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あおいほし

日々の雑文や、書きかけなどpixivに置けないものを。

それでも、此処に/別離《わか》れ
ひとときの安らぎ
百年の孤独
夜の訪れ
ささやかな虚勢

と、続いてきた不眠症マサキと白河の物語の最終章です。
SS連作なのでこの程度のボリュームでさっくり終わります。
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<それでも、此処に>

 翌日も、その翌日も、訪れのないマサキに、シュウは当然のことだと思いながらも、胸に湧き上がる寂しさを鎮められずにいた。
 心穏やかに休める場所を持たない彼が、シュウの許であれば眠りに就くことが出来る――それはシュウにとって、ささやかながらも優越感を感じさせる関係の変化だった。顔を合わせれば憎まれ口を叩き、それがエスカレートしてはいがみ合う。相手に対して不満や不服を感じずにいられない組み合わせ。だのに目標をともにして行動する機会に恵まれる……そう考えると、シュウとマサキの関係とは、酢を間に挟んだ水と油であるのだろう。
 強い力で撹拌されれば馴染み合えるにも関わらず、自ら進んで混じり合おうとはしない。
 魔装機神操者という表舞台に立つマサキが表面に浮く油であるのであれば、世界に対する反逆者の烙印を押されたシュウは底に深く沈む水だ。そう、シュウは|酢《世界》という薄い膜を挟んで、|油《マサキ》を見上げ続けていた。陽の当たる世界をたゆとうマサキ=アンドーという少年。その有り様は目を閉ざしたくなるほどに眩い。
 届きたくて、届けなくて、それでも追いかけずにいられない。それがシュウにとってのマサキだ。
 マサキ自身はシュウに好意を抱いている訳でも、信頼を寄せている訳でもないようだ。無理もない。これまでの|経緯《いきさつ》が|経緯《いきさつ》だ。自我を失ってしまっていたとはいえ、彼の地底世界での安らげる場所を奪ってしまったシュウは、犯してしまった罪を悔い、それに対する彼の憎しみを受け入れるだけの覚悟を決めていた。
 シュウは思い上がってしまったのだ。
 シュウが何をしようとも、彼は風の魔装機神に相応しいだけのおおらかさで受け入れてくれるのではないか――と。
 彼の仲間が知らない彼の真実の一端を知ってしまったシュウは、マサキの赦しを得られたような気になってしまった。己の全てを懸けてシュウを追い続けていた少年は、シュウがヴォルクルスの支配から逃れたと知った瞬間から、シュウに対する執着心の全てを失ってしまったようだった。本音と建前を使い分けられない実直な少年は、嘘で自分を飾り立てるような真似をしない。彼はシュウが受けた屈辱の歴史を、あったこととして受け入れたのではないだろうか。ぶつける先を失った感情を、蟠りとして残しながらも――……。
 彼は恐らく真の敵をシュウを操り、或いは利用しようとした者たちと定めたのだ。だからこそ、本来であれば決して相容れない立場に有るシュウとマサキは、交わらない道の途中でひとときともに過ごす時間を得てしまった。それをシュウは赦しを得たと勘違いしてしまった。マサキの本心など、彼が語りもしないものをシュウ如きに理解が出来る筈もなかろうものを。
 思い込みの力とは恐ろしい。無防備な姿を晒して眠るようになったマサキに、シュウは舞い上がってしまったのだ。そしてだからこそ、シュウは彼の隙を好機として捉え、自らの感情を形にしてぶつけるに至った。そう、彼であればシュウの疚しさをも浄化してくれるに違いないと。
 これが思い上がりでなければ何であろうか?
 シュウは膝の上に広げていた書物を閉じた。知識の海に溺れようとしても、自身の感情が邪魔をして上手く行かない。そう、シュウは自責の念を感じていた。今更、してしまったことに後悔をしたところで、過ぎた時間を巻き戻せはしないと理解していながらも、出来ればあの瞬間に戻れたならばと思わずにはいられない程に。
 幾重にも頑丈に彼の心を覆う鎧。それをひとときとはいえ、シュウの目の前で彼は解いてみせたのだ。
 たったそれだけの事実でどうして我慢が出来なかったのか。
 小さく洩らした溜息が、思った以上の大きさで|自室《キャビン》に響く。シュウは椅子から立ち上がった。行き詰った気分を紛らわせるには、何かに専念するのが一番だ。口喧しい使い魔の言葉をラジオ代わりに愛機の整備にでも励むことにしよう。そう考えて部屋を出ようとした。
「マサキ」
 扉の前に今まさに、ノックをしようとしていたところだったようだ。決して顔色の良くないマサキが立っている。
「……寝かせろ」
 シュウは頷いて、マサキを|部屋《キャビン》の中へと招き入れた。のそり、とベッドに乗り上がるマサキは、恐らく相当に眠れない夜を過ごしてきていたのだろう。布団に包るのさえも億劫そうな彼の様子に、眠れなかったのですか。シュウが短く尋ねれば、ああ、大分な。と、眠たげに吐き出してくる。
「何もするなよ」
「善処しますよ」
 無礼を働いたシュウに釘を刺すことを忘れないのは、彼があの出来事を許せずにいるからでもあるのだ。
「何かしやがったら、今度はただじゃおかねえからな……」
 直後にすうっと波が引くように眠りに就いてしまったマサキに、シュウは再び椅子に自らの場所を定めると、先程閉じたばかりの書物を膝に開くこととした。そして、手足を伸ばして眠るマサキを傍らに、久しぶりに過ぎてゆく穏やかな時間を噛み締めるように、その続きを読み進めていく。



<|別離《わか》れ>

 それきりだった。
 気付けば戦いは終わり、ひととき交わった道はまた別れようとしていた。
 シュウはマサキとの約束を守り続けた。彼が寝ている間に不埒な振る舞いに及ぶことはしまい。そう決意し、実際にそれを実行に移した。眠りに就く自分の側に静かに寄り添い続けるシュウをマサキがどう感じているかはさておき、自身の欲望を押し付けた結果、シュウがマサキの足を遠のかせてしまったのは事実だ。それはシュウにとって、夜を過ごす不足を感じさせるに足る出来事だった。
「偶には報われたいとも思いますがね」
 何もするなと云っておきながら、シュウが黙って自分を受け入れる理由をマサキは知りたがった。それにシュウは正面切って答えるのを避けた。口にしたところでその全てが伝わるとは限らない。ましてや自尊心の高いマサキのことだ。果たしてシュウが正直に自身の気持ちを言葉にしたとして、素直に受け止めてくれたものか……。
「報われたい、か……俺も自分が我儘を通してる自覚はある」
 格納庫の片隅で、そろそろ旅立つ準備を始めたシュウを、木箱を椅子代わりにして眺めながらマサキが云った。
「自覚があるのでしたら、少しは自重すればよかったものを」
「悪いな。でも、他の場所じゃ眠れなかったんだ」
「それで良く今まで生きてこれたものですよ。ラ・ギアスに戻っても同じ夜を繰り返すのですか」
「家に帰ればプレシアがいる。これでゆっくり眠れるようになるさ」
 シュウは荷物を纏める手を止めた。
 それは、マサキにとってシュウ=シラカワという人間は、家族に等しいぐらいの存在である――そう告白しているも同義である。心を揺さぶるほどの誘惑。恍惚感に限りはなかった。けれどもマサキはその一線をシュウに超えさせるのだけは拒むのだろう。
 シュウは癒されない孤独を胸に抱えてしまっているマサキを目の前にして、愚かにも救いたいと思ってしまった。
 そうして自覚した。シュウはマサキを受け止めたいのだ。
 孤独、不安、怖れ。それらに囚われているのはマサキだけに限らない。命を懸けた戦いに挑み続ける戦士たちは、常に死という孤独と隣り合わせになりながら生きている。シュウの胸にも巣食っているネガティブな感情の数々は、だからこそシュウにマサキを癒せると思い込ませてしまった。
 同じ感情を共有する仲間として、不足を埋め合いたい。一歩間違えばただ依存し合うだけの関係になりかねない選択をシュウが選ぼうとしてしまったのは、シュウ自身、どこかで自分をマサキに理解されたいと望んでしまっていたからだろう。だとすれば、マサキの拒絶はシュウを救ったとも云える。
 他人に理解など求めてはならないのだ。
 理解されたいという欲望は、やがては驕りと化す。どれだけ自分を開陳しても理解を得られない。焦燥感が相手の尊厳を踏み躙ってゆくようになって関係を、シュウは幾つも目にしてきた。ならば、理解してくれない方が悪いと思い始めるより先に、退く機会を与えられたことを僥倖と思うべきであるのだ……シュウは自身の気持ちにそうして整理を付けた。
 それでも揺らぐ感情。
 彼と混じり合い、溶けてゆきたい。そうして引き返せなくなるほどに、彼を幸福に浸からせたい。けれどもそれは、恐らくシュウ=シラカワという人間では成せないことなのだ。そう、輝ける未来を約束された立場にある少年のパートナーは、やはり輝ける世界に生きる人間こそが相応しい。それはきっと、リューネであったりウエンディであったりするのだろう。
 一人寝を極端に恐れるマサキ=アンドーという少年は、自身の平穏を脅かす恐怖を、自身の心に立ち入らない人間を側に置くことで和らげる人間だ。彼は自身の弱さを人生のパートナーには明かさずに生きてゆくに違いない。粗削りな精神を有する少年は、そうすることでしか自身の強さを肯定出来ない人間でもあるのだから。
「次に私の許を訪れる時には、眠らずして済むようになっていることを願いますよ」
「……迷惑をかけたな」
「そう思うのであれば、ひとりで眠れるようになれるよう努力をするのですね」
 シュウは纏め上げた荷物をグランゾンに積み込んだ。
 それをただ眺めているだけで済ますのも悪いと感じたのか。マサキが手伝いを申し出てくる。触れられて困るような荷物がある訳でもない。シュウに借りを作り続けたと感じているだろうマサキもその方が気が和らぐだろう。そう考えたシュウは、幾つかの荷物の積み込みをマサキに任せた。
「随分、荷物があるな」
 グランゾンのコクピットにまで侵食するに至った荷物を眺めて、マサキが不思議そうに呟く。
 大半は友軍となった味方機のデータだ。後でゆっくり解析しようと思っている内に、これだけのデータとなってしまった。シュウは壁際に山と積まれた荷物を見上げた。ラ・ギアスに戻った後には、これらのデータをグランゾンにフィードバックする作業が待っている。
「大した荷物を持たずして来たつもりではあったのですがね。気付けばこれだけの荷物になるぐらいには、この艦で生活をしてしまったのでしょう」
「次はいつお前と顔を合わせることになるんだか」
「その時のあなたが敵でないことを願いますよ」
 シュウは操縦席に目を落とした。
 幾度となくマサキが眠りに就いた場所。それも今日で終わりだ。自身で口にしてみせたように、シュウは今後のマサキがこのままの状態を続けないことを願っている。例え、彼がシュウにとって|恋敵《ライバル》である人間の力を借りようとも、それで彼に安らかな眠りが訪れるのであればシュウ自身は満足出来る。
 自身の気持ちに整理を付けたシュウは、ただ穏やかに、彼の精神の安寧が訪れることを祈っている。
「それは俺の台詞だ」
 荷物を見上げていたマサキがシュウを振り返った。彼はいつも変わりなくぶっきらっぽうに云い放つと、二歩、三歩と、シュウの許へと歩んでくる。頭半分は低い彼の背。顔を上げたマサキがシュウを見上げる。
「お前じゃなきゃ駄目なんだ」
 不意に訪れた一瞬だった。
 さりげなく触れた口唇が、名残りを感じさせることなく離れてゆく。目を瞠ったシュウに、「偶に、だけだぞ。毎回は嫌だ」そう云い切ったマサキが背を向ける。マサキ。他に言葉を持たないシュウは、その肩に手を置いた。
「私に対する礼であるというのであれば、そういった行いは」
「そうじゃねえよ。ちゃんと云ったろ」
 そうして再び、お前じゃなきゃ駄目なんだ。そう呟いたマサキは、シュウを振り返ることをせず。じゃあな。短く云い置くと、グランゾンのコクピットを出て行った。


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