気付いたら生理が10日を数えていた。
春先に生理が終わったと思ったら、また僅かに出血した。だからそろそろだとは思っていた。
閉経準備だ。
覚悟はしていても、いざそのときを迎えると心がざわめくものだ。努めて冷静でいようと思っても、心は千々に乱れる。ああ、私はこのまま子供を持つことなく生涯を終えるのだなあと。
独身を貫く決意をしている友人はペットを飼い始めた。可愛い猫が二匹だ。私もそんな風に生きられたらなあと思うけれども、アレルギーを持っている以上、そうはいかない。
どうやって晩年を生きていこう。
ただ本を読んで、つれづれに何かを作って、隠者のように気紛れに生きていければ最良だけれども、人間は残念なことに働かなければ生きてはいけない。働き続ける――その為には私は記憶を持ち続けなければならない。それがただただ辛く感じることもあるのだ。
何故被害者が苦しみ続けなければならないのだろう。
そんなことを思っても時間は巻き戻らないのだから、もっと前向きになりたいと望む。望んでそのためには先ずこの苦しみを乗り越えるところからなのだと思う。そのための時間はどのくらい必要なのだろう。
記憶を失い続けた私はそうした自分の問題と向き合う時間が少な過ぎた。今更にそうした問題と向き合ってみたところで、既に人生の半分を数えている。生きていればいいことがある、などという慰めは、もっと若く元気があるときだからこそ意味を成すものなのだ。
そうして考え続けて、先のことを考えて、嫌になって、ふと思ってしまうのだ。
ああ、解脱したい。
この苦しみから解放されたい。いっそひと思いにまた記憶を失えたらと思ってしまうけれども、それでは何も解決しない。問題の解決を先送りにしたところで、自分をただ追い詰め続けるだけなのだ。
今向き合っておけば、この先の人生、楽に生きられる。けれどもたったそれだけのことが難しい。だから一足飛びに解脱などということを考えてしまうのだ。生きていくことから目を背けてしまうのだ。
けれども考えてしまう。心の安寧を得られるのであれば、仏門というのはひとつの答えではないのかと。
平凡な幸せが欲しかった。
たったそれだけのことを叶えるのが難しいのは、私の心が壊れてしまっていたからなのだろう。
記憶が無くなるということは、認識が歪むということなのだ。その歪みを正すために、様々に物を思う。様々に物を考える。歪みを直して、心の健全を取り戻して、そこからまた新たな人生を始めるために、私は今を過ごしている。
いつか笑ってテレビを見られる日は来るのだろうか。
10年後の私はきちんと心から笑っているだろうか。
そのために今の努力がある。そのために今の努力を続けている。
けれども時々、例えようもなく不安になるのだ。それだけのことなのだ。
頭を空っぽにするようにミサンガを編み続けている。乱れた心を澄ますために、無心に編もうとし続ける。しかし、乱れた心はそうは簡単に私を無心にしてくれない。
例えば書であったなら、心の乱れは文字に出る。その筆さばきに出る。ミサンガだったらその乱れはどこに出るのだろう。私の結びが下手なのは、もしかしたらそうした心の乱れが出ているのかも知れない。
いつか笑って、あの頃は辛かったと言えますように。
そのために私は今日も明日も、無心になるためにミサンガを編む。
閉経準備だ。
覚悟はしていても、いざそのときを迎えると心がざわめくものだ。努めて冷静でいようと思っても、心は千々に乱れる。ああ、私はこのまま子供を持つことなく生涯を終えるのだなあと。
独身を貫く決意をしている友人はペットを飼い始めた。可愛い猫が二匹だ。私もそんな風に生きられたらなあと思うけれども、アレルギーを持っている以上、そうはいかない。
どうやって晩年を生きていこう。
ただ本を読んで、つれづれに何かを作って、隠者のように気紛れに生きていければ最良だけれども、人間は残念なことに働かなければ生きてはいけない。働き続ける――その為には私は記憶を持ち続けなければならない。それがただただ辛く感じることもあるのだ。
何故被害者が苦しみ続けなければならないのだろう。
そんなことを思っても時間は巻き戻らないのだから、もっと前向きになりたいと望む。望んでそのためには先ずこの苦しみを乗り越えるところからなのだと思う。そのための時間はどのくらい必要なのだろう。
記憶を失い続けた私はそうした自分の問題と向き合う時間が少な過ぎた。今更にそうした問題と向き合ってみたところで、既に人生の半分を数えている。生きていればいいことがある、などという慰めは、もっと若く元気があるときだからこそ意味を成すものなのだ。
そうして考え続けて、先のことを考えて、嫌になって、ふと思ってしまうのだ。
ああ、解脱したい。
この苦しみから解放されたい。いっそひと思いにまた記憶を失えたらと思ってしまうけれども、それでは何も解決しない。問題の解決を先送りにしたところで、自分をただ追い詰め続けるだけなのだ。
今向き合っておけば、この先の人生、楽に生きられる。けれどもたったそれだけのことが難しい。だから一足飛びに解脱などということを考えてしまうのだ。生きていくことから目を背けてしまうのだ。
けれども考えてしまう。心の安寧を得られるのであれば、仏門というのはひとつの答えではないのかと。
平凡な幸せが欲しかった。
たったそれだけのことを叶えるのが難しいのは、私の心が壊れてしまっていたからなのだろう。
記憶が無くなるということは、認識が歪むということなのだ。その歪みを正すために、様々に物を思う。様々に物を考える。歪みを直して、心の健全を取り戻して、そこからまた新たな人生を始めるために、私は今を過ごしている。
いつか笑ってテレビを見られる日は来るのだろうか。
10年後の私はきちんと心から笑っているだろうか。
そのために今の努力がある。そのために今の努力を続けている。
けれども時々、例えようもなく不安になるのだ。それだけのことなのだ。
頭を空っぽにするようにミサンガを編み続けている。乱れた心を澄ますために、無心に編もうとし続ける。しかし、乱れた心はそうは簡単に私を無心にしてくれない。
例えば書であったなら、心の乱れは文字に出る。その筆さばきに出る。ミサンガだったらその乱れはどこに出るのだろう。私の結びが下手なのは、もしかしたらそうした心の乱れが出ているのかも知れない。
いつか笑って、あの頃は辛かったと言えますように。
そのために私は今日も明日も、無心になるためにミサンガを編む。
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