薬指の約束
贈ったばかりの指輪が左手の薬指に煌めていている。
ファッションに興味がない訳ではないらしかったが、自分で購入するのと他人から贈られるでは意味合いが異なるからだろう。シュウからアクセサリーを貰うことにそこはかとない拒否感を覚えるらしいマサキは、むっつりと口をへの字に結んでそこにいた。
――何だよ、これは。
――見ての通り指輪ですよ。あなたに嵌めて欲しいと思ったものですから。
さして嬉しそうな顔もせずに指輪を受け取ったマサキは、それでも一応は恋人と呼べる男からのプレゼントだということに気を遣ったようだ。そのままポケットに仕舞い込む訳にはいかないと思ったのだろう。薬指用の指輪と聞いて眉を顰めはしたが、きちんと指輪に指を通してみせると、ありがとよ。と、ぶっきらぼうに礼を述べてきた。
その直後のことだった。
話があると切り出してきたマサキに、シュウはまたか――と、うんざりした気分になった。
「それで一ヶ月ばかりエリアル王国に行かなきゃならなくてよ……」
活躍の場をラ・ギアス全土に広げた治安維持部隊アンティラスは、僅かにラングランで羽根を休めては、またどこぞの地に遠征に赴くという日々を送っている。
彼らが請け負う任務の依頼は様々だ。少数部族の領土問題もあれば、首脳国会談の警備もある。軍の演習指導もそうだし、気エネルギーの生産エネルギーへの転換研究のサンプルという有難くない役割にしてもそうだ。
引く手あまたの治安維持部隊。彼らアンティラス隊の能力が世界規模で認知されているのは間違いなかった。
「いつ、こちらを立つのです」
「明後日だな。だから明日には王都に戻ろうと思ってて……」
シュウは彼らに逐一付いて回るような真似はしなかった。
シュウにはシュウの、マサキにはマサキの目的がある。自らの心を守る為に生きているシュウと、自らが生きる世界を守る為に生きているマサキ。彼と同じ道を歩んでいない自覚のあるシュウは、だからこそ、目的が重なり合わない限りは彼らと行動をともにせずにいた。
そもそもシュウ自身、四六時中べったりな付き合いを好まないのだ。
マサキにしてもそうだ。風の向くまま気の向くがまま。自らの心のままに生きている彼は、誰かや何かに心を縛られることを殊の外嫌う。何せ、好意に気付いていながら、ウェンディとリューネを長年放置し続けたぐらいである。筋金入りの風来坊。安藤正樹という青年は、ひとところに居場所を求めない性格であるのだ。
それはシュウにしても例外ではなかった。
休暇を得たからといって、必ずシュウの許を訪れてくれるかというとそうでもない。孤独を恐れず、むしろ愛しているようでもある青年は、自らの感情を優先して生きているのだろう。今日は西、明日は東。ふと目を離せば何処かに消えてしまいそうなまでに、彼はシュウという恋人を拠り所にしていない。
彼を縛るのは、魔装機神操者であるが故の制約のみ。世界存亡の危機に於いては何を置いても戦う。唯一無二の使命に忠実に生きるラ・ギアス世界の生ける英雄、マサキ=アンドー。彼のそうした在り方を誇らしく感じているシュウは、自身の存在が彼の心に占める割合に疑問を持ちながらも、彼が進んでゆく道を阻むような真似は控えてきた。
そう、彼が彼らしく生きることがシュウの最大の望み。そうした彼だからこそ、シュウは彼に惹かれたのであったのだから…… それでも、腑に落ちないと感じる瞬間はある。
果たしてそれらの任務は、マサキたちアンティラス隊でなければならないものなのだろうか。
想いが実ってからというもの、シュウはマサキを見送ってばかりた。律儀に任務でラングランを空けることを報告しに来るマサキ。その程度の誠実さはあるようだったが、一緒にいられる時間の少なさ故に、マサキとの心の距離が縮まるような気配はない。
お前が傍にいることに慣れない。いつだったかマサキが口にした言葉が、シュウの胸に棘となって刺さっている。
稀にしかシュウの許を訪れない彼は、シュウが傍にいることに慣れ始める頃になってから、慌ただしく王都へと戻って行った。まるでシュウとの時間に慣れてしまうのを恐れているかのように。
だからシュウは、彼を遠ざける任務の数々に物思うようになった。もう少しだけ、彼との時間があれば。打ち解けそうで打ち解けないマサキに、シュウは幾度もどかしさを感じてきたことだろう。
「……い。おい、シュウ」
呼ばれた名前に意識を引き戻される。
シュウはマサキの薬指に注いでいた視線を上げた。精悍さを増した顔付き。自信に満ちた彼の瞳からは、踏んだ場数の分だけ、精神的な成長を遂げたことが窺える。
「帰ってくるから、必ず」
指輪を嵌めた指を立てて指切りを迫ってくる彼を、シュウは苦笑で迎え入れた。
もしかすると、馴染めていないと感じているのはシュウだけであるのかも知れない。絡んだ指に光っているシュウが贈った指輪。そもそも、本当に指輪を贈られたことを嫌がっているのであれば、我の強いマサキのこと。最後まで指に嵌めるような真似はしないだろう。
――ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます……
不器用なマサキは感情表現が下手だ。
絡み合った指を解くなりシュウに凭れかかってきた彼に、待っていますよ。シュウはしっかとその身体を抱き締めてから、腕の中で物欲しそうに顔を上げたマサキの口唇に口唇を重ねていった。
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