと判断した。特にマスターだ。彼はマサキと男の話を聞いて、事情を納得したようだ。「そういう話なら云ってくれれば良かったんだよ」と、目出度い話を歓迎する台詞を吐いた。
だから男が去ったのちにマサキはマスターに尋ねた。
――本当にそんなに資産家なのかねえ。
――あそこの人間は出来がいいんだよ。昔ながらの家でもあるしな。ま、安心して縁談を進めるんだな。
いずれにせよ、これ以上の情報をヒジャーズで入手するのは難しそうだ。すべきことをこなした充足感に満たされながら、ジッダに向かう高速鉄道に乗り込んだマサキは、精密機器工場に潜入する為の下準備をしているだろうシュウを思った。彼の使い魔は、とうに工場での調査を終えている。下準備は今日中には終わるだろうとのことで、今夜には工場に潜入するとのことだ。とはいえ、作業に没頭し出すと寡黙になるシュウである。口喧しい使い魔との時間に辟易しているかも知れない。
それだったらメッカにチカを連れてきても良かった。ラングランの賑やかな空気を思い出させるチカの喋りは、今のマサキにとっては心地よい。きっといい連れ合いになってくれたことだろう。と思ったところで、見た目は立派なローシェンだ。地底世界と文化が異なる地上で界では、好奇の視線は避けられない。
それに、彼はシュウとマサキの諍いを知っている可能性が高い。飛び出してくるなり事情を知った風な口を利いたのがその証拠だ。そうである以上、彼とふたりきりになろうものなら何を云われたことか。余計な一言を口にせずにいられない彼が、大人しく今のシュウとマサキの関係を見守ってくれる筈がない。それがマサキは怖かった。
関係を前に進める覚悟はしている。けれどもそれは今ではない。
先ずは中東極右派《マウシム》との決着を付けなければ。
シュウの中にはマサキ=アンドーに対する理想的なイメージがあるようだ。それはラ・ギアスの英雄に対する世間的なイメージとは、また異なったイメージであるように感じられた。依存心に薄いマサキとしては、その通りに生きるつもりはなかったが、一部の彼の主張に対しては頷けるところがあると感じている。特に自分の悪癖――ストレスが溜まると自慰に逃げ込むところだ。シュウの好意を悪い意味で利用しようとしてしまった自分を、今のマサキは恥ずべきものとして認識している。
両親の仇を討つという目的に、マサキは飲み込まれてしまっていたのだ。
それが云い訳になるとは思っていない。だが、チカにそうした事情を蒸し返されるのは、マサキとしては耐え難いことだ。ずうっと息を潜めてシュウとマサキの遣り取りを窺っていたチカ。彼に自分の悪癖が、そしてシュウとの関係がどう思われているのかを、マサキは出来れば知りたくないと思っている。
――何でチカを出してやらなかったんだよ。
ジッダに向かう飛行機の中での会話だった。口忙しない使い魔が大人しく影に潜み続けるのは、さぞや苦痛だっただろう。そう思っての他意のない発言だった。けれども、その言葉はシュウの癇に障ったようだ。検疫などが面倒でしたのでね。云っていることは尤もだが、表情は冷ややかだった。
――そうは云ってもだな、使い魔とはいえ、チカだって生き物だろ。
マサキは逃げ場を探していたのかも知れなかった。起きている時間の大半を情報収集に充てているシュウ。彼がそこまで意地を見せてくれているのは、マサキに本懐を遂げさせてて、心置きなくラ・ギアスに戻ってもらう為だ。だからこそ、気まずさは絶え間なくマサキを襲った。何も手伝えることがない。
――あなたと二人でいたかったからですよ。
口論になりかけた矢先だった。マサキへの好意を隠さなくなったシュウの言葉に、マサキの頬は思いがけず染まった。
マサキにとってはゆったりと、そしてシュウにとっては慌ただしく過ぎてゆく中東での日々だった。面やつれしたシュウの顔に、マサキは忸怩たる思いでいた。自分に彼の半分でも能力があれば。けれども、そういった日々であっても、シュウにとっては何にも変え難い時間であったのだ。それを思い知らされた気がした。
そうした彼の一種のいじらしさが、マサキにとっては照れ臭い半面、かけがえのないものに感じられた。
チカが悪いとは云わない。彼はあれでもシュウの無意識の産物だ。そう生まれついてしまったものを、責める謂れはないだろう。だが、そう生まれついてしまったが故に、彼は主人以上に無遠慮でデリカシーに欠けた。シュウの目の届く場所ではきちんと節制しているようだが、それでもマサキを苛立たせる台詞を吐くことが少なからずある。マサキと一対一になれば尚更だろう。わかっていることは避けられる。そういった性格である彼に、シュウとの思い出の数々を土足で踏み荒らされるのは、マサキとしては御免被りたかった。
苦い思い出もある。温かい思い出もある。辛い思い出もある。正直、幸せな時間の記憶は数えるほどしかなかったが、それこそがシュウと歩んだマサキの軌跡である。そう、他の人間では代わりになれない男との起伏に富んだ軌跡――この先の幸福を掴み取る為には、どれも避けて通れない道だったのだ。シュウの想いに応える選択をした今のマサキはそう思っている。
――タイフに行ってもいいのか。
ジッダのホテルに戻って、シュウと情報交換をしたマサキは『チカとタイフに向かう』と決めた。
マサキにとっては覚悟の上での選択だった。
中東極右派《マウシム》との決戦に向けて、モチベーションは日々高まっている。シュウの想いに応える気持ちにも揺らぎはない。だのに拭い去れない不安。あまりにも順風満帆過ぎる日々が、マサキに懐疑を起こさせた。
どこかに大きな落とし穴があるのではないか。
地底世界にあって地上世界にない使い魔というアドバンテージは、マサキにシュウとの生活を味わわせる暇もないほどに、実に良く働き、そして実に良く喋った。それを厭わしいとは思わない。暇潰しの話相手にはもってこいだ。ただ、その分シュウとの時間は欠けてしまっていた。UAEでレストランを巡ったり、リヤドで観光をした日々はもう遠い過去。今のシュウは中東極右派《マウシム》との決戦に向けて、着々と準備を進めてばかりいる。
それがマサキの胸に不安を運んできてしまったのだ。
だからマサキは思った。シュウのいないところでチカと話をしよう。彼であれば知っていることも数多くある筈だ。
――今更ご主人様の気持ちを疑う? え、馬鹿なんですか、マサキさん。執念深いご主人様が、マサキさんを諦めるなんてある筈ないじゃないですか。
辺り一面に農作物が実っている。タイフの南にある農場地帯を往きながら、シュウの自分に対する気持ちについて尋ねたマサキに、チカは恐ろしいほどにあっけらかんと答えてみせた。
ジッダに来てからのマサキは、シュウとの間にそこはかとない緊張感が漂っている気がしていたのだ。
話をすればいつも通りに会話が続く。だのに、どことなくよそよそしい気がする。その理由を、マサキはあの夜にあるのではないかと思っていた。悪癖を抑えきれずにシュウと衝突したUAEのモーテルでのことだ。マサキはシュウを傷付けた自覚があった。何せ、男を買ってくればいいでしょう。とまで口にさせてしまったのだ。
シュウはマサキをいなすことの難しさを知って、幻滅してしまったのではないか。
若しくはジッダに向かう飛行機内でのあの出来事だ。シュウの想いを汲み取らないマサキの台詞に、シュウは腹を立てたままなのではないか。若しくはそうした小さな不満の積み重ねに、マサキが鈍感でいるのが気に入らないのではないか……そういった例を挙げて、シュウの好感触とはいかない態度の理由を尋ねれば、「馬鹿ですねえ」と、チカが繰り返す。
――そりゃあまあ、好きな人に振り向いてもらえないどころか、身体だけを必要とされたご主人様を可哀想だと思わない気持ちもなくはないですけど、そもそもマサキさんに無礼を働いたのはご主人様の方ですからねえ。お互い様ですよ、お互い様。
――それはそうなんだがな……
――その内勝手に立ち直りますって。大丈夫ですよ、大丈夫。ご主人様は雑草みたいなもんですからね。それよりもマサキさんこそ大丈夫です? 引っこ抜いてもまた生えてくるようなしぶといご主人様ですよ。この先もただで済むとは思えませんがねえ。
それは恐らく、もうないのだ。
マサキはチカに全てを打ち明けなかった。中東極右派《マウシム》との決着が付いたら、シュウの想いに応えるつもりであること。きちんと彼の気持ちを受け止めて、彼とともに生きていく決心を付けていること……そこに至るまでの道程には様々なことが起こるだろう。けれどもそれらは、シュウとマサキの間にこれまで起こった出来事と比べれば些少なものである筈だ。きちんと一つずつ乗り越えていけば、確実な幸福は直ぐそこに。
そう、マサキは覚悟を決めている。
あとはシュウがどうするかだけだ。
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