おまけを白河視点で。
<寝正月(おまけ)>
静けさを取り戻したリビングで、マサキが炬燵の中、テレビを見ながらテーブルの上に広げられたおせちを抓んでいる。
あれだけボードゲームに熱中していたシロとクロはチカは、騒ぎ過ぎたからだろうか。早くもそれぞれの定位置で眠りに就いている。シュウは手元の学術誌に視線を戻した。特に目立つ論文が掲載されているとは聞いていなかったが、全てに目を通さないことには注目の分野も語れないのだから、読む方にも真剣さが求められる。
一ページ一ページ丁寧に目を通していると、視界の端でマサキの顔が動いた。どうやらシュウの様子を窺っているようだ。退屈そうな表情は、彼がテレビに飽きてしまったことを意味している。寝ますか。シュウはマサキに尋ねた。
「まだ風呂にも入ってないぞ」
「シャワーを浴びてくればいいでしょうに」
「お前は?」
「あなたが寝ている間に浴びましたよ」
「ええ? マジか」
シュウが地上に出て帰宅するまで二時間ほど。そこから更に一時間ほど眠りこけていたマサキは、シュウがついでにシャワーを浴びていたことには気付いていなかったようだ。しゃーねえな。と、呟きながら、半日ほど居座り続けていた炬燵からようやく這い出てくる。
「いってらっしゃい」
「おう」
今日はひとりでいるのが寂しいのだろう。シュウが傍を離れることを許せない様子だったマサキに、シュウは仕方なしに彼を寝かしつけることにしたのだが、それがこの時間になっても彼の目を覚まさせる結果となってしまったようだ。まだ眠りたくなさそうな態度。どうかすると一緒に風呂に入るとすら云い出しそうだったマサキに、シュウはひとり、クックと声を殺して嗤った。
偶にあることなのだ。
本人に自覚はないようだが、マサキは日本の風習を意識すると人恋しさが募るようだ。シュウを傍に置きたがるどころか、シュウがひとりで外出することすら許さなくなる。普段はシュウの存在などまるで意に介さない様子でいるのに、だ。
きっと新年の訪れがそうさせてしまったのだろう。
シュウは学術誌に掲載されている論文を読み進めた。練金学士協会編集だけあってレベルの高い論文が並んでいる。けれどもそれだけだ。目新しさの感じられない内容の羅列に、シュウは早々に学術誌を閉じざるを得なかった。
年末に届いたばかりだ。次号が届くまでに読み切ればいい。
むしろ今は、シャワーを浴び終えたあとのマサキの暇をどう潰してやるかを考えるべきだ。そう結論付けたシュウは、炬燵を出て、キッチンに向かった。床にある貯蔵庫に繋がる蓋を開く。そして、大量に寝かせてあるヴィンテージワインの中から一本を選び出して、グラスとともに炬燵の上に置いた。
今日のシュウはゆっくりしたい気分だった。
年が明けると訪れるのが当たり前になったマサキを迎えるのに、年末のシュウはあれやこれに多忙だった。書物があちこちに散らばる家の大掃除をし、彼が好みそうな食べ物の買い出しに地上に出る。と、聞けば地上の年末と何ら変わりないように思えるが、シュウにはメタ・ネクシャリストの称号がある。溜まりに溜まった論文の査読に、無理難題を突き付けてくるセニアとのバトル。日常を忙しく過ごしているシュウにとって、多くの人間が当たり前にこなしている年末のタスクはかなりの負担であるのだ。
「上がったぞ……って、おい。飲むのか」
シャワーだけだからだろう。ほんの十分ほどで浴室から出てきたマサキが、テーブルの上を見て微かに目を見開く。
「まだ、眠くないのでしょう?」
「まあ、正直。夕方寝ちまったしなあ」
「だったら私の寝酒に付き合いなさい」
シュウはマサキの前にグラスを置いて、ワインの栓を開けた。
育った葡萄畑の雄大さを思わせるような芳醇な香りが辺りに漂う。深みのある赤色。ゆっくりとグラスの縁を滑らすようにワインを注いでゆく。
「お前が出してくるワインって口当たりが良過ぎるんだよな。ついつい深酒になる」
「酔っているあなたも可愛いですから、私としては構いませんよ」
「可愛いって褒め言葉なのかね」
「私といるときのあなたに限ってはそうですね」
「ならいい。他の奴の前でもそんなことを云い出されると困る」
ふたつのグラスにワインを注ぎ終えたシュウは、マサキにグラスを持つよう促して、自らもグラスを取り上げた。何に乾杯するんだよ。尋ねてくるマサキに、それは勿論。と、笑いかける。
「新年明けましておめでとうございます」
「ああ、あけおめ」
短く返してくるマサキに愛くるしさを感じながら、グラスを合わせる。チン、と、辺りに響く小気味よい音。シュウはゆっくりとグラスを回してから、中に注がれたワインに口を付けた。
柔らかい甘さが舌の上で溶けてゆく。
まるで昼間味わったマサキの口唇の味のようだ。内心でひっそりとそう思いながら、シュウはマサキとふたりの夜をゆったりと過ごしていった。
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