漫画だと数コマで終わるものが、テキストだと何千字にもなるの何ででしょうね。
<サフィーネのお料理教室>
「シュウに料理? 無理だよ、サフィーネ」
それなりに若い筈なのに溌溂さが感じられない茫洋とした表情。かといって老成しているのとはまた違う。ただただ周囲の出来事に無関心なだけの青年――かつて神聖ラングラン帝国で第三位の王位継承権を有していたテリウスは、サフィーネの愚痴を聞いて微かに表情を緩ませた。
彼が関心を寄せているのがシュウであるからだ。
ただ面白いという理由だけで王家を捨て、シュウについて行くことを決めたテリウスは、口調はぞんざいであるが、シュウに傾倒している部分もあるからだろう。時にこういった風にわかった口を利く。
「あんたに愚痴った私が馬鹿だったわ」
とはいえ、サフィーネもシュウが料理をしないだろうことは予測していた。
独自の美学を主軸に自らの行動を定めているサフィーネの主人は、一度決めた行動を簡単には変えようとはしない。加えて超が付くほどの合理主義者且つ利己主義者ときている。そう、シュウにとって料理とは、面倒な手間がかかる不合理な行為であるのだ。
伊達に教団時代からの付き合いではない。そういったシュウの傾向をサフィーネは把握しきっていた。
だからこそその場を立ち去ろうとすれば、話し相手が欲しかったようだ。テリウスがサフィーネを引き留めにかかってくる。
「まあ、聞きなよ。サフィーネ」
テーブルを勧めてくる彼に、仕方なしにサフィーネは対面に腰かけた。
窓から差し込む陽射しは、今日もラングランの陽気が穏やかなものであることを伝えてくる。「――で?」と、サフィーネはテリウスに話を促した。それがせっかちに映ったのだろう。「それだよ」と、テリウスがストローを弄びながら苦笑を浮かべる。
「もうちょっとゆっくり話をすることを覚えたら? サフィーネは賢さが先走るタイプでしょ。だから結論先ずありきになる」
のんびり屋の青年は無関心を装ってはいるものの、物事の本質を見抜く目には長けている。見事に自らの短所を云い当てられたサフィーネは、「だったら腰を据えて話をしてやろうじゃないの」と、席を立ち上がった。
その為には飲み物が必要だ。
ちらとテリウスの手元に目を落とせば、彼が飲んでいるのはクリームソーダ―だった。手間を省く為にも同じ飲み物で済ませようと思っていたサフィーネは眉を潜めた。健康的なボディラインの維持には不適格なカロリー。彼と同じ飲み物は飲めないと覚ったサフィーネは、素直にブラックコーヒーで済ませることにした。
カウンターの隅に置かれているまっさらなサイフォンに粉をセットする。そして、電気ケトルの中のお湯を注ぐ。サイフォン内で滴るコーヒー。ついでにシュウにも持っていこうか――と思ったところで、先ほどのシュウの態度が思い出される。
止めておこう。サフィーネは踏み止まった。
「そもそも、サフィーネがシュウに料理を勧めるのって、自分の不在時にモニカ姉さんの点数が上がるのが嫌だからなんでしょ」
作ったコーヒーを片手にテーブルに戻れば、気忙しいサフィーネに合わせてだろう。テリウスが早速本題と言葉を吐いてくる。
「あんた、嫌なところで勘がいいのよね」
「まあ、伊達に長く一緒にいないしね」
サフィーネは勿論だが、モニカもシュウに対して積極的なアプローチを展開している。それだけに、サフィーネがモニカを目の上のたんこぶ的に感じているのがわかるのだろう。苦笑しきりでテリウスが口にする。
「でもさ、シュウが家事が出来ないのに、モニカ姉さんが家事を出来るのっておかしいと思わない?」
「そうね。確かに」
王家に居たが故に身の回りのことをすることがなかったシュウ。第四位の王位継承権保持者でさえそういった扱いを受けるのが当たり前なのだ。ならば第二位の王位継承権保持者だったモニカは、それ以上に大切に扱われてきたことだろうに。
昨日今日で身に着けたとは思えない技能レベル。民衆より聖女と崇められた元王女は、洗濯も掃除も料理も平均レベル以上でこなせている。
「それって何でだと思う?」
「さあ。私は王家なんてけったいな人間が集う場所の内情には詳しくないのよ」
「反発心が強いなあ」
「あんたたちみたいなのが上位の王位継承権を持っていたって知って、増々その気持ちが強くなったのよ」
物心付いた時には教団にいたサフィーネは、ラングランの上流階級に対する反発心が強かった。
富と名声を占有する貴族たちに、彼らから富を献上される立場である王族。彼らの階級が動くことは滅多にない。だのにラングランは職業選択の自由を謳うのだ。誰であろうと好きな職に就くことが可能だと……。
確かに貴族も王族も階級に過ぎない。それと職業は別物だと云われればそれまでだ。
けれどもその階級なくては就けない職業があるとなると話は違ってくる。例えば政治家などはその筆頭だ。貴族院に元老院。立憲君主制の崩壊後はこの政治システムも見直されたが、それまでのラングランにとっての政治は貴族と王族が担うものであったのだ。
生まれつき輝ける人生が約束される家系である貴族に王族。そこから搾取して何が悪い。サフィーネが悪びれることなく教団の教えに従っていられたのは、ラングランの体制に対する不満を刷り込まれて育ったからに他ならない。
「まあ、サフィーネの王家に対する不満はさておき――モニカ姉さんに降嫁の話があったのは知ってる?」
「へえ。あのおっとり元王女に降嫁の話なんてあったの。あれだけシュウ様、シュウ様って煩いのに?」
以前、テリウスから話を聞いたところによると、モニカがシュウに対してべったりなのは昔からであるらしい。傍目にも恋をしているのはわかったよ。とはテリウスの言葉だが、それに対してシュウは気付かぬ振りを続けたのだというから流石である。
「王家ってそういう場所じゃないからね、サフィーネ」
「そういう場所じゃない?」
「結婚相手を自分では決められないってこと。候補者の中から選ぶことは出来るけど、その候補者っていうのは、王家にとって益のある相手を重鎮たちがリストアップしてくるって話だし」
「面倒臭いわねえ。結婚ぐらい好きにさせなさいよ」
「それが出来てたら、僕たちは王室を離れてないよ」
そう口にして、テリウスがクリームソーダ―を飲む。
既に相当の時間が経ってしまっているのだろう。溶け切った氷が膜を張っているクリームソーダ―は、彼の味覚を満足はさせてくれなかったようだ。「何か新しい飲み物でも飲もうかな」話も途中に立ち上がる。
「ちょっと、テリウス! ちゃんと最後まで話をしていきなさいよ!」
「直ぐ済むって」
今度はオレンジジュースを飲むつもりであるようだ。冷蔵庫からオレンジジュースの瓶を取り出したテリウスが、新しいグラスに中身を注いでテーブルに戻ってくる。
「で、どこまで話したっけ?」
「あの元王女に降嫁の話があったってところまでよ」
「ああ、そうそう」ちゅるちゅるとオレンジジュースを啜りながら、テリウスが続ける。「ちょっと長くなりそうだけど、いい?」
「手早く済ませて欲しいもんだわ……と云いたいところだけど、今日の私は暇なのよね」
「それは良かった」
安堵したからだろう。瓜のようにのっぺりとした顔立ちが、子犬のような人懐っこさに満ちる。
半分しか血が繋がっていないにせよ、モニカの弟だけはある。華やかさが感じ取れる笑顔に、どうしてこの男は自分の長所を生かさないのかしら――と、サフィーネは思わずにいられなかった。
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