今日は一人称で遊ぶぞー。
<安藤正樹の忘却>
独りでいる方が楽だと気付いたのは、小学校高学年の頃だった。
群れてぎゃあぎゃあ騒いでいる同級生たちが、ある日突然、何だか酷く幼い生物のように思えてしまった。教室の隅でプロレスに興じたり、テーブルを囲んで持ってる文具を自慢し合ったり、ゲームで遊んだり。小さなことで一喜一憂するあいつらのエネルギーに、俺は疲れてしまったのかも知れない。
だから俺はその日から友人たちとつるむのを止めた。
楽になった。
休み時間にぼんやり外を眺めたり、寝たり、こっそり持ち込んだプレイヤーで音楽を聴いたりと、とにかく外界の騒々しさから隔絶されたかった俺は、あいつらとつるまない方法を生み出すのに苦心していた。
内容のわからない小難しい本を読むと効果があると気付いたのは、親父が持っていた大判の百科事典が顔を隠すのにもってこいだと思って使ってみたからだった。マサキ、何読んでんだよ。皆、声をかけてきては内容を知って面倒くさそうに離れてゆく。一部の同級生は見せてと煩かったが、高価な本だから壊されると困ると云えば、責任を取れないからだろう。こちらも皆離れて行った。
それから俺は親父の本棚から色んな本を持ち出すようになった。太宰に三島、芥川に夏目漱石。ちょっと変わったところでは室生犀星や荻原朔太郎なんてのもある。余程の本好きでもなければ手を出さないそれらの本を、俺は一切内容を理解しないまま、同級生の露払いとして読んでいる振りをし続けた。
担任は俺が読んでいないことに気付いていたのだと思う。何せ国語の点数はクラスで中程。本を読み始めても上がる気配がないのだから訝しむに決まっている。あるとき俺に呆れた風に、「安藤君は何の為に本を読んでいるのかな?」と尋ねてきた。けれども俺は、その本当のことを打ち明けるチャンスに、気取ってこう答えてしまうのだ。
「先生、本から学ぶのはその作家の生き様じゃないんですか」
親父の受け売りだった。
親父もまた、俺が中身を読んでいないのには気付いていたと思う。何せ持ち出すばかりで中身に関する内容を一切話し合おうとしない。誰かに貸しているのかと問われたこともあったが、その日の内に持ち帰ってくるからだろう。その線は直ぐに捨てたようだ。
俺の読まない読書は高校入学まで続いた。
今思えば思春期ってやつだったのかも知れなかったが、休み時間に本を立てて人避けをしているようなすかした人間だった俺は、周囲の人間からすればさぞや面白くない大人に育っていっているように見えたことだろう。とにかく他人と付き合うのが鬱陶しく感じられて仕方がない。おまけに俺の生きている環境は、他人との接触を最小限に済ませるものばかり。少しやればコツを掴んでしまうこともあって、長続きしない部活動。馴染む前に辞めてしまうものだから、最終学年の頃ともなるとスカウトも来なくなった。委員会にしてもそうだ。学校にいる間中、本を広げているからと図書委員に推薦されたことがあったが、中学の図書室なんて来る奴はほんの一握り。ただカウンターに座って、そいつらがぼそぼそと小声で貸し出しを頼んでくるのに無言で対応するだけ。これで俺に友人なんてものが出来る筈がない。アクティブな陰キャ。学校のカーストから外れた位置で、けれども俺は、俺なりにのびのびと生きていた。
あの事件があるまでは。
両親が死んだ。テロの犠牲者として。
テレビやニュースで世の中の醜さを知った気になっていた俺は、自分の認識が甘かったことをその時に知った。ハゲタカのように両親の遺産に群がる親戚たち。そのくせ俺の面倒を見るのは嫌だとごねやがる。俺が散々勝手に持ち出した親父の蔵書の数々も、呆気なく処分されてしまった。行き場もなければ心が落ち着く場所もない。あの頃の俺は、精神的に随分荒れていたと思う。そう、学校の裏手で授業をさぼって煙草を吸っているヤンキー相手に粛清の拳を振るう程に。
それがやり過ぎだと問題になったこともあった。風紀委員でもないただの生徒が、注意のついでに流血沙汰だ。本来であれば停学処分になっていてもおかしくない。だが、学校というのは不思議な場所で、世の中の規則とは異なる理論で動くことがある。一部のヤンキーが更生してしまったことで、教師からヒーローに祭り上げられてしまった俺は、いい憂さ晴らし先を見付けたとばかりに、学校や繁華街でそうした連中に難癖を付けては、思う存分、彼らを粛清した。
お陰で中学を卒業する頃には、同級生が寄り付くことはなくなった。
せいせいした。
高校でもこういった生活が続くのだろう。漠然とした未来に、希望を持てずにいた俺に、けれども天は味方した。地底世界ラ・ギアス――まさかの異世界への召喚は、俺の人生どころかひねた性格までもを矯正したのだ。
もし、召喚されたのがラ・ギアスではなかったら、或いはあの場にいた魔装機操者候補生がテュッティたちでなければ、俺の性格が矯正されることはなかったままだっただろう。それどころか、魔装機に乗ることもなかったかも知れない。
魔装機に乗るも自由。下りるも自由。
世界の危機に際して動ければ、あとのことは好きにしてもいい。
魔装機操者としての心構えそのままに、好きに判断し、好きに動き回る仲間たちは、そもそもが群れることを良しとしていないようだった。それは日頃の俺への接し方にも表れた。個人的な事情に不用意に踏み込んでくることのない仲間たち。彼らは誰かとつるむことが苦手な俺に、これ以上となく居心地のいい居場所を提供してくれた。
勿論、世をひねた俺の矯正は簡単なものではなかった。勝手に地上に行ったりしては叱られてばかり。スタンドプレーが多いとヤンロンに一晩中説教を食らったこともあった。
――誰かを頼れぬ人間に、どうして誰かが守れると思うんだ。
ヤンロンは俺が他人を根本的には信用していないことに気付いていたようだ。他人と歩調を合わせて何かを為すことの大切さを、滔々と俺に説いてきた。あなたは誰かを頼ることを知らなさ過ぎるのよ。そう隣で溜息を吐いていたテュッティも、ヤンロン同様に俺の身勝手で傲慢な性格に気付いていたのだろう。それでは足元をいつか掬われるわ。と、真面目さが滲み出る表情で俺に云い聞かせてきた。
反発はあった。
けれども彼らの言葉は、当時の俺には本当に有難く、そして得難いものだった。
両親を失ってからの俺は、それだけ、誰かが本気で自分を止めようとする言葉を聞くことがなくなってしまっていたのだ。
勿論、それまで一匹狼を気取って生きていた俺は簡単には折れなかった。怒られようが叱られようがどこ吹く風。謝れば負けだと意地を張って、自分の魔装機への適性の高さに胡坐を掻いていたりもした。剣聖という称号にしてもそうだ。やれば出来てしまうことしか知らない俺は、出来ないことに鈍感で、そのことで随分と周囲の反感を買ってしまっていたことだと思う。
そんな俺の高く伸びた鼻を折ったのがシュウだ。
俺には到底及ばない才能の持ち主。天は二物を与えずとは良く云ったものだが、あいつの場合は三物も四物もあるから性質が悪い。厚顔不遜に振舞っても許されてしまう程のステータスが、あいつの自信を支えているのは直ぐにわかった。それに俺が叩きのめされそうになってしまっていることも。
だからこそ、斃さねばと思った。
つまらない自尊心ややけっぱちな気持ちからではない。そうした自信を持つことを許されているあいつの態度が、過去の俺の姿に重なった。やり場のない怒りを正義を標榜して標的にぶつける。俺がヤンキーを叩きのめしていたのと一緒だ。ただ奴にとっての標的は世界だった。それだけだった。
自分のそうした傾向が間違っていたと、俺は仲間たちの存在で気付くことが出来た。
だったらシュウは?
誰かがあいつを止めなければならないのだとしたら、それは俺を置いて他にない。奴の怒りを理解出来るのは俺だけだ。冷静に振舞っているようで、泣き叫んでいるようにも映るあいつの行動に、俺はいつの間にか過去の自分を重ねてしまっていたのだろう。俺でなければならないという気持ちは、王都が壊滅した瞬間に最高潮に達した。だから地上にシュウを追って出た。必ず奴に引導を渡してやると。そして、かならずあいつがいる地獄から救い出してやると。
もしかすると、それもまた慢心だったのかも知れない。けれども、ヤンキーに怒りをぶつけていたあの頃と比べると、俺は圧倒的に欺瞞を口にすることがなくなっていた。青臭い正義感とシュウは良く俺の気持ちを評したが、あの熱情は紛れもない俺の本心だ。嘘もなければ見栄もない。ただ、救いたい。それだけだった。
その気持ちを支えたのが第二の故郷ラ・ギアスだ。俺を新たな自分として生きることを許してくれた地底世界ラ・ギアス。わけても神聖ラングラン帝国に、俺は大きな恩義を感じていたし、それだけに俺の故郷はここだと心から思っていたのだ。
だから俺は、シュウを赦した。
怒りは正しく使うものだ。別の対象にぶつけたところで、生み出せるのは歪んだ優越感だけだ。根本的な解決にはなりやしない。それを俺は知っていたからこそ、邪神教団と手を切ったあいつを赦したのだ。
※ ※ ※
今、シュウは俺の隣にいる。
※ ※ ※
今、シュウは俺の隣にいる。
家のベッドで頭を並べて一緒に横になっているあいつは、いつも通りに隙のない顔で静かな寝息を立てて眠っている。それが堪らなく幸福だと感じられるようになったのは、シュウもまた俺に対して余計な詮索をしない人間だったからだ。だが、それだけでは、俺がこいつに馴染むことはなかっただろう。率先して俺が自分の所に居つくように振舞ったシュウ。そのいじましい努力なくして今日の俺たちはない。そのぐらいは鈍感な俺でもわかっている。
「なあ、シュウ」
答えがないと知りつつ、俺は眠っているシュウの肩を掻いた。
付き合いが深さを増すにつれて、俺の中にはひとつの欲求が生まれるようになっていた。俺の過去をこいつに話したい。忘れたいほどに恥ずかしい過去を、シュウだったら喜んで聞いてくれるに違いない。そういう確信があった。
そして出来れば、シュウの過去も知りたい。俺と同じくらいに、いや俺以上に忘れたいに違いない過去を。だが、シュウは世の中に対して頑なな人間だ。一歩タイミングを間違えれば、心を閉ざされかねない程に。
それは俺たちの仲に亀裂が入ることを意味していた。
だから俺はシュウが眠っている時を狙って、少しずつ昔話をするようになった。
「お前、俺が読まない読書をするような人間だったって知ったら、何て云うかな」
今日は俺が人を遠ざける様になった話をしよう。そう思って小声で言葉を継ぐ。いつもであればほんの少しのその独白に言葉が返ってくることはなかったのだが、どうやら眠りが浅かったようだ。不意に目を開いたシュウが俺の方を向いて、「興味深い話をしますね。読まない読書とは?」と尋ねてきた。
何だか気まずい。だのに、こそばゆい。
「文字通りに決まってるだろ。お前は怒るんじゃないかと思って時間を選んでるのに、こういう話の時だけ聞き耳を立てるんじゃねえよ」
笑いながら、シュウの胸を小突く。と、その手を掴まれた。
次の瞬間、身体を引き寄せられたかと思うと、力一杯抱き締められる。
「今迄のあなたの話も全て聞いていましたよ。ただ、私が眠っていると思い込んでいるようでしたから、目を開かなかっただけで」
ああ、こいつは。
こういう奴なのだ。シュウ=シラカワという人間は。俺がどうすれば気を許すかを、誰よりも深く理解している。
「俺、お前に話したいことが沢山あるんだよ」
「知っていますよ」
「お前に訊きたいことも沢山あるんだ」
「それもわかっています」
なら、聞かせてもらえるのだろうか。俺は途惑いながらシュウの背中に手を回した。そして、聞かせてくれよとシュウに頼んだ。俺はお前の過去が知りたい。どうやってお前が育ってきたのかを知りたい。そう言葉を継ぐと、腕に力が込められる。
「なら、今晩の寝物語はそれにしましょう。どこから聞きたいですか、マサキ」
俺の胸に感慨が押し迫ってくる。
ああ、ついにここまできた。初めて顔を合わせたあの日から、様々な戦いを経て、ようやくここに――……シュウも同じことを考えているのだろうか。感嘆の溜息を吐くと、俺の求めに応じて口を開いた。
<了>
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